サムライTVの放送が明日(15日)の23:00~25:00なので、

なんとか間に合ったという感じ。


ZERO1の11・9後楽園ホール大会『YARISUGI FOREVER Ⅱ』

澤宗紀引退試合のことである。


あとから考えてみると、この大会には他にも多くのドラマが隠れていた。

まず、第2試合のタッグマッチ(藤田峰雄&橋本大地vsフジタ”Jr”ハヤト&横山佳和)で

プロデビューから70戦目を迎えた大地が、横山から地力で初勝利を挙げたこと。


決まり手は、デビュー戦の相手である蝶野正洋直伝のSTF。

今までは見よう見まねという感じにも映ったが、

しっかりと体重を乗せて足を極め、フェースロックも絞りあげていた。


タイムは、10分00秒。

なんとなく、すべてが大地らしい。

70試合目という区切り、場所は聖地・後楽園ホール、タイムは10分キッカリ!


親父の橋本真也など、デビュー戦の場所が屋外の練馬南部球場特設リングである。

もちろん、同球場はもう存在しない。

それはそれで破壊王らしいのだが、やはり大地は何かを持っているような気がする。


嬉しくてたまらないといった感じの大地が、

休憩時間に放送席のほうにやってきた。


「大ちゃん、おめでとう! 知ってる? 勝負タイムは10分キッカリだよ!」


そう教えると、「10分キッカリですか? じゃあ、忘れようもないですよね」と

笑顔とともに、大地本人も多少驚いた表情を見せた。


第5試合の8人タッグマッチには、特に意味はないものと思っていた。

ZERO1軍vs外国人軍団による8人タッグマッチ。

結果は、チーム3D道場出身のライディーン(初来日)が、

F5(バーディクト)で柿沼謙太を沈めている。


この時点でも、大会終了後も、マスコミ、ファンは誰ひとり聞かされていなかった。

結果的に、これが柿沼にとっての引退試合となったのだ。


少し、そちらに触れてみるが、翌日、柿沼の引退が正式に発表されている。

こちらも突然だった。

普通、団体の中で何かトラブルらしきものがあったりすれば、

そういうものは空気として伝わってくるし、必ず選手間から漏れてくるもの。


だが、まったくマスコミ関係者が知らなかったことからも、

本当に突然の決定、発表であったことが分かる。


柿沼は11・6六本木大会(NWA UNヘビー級王座に初挑戦し敗退)終了後、

代表の大谷晋二郎に思いを告げた。

11・9後楽園ホール大会終了後に再度会談を持ち、発表に至ったという。


一部選手たちに対しては、すでに後楽園大会当日に、挨拶を済ませていたという。

やはり本人の強い意志がうかがえる。


入門から3年、デビューから2年、期待のル―キ―として奮闘してきたが、

大学時代に高校と中学の保健体育の教員免許を取っており、

そのもう一つの夢である「教師になりたい!」という夢が大きくなり、

今回の決断に至ったという。


正直この知らせには、みんな驚いた。

同時に、誰もがショックを受けている。

私も同様だ。


カッキ―の愛称で親しまれていた柿沼は、間違いなく逸材だった。

マスクがよく身体のバランスもいいし、ガッツもあれば、柔軟で技も切れる。

特に、ジャーマンスープレックスをはじめとする、スープレックス系のキレと

ブリッジの美しさは群を抜いていた。


何よりも、性格が明るく、その爽やかムードが

天性のスター性を感じさせた。

近い将来、大地と並んで必ずZERO1を背負って立つ男と誰もが見ていた。


もちろん、その評価はZERO1だけにとどまらない。

私と雑談している際に、新日本の何人かの幹部社員が同じことを言っていた。


「もしプロレス界で、誰か1人だけウチにくれると言うなら、

柿沼クンが欲しいですね!」


それだけ期待の存在なのだ。

おそらく、大谷の驚き、落胆には測り知れないものがあるだろう。

そう思って、大谷にメールを送ってみたところ、こんな返信をもらった。


「柿沼の引退は正直、本当に寂しいです。

でも柿沼にもしっかりとした夢があって、

その夢を自分に必死に話してくれたんです。

そんな柿沼を見ていると、それがどんな夢であれ、

夢に向かって一所懸命な人間を応援したくなったんです!

でも、やっぱり寂しいですね…。

それでもプロレスラーは元気に頑張ります!

