本日(9日)、ディファ有明大会で、来年1・4東京ドーム大会の

全対戦カードが発表される。


それを考えると、随分と遅れてしまった感もあるが、

やはり1・4へと直結した新日本プロレスの今年度最後のビッグマッチ、

12・4名古屋・愛知県体育館大会に触れておく必要があるだろう。


観客は、8000人。

いい感じで広い体育館が埋まった。

今年、新日本にとって最大の収穫は地方のビッグマッチを

ことごとく盛況、成功に導いたことだろう。


仙台に始まって、福岡、大阪、神戸、そして名古屋と、

地方都市に全盛期を彷彿させる熱気と観客が戻ってきた感がある。


試合内容と観客動員が明らかに比例してきたのだ。

今回の名古屋大会では、特に後半の3試合が素晴らしかった。


まず、第8試合に組まれたジャイアント・バーナードvs鈴木みのる。

先の『G1タッグリーグ戦』で因縁が生まれ、

11・12大阪大会ではIWGPタッグ王座を賭けて激突した両雄。


珍しく、バーナードが怒っていた。

元WWE戦士で、現在、新日本マットをホームとするバーナードには、

プライドもあるし、確固たるプロレス観もある。


彼のポリシーからすると、あまりに変則的に映る鈴木のスタイルが気に入らない。

初めて体感するタイプだから戸惑いもあるのだろうが、

相手の攻撃をスカしたりするというのは、

バーナードの辞書には存在しないプロレスなのである。


一方、鈴木みのるにとっては、頂点を目指す上で、

”新日本愛”を連呼するバーナードは実績作りの面で最高の獲物だった。

無論、怖さも感じていたろう。

ここまで大型の相手とシングルで対戦するのは初体験ではないか?


