沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。
先週、仕事のある大事な連絡が
私たちのグループLINEには
流されていないことが発覚しました。
(理由は私たちBグループ主任の失念)
それでBグループ全員が集められ
統括の上司・Kさんから
ご丁寧に説明と謝罪がありました。
幸い、迷惑がかかった人もおらず
私達としては
大きな問題ではありませんでしたが
Kさんは、失念した主任に対して
ご立腹の様子が伝わってきました。
(土用の鰻。毎年行くお店の鰻が、今年は身が薄くて小さめ⤵️少しご立腹)苦笑
横で申し訳なさげに立つ主任。
(人間だから忙しくて失念する時もあるよね)
という私達の空気の中で
「いつも忙しい中、色々対応して頂いていますので..」
とフォローする発言が出ました。
すると、Kさんが更に語気を強め
「私がいる間、忙しさは絶対に理由にしない、してはいけない、させないと思っています!」
と一言。(シーン...)
私は瞬間的に
(そっか。私たちも、失念した時、忙しいことを理由には出来ないんだな。)
と感じました。
上司のKさんが大切にしている
強い信念は、部下の主任にも
適用されていたからです。
イエスキリストの時代の
宗教指導者たちの姿です。
他者には厳しい律法を課し
守るよう教えるのに
自分は除外している都合の良い姿です。
(注・Kさんのことを指している意味はありません⚠️)
自分の美学
強い信念
こだわり
マイルール
自体は、悪いものではありません。
(リーダーの立場には必要ですね)
でも、他者にも共有してもらう時
相手の事情を思いやれる余裕も
同時に持っていたいなぁと思わされます。
信念やルールを他者と共有する時
適用するのはまず自分から!
誰か、ではなく、私!
忘れずにいたいです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。