自分で自分に命令を発動しない〜苦しみに会ったことは幸い〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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クリスチャンメンタル心理カウンセラー。

聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から、出会ってくれてありがとうございます。


今日は聖書の言葉からです。



「苦しみに会ったことはしあわせ」

「あなたの掟を学んだ」


素晴らしい信仰告白です。



でも、この告白は


悲しみと苦しみを自分の中で味わい


その意味を神様から

教えて頂いたあとの告白です。


渦中ではありません。




子供がお友達から

学校でいじめられて

ケガをして傷ついて帰って来ました。



玄関先で迎えた母親が

開口一番に

「お友達と仲直りしてきなさい」

と言うでしょうか?




「お友達を許してあげなさい」

と、泣きべそで

バンソウコウをしている

目の前の子供に対して

言うでしょうか?


言いませんよね。

まずは傷ついた我が子を

ギュッと抱きしめるはずです。




でも、私たちは時々

前出のような言葉を

自分自身に対して言ってしまいます。



本当は悲しかったのに。。。

傷ついたのに。。。



すぐに

和解命令
赦免命令
示談命令を


自分自身に対して

発動してしまうのです。


「大人なんだから波風立てないように」
「感情的になったらダメだ」
「黙って我慢すれば済む」etc...


神様は私たちに

そう命じておられるのでしょうか?


(散歩中、梅が咲いていました!)



勿論、人間関係の問題は

交通事故と同じく

相手だけ100%悪いことは、ほぼありません。



自分だけを被害者にしないことは大切です。



でも、神様は

傷ついた事実があって

まだ傷口の開いている私たちに


すぐに和解しなさい!
出ていって赦しなさい!


とは仰らない方だと私は信じています。




まずは玄関先で

「痛かったね」
「悲しかったね」

と抱きしめてくださり



そのあと

和解の道に自ら進めるように

導いてくださるお方だと信じます。



その愛を受けてこそ

「苦しみにあったことは幸いでした」

と感謝の告白が出来るのです!



私は今


この信仰告白が出来る者へと

変えられました。



それは

「悲しかったんだね。わかっているよ。」

と、神様から抱きしめて頂いたからです!



神様は正論で私たちを縛り、正義を振りかざして導く方ではない


ことを心に覚えましょう。



そして、お互いに

神様が命じていないことを

自分で自分に命じないように

したいものですね。



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。