当ブログのスタート早々から、コメント欄に数多くの書き込みをいたただき本当にありがとうございます。このシステムでは、みなさん1人1人に返答はできないのですが、きちんとすべてに目を通しています。また、当ブログを紹介してくれた新日本オフィシャルHP、カクトウログ、多重ロマンチックといった各媒体にも感謝しています。某2ちゃんねるにおいては、私に対する誹謗・中傷のオンパレードと聞いているのに、ここはまるで別世界の様相ですね(笑)。


 人間は誰しも二面性を持っています。その極端な例がヒデオ・サイトーでしょうか(笑)。まあ、ヒデオ・サイト―はともかくとして、本来、プロレスファンは温かい人たちばかりだと思っているし、プロレスを観る、読み込むことによってファンの感受性は人一倍磨かれているような気がします。

 だからこそ、声援とブーイングは紙一重であり、なんの反応もないことが最悪なのです。それを思うと、私は幸せ者かもしれないなあと。今後も自分を隠したり善人ぶるのだけは避けたいし、当コラムでしっかりと自分を晒していこうと思っています。


 ところで、前回のコメント欄の中でも傑作だったのは、高山善廣選手による「長!?」の一言。

また、小島聡選手からも「こ、濃すぎる!!!」という驚きのメールが届きました。

たしかに長文だし、ブログというジャンルの常識からは考えられない分量かと。

 ただし、初回は『旗揚げ戦』のつもりで臨んだので、これ一回で燃え尽きるぐらいのパワーを注ぎ込みました。

 そこで、みなさん、気が付きましたか? そう、初回のブログにはプロレスラーの名前がまったく出てこないのです(※あれ、小川直也って!?)。私の場合、こういう実験的な試みが大好きなので、あえてプロレスラーの名前も試合の話題も出さずに、プロレスの世界を語ってみようと思ったりするんです。こういう変態性が私の特徴なのかもしれません(笑)。


 さて、今回は、7月17日(日)に東京・新木場1stRING(12:00開場/12:30開始)で開催される『流星仮面FIESTA・FINAL』~マスクド・スーパースター引退試合~に関して書いてみようと思います。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


 マスクド・スーパースターといっても、30代までのプロレスファンにはあまりピンとこない存在かもしれない。むしろWWF (現・WWE)で活躍したデモリッションのアックスといったほうが通りがいいのかもしれない。ただし、M・スーパースターはまぎれもなく新日本マットで一時代を担った外国人レスラーだ。1976年~1986年の約10年間が全盛期で、74年の初来日時にはモンゴル人キャラのボロ・モンゴルを名乗っていたり、のちに猪木との覆面剥ぎマッチに敗れ素顔となり、ビリー・クラッシャーのリングネームで参戦した経験もある。

 ところが、マスクを脱いだスーパースターはその正体が分かっていても、まったくファンには受け入れられなかった。いくらヒールを決め込んだところで、その素顔が端正すぎたため。もともと高校の教師をしながらプロレス活動もしていた男だから、ハンサムなうえに知性的。いま思えば、ハリウッド映画のアクションスター、スティーブン・セガ―ルによく似ていた。そんな男がいくらダーティーファイトを繰り返したところで説得力はないだろう。


 また、一時期のマシン・ブームに乗っかって、ジャイアント・マシン(アンドレ・ザ・ジャイアント)、スーパー・マシン(スーパースター)、スーパー・ストロング・マシンのマシン軍団は人気ユニットとなり、本家マシンを除く2人がWWFで活躍したこともある。このときばかりは、本家のS・S・マシンも「マシンマスクの特許を取っておけば、俺は今ごろ大金持ちだったなあ!」と苦笑していた。

 1977年にM・スーパースターとして新日本マットに初参戦すると、第4回ワールドリーグ戦を無敗で勝ち上がりながら、優勝決定戦で坂口征二に敗れた。翌78年には猪木の保持するNWFヘビー級王座に挑戦し、79年には坂口のNWA北米ヘビー級選手権に挑戦。その他、ディック・マードックとのツーカーコンビでは抜群の強さを発揮したものだ。


