1・4東京ドームが終わった。

私の感覚でいくと、1・4は年明け最初のビッグイベントでありながらも、

1年の集大成を見せつけるべき檜舞台でもある。


10数年前のように、1年にドーム大会(大阪、名古屋、福岡、札幌も含め)を

4回も5回も開催できるようなご時世ではない。

それだけに唯一無二といっていい1・4東京ドーム大会は、

より特別なイベントとして位置づけされている。


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今年は、全日本、ノア主力勢の参戦もあって、

メンバー的には『ALL TOGETHER』の様相も呈していた。


ただし、先月初旬…12・4名古屋大会が終わって、

ほぼ1・4の全カードが出そろったときに、

新日本のプロデューサー的立場にいる某幹部は私にこう漏らしていた。


「正直いって、思い通りのカードが組めたとは言い難いんですよ。

もしかしたら、今年(2011年)より集客は厳しいかもしれません!」


本気で取り組んでいるからこそ、出てくる真摯な本音である。

そりゃあ、これだけのメンバーがそろえば、

もっと冒険的、かつ斬新で、さらに刺激的なカードを組んでみたくなる。


ただし、各団体ともに内部事情があるし、リング上の流れもある。

それを壊してまでドリームカードを乱発してしまったら、

その後の流れがグチャグチャになってしまう。


それらすべてを考慮したうえでの、最大限の努力の成果が、

今回のカード編成に現れていたように思う。


当日、もっとも気になるのは、やはり集客だった。

蓋を開けてみれば、4万3000人(主催者発表)という数字。

昨年より、1000人上回る入りだった。


フィールドのイスは、昨年よりも増席していたし、

内野スタンドもキレイに埋まった。

おまけにジャンボスタンドにも結構、観客の姿があった。


試合スタート時間から徐々に埋まっていった恰好だ。

これは、1月4日(水)が仕事始めの日と重なった人も多かったからだと思う。


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カード編成に関していうなら、試合順が絶妙だったと思う。
なにより、第1試合にIWGPジュニアタッグ選手権、

NRC(デイビー・リチャ―ズ&ロッキー・ロメロ)vs

APOLLO55(プリンス・デヴィット&田口隆祐)を持ってきたのは大正解。


昨年、2度の激闘、さらに王座移動のサプライズもあって、

この顔合わせが”鉄板”として認知された感もあるからだ。

オープニングマッチから、確実にファンの沸き具合が伝わってくる。


私は、この試合の解説担当ではなかったから、1塁側ベンチ前で観戦していた。

この場所は、フィールドとスタンドの声が一番伝わってくる場所。

いつものドーム興行であれば、オープニングからあれだけの熱気は伝わってこない。

ファンにしても、空気が温まるまで時間を要するものだから。


だからこそ、棚橋ではないが、いきなり「キタ―!」という感じ。

これがこの1年、新日本がコツコツと積み上げてきた実績の証でもあるのだろう。


さて、ここで少し時間を戻してみたい。

私が会場入りしたのは、午後2時。

テレビ朝日の控室に入って、まず驚きの事実を伝えられた。


体調を崩した野上慎平アナウンサーが緊急入院し、

リタイアを余儀なくされたのだと言う。

生真面目な彼のことだから、その心中を思うと堪らないものがある。


言葉では言い表せないほど、落ち込んでいるに違いない。

ただし、実況アナウンサー陣にしてみれば、

この不測の事態をチームワークで乗り切らなければならない。


野上アナの担当試合が、次々と他のメンバーへ振り分けられていく。

もちろん、他のアナウンサー陣は朝から担当の変更等を聞いており、

みんな突貫工事で資料作成に励んでいた。


とくに、一番若い三上大樹アナウンサーは、

第8試合(高山善廣vs真壁刀義)を振り分けられ、

かなりのプレッシャーを感じていたように見えた。


こういうとき、私たち解説者にできることは、

できるだけ彼のプレッシャーを軽くしてあげること。

つまり、普段より積極的な姿勢で言葉数そのものを多く発してやることだ。


当日、プレゼンタ―&サポーターとして、

AKB48の小森美果さんも参加してくれたのだが、

彼女の存在に浮かれている者は1人もいなかった(笑)。


第0試合を除いて、第1試合開始(午後5時)から

全11試合の4時間20分興行。

不思議と長くは感じなかった。

これはいつもの感覚通りで、試合がおもしろければ、

興行は長く感じないものなのだ。


ここで、1試合ずつ検証していると、

おそらくブログの制限文字数をまた軽く超えてしまう(笑)。


だから、私なりに感じたインパクト満点のシーンを列挙してみたい。

本当は、順位などつけるのは難しいところなのだが、

私的観点として、あえて順番もつけてみたい。


①約24年ぶりに新日本マットに登場した船木誠勝が、永田裕志の膝蹴り食らい顔面骨折という

アクシデントに見舞われながらも、ハイキック1発で井上亘を沈める。

さらに、試合後に、永田と喧嘩腰の大乱闘!


