昨日(11日)も江東区のスカパー!スタジオへ。6月25日、新宿FACEで開催された鈴木みのるチャリティー大会『カウント2.9~さあ、ここから~』のスタジオMA(実況収録)を行なってきた。
私(解説)のパートナーは、本当にひさびさの村田晴郎アナウンサー。DDT中継の”神実況”でお馴染みの村田アナは、オールラウンドの実力派。収録前に2人で記憶をたどってみたところ、最後にコンビを組んだのが、2008年6月17日の鈴木みのるデビュー20周年興行『風になれ』だと分かった。ということは、約3年ぶりのタッグ復活。どうやら私たちは、鈴木みのるに縁があるようだ(笑)。
ただし、私と村田アナのコンビは歴史が古い。2001年9月に開催されたZERO-ONE(現ZERO1)の第1回『火祭りリーグ戦』は全戦、サムライTVでオンエアされているが、そのとき初めて村田アナと出会いコンビを結成した。特に、開幕戦となった9・1後楽園ホール大会に関しては、実況席がホール北側の最前列に設置されていたために、センターカメラがつねに放送席を映し出している。
2年前、『火祭り』の歴史を振り返る特番をサムライTVでオンエアしたことがあるが、それを観たときには赤面してしまった。10年前の開幕戦の映像で、私はグレー系のチェック柄のジャケットを着用している。なにが恥ずかしいかって、そのジャケットを今でも着ることがあるから。モノモチがいいというより、めったに背広やジャケットを着用することがないから、服が傷まない。それに、オシャレとかそういうものには昔から関心がないし無頓着。でも、さすがにアレを観たときには我ながら驚いてしまった(笑)。
その他、村田アナとは2002年に全日本プロレスが武藤体制となって、それから3年間ほど、全日本プロレスのビッグマッチ(スカパー!PPV生放送)の放送席で一緒になる機会が多かった。
そこで、極めつけは2004年末のエピソード。同年12月11日、新日本プロレスが大阪府立体育会館でビッグマッチを開催した。メインイベントは、棚橋弘至&中邑真輔vs佐々木健介&鈴木みのるによる第47代IWGPタッグ王者決定戦。今となっては信じられない顔合わせであるが、マニアのかたならピンとくるだろう。同年8月の『G1クライマックス』大阪大会の試合後、高山善廣が脳梗塞で倒れ欠場。当時タッグ王者だった高山&鈴木がベルトを返上したために、同じ外敵軍の同士である健介が出陣してきたのだ。
結果は、30分を超える激闘の末に、棚橋がドラゴン・スープレックスで鈴木をフォ―ルし、若きライバルコンビが新王者となっている。その大会の前後にも、新日本マットには混沌とドラマが渦巻いていた。
1ヵ月前の11・13大阪ドーム(闘魂祭り)で、本来であれば”もっとも観たいカード”のファン投票1位に選出された棚橋vs中邑戦が実現するはずだった。しかし、当時の猪木オーナーの鶴の一声でカードは覆され、中西学&中邑vs藤田和之&ケンドー・カシンがメインに据えられ、棚橋は天山とタッグを組んでハッスル軍(小川直也&川田利明)と対戦。ちなみに、鈴木みのるは、当時のIWGPヘビー級王者・佐々木健介に挑戦している。
さらに、12・11大阪で新王者となった棚橋と中邑は、大阪ドームで実現しなかった一騎打ちをともに熱望し、翌2005年の1・4東京ドームのメインで、棚橋の保持するU-30無差別級ベルトを賭けて対戦。敗れた棚橋が号泣しながら花道を去る一方で、勝者の中邑がリングに上がってきた猪木をずっと睨みつけていたのが印象深い。
このように新日本マットは激動の最中にあったわけだが、ここで紹介するエピソードは放送席におけるドラマ(?)である。先ほど記した04年の12・11大阪大会はスカパー!のPPV生放送。ところが、番組を新日本が制作することになってテレビ朝日のスタッフがまったく関わらないという異例の放送となった。
そのときの解説者は私ひとり。これも異例のケースだった。そしてメインアナウンサーが村田晴郎さんで、もうひとり初めてスカパー!でプロレス実況をするというアナウンサーがわざわざ広島からやってきた。その人物こそ前回のブログに登場した清野茂樹アナ。当時の清野アナは広島エフエム放送の所属であり、たまたま12・11(土曜日)は会社が休みだったためにオファーを受けられたという。無論、これが清野アナとの初遭遇。そのとき、私と同じ青山学院大学出身だという話を彼から聞いたことを覚えている。
