今日(17日)の午後12時過ぎに、新木場1stRINGを訪れた。

『流星仮面FIESTA・FINAL~マスクド・スーパースター引退試合~』 を観戦しに、いや同大会に参加するために出向いたのだ。


 大会を仕切っているのは、ほとんど顔見知りの人ばかり。特に、元・週刊ゴングの”仲間”たちが数多くいる。もちろん、みんなチャリティー興行の意味合いが分かっているからボランティアで集結した。とうにゴングはなくなってしまった。ただし、それぞれに今の職種は違えど、みんな逞しく生きている。そして、みんな心優しい。

 

 大川昇カメラマンDEPOMART オーナー)が一声かければ、なにをおいても駆けつけてくるのだ。いきなりその空気を感じたこともあって、ついついマスコミ受付の用紙に『週刊ゴング 金沢克彦』と書いてしまった。まあ、書いてしまったというより、そう書きたくなったのだ。


 バックステ―ジに入っていくと、いきなり素顔のマスクド・スーパースター、ビル・イーディーさんに出くわした。やはり今でもハリウッド映画のアクションスター、スティーブン・セガ―ルによく似ている。以前、当ブログでイーディーさんを63歳と紹介したが、実年齢は65歳とのことだ。


 私個人にとっては初対面。突然、スーパースターを目の前にして、あろうことか私はペラペラと話し掛けてしまった。周囲の人がどう見ているのかは分からないが、実際の私は人見知りするほうだし、人付き合いも得意とはいえない。特に、知らない人と初対面の挨拶を交わし、そのあと社交辞令を口にしたり、当たり障りのない世間話をしたりとか、そういう行為が大の苦手なのである。


「Nice to meet you!」の挨拶、握手から始まり、つたない英語ながら私はスーパースターことイーディーさんに、こうまくしたてていた。


「私は、中学、高校、大学と、ずっとアナタの試合をテレビや会場でも見てきました。アナタは文字通り、私の中のスーパースターなんです!」


「そんな昔からかい、ありがとう」


「猪木戦、坂口戦、藤波戦は本当に名勝負でした。あとは、ディック・マードックとアナタのタッグチームは当時、最強でベストチームだったと思いますよ!」


「サンキュー・ソーマッチ! だけど、ディッキ―も若くして亡くなってしまい残念だよ、アンドレもね。人は心も体も健康であることがなによりも大切だと思うね」


 興奮してまくしたてる私を見るスーパースターの目は優しかった。そして、ゆっくりと分かりやすい単語を選んで語りかけてくれたように思う。


 『FIESTA』とは大人の空間であり、大人が少年時代に帰る場所。私は新木場1stRINGに一歩足を踏み入れただけで、少年時代に帰ってしまった。それ以降も、デジタルカメラを手にバックステージでいろいろな絵を撮った。



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 メインイベントのマスクド・スーパースター引退試合(M・スーパースター&初代タイガーマスクvs藤原喜明&ブラックタイガーⅤ)のときなど、試合の入場時と終盤、デジカメを手にエプロンサイドに付いた。こうやってリングサイドでカメラを構えたのは、『週刊ファイト』の記者時代が最後だから、22~23年ぶりのことかもしれない。


 あとから、大川カメラマンにはこう冷やかされた。


「だからボクの言ったとおり、大人が少年時代に帰る場所だったでしょう? だけど、金沢さんはもともと大人げないから、どこの会場でも一緒かな?」


 そんな冷やかしの声さえ、なにか心地よく響いてくるほど楽しかった。 メインの入場の際、スーパースターのテーマ曲が聞こえてくると、やはり居ても立ってもいられない心境になる。そして、スーパースターが繰り出す技は、たしかに私の知っているマスクド・スーパースターそのものだった。


 ダブルチョップ(モンゴリアン・チョップ)、エルボーバット、クロスチョップ、ボディスラム、河津落とし、三方向のロープへ走ってのショルダーブロック3連打。そして、フィニッシュはオリジナルのスイング式ネックブリーカー。伝説のフライング・スリーパー(フライング・ネックブリーカードロップ)こそ見られなかったものの、私は満足だった。


 近くで一緒に観戦しているスーパースターを知らない世代の記者に、「これが彼のオリジナルだよ」とか「この動きはスーパースターそのもの、昔と変わっていないよ」など、多少の優越感(?)に浸りながら、余計な解説までしてしまった(笑)。


 かつてのライバルだったアントニオ猪木はビデオメッセージを送ってくれたが、代わりに登場したのがアントニオ小猪木。ほんの少しだけだけでもNWFヘビー級選手権の空気が漂うかなとも思ったが、スーパースターはただ苦笑いするばかり。


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 その後、集合写真の撮影、記念品の贈呈、スーパースターからのお別れの挨拶と続き、引退の10カウントゴングが打ち鳴らされた。スーパースターのスピーチは、やはりニッポン愛とファンへの感謝にあふれていた。