②メインイベントのIWGP選手権終了後、激闘の末に王者・棚橋弘至、敗れた鈴木みのるは

ともにリング上で大の字。そのとき、鈴木が笑っていたこと。


③武藤敬司の入場時のVTR(過去の名場面)と旧テーマ曲『トライアンフ』にシビれる。

前半笑みを浮かべながら、武藤に対していった内藤からも響くものあり。

ちなみに、勝利のテーマは『ホールドアウト』だった。


④新日本CHAOS最強コンビ(中邑真輔&矢野通)vsノア代表コンビ(潮崎豪&丸藤正道)は、

矢野の独壇場。最後に、中邑と丸藤がネクストを期待させる睨み合いを展開。


⑤遂にやってきた未知なる大物、シェルトン・ベンジャミンが驚異の身体能力を発揮。

田中と邪道&外道の3人をまとめてふっ飛ばしたトップロープ超えのトぺ・コンヒ―ロには脱帽。


⑥ジュニア8人タッグ戦で、空中大戦争。そこで最大のインパクトはマスカラ・ドラダの1発。

「アンタはいったい何回転するんだ!?」と聞きたくなるほどのスペル・トルニ―ジョ炸裂。


⑦大人になった新生テンコジがバッド・インテンションズを破り見事に王座奪取。

テンコジとしてIWGPタッグ初戴冠(1999年1・4東京ドーム)の地で、再スタート。


⑧ダブル凱旋マッチとなったオカダ・カズチカvsYOSHI-HASHIのフィニッシュの瞬間、

会場から一斉に「エ―!?」というビックリ&不満の声。

これだけ大人数の「エー!?」という合唱を聞いたのは初めてかも…。


⑨帝王・高山善廣の見事に男らしい負けっぷり!


⑩オープニングマッチでAPOLLO55が宇宙服に身を包みフワリフワリと入場。


このように、思いつくままに列記してみた。

これだけ湧き出てくるということは、それほどバラエティに富んだ好勝負、

インパクトを放つ試合が多かったということだ。

そこで、少し補足を加えておきたい。


に関して、永田vs船木は昨年、全日本マットで3度対戦済み。

もっとも印象に残るのは、チャンピオン・カーニバル公式戦の一騎打ち。

あの船木が感情をむき出しにしながら、永田の蹴りのラッシュに耐えた。

最後は、右ハイキックの一撃で電撃勝利を奪っている。


4度目となると新鮮味が薄いなあと思っていたのだが、実際は違った。

やはり新日本マットでは、

新日本出身者だけに宿る魔力のようなものが作用するのだろうか?