 スーパースターの特徴は、巨体(192㎝、130kg)ながら柔軟な体躯にあった。試合はいたってオーソドックス。得意技は、相手の腕を取ってからのスイング式ネックブリーカーとフライング・ネックブリーカードロップ。後者がフィニッシュ・ホールドなのだが、G馬場さんとの違いは、馬場さんは相手の後頭部をマットに叩きつけるほうを重視していたのに対し、スーパースターは首に腕を巻きつけ大きくジャンプするかたちとっていたこと。それもあって、スーパースターの場合はフライング・スリーパーとも呼ばれていた。


 新日本プロレス39年の歴史を遡ってみたとき、私が外国人レスラーの番付を作るとしたら、横綱は、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ビッグバン・ベイダ―の4選手。ハルク・ホーガンとスコット・ノートンが張出横綱といったところか。ブルーザー・ブロディは全日本のイメージが強いので除外しておく。

 そこで大関となると、文句なくディック・マードック、マスクド・スーパースターが入って、さらにバンバン・ビガロ、現IWGPタッグ王者のジャイアント・バーナードという名前があがるだろう。また、スーパースターの場合、その実力だけではなく人間性も高く評価されていた。トンパチのマードック、クセの強いアンドレのような扱いにくい選手が来日したときも、そのパートナーにスーパースターがいるだけで団体側としては安心できるのだ。


 マスクド・スーパースターことビル・イーディー氏は現在63歳。しかし、一昨年の7・4『流星仮面FIESTA』参戦時には、見事なクラシック・プロレスを披露し、全盛期さながらのフライング・スリーパーも決めている。今回は、「日本で引退試合をしたい!」と自ら望んでの来日。名レスラーが日本マットでついにピリオドを打つ。

 また、イーディー氏はふだんアトランタの更生施設(Georgia Juvenile Justice)で働いているため、夏休みを利用しての来日となる。前回も同施設への寄附を目的にやって来たのたが、今回は地元施設へのチャリティーはもちろんのこと、東日本大震災で震災に遭った子どもたちのことを考慮し、『MakeーAーWish of Japan』へも寄附を行なうことになっている。


 さて、一昨年、今回と『流星仮面FIESTA』を開催するにあたり、日本側の受け入れ先として、興行面、物販面の準備など、すべてを行なっているのは、ロッシ―小川氏(スターダム代表)、大川昇カメラマン(DEPOMARTオーナー)、山口進一氏(オリエンタルプラントサービス代表)の3名。小川氏は全日本女子プロレスの広報担当として全盛期のクラシュギャルズのマネージャーを務めたことに始まり、アルシオン代表、風香や愛川ゆず季のプロデュースを行なうなど、プロモーター活動もこなす。業界歴は30年以上で、プロレス界の裏も表も知り尽くしている人物。私も、小川氏のことは全女時代から知っているが、とにかくお人好しで無類のプロレス好き。

 ここだけの話だが(笑)……小川氏のファン時代のエピソードにはとんでもない逸話がある。1976年6月26日の日本武道館。そう、今世紀最大のスーパーファイトと謳われたアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦の試合(15ラウンド)終了後、世界中から集まった報道陣や両陣営のセコンドでリング上がごったがえす中、なぜかカメラを持った小川青年がリングに上がり撮影していたのだ。もちろん、いち観客である。そう、ロッシ―小川こそ、元祖悪質ファンであったのだ!(笑)。猪木vsアリ戦のVTRを持っているかたは是非とも19歳の小川宏青年の姿を探してもらいたい。

 

 大川カメラマンに関しては、多くを語る必要もない。なぜなら、彼とは週刊ファイト→週刊ゴング→フリーランスと同じような道を互いにごく近くで23年間も歩んできたからだ。ファイト時代にはともに貧乏暮らしをしていたので、”一杯のかけそば”ならぬ”一部の東スポ”を2人で回し読みしていた。東京スポーツ=70円の時代である。