「私は最高に幸せ者です。今日、素晴らしいファンのみなさんと一緒に私の引退を迎えることができるのは、この上ない喜びです。随分前のことですが、猪木、坂口、藤波と素晴らしい対戦相手に恵まれました。そして今日は偉大なタイガーマスクと組み、素晴らしい相手と引退試合を終えることができた。この気持ちは一生忘れません。この美しいジャパンにまた来ます。今度は試合ではありません。大好きな日本のファンとして、日本人のファンとして来るのです。みなさん、ありがとうございました!」


 スピーチをしている間、ずっとスーパースターの表情をマスク越しにのぞくようにしていた。たしかに彼の目は潤んでいたし、今にも涙がこぼれ落ちそうに見えた。


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 ところで、セミファイナルではもうひとつのドラマ(?)があり、2人の主役が登場した。この一戦が本格復帰戦となるNOSAWA論外と、デビュー25周年を迎えたエル・サムライ。試合は、NOSAWAの保持するメキシコのベルト、Ⅹ-LAWインターナショナル王座にサムライが挑戦する格好。立会人はハヤブサが務めた。


 なぜか、コンディションではNOSAWAが上回っているようにも見えたが、そこはキャリア25年の貫録。最後は得意のチキンウイング・アームロックでタップを奪い、サムライが第2代王者に輝いた。


 ベルト贈呈から25周年セレモニーへ。ところが、サムライに記念品を贈呈したのは私だけだった。みんな、各社ともスーパースターの引退セレモニーのほうへ走ってしまったのだ。まあ、当然といえば当然の結果なのだが……。


 このときの入江リングアナウンサーの仕切りがまた絶妙だった。


「ここで、エル・サムライ選手にデビュー25周年の記念品を贈呈するため、この方にきていただいております!」


 えっ、もしかして、それっていきなりオレかい!? それに、まるで芸能人かタレントが出てくるかのような紹介……。


「1986年に記者デビューし、サムライ選手とは業界同期にあたる”GK”ことフリーライターの金沢克彦さんです」


 かなり恥ずかしいけど、上がるっきゃない! まるでサンタクロースからのプレゼントのような大きめの袋を手にリングイン。私はその謎の袋をサムライに手渡した。中身のほうは事前に入江アナにこっそり伝えてある。


「それではサムライ選手、どうぞ袋を開けてみてください!」


 サムライがごそごそと袋から取り出したのはタバコ。サムライが愛煙する『マイルドセブン・エクストラライト』ボックス入リショートタイプである。


「サムライ選手の大好物、マイルドセブン3カートンのプレゼントです!」 


 異常に喜ぶサムライはベルトよりも高々とタバコのカートンを掲げて大はしゃぎ。客席は爆笑。うーん、私の想像以上にハマってしまった(笑)。


 ここでなぜか、入江アナにマイクを手渡された。聞いてないよー! でも、しょうがない。


「えー、マッちゃん、25周年おめでとう! しかし、タバコ高いねー。しめて1万2300円だよ。お互いフリー同士、これからもがんばりましょう!」


 今度は、サムライにマイクがわたる。


「思いがけず、こんないいものをもらいまして、ありがとうございます。25周年、みなさんの声援でここまで来ました。今後ともよろしくお願いします」


 なにか、とてもいいことをした気分。タバコをプレゼントして、ここまで喜んでくれる人間などそうそういない。


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 約2時間で、大人のための夢の空間は閉会した。ただし、その後もグッズ売り場には長蛇の列、囲みができて大盛況。売店にやってきたスーパースターの直筆サイン入りグッズを買う人、ハヤブサのCDを買って一緒に記念撮影に収まるファン、7・24『スターダム』後楽園ホール大会のチケットを売り場に立った選手から購入する女子プロファンたち。彼らの夢は終わらない。プロレスがあるかぎり、これからも続いていくのだ。


 その後、午後3時半から新木場駅近くのイタリアンレストランで選手・関係者・マスコミによる打ち上げが開催された。主役はもちろん、スーパースター。陰の主役は当然のごとく藤原組長である。


 私もスーパースターと記念写真を撮ってもらった。過去25年、業界に携わる中で、自分からお願いして記念写真を撮ってもらった外国人選手は3人しかいない。ニック・ボックウィンクル、ドス・カラス、そして本日のマスクド・スーパースター。打ち上げの席でも、やっぱり私は少年ファン気分だった。


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 特大ワイングラスで赤ワインをグイグイいく藤原組長と、その隣で白ワインをたしなむスーパースター。ハヤブサも「最近ちょっと太り気味で気にしてるんですよ」と言いつつ、ビールを美味そうに飲んでいた。


 私は仲良しの(?)NOSAWA論外と並んで座り、カンパイ! もちろん、禁酒宣言のNOSAWAはひたすらウーロン茶のみ。


 中締めで、スーパースターが引き揚げたので、最後の締めの挨拶をリクエストされたのは、『FIESTA』の顔になりつつある藤原組長だった。


「突然、締めろと言われてもなあ……まあ、人間というのは締めるか締められるのか、そのどっちかだからね。そういうことで、みなさん、お疲れさん!」


 うーん、やや強引ではあるが、さすがアドリブの利く組長。ウンチクのあるお言葉でした!