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fp.takunの”Improve your quality of life Blog”

様々な出来事に対して、fp.takun流の視点・論点で綴る徒然なるブログです。
読んで下さった方の「心に灯りを灯す」ブログを心掛けています。
将来、このブログが本になることを目標にしています。

 

毎日、暑い日が続いておりますが、皆様体調など崩されておりませんでしょうか?

 

日中は暑いですが、朝晩は随分涼しい風が吹いて過ごしやすくなってきましたね。

季節は、確実に秋に向かっているのですね。

 

「秋」・・・味覚の秋・食欲の秋・おしゃれの秋・・・おねがい

 

個人的には、草木が紅葉をしていく秋の景色が大好きです。おねがい

過ごしやすい秋まで、もう少し・・・体調管理をしっかりとして乗り切りましょう!

 

 

 

さて、本日は、【「止まる」ことは「正しい」こと】というテーマでお話をしたいと思います。ウインク

 

 

5月に京都に出張がありましたので、京都らしいことを体験したいと思いまして写経と坐禅体験をして参りました。

以前から、写経や座禅には、興味があり何度か体験をさせて頂いておりますが、ゆっくりとした時間と共に、ただただ写経に集中する、あるいは座禅を組んで瞑想をする時間って、とても貴重な時間なように感じます。

 

 

なぜならば、日々の生活の中では、そうしたゆっくりとした時間・・・ある意味「ボーッとした」時間を過ごすことが難しくなっているように感じるからです。

 

 

 

 

コップの中の泥水をしばらく放置しておくと、やがて泥が沈み、水と泥に分かれる。

 

この現象はしばしば座禅に喩えられるそうです。

 

座禅の禅とは何なのでしょう?

 

 

もともとはインドの「ジャーナ」という古い言葉から来ていると言われています。

「ジャーナ」とは心を静かに保つということ。

 

茶色の泥水の状態は忙しさの中でもがいている日常なのかも知れません。

 

 

 

 

 

ここで、”なるほど!”と感じたので、メモに残しておいた文章をご紹介させて頂きます。

 

 

 

『ものの見方が変わる 座右の寓話 (ディスカヴァー携書)』戸田智弘著より

 

 

『心を静かに保つこと』

 

心の中の舞い上がった泥を沈めてみよう。

 

座禅を組むところまではいかなくても、私たちは毎日の生活の中に「心を静かに保つ時間」、つまり「ぼんやりする時間」をいくつも見つけることができる。

 

朝の駅のホームで電車を待つ時間、食堂で定食が運ばれてくるのを待つ時間、交差点で赤信号が青信号に変わるのを待つ時間、エレベーターで目的の階に向かう時間──つい先頃まではそういうひとときは「ぼんやりできる時間」だった。

 

 

ところが、今や私たちはスマートフォンをいじって、そういう時間をつぶしている。

 

何も考えずにぼんやりしている時にこそ、ひらめきが降りてくるという話はよく聞く。

 

机に座って髪の毛をかきむしっている時、パソコンに向かって身もだえする時、ひらめきは降りてきてくれない。

 

ひらめきという訪問者は、忙しい人を嫌い、ぼんやりしている人を好む。

 

禅語の中に「七走一坐」と「一日一止」という言葉がある(『心配事の 9割は起こらない』枡野俊明著/三笠書房)。」

 

 

 

 

”なるほど〜!”って思いますよね。

 

毎日忙しなく時間に追われて生活をしていると、こうした大切な時間を持つことすら忘れているのかも知れません。

 

1分1秒の効率を求めて、必死になって生活をしていますから・・・。

 

でも、禅語の「一日一止」のように、「1日の中で1回だけでも止まってみる」という時間が、とても貴重な時間だということ。

そして、ぼんやり過ごす時間こそ、「ひらめき」が湧いてきたりするようです。

 

ある意味、物凄く効率的なのかも知れませんね!

 

ボーッとして閃いたら最高ですよね!

だって、四六時中、戦略を練ったり作戦の準備をして大変な労力を使わなくても良いわけですから(笑)

 

 

 

現代人は、「時間とお金の奴隷」という喩えをされることがあります。

 

本当にその通りだと思います。

 

もし、日々生活する上で、過不足ないお金があったら、今のようにバタバタと働く必要もないでしょう?

もし、時間に追われない生活だったら、今のようにバタバタと行動する必要もないでしょう?