とにかく鈴木はスリーパーにこだわり続けた。

どんな状態、体勢になろうとも一旦、スリーパーに捕えたら離さない。

最終的に、バーナードの股間に手が回った。

しっかりとクラッチして、ゴッチ式パイルドライバー。


あの2メートル近いバーナードの巨体が空中で垂直に立った。

その瞬間どよめく館内。

グサリと突き刺して完璧な勝利。


だが、意外なほど鈴木は淡々と引き揚げていった。

いつもなら、必ず放送席にやってくる。

そして、「見たか!」とばかりに、

アナウンサーや解説陣の顔を1人ずつ見やりながらニタリとする。


そういう行為もなく、引き揚げていく。

もう、この時点で予想ができた。

メインで勝ったほうに、つまりIWGPを巻いている男に宣戦布告をするつもりだ。


すでに実績は充分。

5・3福岡国際センター(レスリングどんたく)に乱入して以来、

小島聡、後藤洋央紀、真壁刀義を破り、

G1公式戦のラストマッチで敗れた中邑真輔に対しても、

タッグリーグ戦の準決勝で借りを返している。


それに、G1クライマックス以降、

鈴木の口からIWGP王座、棚橋弘至という2つの言葉が消えた。

あえて、このキーワードを出すことなく、ここまで実績を積んできたように思うのだ。

もう、この男を止めるものは何もなくなった。


セミファイナルに組まれた中邑真輔vs内藤哲也は、

ある意味、裏メイン的な注目カードだった。


8・14『G1クライマックス』の優勝決定戦が、初のシングル対決。

内藤が猛追したものの、やはり精神面、技術面の両方で

中邑が一枚も二枚も上手に見えた。

そう印象付けるだけの完全優勝だった。


今回は、その中邑に内藤が喧嘩を売った。

中邑へのリベンジこそが、棚橋への再挑戦、IWGP獲りへの近道…

つまり、中邑を踏み台にして再浮上しようということ。


この喧嘩を中邑が買った。

あのクールな中邑が、喧嘩腰になった。


「殺すぞ!」


「土下座しろ!」


そんな、おおよそ中邑らしからぬセリフが飛びだしてきたのも、

かなり感情的になっていた証拠だろう。

そう言えば、永田裕志はこう言っていた。


「真輔は、上の人間が挑発していっても受け流すけど、

後輩に仕掛けられたら黙っちゃいないからね。

この試合はおもしろいよ!」


ところが、内藤がシリーズ後半戦を欠場。

左肘の傷口が炎症を起こして、大きく腫れ上がってしまったのだ。

左肘頭滑液包炎(ひだりひじとうかつえきほうえん)というのが、正式な病名。


当初は、触れただけで激痛が走ったというし、発熱もした。

当日の試合前、内藤と話をしてみた。

問題の左肘は大きくポッコリと腫れていた。


「これでも、かなり腫れが引いたんですよ。

もう出たとこ勝負ですね、やってみないと分かりません。

あんまり期待しないでくださいね…(苦笑)」


この、「あんまり期待しないでくださいね」は内藤の常套句なので、

私は真に受けないようにしている。

ただし、林リングドクターによると、

「通常であれば無理だと判断するし、本来ならドクターストップです」と言う。


果たして、まともに試合ができるのかどうか?

正直、この怪我が期待感に水をさしてしまったわけだから

残念で仕方なかった。


しかし、内藤は精神面でも強かった。

いわゆる心臓に毛が生えた男は、試合中に一線を超えた。

試合開始早々には、最初の受身をとった時点で痛みに顔をゆがめていた。

両肘をマットに打ち付けるわけだから、

自分で自分の患部を痛めつけているのと同様である。


中邑も途中から、容赦なく左肘を攻めていった。

中邑からすれば、自分から喧嘩を売ってきたくせに、

勝手に怪我をしやがって…そうなって当然だろう。


だが、痛みを超越するほどのアドレナリンが出始めたのか、

後半の内藤はもう左肘をかばうこともなければ、

痛がる様子も見せない。


率直にいって、G1優勝戦以上の内容だったと思う。

すべての攻撃が理詰めで、じわりじわりと内藤を追い込んでいく中邑。

対する内藤は、驚異的な運動神経を駆使して1発勝負を仕掛けていく。


最後の両者による逆転の攻防は、鮮やかすぎて、しかも速すぎて、

解説がまったく追いつくこともできなかった。


内藤が奇麗なブリッジでジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールドに入る。

最近この技は雑な形で使われがちなのだが、

内藤の場合、基本通りで相手の両腕に自分の両足をきちんとフックしている。


そのフックされた両腕を抜いた中邑は、内藤のブリッジを崩した。

ここから普段ならスリーパーに入るところなのだが、

素早く腕を取って、腕十字の体勢に入る。


次の瞬間、中邑が腕十字で引っ張るタイミングを利用して起き上がった内藤。

そのまま体を浴びせて、エビ固めに入った。

しかし、それを脚力で跳ね返した中邑。


フォールを返された内藤が吹っ飛ぶと、

両者の間に2メートルほどの距離ができた。

そこを見逃さずに、一気にボマイェ炸裂!


こう文章で説明しても分かりずらいだろうから、

もしスカパー!のPPV中継を録画している人がいればチャックしてみてほしい。

また、近くテレビ朝日『ワールドプロレスリング』でもオンエアされるだろうから、

このフィニッシュに至る攻防を、目を凝らして見てほしい。


確実な技に、鮮やかな切り返し、しかもすべての動きが理に適っている。

ここに本物のプロレスがあるのだ。

中邑なら当然ともいえるが、

そこについていける内藤もやはりタダモノではない!