船木の一挙手一投足から、他の選手とは違うオ―ラが滲み出ていた。


ましてや、この東京ドームは、12年前、船木がヒクソン・グレイシーに敗れ、

引退を発表した因縁の地でもある。


では結果的に、船木を負傷させてしまった永田の膝蹴りに関して。

相手の蹴り足を捕えてコーナーへ押し込み、膝蹴りというパターンは、

永田が本場のムエタイの攻防からヒントを得た攻撃。


ムエタイの場合、相手をロープへ押し込んで、

跳ね返ってきたタイミングで膝蹴りを打ちこむのだ。

ムエタイの試合では、これが一撃必殺のフィニッシュとなる場合もある。


今回は、アクシデントだった。

やはり闘い慣れしていない両者だから、

相手のパフォーマンスをすべて熟知しているわけではない。


永田はいつものように側頭部付近を狙ったようだが、

船木が下を向いていたために、膝がもろに左顔面をえぐってしまった。


その状態で最後まで闘って勝利を奪い、

なおかつ共同インタビューにも応じた船木の姿勢は立派だった。

また、試合後に船木の顔面頭突きを仁王立ちで受けた永田にもプロを感じた。


「正直こういう結果(左頬骨骨折/全治6カ月)になってしまったのは、

申しわけない気持ちでいっぱいですよ。

でも、あの人は恨みごとの一つも言わなかった。

新日本に上がった船木誠勝は凄かったです。

あ、やっぱりこの人は新日本(出身)なんだなと思いました。

素晴らしい選手だし、今後も闘っていきたいし、

これが一つの因縁というか、今後につながるのなら是非またやりたいです。

船木さんが元気に復帰してきてくれるのを、オレは待っています」


永田からすれば、複雑な心境だろう。

ただし、24年ぶりに上がった新日本マットで船木の凄みが全開となったのは、

やはりそこに永田がいたからこそだろう。


違う道を歩んできても、同年代。

しっかりと通じ合うものがあった。

ともかく船木の回復と復帰を願うばかりである。


は25分59秒という大激闘。

正直この両選手は、ともに東京ドームという器と闘っていたように思う。

両国国技館であれば、普段の自分をぶつけ合えば観客に充分届く。

しかし、東京ドームはおそろしく広い。

この広さ、空間が最大の難敵なのである。


まして、鈴木みのるは派手な技に走ることなく、少ない持ち技で勝負するタイプ。

だから、この試合ばかりは私たち関係者にとっても予測不可能だった。


「もしかしたら、ハズしてしまう可能性もある。

ただし、この2人でハズしたならもう仕方がない!」


私もそうだが、こう思っていた関係者は意外に多かった。

絶対王者である棚橋。

もっともプロレス頭に長けている鈴木。

2人には失礼な言い方になってしまうが、

この絡みでハズしたなら、もうしょうがないのである。


試合前、ドームのフィールドで鈴木とバッタリ出くわした。

穏やかな表情をしているように見えた。

やるべきことは、すべてやってきた。

そういう充足感もあったろうし、

心地よい緊張感にも包まれていたのだろう。


「一つだけ聞いていいかな?

今日は勝負タイツの白は履かないの?

いつも通りに黒タイツでいく?」


鈴木の勝負タイツが白であることは、周知の通りだ。

因縁のモーリス・スミス戦、パンクラスでのライガー戦、

高山とのNWF戦、佐々木健介に挑戦したIWGP戦、武藤との三冠防衛戦…。

彼が特別な勝負を賭けるときは、常に真っ白なタイツだった。


「いや、黒でいくよ。

白タイツは、ちょっと意味合いが違うと思うからね。

今日が終着点ではないし、これはオレにとって始まりでもあるわけだから。

相手の棚橋も、年齢的にキャリア的に、そういう対象とはちょっと違うから」


「ああ、分かる。その意味はよく分かるなあ」


鈴木との会話はこれで充分だった。

同時に、鈴木ならやってのけるだろうという

確信めいたものも私の中に沸いてきた。


そして、2人はやってのけた。

一つ一つの技を大切にする攻防から、

一転して感情剥き出しの張り合いへ。


鈴木のスリーパーで会場から悲鳴が上がり、

棚橋のスリングブレイド1発で沸きかえる。


ゴッチ式パイルドライバーが決まったときには、

誰もがバッドエンドを覚悟した。

しかし、キックアウトした棚橋は、この1年間の思いを込めた

ハイフライフローで最強の侵略者を沈めた。


大の字となった鈴木が笑っていた。

フラフラになって引き揚げるときも、

放送席に立ちよって、ニタリと笑った。


神(サイド式ネックロック)も出たし、鬼(1本足頭突き)も出たし、

闘魂(卍固め)も出た。

おまけに、じつは得意にしているドロップキックまで出た。

たしかに終着点ではなく、これが鈴木のスタートなのだ。


これから、どういう手段で新日本を侵略してやろうか?

すでに鈴木は舌舐めずりをしながら、プロレス頭を働かせていることだろう。


次は、天才対決と称されたのこと。

試合後の武藤は、新日本が過去の映像、過去のテーマ曲など、

武藤の過去の栄光をあおったことにカチンときたと語った。

だから、今に生きていることをよけいに見せてやろうと思ったと言う。


これが、武藤らしさであり、彼のへそ曲がりなところ。

だが、へそ曲がりな部分があるからこそ、天才たる発想も生まれ出るのだ。


前半は互角だった。

憧れの武藤と対峙して、内藤は笑みを浮かべていた。

開始早々、自らグラウンドに誘ったときなど、「一本取ったぞ!」

という心境だったのではないか?