今日も思いっきりプロレスをしますよー!!」


まさに、プロレス馬鹿というか、大谷晋二郎とはこういう男。

熱い人間、一所懸命な人間を見ると、自分の立場を忘れて応援する側に回ってしまう。

普通であれば、「誰がここまで育てたと思っているんだ!?」と言いたくもなるところ。


しかし、大谷の頭にはそういう思考がハナから存在していない。

それが大谷晋二郎、だから大谷晋二郎なのである。


そういえば、11日、サムライTV『Versus』の収録前に、

30分ほど曙と雑談を交わしていたのだが、曙はこう言っていた。


「澤クンの引退試合の日でしょ?

その時に、いきなり『横綱、お世話になりました』って言うから、

何を冗談言ってるのかってねえ。

だけど、教師になりたいっていう夢があるのはいいことですけど、

それは30過ぎてもやれるんじゃないかなあ…?

プロレスって、体力がある今しかできないから。

今が彼にとって一番いい時期だと思うしね。

オレなんか、プロレス大好きだから、辞めようなんて思ったことないですよ。

あえて言うならねえ、『火祭り』で柿沼クンと対戦したでしょ?

そのとき、ちょっと思ったんですよね。

なにか悩んでるのかな…フッきれてないような気がしたんですよ。

そういうのって、体をぶつけ合うと分かるところがあるんでね、不思議と。

澤クンにしても引退して2年ぐらいすると、怪我が治ってくるからね。

またやりたくなるんじゃないかって……。

でも、惜しいですね、若くて元気で素質もあるのに。

オレは42歳だけど、まだまだ頑張りますよ、プロレス大好きだもん(笑)」


まあ、死んだ子のトシを数えるではないが、今となっては仕方のないこと。

好感カッキ―は、あっと言う間にプロレス界を駆け抜けてしまった。

彼の前向きで爽やかな性格であれば、どの道へ進んでもきっと成功すると思う。



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上の写真は、以前にも使った画像。

10・2靖国神社大会で、「3、2、1、ゼロワ~ン!」を決めたエンディングシーン。

曙の左隣3人目で爽やかな笑顔を見せているのが柿沼謙太。


24歳の決断。

そういえば、私がこの業界で記者生活を始めたのも、24歳のとき。

まだまだ、人生はこれからだ!


さて、すっかり本題から離れてしまった。

11・9後楽園ホールに話を戻そう。

泣いても笑っても、これが最後の澤宗紀。


この日のサムライTVの放送席は、珍しく北側のリングサイドに設置されていた。

ZERO1の後楽園ホール興行の場合、

放送席は北側のステージ席(西)に設置されるのが恒例となっている。


大会開始前、見覚えのある中年男性がやってきた。

澤のお父さんである。


「本当にお世話になりました。今日はよろしくお願いします」


これが二度目である。

おそらく4年ほど前と記憶しているが、

同じくZERO1の後楽園ホール興行の際、

「澤の父でございます」と挨拶されたことがある。


当時は、ランジェリー武藤のイメージから、ようやく澤宗紀として認められたころ。

あのランジェリーのお父さんなのに、随分と紳士的な方だなあと感心したものだ(笑)。


そして、大会終了後には、ご両親そろって、また挨拶に来てくれた。


「本当に息子がお世話になりました」


「大きな怪我もなく終わって本当によかったですね」


そう言って、両親と順番に両手で握手を交わした。

あの変態坊主といわれた澤なのに(笑)、実はとても育ちがいいようだ。


いよいよ、メインイベント。

日高郁人vs澤宗紀。

相棒タッグ最終対決。


初めて出会ったのが、13年前。

日高は、アマチュア・バトラーツの指導役。

澤は生徒であり、高校卒業後の浪人生。


2004年、プロレスラーになった澤が日高の前に現れた。

2008年、相棒タッグを組んで、

NWAインターナショナル・ライトタッグ王座のベルトを2人で巻いた。

気がつくと、切っても切れない関係、本当の”相棒”になっていた。


相棒は相棒がキッチリと介錯する。

「思いを残させない、灰にしてやる!」と日高は言った。


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入場時に着用するFLAME(マスク)を脱いだとき、日高は泣き顔だった。

そこに、むしろ笑みを浮かべていた澤が張り手をお見舞いする。

この日は、リングサイドでの解説。

モニターTVを確認しなくても、両者の表情、生の息使いが聞こえてくる。


不思議だった。

恥ずかしながら、トシを食うたびに私は涙もろくなってきた。

そこで、いつも三田佐代子さん(サムライTVキャスター)には冷やかされる。


「また泣いた? 絶対泣くでしょう!」


団体を問わず、そういうシチュエーションの試合の解説を務めるときは、

必ず三田さんにそう言われる。


しかし、泣かなかった。

自分では、泣いてしまうだろうなあと思っていたのだが、泣かなかった。

ちなみに、私の横で実況していた高橋大輔アナウンサーは、しっかり泣いていた(笑)。


なぜ、泣かなかったのか、涙が出てこなかったのだろうか?