怪我をマイナスと感じさせることなく、

反対にそれさえもリング上のドラマに変えてしまったわけだ。


ただし、内藤にとって、怪我は言いわけ無用の事態だろう。

次回はベストの状態で、中邑真輔の壁に挑んでもらいたい。

この闘いは、もっともっと進化すると思うのだ。


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そして、挑戦者の永田いわく「ダブルの防衛戦」を迎えた。

IWGP王者・棚橋の10度目の防衛戦の相手は、過去に同王座Ⅴ10の記録を持つ永田。

実に、緊迫感に包まれた30分16秒だった。


11・12大阪で胸骨を負傷したという棚橋は、

コンディションに多少の不安を抱えていた。

しかし、そんな素振りはおくびにも出さない。


今年2度の永田戦が永田ペースだったことを反省材料としているから、

序盤から攻めに出た。

鬼気迫る表情で、ひたすら足殺しに出る棚橋。


一方の永田は腕攻めと、首攻めにポイントを置く。

2人とも集中力が凄まじい。

いい意味で、観客を意識していないというか、

重厚な闘いに観客を引きずり込んでしまった感じ。


この試合には、新日本の歴史が詰まっているように見えた。

特に、この波乱万丈だった10年の歴史の集大成。


新日本の暗黒期といわれた2002年~2003年にかけて、

IWGP王者として揺れる新日本を支え続けた永田。


「オレたちがこんなに体を張って試合をして、

こんなにお客さんも喜んで応援してくれているのに、

なぜマスコミは取材に来ないのか!?」


時には、怒りを爆発させたこともある。

2002年の年明け早々に、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが退団。

6月には長州力が退団、11月に佐々木健介が去っていった。


「みんな、いなくなってしまう……」


時には、人目もはばからず涙を流した。


棚橋だって、その姿を見ているから知っている。

この10年、年齢とキャリア、立場は違っていても、

同じ時代を生きてきたことだけは間違いないのだ。


永田のミドルキックは、いつにも増して重さを感じさせた。

橋本真也の重爆キックがダブって見える。

棚橋はそれを食らいながら、「もっと蹴ってみろ!」とばかり胸を突き出していった。


10年前のあのシーンを思い出す。

2001年の大晦日、ミルコ・クロコップに完敗を喫した永田。

その大きな心の傷が癒えないままで、1・4ドームのメインに立った。

相手は、GHC王者の秋山準。


永田のモヤモヤをふっきらせてくれるかのように、

秋山を胸を突き出していった。


「もっと蹴ってこい!」


秋山がそう叫んでいるように見えた。


秋山といえば、永田は終盤、リストクラッチ式エクスプロイダ―を狙った。

久々であるが、これは永田がⅤ10を達成したとき(03年4・23広島/安田忠夫戦)の

フィニッシュ・ホールドである。


また、ジャンピング・アームブリーカー、

腕を極めて自ら後方に倒れこむアームブリーカーも披露。

これはジャイアント馬場さんの十八番である。

今年4月、全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルを制覇した永田。

これは全日本の歴史までも示唆していたのか?


もちろん、大☆中西ジャーマンは、盟友の復帰を願うメッセージだろう。


スタミナの塊、化物といっていい永田。

だが、それをねじ伏せたのは棚橋だった。

華麗な棚橋、上手い棚橋、粘りの棚橋ではなく、強い棚橋の勝利だった。


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この勝利で、棚橋は永田と並んだ。

超えたのではおもしろくない、

あえて防衛記録と同様に、並んだと言っておこう。


試合後に、棚橋自身もこう言っている。


「永田選手みたいな存在が新日本にいてくれて、オレは嬉しいです」


たとえ、自分が頂点にいようとも、

自分よりキャリアのある人間がバリバリでいてくれることが、

レスラーにとっては励みになるし、安心感にもつながる。


過去に、武藤敬司も言っていた。


「天龍さんがいてくれることがオレの励みになるし、安心できる材料なんだよ。

気がつくと、自分が一番上で、自分の上の人間が誰もいないと寂しいものだよ」


棚橋にとって、永田はそういう存在でもある。

そして、永田と同年代ながら、存在感、立ち位置のまったく違う男が現れた。

鈴木みのる。


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7~8年前に両者が絡んでいた頃とは、何から何まで違う。

それ以降、棚橋はIWGPベルトを5回巻いているし、G1も制覇している。


鈴木は三冠ヘビー級王座を2度巻いて、

チャンピオン・カーニバルで2連覇を達成した。


7年ぶりの邂逅には意味がある。

初対決と見てもいいほど新鮮なのだ。


絶対的存在として、今年のプロレス界をリードしてきた棚橋。

どこのリングに上がっても、最高のプロレスを披露してきた鈴木。


どちらの存在が、ライオンマークに相応しいのか?

それを見つける試合となるだろう。


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2012年1月4日、東京ドーム大会。

メインイベントを飾るのは、棚橋弘至vs鈴木みのるのIWGPヘビー級選手権。


そして、もう数時間後には、1・4東京ドームの全対戦カードが発表される。