駆け寄って下さる父の愛〜神様との愛の関係性に生きる〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から

出会ってくれてありがとうございます。


 

先日、ショッピングモールで

背後から駆け寄る足音と共に


「はんな先生!!」

と声をかけられました。

 

 

学校でお世話になっているS先生でした。


 

「わあ!!先生っ!!こんにちは。どこから見つけて下さってたんですか?」


と聞くと



「あっちのお店からよ」とのお答え。



  

少し離れているのに

気付いただけにとどまらず

追いかけて来て下さったんだ。

(私だったらわざわざ走り寄らないよなぁ)

 


立ち話で別れた後も

わざわざ走り寄って下さったこと

が心に残りました。


「駆け寄って彼の首を抱き」


父の財産を持って

散々放蕩した息子が

立ち返って父の元に帰る途上。



遠くから息子を見つけた父の方が

駆け寄って来たのです。



よくドラマで見るような


息子の方が駆け寄って

待ち構えていた父の胸に飛び込む


ではありません。逆の姿です。


(義実家のお墓への道を走って行くmoca)


父が駆け寄ったということは

父が先に見つけた、ということ。



つまり、帰るかさえわからない息子をずっと待っていたのです。



帰って来る方向を見ながら、いつでも迎える準備をしていました。



息子がどんなに放蕩しても

(愚かな親不孝者でも)



○父は腕組みをして怒っていたのでも

○叱責の言葉を持っていたのでもない



ただ、シンプルに待っていた父の愛です。



神様の愛は、この父親の愛。



そして私たちと神様との関係性は

親子の愛の関係性

なのです。



神様との関係が、

手の届かない遥か遠い関係ではなく

親密な親子の関係だなんて

何という幸いでしょうか!



お互い、この愛の関係性の中に

生かされ続けましょう。



(かなり田舎の山の麓にある義実家のお墓に行きました)


最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。