それは試合が激しすぎて、最後まで釘付けとなってしまったからだろう。

「自分の脚が痛くなった」というほどに蹴りまくった日高。


日高の蹴りは、本物である。

元ムエタイ王者、小林聡さんのもとで何年も練習してきた。

フラフラになるまでスパーリングを重ねてきた。


特に野良犬ハイキックは、小林さんも認める破壊力。

昨年の『火祭り』開幕戦(7・24後楽園ホール)では、

あの田中将斗を沈めたこともある。


あっという間に時間が過ぎていく。

笑みを浮かべながら、殴り合う両者。

もう充分に殴り合ったし、蹴り合った。


日高が介錯に入る。

左右のハイキックから、野良犬ハイキック。

それでも立ちあがってきた澤に、トドメの野良犬ハイキック。

後頭部に食らった澤は立ち上がれずに、10カウントを聞いた。


29分13秒。

ようやく顔を上げた澤に、駆け寄った日高がなにか問いかけていた。


「もういいか? もういいか!?」


そう言っているのが聞こえた。

そのとき澤の顔は見えなかったが、

「もういい!やりすぎた…」と答えたという。

灰にはならなかったが、やりすぎての完全燃焼。


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爽やかな顔だった。

2人とも涙はない。

やはり澤のキャラに涙は似合わない。

だから、私も泣くことはなかった。


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試合後の引退セレモニー。

大谷社長からも花束が贈られた。

この大谷こそ、元祖やりすぎレスラーだろう。


だから澤の試合には、ときどき新日ジュニア時代の大谷が被って見えたのだ。

締めの挨拶も澤らしかった。


「あー、やりすぎた!

あー、おもしろかったぁー!

そう思えるプロレスの人生でした」


いやいや、私たちもおもしろかった。

澤宗紀とランジェリー武藤には、本当に楽しませてもらった。


ただし、澤に関して、私はもう一つの見方をしていた。

彼はプロレスに命を懸けているように見える、数少ないレスラーの1人なのだ。

この業界に25年余もいて、それを感じさせるレスラーはそれほどいない。


これは、その選手から感じる空気であり、伝わってくる感覚である。

かつて私は、それを金本浩二から感じていた。

その次に、それを感じさせてくれた男が澤宗紀。

これは感覚の問題だから、上手く説明ができない。


だからこそ、強いて言うなら、3年前に金本vs澤のシングルマッチを見てみたかった。

おそらく、金本vsハヤト以上のバチバチを目撃できたのではないか、と思う。

私自身の心残りは、そこだけである。


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最後に、バックステージで、オマケが用意されていた。

私は放送席に着いていたから、観客と同じでビジョンでその模様を観た。

澤が、ザ・ドリフターズの『いい湯だな』を替え歌にして歌った。

例の「ババンババンバンバン♪」から始まる歌。

周囲はみんな笑顔、笑顔である。


「いいもんだ♪ プロレスは♪ さよならするのは、つらーいけど♪

仕方がない♪ やりすぎぐらいが、ちょうどいい♪」


その後、『8時だョ!全員集合』と同じノリで締める。


「それでは、皆さん、ごきげんよう!

また、来週~! ごきげんようー」


周囲の選手たちから「来週はねえよ」とツッコミが入り、また爆笑。

前代未聞の引退試合&引退セレモ二ーは、爆笑で幕を閉じた。


私の場合、放送席でシメコメ(締めのコメント)があるので、

バックステージの共同インタビューにはだいたい間に合わない。


それでも、大会終了後、関係者への挨拶のために、

試合コスチュームのまま、いつまでもバタバタと走り回っている澤の姿があった。

「最後だから一緒に記念撮影でもしようかな?」と一瞬思ったが、辞めておいた。


そういう、らしくないことをしてもしょうがないような気がしたのだ。

彼とは明るくお別れするのが一番いい。

澤が、私に気付いて寄ってきた。

しっかり、両手で握手を交わした。


「どうもありがとうございました!」


「お疲れさまでした。 じゃあ、また来週~!」


「ハイ、また来週~!」


やっぱり笑顔で、サヨナラだ。

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