 

 

のんびりする時間を1日の中で数分でも持てるような生活スタイルに切り替えることで、人生は明るくなるのかも知れませんね。

 

 

電車内などでも、ほとんどの方がスマホと睨めっこ・・・。

 

電車に乗った時くらいは、ボーッとしてみるだけでも良いかも知れませんね。

 

 

「止まる」ことは、「正しい」こと

 

 

止まってみることで、新たな時間の使い方ができたり、また新しい発想が生まれたり、心が整ったりもすると思います。

 

あわてな〜い、あわてない。

ひと休み、ひと休み ウインク

こんにちは😃

とてもとても気まぐれなレポート(元記事)ですが、早いもので8月1日をもって23年目を迎えます。

本当に気まぐれに気が向いたことを綴ってきましたが、月日の流れは本当に早いものです。
と同時に、私自身も年齢を重ねているわけですが、『今が一番!』という気持ちは、若い時よりも強く感じます。

恐らく私と関わりを持って下さる方々にも恵まれているのだと思いますが、精神的にも肉体的にも、とても充実した毎日を過ごさせて頂いております。

本当にありがたいことです。



さて、本題に入りたいと思います。
本日は、『ことばって面白い!』というテーマでお話をしたいと思います。

以前から、アボリジニやインディアン、アイヌの方々などにとても興味がありました。
その歴史もさることながら、何と言っても趣のある言葉(ことば)が、私の琴線に触れるのだと思います。


本日は、アイヌの言葉について調査してみましたので、皆様とも共有をさせて頂きたく存じます。


アイヌと言いますと、誰もがご存じかと思いますが、北海道地域に古くから偉大な文化を残されている方々になりますが、その中で「アイヌ語」という言葉について探索すると、とても面白いことがありました。



まず、北海道の玄関口である新千歳空港に着くと、アイヌ語を目にすることがあるかと思います。

「イランカラプテ」という言葉がありますが、アイヌ語で「あなたの心に触れさせてね」という意味になるそうです。

新千歳空港の到着して、「ようこそ!」という意味も含めて、「イランカラプテ」という言葉は、何だか温かみのある優しい意味の言葉だと思いませんか?




北海道の地名もまた、アイヌ語が由来のことばが多く存在しているという事もわかりました。


例えば、「札幌(さっぽろ)」は、アイヌ語で、「サッ・ポロ・ペッ」が語源でして、「乾燥した広大な大地」という意味だそうです。
他にも、「知床(しれとこ)」は、「シリ・エトク」=「陸の突端」、「稚内(わっかない)」は、「ワッカ・ナイ」=「水の豊富な沢」、「十勝(とかち)」は、「トカプ」=「よく晴れる場所」などなど。


また、「昆布」「鮭」「ラッコ」「トナカイ」「シシャモ」などもアイヌ語が語源で、そのまま現代の日本語として浸透しているものも多くあるようです。


アイヌ語は、「おまじない」という意味合いもあったと言われていますが、その神性や霊性にも感動させられます。


例えば、「スワッアトスレ」という言葉は、無くしたものを見つめるおまじないだそうです。
他にも、天災(地震や荒波など)を鎮めるまじないなどもあるそうです。

アイヌ文化やアイヌ語は、言葉の中に意味合いを持つようにして発達してきた非常に魅力的な言葉だと感じます。
自然や人への愛情や「人間社会が自然の恩恵によって初めて成り立っていること」など、ごくごく当たり前のことを、謙虚に捉えて生きるということは、とても大切なことだと思います。


昨今、アイデンティティが失われつつあると危惧する声も多くなってきました。
その国の文化、人としての智慧、自然への畏怖と感謝など、忘れてしまってはいけないことがたくさんあるなと思います。

自然とともに生きるという感覚は、現代人にとってはあまりなじみのないことになってしまっているのも問題かも知れませんね。

ただ、毎日太陽が燦々と注いでくれることや、雲が雨を降らせてくれることや、風が花粉を運んでくれることなど、私たちの身近でたくさんの自然の恩恵を受けているわけです。

今日も暑いね~と、挨拶代わりにお天気の話題を出すのも、自然ととも生きている証(?)なのかも知れません。

昨年から、家庭菜園をはじめまして、週末農家をやっているのですが(笑)・・・。

その季節ごとの実りを頂くという、とても有難い経験をさせて頂いております。

無農薬で野菜を作るという事は、虫たちとも共存をしていくことでもありますが、「天使のわけまえ」と思って、虫さん達の食べる分は配慮しながらの収穫をしています。

今の季節は、夏野菜がたくさん収穫できるので、ちょっと忙しい(笑)ですが、土いじりをしたり、同じく家庭菜園をしている方たちとお話をしたりと、お仕事では出会えない方々と交流が出来るのも楽しいです。


アイヌの方々には及びませんが、「イランカラプテ」の精神で、日々を過ごせたらと思っております。




■プチコメント(最近の出来事から)