リング上にドラマがあるのは当然だが、リング外、その放送に関わる人間たちにもドラマがある。3年ぶりに村田アナと実況収録にのぞみながら、さまざまな思い出が甦ってきた。
では、肝心の興行の話。パンクラスMISSIONの鈴木みのるがオーナー、佐藤光留が雇われ店長を務めるネットショップ『PILEDRIVER』の主催興行となる同大会には、鈴木の呼びかけに応え18選手と興行スタッフがノ―ギャラで集結。「喜怒哀楽」をテーマに全5試合を開催した。
大会終了の時点で、チケット代=250万1400円、グッズ代=70万9000円、会場での募金=4万681円、ネットで募った義援金=33万9000円など合計359万81円を集めた。さらに、大会後も鈴木、高山らが募金箱を持って会場出口に立ったことで、プラスアルファが見込まれている。
そういえば、このチャリティ―興行の話を鈴木本人から聞いたのは、全日本の5・15後楽園ホール大会の会場だった。
「時間があったら金沢さんも来てくれよ。ただし、ただ見じゃなくて木戸銭(入場料)払ってな!」
鈴木らしい言い回しだが、要はどんなかたちでもいいからチャリティーの参加者になってほしいという気持ちを感じた。あの3月11日、鈴木は全日本プロレスの巡業バスに乗っていた。高速道で仙台へ向かう途中だったのだ。あと、ほんの数時間バスが早く出ていれば、鈴木も被災者になるところだった。鈴木の気性からいって、このまま傍観者でいられるわけがなかった。
おもしろかったのは、メインイベント(鈴木みのる&里村明衣子vs高山善廣&栗原あゆみ)の入場を控え、カーテンの前で待機していた鈴木にいきなり話し掛けられたこと。そこは照明がないので真っ暗。それなのに、背後から回りこんで会場に戻ろうとしている私を、彼は目ざとく発見した。
「なんだ、オッサン。タダ見で来たのか?」
まったく油断ならない(笑)。試合直前なので、私も一言だけ返した。
「メインの試合を見て決めるから」
メインの男女ミックスド・タッグマッチは期待以上の内容だった。被災地の宮城県を主戦場とするセンダイガールズプロレス代表の里村と女子プロ界次代のエースと目される栗原。なぜ、鈴木がこの2人に声を掛け、わざわざミックスドマッチを組んだのか、その理由が試合を通して伝わってくる。
そういえば、5・15後楽園で鈴木はこうも言っていた。
「オレと里村が組んで高山、栗原とやるから意味があるんだよ。これが入れ替わっちゃダメなんだ。里村が高山に向かっていく、栗原がオレに向かってくる。そこに意味がある。あのお嬢さん(栗原)がしょせんお嬢さんなのか、もっと上を目指せるのか……これはオレじゃなきゃいけないんだよね」
その意味は、試合を見れば一目瞭然だった。さらに、メイン後のボーナストラックとなったNOSAWA論外のケジメマッチ3連戦は、やはり感動的だった。
大会終了後、鈴木の持つ募金箱に背後からサッと野口英世を1枚入れた。振り返った鈴木はちょっと驚いたような表情をしてから、「なんだよ、オッサン! いいとこあるじゃんか!」と笑った。
少し離れたところに高山も立っていたので、彼の募金箱にも野口英世を1枚入れた。
「木戸銭だよ。いい興行だったからね」と言うと、「さっすがGK! 太っ腹だねえ」と帝王も満面の笑み。
鈴木はこの義援金を寄付するのではなく、被災地でのプロレス開催に全額あてるという。1円残らず被災地プロレスに使って、「子どもが夏休みの絵日記に描けるようにしたい」と言った。いい興行だった。
せっかくだから、遅ればせながらそのときの絵を掲載しておきたい。写真は大川昇カメラマンが撮影したもの。彼もまた鈴木みのるのよき理解者である。
大会名: PILEDRIVER charity project 『カウント2.9~さあ、ここから~』
日時: 6月25日(土) 開始:18:00
会場: 新宿FACE
観衆: プロレスファンの魂でいっぱい(超満員札止め)
テレビ放送: サムライTV 7月13日(水) 23:00~25:00
注意事項: 絶対にお見逃しなく!