赤線は、2026年3月11日の軌跡 .
青線は、2026年4月8日の軌跡 .
「釈迦堂口やぐら群」は、「釈迦堂切通し」のトンネルをまたぐ尾根上にあるため、崩壊が著しく、ながらく通行止めになっている。このたび、一部の補修工事と発掘調査がすんだので、期間限定公開となった。
このあたりは「衣張山」につづく丘陵斜面で、「釈迦堂口やぐら群」のほかにも「やぐら」は多い。そのうち2か所の探索を、同時に収録するとしよう。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「名越」バス停から大町の奥へ入っていくと、道は二手に岐れる。直進すれば「釈迦堂口切通し」、右折して登っていくと丘陵上の「やぐら群」に至る。当日は、まず右手へ行って、限定公開中の「やぐら群」を見学してから、分岐まで戻って「切通し」へ回った。が、先に「切通し」を見てもらったほうが解りやすいので、ここでは順序を変えたい。
「切通し」の奥にトンネルが見える。トンネル付近は現在も通行止めで、白い柵が塞いでいる。
トンネルの上に「やぐら」穴が3基見えるが、床面が無い。この周辺の「やぐら」群が築かれたのは 13世紀後半~14世紀前半、トンネルは明治以後の掘削と推定されている(⇒:鎌倉市HP/市教委オンラインガイド)。切通し全体も、最終的には明治以後に現在の幅に切り取られたもののようだ。トンネル上の「やぐら」は、切通し・トンネルの掘削によって、床面が崩落してしまったらしい。……つまり、トンネルの上崖に「やぐら」を掘ったのではなく、もとは尾根上に築かれた「やぐら」群の一部が、後代の切通し・トンネル掘削によって露出し、現在の景観になった、ということらしい。
右2つの「やぐら」穴を拡大↓。隔壁部分が少し張り出しているので、もとは袖付きの「やぐら」だったのかもしれない。
分岐点まで戻って、「やぐら群」のある遺跡地――今回の公開場所――へ向かう。
ハクモクレンが満開だ。
坂を昇っていく。もとは、こちらの石段が「遺跡」への登り口だったようだが、現在は閉鎖されている↓。
「遺跡」の手前から、導入路沿いに「やぐら」が現れる。袖無し。ただし、市教委オンラインガイドの説明によると、入口の崩落によって袖が無くなってしまったものもあるようだから、即断は禁物かもしれない。
公開された遺跡地は、まず広々とした「平場」に出る。「平場」の周囲にも「やぐら」が幾つもある。この遺跡地全域で 64基の「やぐら」が確認されている。
「平場」を上から見る↓。
丘陵斜面を削平して「平場」と「雛壇」を造成したのは、「やぐら群」が造られたのと同じ 13世紀後半~14世紀前半のことで、その後 15世紀までの建物遺構、火葬跡などが発掘された。「平場」には、石組み、玉石敷き、泥岩の舗石が敷かれ、仏堂などの宗教施設があったと推定されている。「平場」の周囲の「やぐら」群を、左(西)から右(東)へ見ていこう。最西の「やぐら」:
「やぐら」内には、それぞれ五輪塔がたくさん据えられている。
右の「やぐら」穴↑は、片袖が確認できる。「平場」西の「やぐら」群は、これらの奥(北側)にも1基、袖無しの「やぐら」がある:
「平場」中央奥の「やぐら」群↓。階段は、尾根上の「やぐら群」へ昇る導入路。その右上に、崩壊しかけた「やぐら」がある:
右壁から奥の室に通じている。奥の室は行き止まりで、外部には通じていない。
「平場」奥やや右の「やぐら」。掘りかけのような浅い「やぐら」と、大きめの「やぐら」がある:
タイムレコード 20260311 [無印は気圧高度]
1218「名越」バス停[7m現地標識]- 1230分岐点*[27mMAP] - 1238「釈迦堂口やぐら群」入口平場※[58mMAP]1252 - 1307「日月やぐら」[63mMAP]1318 - 1332入口平場※1345 - 1353分岐点* - 1355「釈迦堂切通し」トンネル前[46mMAP]1403 - 1408分岐点* - 1420「名越」バス停 。
踏査記録⇒:YAMAP
The Heart Killers


































