忙しさは絶対理由にしない、という強い信念〜適用はまず自分から〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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クリスチャンメンタル心理カウンセラー。

聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。




先週、仕事のある大事な連絡が


私たちのグループLINEには


流されていないことが発覚しました。

(理由は私たちBグループ主任の失念)




それでBグループ全員が集められ


統括の上司・Kさんから


ご丁寧に説明と謝罪がありました。




幸い、迷惑がかかった人もおらず


私達としては 


大きな問題ではありませんでしたが



Kさんは、失念した主任に対して


ご立腹の様子が伝わってきました。



(土用の鰻。毎年行くお店の鰻が、今年は身が薄くて小さめ⤵️少しご立腹)苦笑




横で申し訳なさげに立つ主任。



(人間だから忙しくて失念する時もあるよね)


という私達の空気の中で



「いつも忙しい中、色々対応して頂いていますので..」



とフォローする発言が出ました。




すると、Kさんが更に語気を強め


「私がいる間、忙しさは絶対に理由にしない、してはいけない、させないと思っています!」


と一言。(シーン...)



私は瞬間的に


(そっか。私たちも、失念した時、忙しいことを理由には出来ないんだな。)


と感じました。



上司のKさんが大切にしている

強い信念は、部下の主任にも

適用されていたからです。

「重い荷物を人々の肩にのせるが、自分は指一本貸さない」



イエスキリストの時代の


宗教指導者たちの姿です。



他者には厳しい律法を課し


守るよう教えるのに


自分は除外している都合の良い姿です。


(注・Kさんのことを指している意味はありません⚠️)



自分の美学

強い信念

こだわり

マイルール


自体は、悪いものではありません。

(リーダーの立場には必要ですね)




でも、他者にも共有してもらう時


相手の事情を思いやれる余裕も


同時に持っていたいなぁと思わされます。




信念やルールを他者と共有する時


適用するのはまず自分から!


誰か、ではなく、私!




忘れずにいたいです。



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。