日付が変わり、『G1クライマックスⅩⅩⅠ』の優勝決定戦、

8・14両国国技館大会までカウントダウンに入った。

前日(13日)、正午から開催された後楽園ホール大会は超満員の観客で埋まった。


いくつものドラマが生まれた。


写真も何点か撮ったのだが、今回ばかりは必要ないと思った。


井上亘を破り、同点首位でラストの天山戦を迎える小島聡。

この『G1』の最中、日を追うごとに小島の口数は減ってきた。


メールを送信しても返信が来なくなった。

リングだけに集中しているのが分かる。

井上を破ったあと、小島が気持ちをぶちまけた。


「体が痛い! ボロボロだ。隠す必要なんかない、人間だから。

だけど、オレはプロレスラーだ。諦めるわけにはいかない。

あと1日、(決勝も含めて)2試合だ。

天山!いよいよだな。語弊を恐れずに言うなら、オレはあいつとやるために頑張ってきた」


 すでにV戦線から脱落した天山も、思いは変わらない。


「オレは小島のクビを獲るために、ここまで踏ん張ってきたんだ」


かつての師弟タッグも相まみえた。

真壁刀義というプロレスラーのポテンシャルを、

新日本マット、ノアマットを股にかけるかたちで引き出してみせた帝王。

その抜擢に応えた真壁。


高山善廣は久しぶりに黒のショートタイツでリングに立った。

率直にいって、全盛期に比べると高山のスピードは落ちた。

それでも真壁の攻撃をあえて、すべて食らっているように見えた。


必殺のエベレスト・ジャーマンでかつてのパートナーを下した高山。

「黒のショ―トタイツを履いてきた理由は?」と聞いてみた。


「今日はNO MERCYじゃなくて、 NO FEARの高山に戻してみた。

2人で組んで暴れまわってた、あのころを思い出して頑張れって」


もう一度IWGPを巻いてみろ、という帝王からのエールだった。


後藤洋央紀vs中邑真輔は”鉄板”の名に恥じないベストマッチを披露した。

ずっと『G1』を観てきたなかで、中邑だけから感じるものがある。

どんなキツイ試合であっても、彼はプロレスを楽しんでいるのだ。


プロレスを考えること、それをリングで実験してみること。

勝敗を超えて、そこに達成感を見いだそうとしているように感じる。


後藤に敗れた中邑は、最後の大一番へ。

事実上、G1公式戦のトリを務める鈴木みのる戦に関して、こう語った。


「どんな経験したか知らねえけど、こちとら一緒。

そんなものは自分の器量しだい。

オレは今まで苦労したことない、

逆境に立たされたこともない、

追い込まれたことも一切ない、

そう思って闘ってやろうじゃねーの!」


このG1で、鈴木が残してきたコメントへの返答だった。


「どんな道を歩いてきて、どんな自信をつけたか知らねえけど、

オマエらと違う道を歩いてきたオレに通用するかよ。

オレの顔に傷つけたかったら、命を賭けてこい」


キャリアは鈴木の半分にも満たない。

それでも中邑には自信がある。

プロデビューから4カ月で総合格闘技のリングに立った。

キャリア1年4カ月、23歳で最高峰IWGPヘビーのベルトを巻いた。


その先に、本当の試練、苦悩、葛藤が待っていた。

それを一個一個クリアしてきた自負がある。

いま、鈴木と互角以上に渡り合える自信があるのだ。


メインイベントで対峙した棚橋弘至と矢野通。

昨年の公式戦も同じ8・13後楽園ホールのメインで実現している。

これが素晴らしい試合となった。


棚橋への大声援と矢野へのブーイングが飛び交う中、

棚橋がスリングブレイドルで矢野を丸めこんでいる。


あれから、まる1年、シチュエ―ションの大逆転現象が起こった。

凄まじいばかりの「ヤノトオル」コールが終始、会場を包みこんだ。

対する棚橋には声援よりもブーイングが多い。


どんな反則、汚い手に出ても「ヤノ」コールは止まらない。

