誰かの不機嫌をスルーするのは冷たいの?〜見張るのは自分の心〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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クリスチャンメンタル心理カウンセラー。

聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。

 

 

今日は長い発信となりそうです。


お付き合い頂ける方はご覧下さい(^^)


Mちゃんのエピソード

春休みに、20年来の友人と会いました。


Mちゃんは、会社員時代の同僚。

 


 

結婚して県外にいますが

 

お互いに大切な存在で

 

ずっとお付き合いが続いています。


(カフェから夕食へとハシゴ)


お互いの近況報告から始まり


Mちゃんの話を聞いていたところ

 

ポツリポツリと話し始めたのが...

 

 

Mちゃんは

 

公開範囲が友人限定のインスタをしています。

 

 

 

ただの備忘録、と謙遜するけど

 

丁寧な暮らしぶりがわかる

 

手料理やインテリアがupされています。

 

 

 

つい先日、トイレの壁紙を

 

こだわりのものに貼り替えた写真を

 

upしたところ...

(私も見ましたが普段どおりの日記でした)

 

 

ママ友のAさんからDMで

 

「ご主人は良いお給料を貰っているんでしょうね」

 

との内容が送られて来たそう。

(そんなこと言う?失礼過ぎ!と驚きました)

 

 

驚きすぎて返信出来ていない、と...

 

 

察するに、かなりショックを受けている様子。


当たり前ですよね。


信頼して公開している人なんだから。

 

(誕生日プレゼントとカードのメッセージに涙)


 

「彼女の方がバリバリ仕事をしているし、良い生活していると思うんだけどな(Mちゃんは専業主婦)

 

 

自分が発信した内容が

ママ友を不快にさせてしまった。



私、悪いことしてしまったのかな...

自慢しているように見えたのかな...

 


Mちゃんは沈んでいました。



 他者の不機嫌に遭遇した時

職場、何かのコミュニティ、友人、家族...

 

 

誰かの不機嫌・不快を見たり

 

今回のMちゃんのように


ぶつけられたりした時

 

 

「私、何か悪いことしたかな...」

 

と気になって


機嫌を取ろうとしたりすること

 

ないですか?

(私も、多々やって来ました)



それは優しさなのでしょうか?



 別訳では 


「力の限り見張ってあなたの心を見守れ」

 

 


私たちは自分の心の状態を見守れば良いのです。


 

他者の心の状態には責任はありません。

 


 

私は以前


目の前で誰かが不機嫌になっているのを無視するのは冷たい


と思っていました。

 

 

だから


話を聞こうとしたり

何か出来ることはないか思案して

今度は自分が疲れてしまう


という茶番劇のようなことをしていました。

 

 

でも、そんなこと


神様は私に求めていないのです。



 

「力の限り見張るのは自分の心」



だとやっとやっと気づいたのです。

(これが一番難しくもあるんですが...)

 


 

だから、他者の不機嫌に

 

自責感を持つ必要も


機嫌をとる必要もありません。

(明確に自分が何かした時は別です)

 

 


逆に私の不機嫌・不快を誰かに何かしてもらう必要もないのです。

 (私はこっちに気をつけなきゃ!苦笑)



心の責任の範囲は自分自身

先ほどのMちゃんの友人も


何かがあって

 

「ちょうどその時だけ」

 

心の荒れた運転をしてしまっただけなのかもしれません。(後で気づいて正直に自分の心を告白して、Mちゃんに謝れたら良いですね)

 


お互い生身の人間だから


機嫌・不機嫌はあるある、です。




でも、心の中で自由に思うことと


その思いをどう取り扱うかを


わきまえていたいですね。




 「問題は彼女の心の中にあると思うよ。荒れた運転をしている状態の彼女の心の車から、Mちゃんは不意に追突されたようなものじゃないんかな。でもそれは彼女の心の問題で、Mちゃんが悪いんじゃないから、スルーしていていいと思うよ」

 


話すうちに少しずつ


表情が柔らかくなったMちゃん。





自戒の意味を込めて


力の限り自分の心の状態を


見張ることの大切さを思わされました。



長い発信を最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは愛されるために生まれた人です。