12月24日、クリスマスイヴ。

超満員の新日本プロレス・後楽園ホール大会に、中西学が帰ってきた。


第4試合(小島聡vsジャイアント・バーナード)終了後、

休憩時間が取られているため、観客が次々と席を立って

トイレなどへ向かう。


マスコミでも一部の人間しか知らないことだから、

控室方向へ引き揚げようとするカメラマン、記者たちもいた。

そこで突然、場内が暗転してスクリーンに映像が流れ始めた。


映しだされたのは、必死にリハビリに励む中西学の姿。

一旦、ロビーへと出て行ったファンも何事かと客席に戻り始めた。

VTR終了と同時に、中西の入場テーマが鳴り響く。


どっと沸く館内。

「まさか!?」という感じのクリマスプレゼント。

そこへ一歩一歩を踏みしめるように中西が入場し、リングイン。


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大ナカニシ・コールを浴びて、挨拶する中西は感無量の面持ち。

今年の6・4京都大会のメインイベントで負傷(中心性脊髄損傷)し、

救急車で病院に搬送された中西。


まず、地元・京都の病院に入院し、岐阜で治療を受け、

9月に都内へ転院してきた。


中西が東京に戻ってきた早々に、お見舞いに出向いた永田が、

「思ったより元気そうなので安心しましたよ」と言っていたので、

私も友人のHさんと一緒にお見舞いに行った。


たしかに、永田の言った通りで、想像した以上に元気そうだった。

杖は付いていたものの、しっかりと歩いていた。

杖はあくまで転倒防止のため。


そのとき、10月7日にメスを入れる(手術)ことを本人から聞いた。

もちろん、今の状態を記事にする気はなかったし、手術の件も黙っていようと思った。

中西は、大きな体に似合わず、気配りの行き届いた男。

談話室で話す時も、わざわざイスをセッティングしてくれる。


「いいよいいよ、自分でやるから」


そう言うのに、やってくれるのだ。

帰り際にも、イスやテーブルをちゃんと元へ戻していく。

まずもって几帳面な男なのだ。


それ以降も、中西の状態に関しては、三沢威トレーナーが随時教えてくれた。

そして、やっとこの日を迎えたわけである。

語弊があるかもしれないが、

私にとっての12・24後楽園ホールはこれがすべてだった。


ただただ、中西がリングに上がる姿だけを見たかった。

もちろん、周囲にも同じような人がいる。

テレビ朝日の吉野真治アナウンサー。

吉野アナは、わざわざ電話でメッセージをくれた。


「明日は仕事が入っていて、どうしても後楽園ホールに行けません。

中西さんがリングに立つ姿、僕の分までしっかり焼き付けてきてくださいね!」


この業界には中西ファンがワンサカといるのだ。

ファンではないが、中西が緊急入院した翌日、

高山善廣からもメールをもらった。


「あの中西学が救急車とは…ビックリです。

やっぱりダメ―ジの蓄積なんでしょうね」


帝王だって中西と同い年だから、他人事とは思えないのだろう。

おまけに、1年に2~3回連絡が取れるかどうかのカシンからもメールがきた。

「中西クンの頭が…いや、首がよくなることを祈っています」


カシン流ではあるが、本当は心配しているのだ。

藤田和之にしても、電話で話すたびに

「中西さん、どうですか?」と聞いてきた。


プロレスラ―から見ても、頑丈の代名詞のような存在だった中西。

それだけに、今回の衝撃は大きかった。


さて、6カ月半ぶりのリング。

中西はしっかりと言葉を連ねた。


「はっきり言って、今は外のアスファルトを走るのがやっとの状態。

映像で観てもらったリハビリの様子ですが、普通の人に比べたら回復していても、

レスラーとしては一歩も前進していない。

でも、中西学が帰ってくるところはリングしかないですから!