営業のために、店舗前の街路樹に除草剤を撒く・・・個人的に、不正請求をすること以上に重罪だと思います。


ずいぶんご無沙汰をしてしまっております(笑)
気まぐれなレポートとは言え、気まぐれが過ぎないかい?っと、自分で自分を責めたくなるくらい、気まぐれなレポート配信となっております。

多くの方が、「忙しくしてたんだよね〜」と愛情たっぷりに受け止めて頂いていることと勝手に想像し(笑)、今後も気まぐれに配信をさせて頂きますので、お付き合いをお願いします。


さて、本日のレポートは、表題の通り、『ブッダの智慧の言葉より』とさせて頂きます。

ブッダとは、仏陀あるいは佛陀のことですが、日本では「お釈迦様」の方が身近かも知れませんね。
たくさんの教えを残されておりますので、興味のある方は書籍等お読み頂くと良いと思います。


本日は、そのブッダ(お釈迦様)のお言葉の中から、「智慧の言葉」をひとつ選ばせて頂きました。

最近、自分自身の身の回りでも、「なるほど〜」と思わせられる出来事もありましたので、本日は皆様にも共有させて頂けたらと思いまして、”気まぐれに”配信をすることになりました。


『ブッダの智慧の言葉』より


山の頂上から観る景色は格別だ。

あの感動は口で説明しても分からない。

実際に登ってみなければ、体験できないことだろう。

たまに分からないと行動できないという人がいる。

そんな人はきっと行動しないまま人生の幕を閉じる人だろう。

行動するから分かることも人生はあるのです。


というお言葉です。


頭で考えていて行動に移せないことってたくさんあると思います。

例えば、「本当はこうしたい・・・」とか「将来は、あのようになりたい」とか・・・。

でも、その将来は、考えていただけでは何も実現しないのですよね。

何も考えずに行動するべきだとは思いませんが、、石橋を叩いて、石橋を叩いてその先に行かないのでは、今ある現実からは何も変わらないのだと思います。


自分の人生を振り返った時、

「あんな失敗もしたな~こんな失敗もしたな~、”でも”あれもこれもやって楽しい人生だったな!」

と思える人生は、でこぼこ道を歩くかも知れませんが、自分自身の足で自分自身の人生を歩んだということになると思います。




目まぐるしく流れる情報も、誰にも等しく目の前を流れていきます。

アンテナの高い人は、その中で自分に有益と思われる情報(時にはそうではない情報も)をキャッチして、自分の中でかみ砕いて消化していきます。

わからないから行動をしないと、ずっとわからないままですからね。


わからないからこそ、より多くの情報源からあらゆる情報を得て、行動に移すということもとても重要になってきます。

昨今、特にステレオタイプの情報ばかりを「観ている(観させられている)」気がします。
それは、とても恐ろしいことです。

TVで言ったから・・・ラジオで言っていたから・・・新聞に書いていたから・・・

天気予報すら当たらない時もありますからね(笑)


それ以上の疑いも洞察力も探求心もないままに、情報を放置してしまっている感じもします。


あらゆる情報源から情報を得て、自分の頭(感覚で)で捉えて、行動に移していくことが、特に今の時代には重要になってくると思います。



山の頂上に登ったことがある人と、登ったことがない人は、観えてる景色が全く異なるわけですから、登ったことがない人よりも、登ったことがある人の方が、視点も豊富で感覚も鋭くなると思います。

登山で例えるならば、登山途中の草花や鳥のさえずりなども聴きながら、そのプロセスでもより多くの経験を積んでいくことになります。


年齢を重ねているから経験が豊富ではなく、より多くの情報を得て、より多くの経験を積み、より多くの景色を観た人こそが、徳のある人生を歩めるのかも知れませんね。



① より多くの情報から、正しい情報(あるいはそうではない情報)を得る
② 自分自身の中で、取捨選択(納得のいく答え)、違和感のない情報かどうか等
③ 行動に移す
④ 頂上の景色を観る

④⇒①に戻って、この繰り返し

これは、みんながやっているからではなく、「自分自身」が行動することが大切です。
世の中に起きていること、ある一方向だけに意識を向けられていませんか?



追記

最近の出来事

久々にお会いして会食をさせて頂いた方・・・
ある方は、とても楽しい方ですが会話の内容や行動がやや品のなさを感じる方でした・・・。

ある方は、常に新しいチャレンジをして失敗も成功もしている方。
相手への配慮も素晴らしい方。


年齢を重ねていくにつれ、時間の貴重さを感じています。
また会ってお話をしたいな~と私が感じたのはどちらの方だったか・・・お察しになりますよね(笑)

厚みのある人生を歩んでいきたいなと、強く感じた経験をさせて頂きました。