10・7後楽園ホール大会は明日に迫った。
ミル・マスカラス来日40周年記念試合
『仮面貴族FIESTA2011~僕らの夢のオールスター戦~』
DEPO MART・10周年記念興行(開場17:30、開始18:30)
もちろん、主役はマスカラス&ドス・カラスのマスカラス・ブラザース。
ダブルメインイベント第2試合で超ドリームカードに挑む。
◆6人タッグマッチ60分1本勝負
ミル・マスカラス&ドス・カラス&初代タイガーマスクvsタイガ―マスク&CIMA&ウルティモ・ゲレ―ロ
ただし、ダブルメインイベント第1試合も普通の感覚でいくと、実現困難な顔合わせ。
これは『FIESTA』シリーズだからこそ、
ハヤブサ・プロデュースだからこそ、
実現するし意義深い試合と言っていいだろう。
◆ハヤブサ・プロデュースマッチ60分1本勝負
大ハヤブサ&新崎人生&ザ・グレート・サスケvs佐々木健介&プリンス・デヴィット&エル・サムライ
ハヤブサは『FIESTA』シリーズには欠かせない男。
前回の7・17『流星仮面FIESTA・FINAL』でも、
NOSAWA論外vsエル・サムライのⅩ-LAWインターナショナル選手権
(エル・サムライ デビュー25周年記念試合)の立会人を務めている。
写真は、大会終了後の打ち上げパーティー。
藤原組長と歓談中のツーショット。
今回はさらに一歩踏み込んで、試合をプロデュースしている。
特に、大ハヤブサ、新崎人生、ザ・グレート・サスケのトリオは、
ハヤブサにとって思い入れも深い。
大ハヤブサは、もちろん、あのミスター・プロレス。
このキャラへの変身は、その後のミスターにとって大きな転機となっている。
頑固一徹に見えて、実は抜群に柔軟なプロレス頭を持つミスターが、
その後、『ハッスル』をはじめ、さまざまなリングに登場するキッカケとなったのが、
この大ハヤブサへの変身だと思う。
新崎人生とは、団体の枠を超えた友情で結ばれ、
ハヤブサ&人生組で全日本プロレスへ参戦。
1997年の『世界最強タッグ決定リーグ戦』に出場している。
無論、ジャイアント馬場さんが健在の時代。
メジャーとインディーがハッキリと区分けされていた時代でもある。
そこに初めて風穴を開けたのが、FMWのハヤブサとみちのくプロレスの人生。
全日本マットで旋風を巻き起こした2人は、99年にはアジアタッグ王者にも輝いた。
サスケとはライバル関係と言っていい。
しかも、サスケとハヤブサは同時期にブレイクしている。
その舞台となったのが、1994年4月16日、
両国国技館で開催された『第1回スーパーJカップ』。
ハヤブサは1回戦でライガーに敗れたものの、
度肝を抜く跳躍力でノ―タッチ・トぺコンヒ―ロを放ち、
ライガーのお株を奪うシューティングスター・プレスも公開した。
一方のサスケは、サムライ、ライガーを連破して決勝戦まで駒を進める快進撃。
この日、この大会から、2人のインディーのスターが誕生したわけだ。
また、本来はサスケの枠に入っていた飯伏幸太(左肩脱臼で欠場中)が、
この大会を見てプロレスラーを志したのは有名な話。
サスケ、ハヤブサは飯伏をプロレス界に導いた男たちでもある。
飯伏のフィニッシュム―ブであるフェニックス・スプラッシュの創始者はハヤブサ。
ファイヤーバード・スプラッシュもハヤブサの十八番だった。
また、現在、多くのレスラーたちが使うファルコン・アローもハヤブサが元祖。
改めて、いかにハヤブサが卓越したレスラーであったかを思い知る。
そのハヤブサが試合中のアクシデントで重傷を負ったのは、
2001年の10・22後楽園ホール大会。
気が付くと、まる10年…。
もうハヤブサの華麗なファイトを知らないファンも数多くいるのかもしれない。
だからこそ、ハヤブサ・プロデュースマッチを通じて、
ハヤブサを知らない世代にも彼の偉大な足跡を感じ取ってもらいたい。
ちなみに、掲載した写真は完璧なフォームで決めたフェニックス・スプラッシュ。
これは、『週刊ゴング』時代の大川昇カメラマン撮影によるもの。
ハヤブサが飛ぶコーナーの真下から撮影という、異例のショットだ。
確か、この写真で大川カメラマンは”社長賞”をもらったと記憶している。
私がどれだけ売り上げを伸ばしても、もらったことがないのに!(笑)。
現在、歌手として、また役者として活動を続けるハヤブサは、
この試合のテレビ解説にもつく。
会場に足を運べない方は、サムライTVのニアライブ放送をお楽しみに。
◎サムライTV・ニアライブ=10・7後楽園ホール『仮面貴族FIESTA2011』
10月7日(金)23:00~26:00、他