武藤はグラウンド・レスリングで相手の力量を計り、

そこから自分のぺースを作っていくタイプだからである。


たとえば、私の主観でいくと、この10年間のベストバウトは2試合ある。

2007年7・1横浜大会の鈴木vs武藤戦(鈴木の三冠ヘビー防衛戦)と、

2008年1・4東京ドームのカート・アングルvs永田裕志戦である。


鈴木vs武藤は、正真正銘のシングル初対決だった。

無論、鈴木はグラウンド・レスリングに絶対の自信を持っている。

その前に武藤を牽制すべく、武藤の一番嫌がりそうなローキックを放っていった。


ところが、そのローの蹴り足をキャッチした武藤は、

そのまま鈴木をグラウンドに誘いレッグロックに入った。

その瞬間、驚いた鈴木は対処が遅れた。


「さすがは武藤敬司、ただものじゃないなって!

あのとき、完全に1本取られたと思ったよ」


当時、鈴木がそう言っていたことを思い出した。

その武藤を相手に、自らグラウウンドを仕掛けていった内藤。

しっかり研究しているし、内藤もただものではない。


動かない山である武藤敬司をいかにして動かすか?

これはこの数年、武藤と対峙してきた新日本の若い世代…

棚橋、中邑、後藤、真壁らにとって最大のテーマであった。


年齢面、肉体面、膝の古傷など、当然、武藤にも衰えはある。

だから若い選手の中には、

「武藤さんはオレたちの動きについてこれない」と、

言いきる選手もいる。


ただし、全盛期の武藤を知る永田などは、こう分析している。


「ついてこれないんじゃくて、あの人はついてこないんだよ。

ついてこない人間をいかに動かしてみせるか……

そこが問われるんだよね!」


武藤が自らついていったのか、内藤が動かしたのか、

確かに中盤までは、両者とも動いていた。

たとえ足を攻めまくられていても、内藤の試合だったようにも見えた。


そして、反対に、内藤が攻めに転じたあたりから、

武藤は動かなくなった。

徐々に動かざる山と化していった。

この山を動かすのは、並大抵ではないのだ。


本当に、武藤が絶体絶命と見えるまで追い込むのは実に難しい作業。

内藤にしても、もてるモノをぶつけていったが、

山を切り崩すまでには至らなかった。


少し話題はそれるが、この動かない山を

力づくでも動かすことのできる人間は限られると思う。

それが出来る選手がいるとすれば、永田裕志か秋山準。


私はそう思っている。

キャリアがあって、体もある程度あって、技術があり、力負けしない。

また、いざとなれば非情にもなれるのが、この2人だから。


今の中邑真輔にも、大いに可能性を感じる。

もしかしたら、武藤を相手にとんでもないことをやってのけるかもしれない。

過去、武藤に連敗した経験を持つ中邑だけに、

もし実現すれば絶対に爪痕を残すような気がするのだ。


本題に戻ろう。

1・4ドームのセミファイナルは、ファンの方には”武藤劇場”と映ったかもしれない。

ただし、もう一度テレビでよく確認してもらいたい。


武藤劇場のようで、内藤もしっかりと自己主張している。

内藤目線で試合を見れば、これは”内藤劇場”として捉えることもできるはず。


もっと言うなら、この大舞台に武藤敬司を引っ張り出し、

1年越しのプランである内藤戦を実現させたこと。

過去の武藤の栄光をこれでもかと煽ってみせたこと。

それに武藤が、反発心を抱いたこと…。


そういうものをすべてをひっくるめて考えたら、

新日本プロレスの歴史の勝利と言えるのかもしれない。


いやあ、こうやって理屈を書き連ねていくと、

なんとなくドンドン答えから遠ざかっていくような気がする(苦笑)。

もう、これ以上考えるのはやめにしよう!


答えは、ファンの感覚に委ねたい。

皆さんにジャッジしてもらいたい。


最後に、前代未聞の凱旋対決となったのオカダvsYOSHI-HASHI戦。

すでに、ダブル凱旋マッチという時点で、

2人はとんでもなく高いハードルを課せられていたわけだ。


なぜ、新日本がこういうマッチメイクを組んだのか、

今も私の中では謎のままだ。


ドームにこだました「エ―ッ!?」がすべてと言ってしまうこともできるのだが、

この一戦だけで判断するのは、早計だろう。

両選手とも、まだ何も始まっていないようにも思うからだ。


1・4において、唯一謎を残したこの試合。

そして、両者ともにCHAOS入り。

2・12大阪大会では、早くもオカダのIWGP初挑戦が決定。


まさに一気呵成、怒濤の流れである。

答えは、2・12大阪大会を見届けるまで待ったほうがいいのかもしれない。                 


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そうだ、大切なことを忘れていた。

棚クン、新記録のⅤ11おめでとう!


この1年、業界の先頭に立ってプロレスの素晴らしさを伝えてきたのは、

間違いなくアナタです。


ビールのシャワー、キタ―!!