 ゴング時代には、試合中、アイコンタクトだけで会話ができた。記者席に座っている私の視線に気づいた彼がリングサイドからこちらをチラッと見る。これだけで、私がどんな構図の絵(写真)をリクエストしているのか、彼は理解できた。反対に、「いま最高のショットを撮ったから、これを使いなよ!」とばかりに、彼のほうから記者席にサッと視線を送ってくることもあった。

 ともに大きな挫折も味わった。『週刊ゴング』が休刊したあとを受けて、大川カメラマン、吉川義冶氏(現アリストトリスト)、私の3人と、そこに小川氏が協力してくれるかたちで、ゴングの継続誌として『Gリング』なる雑誌を発行したことがある。全員が金儲けぬき、男の意地だけという思いで、07年9月~08年6月まで計8冊の本を発行したが、ついに力尽きた。

 その間、何人かの人間に騙され、利用され、裏切られ……私たちは心身ともにボロボロとなった。その挫折感ときたら半端なものではなかった。私は雲隠れした首謀者を相手取って未払いに対する訴訟を起こし、勝訴したものの、他にも多数の未払いを抱えた相手方は自己破産という最終手段にでた。正直、訴訟を起こしたのも未払い金の回収が目的ではなく、私たちを騙して姿を暗ましのうのうと生きている男が許せなかったからだ。世間知らずと言われればその通りかもしれないし、いいトシをして私たちは初めて大人の汚い世界を知って、社会勉強ををさせられたのかもしれない。

 そのとき、大川カメラマンは自分の生活、人生をそこに注ぎこんでいる。彼が受けた心身のダメージは私などの比ではなかったし、人生設計までも狂わされたはずだ。それでも彼はいっさいの弱音を吐くことがなかった。過去に私自身も実家の事情で、20代後半にとんでもない額の借金を背負わされ、10年かけて返済した経験があるだけに、彼の痛みは理解しているつもりだった。

 ちょうど、そのころ大川カメラマンは山口社長と知り合った。「プロレスが好きで、マスカラスが大好き」という共通点が2人を結びつけたのだという。

 「よし、私が大川昇の好きなことをやらせる! 一緒になにか作ろう!」

 この山口社長の一言からすべてがスタートした。

2009年3月29日、新木場1stRINGで開催された『仮面貴族FIESTA』にミル・マスカラスを招聘したのが、FIESTAシリーズの始まりで、それ以降、選手サイドからの積極的なリクエストを受けて、M・スーパースター、ドス・カラス、アブド―ラ・ザ・ブッチャー、マスカラスと続き、今回が6度目の大会となる。場所は、とにかく新木場1stRINGにこだわり続けた。その理由を大川カメラマンはこう語った。


 「人生でいちばんシンドイ時期に山口さんと知り合うことができたんです。儲けなんか考えていないしトントンでいいじゃないですか?と言ってくれる山口さんと、興行のノウハウを知っている小川さん、そして僕には人脈がある。だから『FIESTA』をやろうと。僕らが子どものころに憧れた選手たちをもっとリスペクトできる舞台があってもいいんじゃないかと。これは海外に取材に行くと痛感しますよ。アメリカにもメキシコにもレジェンドの居場所がある。過去の名選手に対するリスペクトがあるんです。日本ではそれが薄いんですよ。だからこそ新木場なんです。あの狭い空間で憧れの選手を間近にファンは観られるんですから。当初、佐山さん、藤波さん、天龍さんも新木場に上がることには抵抗があったと思うんです。でも、今は分かってくれているというか、逆にそれがプレミアなんですよね。だから、『FIESTA』とは僕と山口さんとロッシ―の友情の証であり、僕がプロレス界にできる25年間の感謝の気持ちの場でもある。そこは大人の空間であって、大人が少年時代に帰る場所でもあるんです」 


 大人が少年に帰る夢の空間。7・17新木場大会の試合カードは以下の通り。

  

