新日本プロレスという団体にとって、また棚橋弘至にとって、5年ぶりのリベンジ(!?)の舞台となった7・18札幌大会。ここでリベンジという言葉が適切なのかどうか、そこだけは自分でもよく分からない。


 ただし、あの5年前の7・17月寒グリーンドーム大会には悲壮感が漂っていた。IWGP王者、ブロック・レスナーの来日ドタキャン、ベルト返上も拒絶という不測の事態が勃発。そこで急遽、橋本真也メモリアルとして封印していたはずの2代目IWGPベルトを引っ張り出してくるしか、他に方法はなかった。


 あのころ、外敵天国と言われていた新日本マットの磁場は完全に狂っていた。2003年の春先から2006年夏まで、頂点であるIWGPヘビーを巻いていたのは、佐々木健介、ボブ・サップ、藤田和之、小島聡、ブロック・レスナーという外敵、他団体選手、外国人レスラーであって、そこに辛うじて天山広吉だけが食いこんでいた、という印象。


 実際、彼ら外敵は強かったし、存在感は抜群だった。しかし、それによって新日本所属選手たちが沈んでしまったのも事実。ここでいう沈むの意味は、リング上の勝負だけではなく、一番大切なモチベーションまで含んでの話。

 

 特に、アントニオ猪木の肝いりで新日本に送り込まれたレスナーは、藤田、蝶野正洋との3WAY戦を制して王者となり、その後、ノンタイル戦ながら中西学、永田裕志を連破。06年の年明けから、中邑真輔、曙、ジャイアント・バーナードを相手に3連続防衛に成功していた。


 そこで、新日本が満を持して挑戦者として抜擢したのが棚橋。初戴冠に向け燃える棚橋にとっては、頭から冷水をぶっかけられたような心境であったろう。


 そのとき苦肉の策として組まれたのが、棚橋、バーナード、永田、天山、曙、トラヴィス・トムコの6選手による王座決定トーナメント。その決勝戦でバーナードを破りベルトを巻いた棚橋は、リング上の勝利者インタビューでこう言った。


「(ここまで)長かったのか、短かったのか、でもあきらめずに頑張ってきてよかったです。今日、集まってくれたファンのみなさん、愛してます。そしてやっぱり俺は新日本プロレスを愛してます!」


 そう語ったあと、このツアー中、各会場でファンがメッセージを書きこんでくれたライオンマークの特大タオルを背中にはおり、棚橋は号泣した。さらに、バックステージではこんなコメントも残している。


「新日本プロレスを覚醒させたいですね。眠っていることが多い。俺の背中についてきてください」


 当日、私は放送席に着いていたので、バックステージのインタビューは見ていない。ただ、放送終了後、控室前で顔を合わせた棚橋と無言で握手を交わしたことだけは覚えている。


 あの日のコメントを思い出せばよく分かる。たしかに、今回、バックステージで口にした「俺の気持ちはあの日と1ミリも変わっていない!」に通じてくるのだ。ファンを愛し、新日本を愛し、ストイックなまでに肉体を犠牲にしてここまで前進してきた棚橋。


 そういえば、以前、棚橋と会話をしたときに、彼はこんなことも言っていた。


「絶対に相手に怪我をさせないで勝つ。そして、自分の足で歩いて控室まで帰っていく。それがプロとして自分の哲学ですね。たとえば自分は怪我をしてもしょうがない。それは自分が悪いんですよ」


 これはプロレスラーであれば、基本的な心構えなのかもしれない。ただし、それをあえて口にすることには勇気がいる。プロレスラ―だって人の子だ。どこかに逃げ道を作っておきたくなるだろう。実はあそこが痛かった、ここを痛めていたーーそんな言い訳のひとつも用意しておきたくなる。

 

 もちろん、棚橋だけではなく、中邑真輔や永田裕志、鈴木みのるといった選手は、たとえどこかに故障を抱えていても、マスコミには絶対に漏らさない。負けた試合でそれを言い訳にすることが嫌だし、勝った場合はなおさら対戦相手に失礼にあたるからだ。


 だから、こういった話は関係者経由で必ず後から漏れ伝わってくる。棚橋の2度目の防衛戦となった4・3後楽園ホールの永田戦。あの試合を前に、棚橋は腰を痛めていた。試合の疲労がすべて腰にきてしまったのだ。試合時間=35分30秒。その間、凄まじいばかりの猛攻に晒された。


「永田、強し!」

 

 誰もがそう感じた。腰痛のためブリッジが利かないから、得意のスープレックスをなかなか決めることができなかった。それも明らかに大苦戦の理由。しかし、棚橋はそんな話はおくびにも出さなかったし、ファンは今でも知らないだろう。


 ここ最近の棚橋の試合を観て、私がいつも感じていたのは”闘魂”の二文字。アントニオ猪木の世界観に敢然と背を向け、オリジナルを追求してきた男。それなのに、彼の試合からもっとも闘魂を感じてしまう。相手のすべてを受け止めておいて、自分の必勝パターンで仕留める。また途中で垣間見せるアドリブなど、かつての師匠である武藤敬司より猪木を彷彿させるのだ。


 しかし、今回のバーナード戦では体のサイズがあまりに違いすぎるし、バーナードの戦法にはいっさいの遊びがなかった。ひたすら、勝ちにこだわっていたバーナード。それらを踏まえて見ていると、闘魂以上のものを感じずにはいられなかった。