どれぐらいかかるか…できるだけ早く、

元気な体で精いっぱい闘えるように頑張ります」


まだまだ時間はかかるのかもしれない。

この先の保証があるわけでもない。

それでも間違いなく、一歩前進だ。


こうやって年内に、自力で歩いてリングに立ち、

しっかりと自分の現状を伝えることができた。

これこそ確かな前進の証ではないか。

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挨拶を終えて、北西側の控室前に戻ってきた中西は、

坂口征二相談役と並び共同インタビューに答えた。

今回、親身になってアドバイスをくれたのが坂口相談役。


「レスラーはリングやろと。リングに上がって感触を確かめろと。

まずはリングを歩いてみろ、それで問題ないようだったら、

オレがなんとかしてやるということで、今日の運びとなりました」


確かに、今回の挨拶に関しては、会社内でも賛否両論があったと聞く。

「早く元気な姿を見せてファンを安心させてあげたほうがいい」という意見と

「あの中西学が弱々しい姿を見せてはいけないだろう」という考え。


どちらも正解。

ただ結果的に、素のまま、等身大のまま、

今の正直な現状を報告してよかったと思う。

年をまたいでしまうと、また噂ばかりが先行して流れるかもしれない。


報道陣に向かって話し始めた中西は、

必死に涙を堪えているようにも見えた。

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彼にとっては、苦闘の6カ月半だったと思う。

若手時代であれば、いくらでも取り返しはつくが、

年齢的にも40代半ば。

プロレスラーとして、最後の勝負を懸けようかという年齢に差し掛かっている。


そういえば、先だって天山がこんなことを言っていた。

ある仕事を終えて、私と新日本のスタッフが天山の車に乗せてもらったときの話。


「中西さんも、もういいトシなんだからそんなに焦らないで、

しっかり治してから復帰を考えたほうがいいと思うんだけど…」


スタッフのSさんが、そう言ったところ、

それまで穏やかに話していた天山の口調が変わった。


「いや、トシがいってるからこそ焦るんですよ!」


その一言で、Sさんも私もしばし黙り込んだ。

周知の通り、天山は昨年11月に復帰するまで長期の欠場を余儀なくされた。

頸椎の負傷、肩の古傷、腰と、完治までなんと1年3カ月を要している。


その間、精神的に追い込まれ、

自殺という選択も頭を過ぎったことがあると告白している。

その天山の言葉だけに重かった。


陽気な天山でさえ、そこまで追い込まれたのだ。

どちらかと言えば、考え込んでしまうタイプの中西だから、

我々の想像以上の苦悩、葛藤を味わったのではないだろうか?


坂口相談役と並んで、コメントを出している中西を見ながら、

私は、ある光景を懐かしく思い出していた。


もう20年以上も前の話。

ただし、この後楽園ホールの同じ場所、

同じメンバーで会見を行なったときのこと。


当時は、テレビカメラなど回っていなかったから、

この場所は薄暗かった。


1991年4月、新日本の後楽園ホール大会。

坂口社長(当時)が、スーツ姿の頑強そうな若者を連れて現れた。

専修大、和歌山県庁勤務を経て、

新日本レスリング部門『闘魂クラブ』へ入団することになった中西学だった。


精悍というより朴とつとした風貌という印象が強かった。

しかし、レスリング界では日本の重量級のトップ選手であり、

知る人ぞ知る存在である。


89年、90年と全日本選手権を2連覇中だった中西。

馳浩コ―チのスカウトにより、『闘魂クラブ』へ移籍してきたのだ。

結局、その後も、91年、92年と全日本を連覇した中西はⅤ4を達成し、

92バルセロナ五輪出場を果たしている。


昨日、その時の話を確認するために中西に電話を入れてみた。


「もちろん、覚えてますよ。

あの時、自分はちょっと暗い顔をしてたと思うんですよね?」


「そうだっけ? あそこの照明が暗かったのは覚えているけど」


「ちょうど前の大会で負けてしまって、あとがなかったんですよね。

その前は全日本を二度獲ってましたけど、これで今年負けたら、

せっかく誘っていただいた『闘魂クラブ』にはいられない…

負けたらやめるしかないなって。

結構ナーバスになっていたんですよ。

だから、後から金沢さんに言われたじゃないですか。

『あの時の中西クンは、いま畑から掘ってきたような顔してたな』って(笑)」


「ハッハハハ…ひどいねえ。でも言ったかもしれない」


「いやいや、確かにその通りだったから(笑)。

まあ、田舎もんまる出しで、関西弁でしゃべって…

畑から掘って出てきたジャガイモか、サツマイモかは分からないけど、

自分でもそんな感じやったと思いますからねえ」


当時のことを中西はしっかりと覚えていた。

まあ、オリンピックレスラーをイモ呼ばわり(?)する私の口の悪さは、

当時から全開となっていたようだ。


でも、こうして中西と笑いながら昔話ができることは、

何よりも嬉しい。

後楽園ホールのリングに立ったこと。

それが、やはりプラスに作用したのだと思う。

心にも余裕が出てきたのではないか。


あの時、後楽園ホールで坂口社長に伴われ、

新日本プロレスへの第一歩を踏み出した中西。


その同じ場所で、また坂口相談役の力を借りつつ、

中西学は復帰への第一歩を確かに印した。


もしかしたら、私しか知らない中西学ストーリー。

復帰への覚悟を語る中西を見ていて、少しウルっときてしまった。