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 「五日市憲法草案之碑」↓。右は「建碑の辞」を記す碑。〔五日市中学校、校舎わき隣接地。2026年9月撮影〕

 

 

 

 

 

『五日市憲法草案』(通称) の第1頁。目次を記す。発見当時は人権に

関する先進的な条文が注目を集めたが、いま改めて見ると、

「国帝」(天皇)に関する詳細な「第1篇」の分量も多い。のちに

制定される「皇室典範」を「憲法」冒頭に組み込んだ形だ。

〔あきる野市五日市郷土館展示。2026年10月撮影〕

 

 

 明治政府が東アジア初めて (アジア全体では2国目) の国会開設を約束した 1880年代、全国津々浦々で続々と憲法草案が作られた。奥多摩・秋川の奥に、風に吹きよせられるように全国から集まった青年たちの民権サークルから 1881年、「五日市憲法草案」が全国に先駆けて生まれた。が、宮城県出身、当時 29歳の千葉卓三郎が起草した・この草稿は、自由民権運動の退潮後 90年近く土蔵の奥深く眠ることとなる。1968年に再発見され、折から政治・社会改革に関心を寄せていた多くの人びとの注目を集めた。

 「五日市憲法草案」が発見された土蔵の場所を調べたところ、あまりの山奥なので驚いた。「草案」とともに、「憲法」その他政治問題をめぐって多くの民権青年が討論した記録が発見されたが、こんな場所にどうやって集まったのだろうと思うような、谷すじの最奥集落なのだ。官憲の介入を避ける隠れ家として、ここは最適だったのかもしれない。武蔵五日市駅から歩くより、御岳山から下りて来たほうが早いくらいだ …… というわけで、登山を兼ねた史跡訪問とは相成った。


 御岳山から日の出山に上がり、五日市へ向かう「金毘羅尾根」の中途から谷間へ降りることにする。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 

 

 れいによって、ケーブル「御岳山」駅から出発。関東ではひと月ぶりの晴天だ。駅の広場から「川苔山」方面がよく見える:

 

 

 

 

 

 「御岳神社」の宿坊街へ向う。

 

 

 

 

 


 ここで、神社への道(右)と岐れる。なぜか、みな神社のほうへ登っていく。ご苦労様なことだ。こちらは、どんどん下る(^^♪

 

 

 

 

 

 「御岳」の宿坊街のなかを曲がり曲がり、下へ降りていく。この突き当りは左↓。

 

 

 

 

 宿坊の垣根にシュウカイドウ(秋海棠)が咲いている↓

 

 

 

 

 

 尾根伝い、スギ,ヒノキ林のなかに広い路が続く。シデ,ホオノキなどが混じっている。

 

 

 

 

 木の間に、「日の出山」のピークが顔を出す。

 

 

 

 


 

 

 後ろ向きの鳥居をくぐる。「御岳神社」の鳥居なのだろう。すぐ先で岐れ道になっている。右は「日の出山」をまく巻き道。左は登りになって「日の出山」頂に達する。スギ,ヒノキ林から、コナラ,シデ,クリ,アカマツなどの自然林に変わる。

 

 

 

 

 「日の出山」頂に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 谷越しに「御岳山」が見える。

 

 

 

 

 いちばん右の峰に見えるのは、「御岳神社」の拝殿。長い階段を昇ったところにある。

 

 

 

 

 左奥の尖った峰が「奥の院」。

 

 

 

 

 右から、「奥の院」峰、「鍋割山」、「芥場峠」の峰↓。

 

 

 

 

 「大岳山」も見える〔黄矢印〕。その左は「馬頭刈 まずかり 尾根」だろう。

 

 

 

 

 南に眼を移すと、これから下る「金毘羅尾根」方面と養沢川の谷間〔右〕↓。尖った山は「麻生山」。

 

 

 

 

 

 山頂に別れを告げて、「金毘羅尾根」方面へ下る。

 

 

 

 

 「養沢鍾乳洞」を経て「上養沢」へ下るエスケープ・ルートが、今は崩壊で通行禁止になっている。鍾乳洞も閉鎖されたらしい。

 

 

 

 


 

 

タイムレコード 20261009 [無印は気圧高度]
 0918「御岳山」駅[837mGPS] - 0935「御岳神社/日の出」分岐[853mGPS] - 1000まき道分岐[778m] - 1018「日の出山」頂上[904m 902mMAP]1055 - 1107まき道合流[799m=GPS] - 1117「養沢鍾乳洞」分岐[752m] - (2) へつづく。

 

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