 〈第1試合〉

 ●ROAD TO 仮面貴族FIESTA2011  30分1本勝負

 高木三四郎 vs 菊タロー


 〈第2試合〉

 ●スターダム提供試合 スペシャル3WAYマッチ 30分1本勝負

 パッション・セブン vs 星輝ありさ vs 岩谷麻優


 〈第3試合〉

 ●Ⅹ-LAW女子選手権試合 60分1本勝負

 (王者)A★YU★MI vs (挑戦者)セウシス・CMLL


 〈第4試合〉

 ●エル・サムライ デビュー25周年記念試合

   Ⅹ-LAWインターナショナル選手権試合 60分1本勝負

 (王者)NOSAWA論外 vs エル・サムライ


 〈第5試合〉

 ●マスクド・スーパースター引退試合~ファイナル流星仮面~

  タッグマッチ60分1本勝負

 マスクド・スーパースター vs 藤原 喜明

 初代 タイガーマスク      ブラックタイガーⅤ

 

 表記にある通り、第4試合では、あのエル・サムライのデビュー25周年記念試合も開催される。しかもタイトルマッチで、相手は因縁浅からぬNOSAWA論外。

 エル・サムライこと松田納のデビューは、1986年の7・24大船戸大会で、相手は船木優治(現・誠勝)。わたくし金沢克彦が『週刊ファイト』(新大阪新聞社)に入社したのが、86年5月1日。つまり、サムライと私はほぼ同期なのである。ということで、当日、私からサムライへとっておきの記念品を贈呈する予定。ヒントは……エル・サムライがもっとも愛するもの。こちらの方にも、ひとつご期待のほどを!


 また、7月10日(日)、11:45~12:30まで、水道橋の『デポマート』 において、マスクド・スーパースターのサイン会が開催される。店内にて、色紙、ポートレート、生写真、Tシャツ、FOTOLIBRE(雑誌)、マスクなど購入した方に、スーパースターがその場でサインを入れてくれる。また、4000円以上の購入者は2ショット撮影もOK。

 お問い合わせは『デポマート』(☎03-3818-6221)まで。



 さて、今回、私自身のパブリシティーもさせてもらう。当ブログの左カラムにも掲載されている私の著書『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島社) の第4刷が、昨日(8日)店頭発売となった。

 
           
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 この単行本の初版発行日は、ちょうど2年前の2009年7月17日。じつは当初、発行元(宝島社)の担当者から5月下旬に連絡をいただいたときには、「8月に文庫化の話を進めています」だった。ところが、それから2週間ほどで話が急展開。初版から2年たってもまだ十分動きがあるということで、急遽、第4刷が決定したという。

 「プロレス、格闘技関連の単行本で、初版から2年たっても売れているというのは過去にない事例ですね」と言われたときには、ほんの少しばかり鼻の先が伸びかけた。

 おいおい、俺は東野圭吾か? 宮部みゆきか!?という感じ。だけど、ふつうに考えれば分かる。実売数にしても印税にしても、彼らとはゼロが2つ分ほど違うのだろうなあ(笑)。いやいや、お金じゃない! 目を覚ませ、GK! 趣味であり遊びに没頭した結果だろう。それでも計2万部弱が世に出ているわけだから嬉しい話。ありがたい話だ。

 そういえば、あと1カ月半ほどで、8・27決戦がやってくる。新日本、全日本、ノアの3大メジャー団体が一堂に会する『東日本大震災復興支援チャリティ―プロレス ALL TOGETHER』(日本武道館)に対するは、IGFが開催する『東日本大震災復興イベント INOKI GENOME~SuperStars Festival 2011~』(両国国技館)。

 まさに、猪木とプロレス界の全面戦争か? チャリティ―興行とはいえ、互いに集客、収益、内容と絶対に負けたくないはずだ。もしかしたら、そんなタイミングをにらんでの増刷だったのかもしれない。


 いずれにしろ、ただいま絶好調の新日本プロレスが、もっとも混乱を呈していた時代のノンフィクションをぜひ読んでいただきたい。アントニオ猪木、橋本真也、小川直也、永田裕志、藤田和之、ケンドー・カシン、そして長州力、大仁田厚……時代の波に翻弄されながらも時代の主役として躍り出た男たちが、否応なく味わった葛藤と苦悩。その史実を知ることによって、プロレスの素晴らしさ、プロレスラーたちの壮絶な生きざまを、より一層実感できると思うのだ。  

 『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島社)、価格=1500円(税込)。