ドストエフスキー「地下室の手記」を読む | しゃんのインドアライフ

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こんばんは。


ドストエフスキー「地下室の手記」(安岡治子訳、光文社古典新訳文庫)を読み終えました。


この6月は検定試験等に追われ、なかなか落ち着いて本を読むことができなかったので、久々に読書という読書をした気分です。


ドストエフスキー「地下室の手記」は、かなり以前に新潮文庫でトライしたことがあったのですが、途中で挫折した経験があり、今度は光文社古典新訳文庫(285頁)でトライしてみました。そして、今度は完走することができました。



私のドストエフスキー遍歴(遍歴というまでには至っていませんが。)は、「罪と罰」(二読)、「カラマーゾフの兄弟」、「白痴」というもので、今回の「地下室の手記」は4冊目になります。それぞれストーリーの詳細は覚えていないものの、読後感はかなり深く印象的でした。

そして、今回の「地下室の手記」も胸にズシンと来ました。


「地下室の手記」の書出し、「俺は病んでいる・・・・・・。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。」というところから、もうドストエフスキーの世界です。


本作品の主人公は、中年の元小官吏ですが、かなり自意識の高い人です。


この元小官吏は、理性万能主義でなく、人間の人間らしさを愛する小市民であるにもかかわらず、社会や他人とうまく適合することができず、他人や社会に怒り、恨み、攻撃するものの、結局は敗れ、自己嫌悪に陥っていく連鎖の中にいます。


ドストエフスキーならではの克明な彼の心理描写を読み進めていくうち、ほんとにどうしようもないヒトだなと思えてきます。


ですが、最後の最後になって、その元小官吏から読者(私)に向け、「俺はただ、自分の人生において、物事を極限までとことんまでやってみたいだけさ。あんた方はその半分もやってみる勇気がなかったし、[省略]、だから、たぶん俺のほうがあんた方より、《ずっと生き生きしている》ことになるのさ。」と言われたときは、正直この元小官吏に負けたと思いました。


本作品を読んで、「生き生きしている」ことの意味について、改めて考えてみないといけないなと思いました。

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