 結果、新日本も棚橋も見事に5年前のリベンジに成功した。けた外れの強さとポテンシャル全開で向かってきたバーナードもまたその立役者だろう。


 観衆は、5800人。約1万人収容の真駒内セキスイハイムアイスアリーナであるが、充分に格好のつく入りだったし、奇しくも月寒ドーム(現・北翔クロテック月寒ドーム)のキャパシティが5800人。もし、同会場での興行であれば、超満員になっていたことだろう。


 大会終了後の観客の熱狂ぶりがまた凄かった。あの2・20仙台大会以上の勢いでファンがリングサイドに押し寄せてきて、放送席の我々はモミクチャ状態になった。


 大阪、名古屋、仙台、福岡に続き、プロレス熱が冷めているといわれていた札幌にも、ついに火が点いた。リベンジ成功と同時に、新日本の勝利だろう。もっとも、これだけグレードが高く、選りすぐりのメンバーでバラエティーに富んだ全10戦を見せられたら、火が付かないわけがない。



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 大会終了後、会場からタクシーに乗車しホテルへ向かった。その間、解説の山崎一夫さんと話し込んだ。山崎さんと知り合って、もう25年になるし、彼のUWF時代、Uインター時代、新日本時代とずっと見続けてきたし、かなり取材もしてきた。当時からプロレス談議になると、話が合うし、弾むのだ。もしかしたら、山崎さんと私は考え方が似ているような気もする。


 それに、山崎さんの場合、本業は、整体師であり、一時期、新日本道場のコーチを務めていたことからも、選手の怪我やコンディションを人一倍敏感に観察している。


「今のプロレスは凄くて、とても昔の我々じゃあ、ついていけないですよ……」


 これが最近の山崎さんの口癖なのだが、この日は少しプラスアルファがあった。


「もう昔のボクたちがやっていたプロレスとは違ってきてますね。体を酷使しているし、よくやってるなあって。今日は不思議と1ファンみたいな気持ちで観てしまったんですよね。楽しい試合は楽しんで観てたし、最後の棚橋とバーナードはもうヒヤヒヤして観てたから」


「あっ、それはボクも同じような感覚でした。今日はグレードの高い新日本を第1試合から満喫したような気がして。それにしても、タナは体を張ってますよね。もう彼はドMなんじゃないですかねえ(笑)」


「今日はバーナードの攻撃で凄いのがあったでしょう? 場外の鉄柵にボディスラムで腰から叩きつけるのと、エプロンに落とすパワーボム。あれ受け身のとりようないからね。鉄柵にふつうに振られて背中をぶつける分には、背中全体でぶつかればそんな酷いダメ―ジにはならないけど、背中、腰からスラムで

投げられたらどうしようもない。ちよっとね、ボクは観ていて怖かったんですよ」


「これって、どうなんですかね? ボクは今日の棚橋の試合を観て、全盛期の全日四天王の試合がダブって見えたんですよ。三沢選手、小橋、川田、ハンセンなんかがやっていた、ここまでやるかの究極の攻防ですよね」


「ああ、それは言えてるかもしれない。そう言われると、たしかに彼らの試合に近いのかなって。とにかく自分からしたら、大きな怪我だけはしてほしくないって、それが一番にきちゃうんですよ」


 ここでタクシーはホテルに到着。プロレス談議は終了した。だが、本当にこの日に限っては、棚橋の闘いっぷりに四天王プロレスがダブって見えたのだ。三沢vs小橋、小橋vsハンセン、川田vsハンセン……あの時代の、そんな闘い模様がオーバーラップしてきた。


 こうなると、やはり棚橋の肉体が心配になってくる。だが、当日の夜、テレ朝『ワープロ』チームでの反省会修了後、有志メンバーで二次会の店を探していたところ、すすきのの街中でカウボーイハットを被り、なかなかいいオ―ラを発しながら歩いている男と遭遇した。


 棚橋弘至だった。男性の友人と一緒に、これから車でどこかの店へ向かうところらしい。棚橋はキリッとしていた。足を引きずるわけでもないし、腰を曲げているわけでもない。自慢の肉体をスッと姿勢よく伸ばして闊歩していた。


「ああ、チャンピオンだ!」


 そう私が声を掛けると、棚橋が笑みを受かべて寄ってきた。「いい試合だったね。ついに札幌も爆発させたね!」とみんなから労いの言葉を掛けられると、ひとりひとりと改めて握手。そのまま棚橋は車の乗り込んでいった。


 激闘の翌日も試合は続く。翌19日は、私の生まれ故郷であり、小島聡のデビュー戦(vs天山)の地でもある帯広での大会。当日深夜、帯広在住で現在、歯科医院の院長を務めている幼なじみのSクンから電話があった。


「俺、8年ぶりにプロレスを観てきたよ。いやあ、おもしろかった。永田、小島、鈴木みのるとか、みんな元気だね、ライガーも頑張ってるなあ。飯塚も凄かったよ。でも最後にエアーギターをやって『愛してま~す!』ってやっていたのは棚橋って言うの? 彼は凄い人気だね。もう女の子が総立ちで大喜びしていたから。時代はちょっと変わった感じがするけど、小学生のころ、プロレスが来ると必ず金沢と一緒に見に行っていたころを思い出して、嬉しかったよなあ」


 今や立派な(?)院長先生も童心に帰ってから帰宅したようだ。そして、どうやら棚橋の一番人気は帯広でも変わらなかったらしい。それを聞いて、ホッと安心した。