こんばんは。
林修先生が何かのTV番組で中島義道さんを紹介されて以来、中島義道さんについてネットとかで語られているのを結構見るようになりました。
かくいう私は、中島義道さんについては、「ウィーン愛憎」(中公新書、1990年)を初めて読んだとき、結構肌感覚が合う感じで大変面白かったので、これまで数冊読んできました。
今日、タイトルどおり、「働くことがイヤな人のための本」を再読しました。あまりにもストレートなタイトルで、分かりやすいです。
- 働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか/中島 義道
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奥付を見ると、2001年2月19日1刷となっていますので、今から14年前、とすると自分が30歳のとき、今の私のように、当時の私も同じ思いを抱いて、本書を購入したのかなと思いました。
先日、本を整理しているとき、本書の「はじめに」を眺めてみると、登場人物のCさんこそ、私のことかなと感じ、それ以来一気に本書を読み直してしまいました。
つまり、Cさんとは、「金のため妻子のため、それに社会から落後することが恐ろしいために、気乗りのしない仕事を続け」、40歳をこえ、あと20年このつまらない仕事にしがみついて、さらに精気のない老後を迎えるのだろうかと悩む人物です。
本書は、AからDまでの仕事に生きがいを見出せない20代から50代までの4人の人物が中島先生と対談を行うという形式を採っています。
本書は、仕事に関する本でよくある「叱咤激励してストレートに成功へ導く本」でもなく、「成功を目指してアクセク働くことはない、ゆったりした自分らしい人生を歩もうという本」のいずれでもありません。
本書は、現実社会が理不尽なものであることを見据えた上で、仕事に報われていない人こそがこの世の理不尽をしっかりと自覚し、受け入れ、もがき、ため息をつくことに救いがあると説きます。すなわち、報われない仕事を通じて、生きる意味をつかむことができると。
そして、その上で、人生において最も重要で、かつ真実の要にある「死」を見据えて、世知辛い世間で十分に揉まれてきた50歳あたりから、死への準備として哲学的思索を重ねることが勧められます。
「その方向性が見えてきたら、そして手応えを感じ始めたら、むしろあえて閑職につくほうがよい。〔省略〕社会的地位?そんな屁のようなものは、真の意味で豊かな老後という高遠な理想を抱く人には要らない。」(182頁~183頁)という主張は、どこかスッキリ来ます。
「世間的に何か価値ある仕事をなしとげた人は、なんとかその「何か」によって「生」を彩ってしま」い、「死」というこの壮大な不条理を世間的な仕事というガラクタで覆い隠すことに専念すると中島先生は言います(165頁)。
これに対して、「仕事を何もしなかった人は、何もすがりつくものがない。だから、はるかに「死」の不条理を実感することができる。〔省略〕それは、一段高いところから見れば幸せではないだろうか?」と先生は投げかけます。
最後に、私に似たCさんが、自分は「厭だ厭だと言いながら、たぶん今の会社に定年まで居つづけるんじゃないかと思います。〔省略〕でも、お話を聞いていると、自分は生きている、このことを大切にしようと思いました。」と言ったことに対して、先生が「「生きる」という仕事は、ありとあらゆる仕事よりも格段に価値がある。ただ、すべての人が生きているから、この楽しく・苦しく・充実していて・虚しい仕事も評価されないのだね。」と答えたところは非常に印象的でした。
私は、当初、本書は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」にある「山上の木」に近いお話のように読んでいたのですが、最後のあたりを読むと、新約聖書マタイの福音書にある「山上の説教」に近い印象を持ちました。このような印象自体、中島先生からは的外れと指摘されるかもしれませんが。
中島義道先生のご本、また読んでみようと思いました。