巷では強迫性障害などというアホらしい病名が世間を賑わしています。

まず病名とは名前だけであって治癒に繋がる解決のヒントにはなりません。

むしろ病名をつけるから病気になれて悪化する事もできてしまいます。

なんとか障害という病名は、社会的な制限や支障を思い込ませる奴らの誘導尋問です。

仮に身体の機能を一部失った状態に障害という病名をつけられたとしても、病名は後付けで与えられた無意味有害な存在であり、そこに在るのはそういう状態である事だけです。

その状態に対してアホ医者が主観で名付けたアホの極みが病名というものです。

つまり病名を真に受けるというアホは、アホ医者に忠誠を生涯誓う最強のアホになれる事を意味します。

そもそもで言えば人間なら誰でも強迫観念を持っています。

依存も人間であれば何からしあるはずです。

全人類が持っている事が理解できれば、それを病気や異常と捉えなくなる日が訪れます。

強迫観念も依存もその矛先が世間から見て、ヘボいと思われているものに設定しているから言われてしまうわけです。

依存であればギャンブル、酒、タバコ、異性、親、子、他者、一般的に考えても評価が低くダメなものに依存しています。

強迫観念であれば体裁、常識、周囲の目、潔癖、執着、こだわりなど依存との親和性も見受けられます。

どうせ消せないのであれば矛先の設定を変える他ありません。

言葉を変えると解釈を変える事です。

自立に依存する。

自立するように己を強迫する。

修行に依存する。

望む結果が出るまで修行を己に強迫する。

このように矛先を価値があると考えられるものに変えていく事です。

強迫観念は感情がある限り消す事は不可能です。

不安や恐れという感情も必然性があって出てきているものです。

消せないものを消そうとすればするほど、強迫観念は強く働き続けていくと私は考えます...