盛岡西郊「七ツ森」のすぐ南にある「松森」と「塩ヶ森」、この2つの丘に昇っていなかったので、落穂ひろい。そのあと雫石川をダムで堰き止めた「御所湖」岸に立ち寄って雫石駅まで歩いてみた。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「塩ヶ森」というバス停があるので降りると、国道「秋田街道」の右手に「松森」、左手に「七ツ森」の最高峰「生森 おうもり」が、見える。
「松森」↓。
「生森 」↓。
国が「イーハトーブの風景地」に指定している「七ツ森」は、「秋田街道」の北沿いにある「三手ノ森」「三角森」「鉢森」「勘十郎森」「稗糠森」「石倉森」「生森」の七つだが、現地にはこれら以外にもピークがたくさんある。「秋田街道」南側の「松森」「塩ヶ森」もそうだが、北側の「田沢湖線」沿いには、三角点のある無名ピークもある↓。その左の丘もかなり大きいが無名のままで、なぜか国の指定から漏れている。
「無名の丘」↓、1950-60年代の古写真。〔儀府成一『人間宮沢賢治』,1971,蒼海出版,口絵図版〕
じつは、宮沢賢治が『春と修羅』で「七ツ森」として描いているのは、「田沢湖線」の車窓から順々に見える丘陵群で、「三手ノ森」「石倉森」「生森」は含まれているが、ほかの国指定ピークは、そちらからは見えないのだ。旧文化庁の役人は、宮沢賢治をろくすっぽ読んでいない。「無名の丘」は、賢治のほうでは「七つ森・第四梯形」と呼んでいるのがそれのようだ:
『 第 四 梯 形
1923.9.30.
〔…〕
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四伯林青 べるりんせい スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに
そらのバリカンがそれを刈る
(腐植土のみちと天の石墨)〔…〕』
宮澤賢治『春と修羅・第1集』「第四梯形」 .
馬の背のような「無名丘」の尾根の起伏と、植生を刈り払われた当時のようすが如実に描かれている。
さて、国道から南に折れると、左の「松森」,右の「塩ヶ森」の間のタワに道路は向う:
「塩ヶ森」↓のほうが少し高い。ピークもやや尖っているようだ。
両ピークとも、登山道はないから、YAMAP の記録を見て、先行者の踏み跡の多いところから斜面に踏み込むとしよう。
道路は、タワのピークを越えて下りにかかった。もうすぐ、御所湖畔の平野に出てしまう。
↓振り返る。
このへんがいいだろう。 「塩ヶ森」の斜面に入っていく。ホオノキ,クリ,ミズナラが多い。ほかに、ヤマモミジ,イロハカエデ,ウリカエデ,ヤマザクラ,ムシカリ,アカマツ,スギなど。東北の森は、林床のヤブが少なくて歩きやすい。
振り返ると、道路が下になっている:
頂上に近づくと、モミとカラマツが増える。20分ほどで「塩ヶ森」頂上に着いた。三角点標石がある。
頂きは、喬木の自然森のなかにあって、展望は無い。
ヤマボウシが実を付けている。
下の道路まで戻る。
御所湖方面の平野に出てみると、「箱ヶ森」と「紫波山塊」の山々が見える。↓中央が「箱ヶ森」。その右は、「毒ヶ森」のようだ。「南昌山」は、「毒ヶ森」の脇にちょっとだけ覗いている。
タイムレコード 20260925 [無印は気圧高度]
1241「塩ヶ森」バス停[192mGPS] - 1242国道別れ[194mGPS] - 1300車道から斜面に入る[204m] - 1308尾根上に出た[228m] - 1312小ピーク※[238m] - 1321「塩ヶ森」頂上[276m 271mMAP]1330 - 1340小ピーク※ - 1348車道戻り[203mGPS]1407 - (2) へつづく。
I feel you linger in the air



























