年老いた母を「背負う」感覚が強くなった今、気付く幸い | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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来週、友人と一緒に旅行に出かける母。



こんな直前になって


JRのチケットを失くしてしまいました(泣)



しかも友人の分も合わせて2人分!



大騒ぎで家中くまなく探しましたが


見つかりません。。。

(私は、冷蔵庫までも探しました!!)


(モカが警察犬だったら匂いで探せたかな?笑笑)



そそっかしい私と違って


母は昔から失くしものも落とし物も


殆どしたことがない人。



自分はそんなことしない、という


自負心もあるので


なかなか事実に向き合えません。



「失くすはずない」

「絶対、〇〇に入れたはず」

「あの時まであった」etc..




結局、私が駅の窓口に行き


紛失再発行してもらいました。



改めて同じ代金を払っての購入。



1年以内に紛失チケットが見つかれば返金



だそうです(苦笑)



「1年かけてゆっくり探せばいいわぁ。家のどっかにあるわ」



と私が言っても


まだ納得出来ていない母でした。



別訳では


「わたしは背負う」




今回のことに限らず


年老いた母を「背負う」感覚が


段々と強くなって来ました。




身体的に背負うのではなく精神的に


です。



助けてあげること

甘えられること

頼られること

実際的な手伝いetc...



これが「背負う」ことなんですね。



母に背負われていた私が


今度は母を背負う。



役割交代の季節に入っているのです。


(先週、雨の後に虹が!いた場所が少し見えにくい場所で残念)



私が年老いた時


身体的に背負ってもらうのは


夫⁉︎子供⁉︎や福祉職の方かもしれません。




でも


精神的な「背負い」は、神様が責任を持って下さるんだ!!


と思うと、何だかふっと楽になります。




「私が造ったがゆえ」って


すごい覚悟のある言葉ですよね。



老いに向き合わされる老年期。



神様に心の重荷を任せて


背負って頂く幸いに生かされましょう!



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。