ベビーとヒールが入れ替わった。

一瞬、矢野が戸惑いを見せたほどの異常現象。


やはり、ファンは知っている。

両国の優勝決定戦を翌日に控えながら、ホールに足を運ぶ観客だ。

新日本を知りつくたマニアばかりが集っている。


ここ最近の矢野の試合がいかにおもしろく、ファンを引き付けているか、

昨年の棚橋vs矢野の公式戦がどれだけ白熱したか、

それを知っているからこその逆転現象だった。


そして、矢野が勝利をもぎ取った。

昨年のG1公式戦(vs真壁)に続いて、IWGP王者を2年連続で撃破した。


敗れた棚橋は単なる1敗以上の痛手を負った。

矢野のイス攻撃を食った際に、左コメカミ付近に大きな裂傷を負って出血。

試合後、ホールの救護室で傷口を5針縫っている。

この怪我が最終戦(vs内藤)にどう影響するか?


最後に、鈴木みのるの話。

ここまで全敗のストロングマンが執念のブロックバスターで大金星。

鈴木が負けた。

ホールは大爆発した。


いつものようには多くを語らない鈴木。

「中邑にハンディくれてやる。これぐらいでちょうどいい」と言って引き揚げた。


あらためて、鈴木みのるのことを考えてみる。

8・8横浜で、血相を変えて、私のことを「オマエ」呼ばわりした鈴木。

あれはシュートだったと思う。

相手が私ではなくても、あのとき彼は「オマエは古いんだよ!」と言ったのではないだろうか?


いい意味で鈴木には余裕がなかった。

次の質問を待つ余裕さえなかったのだ。

それほど、G1に、新日本のリングに、闘いに、のめり込んでいる。


そこでチラッと彼のブログを覗いてみた。

8・8後藤戦のことに触れていた。


「510くん。

ストロングスタイル好きでしょ。

絶対そうだろ。

どんなやり方にしろ、

生き抜くチカラをストロングスタイルって言うんじゃないかな?

生き残る…

生き延びる…

じゃない。

生き抜くだ。

だからオレ自身がストロングスタイルだ」


生き抜く。

これは鈴木が天龍源一郎から学んだ言葉。

いや、言葉ではなく、気構えであり、人生観でもある。


2004年当時、新日本マットには4人の猛者が並び立っていた。

外敵四天王と呼ばれた高山善廣、鈴木みのる、佐々木健介、そして天龍源一郎。


そのころ『週刊ゴング』の企画で、鈴木、健介、天龍の3選手が座談会を行なっている。

当時、高山は復帰へ向けリハビリ中だったので、座談会には参加していない。


そのとき、鈴木がフリーランスとしての心構えとして、

「このプロレス界で生き残っていくためには……」という話を始めた。


それを遮ったのが天龍だった。


「生き残るじゃないんだよ。生き残るは、生き延びるのと同じ。

オレたちはね、生き抜いていかなきゃいけない!」


この一言が、鈴木の心に大きく響いた。

だから、鈴木はどこのリングに上がろうと自分を通してきた。

それが生き抜くということ。


つい3日前、私は鈴木のことをこう書いた。


「この瞬間、鈴木みのるが新日本に帰ってきたことを実感した。


いくら本人が”侵略しに来た!”と言おうとも、

私には帰る場所に帰ってきたとしか思えない」


ただし、今はちょっと違う感覚を抱いている。

たしかに帰る場所に帰ってきたのだが、

それ以上に、新しい風景の中へ飛び込んできたという感覚のほうが勝っている。


新日本の魂、UWFの魂、パンクラスの魂。

そのすべてと、全日本、ノアからインディーマットに至るまで、

あらゆるリングを経験し培ってきたものを携えて、

現・新日本プロレスに殴りこんできたのだ。


G1クライマックスは、星取りをめぐる「生き残りを賭けた闘い」とよく称される。


だが、本当は生き抜くための闘い、

生きざまを見せつける闘いなのだと思う。


参加全選手が生き抜いたとき、

その頂点に立っているのは誰なのか?


 もうすぐ、その答えが出ようとしている!