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 『小岩井農場』は、全591行8082字からなる宮沢賢治の長篇詩です。パート1,2,3,4,7,9 に分かれますが、著者が出版前に没にしたパート草稿まで含めれば、軽く 1000行を越えます。こんなに長い詩は、日本ではアイヌのユーカラを除けば珍しいと思います。

 

 『小岩井農場』は、「心象スケッチ」「歩行詩」ともいわれるように、著者〔花巻の「稗貫農学校」教員〕が休日に「小岩井」駅から「農場」の北端付近まで歩き、そこで驟雨に遭って、また駅へ向って戻る途中までの周囲の風景と「意識の流れ」を歩きながら記録する体裁で書かれています。「体裁で」と言うのは、「歩行メモ」そのままではなく多少の編集・変形・創作を含んでいるからです。賢治は、この詩を書くために少なくとも2回の農場行きを行ない、それらの体験メモを1回の行程のように編集していることが、これまでの詳細な研究で明らかにされています。

 

 賢治の行程は、現在の「まきば園」よりも約 2km 北まで達しているのですが、今回は「まきば園」から「小岩井駅」まで、賢治の路をなぞることにしました。あいにくの曇りでしたが、賢治も曇りの日が多かったらしく、晴れれば真正面に見えるはずの「岩手山」が、この詩にはまったく出てきません。晴天時の風景は、過去に何度か撮していますので、比較資料として適宜お見せしたいと思います。

 

 

『   パート一


 わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
 そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
    
〔…〕


    パート二


 たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
 雨はけふはだいじやうぶふらない』

宮澤賢治『小岩井農場』「パート1」「パート2」より .  

 

 

 「パート1,2」の冒頭部分から採りました。このように、詩のなかでは天候は、雲の多い晴天のように描かれています。「たむぼりん〔タンバリン〕」の音というのは、遠雷と思われます。遠くに積乱雲がある。しかし、賢治が「小岩井」駅から歩行を始めた時点では、まだ雨になる気配はなかった、ということです。

 

 なお、当時〔1923年4月〕は、ようやく盛岡に測候所ができて気象観測が始まったばかり。天気予報などは無い。テレビはもちろん,ラジオ放送もまだ無い時代です。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 


 

 上で述べたように、賢治は、現在の「まきば園」〔もちろん、こんな観光施設は当時はありません〕よりも北のほう、↑地図の上端より上まで行っているのですが、どのへんを通過したのかというと、正確には判りません。というのは、このあたりで道に迷ってしまったようすが、詩にも書かれているからです。それでも、↓つぎの部分は手がかりになります:

 

 

『もう育牛部の畜舎がみえる。
 牛は出てゐない。
 また畜舎の中に居るのかどうかもわからない。
 から松の緑の列や畑の茶いろ。
 しんとしてゐる。
 日光の底といふものはいつでもしんとしたもんだ。

宮澤賢治『小岩井農場』草稿「第5綴」より .

 

 

上丸牛舎地区(旧「育牛部」)。

 

 

 「育牛部〔上丸牛舎〕」は、現在も当時と同じ場所にあって、明治~大正時代のサイロや畜舎が文化財指定されています。それが「まきば園」のすぐ西隣りで、「まきば園」の入場チケットで観覧できます。今回はチケットを買わなかったので、まえに訪れた時〔2023年6月〕の写真を出しておきましょう。

 

 

上丸地区、1,2号サイロ。1907,08年建築。レンガ造りで、

現存する日本最古のサイロ。1980年頃まで使用されていた。

 

上丸地区、2号牛舎。1908年建築。現在も現役。

 

 

 

「上丸牛舎」地区の奥にある「賢治詩碑」。『小岩井農場』の一節が

刻まれている:

 

 

『すみやかなすみやかな万法流転のなかに
 小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
 いかにも確かに継起するといふことが
 どんなに新鮮な奇蹟だらう』

宮澤賢治『小岩井農場』「パート1」より .  

 

 

 さて、前記の引用に戻りますと、

 

 「育牛部の畜舎」が見える場所、牛が外に出ているかどうかが分かる場所――ということは、賢治は「まきば園」付近を北へ歩いて行ったことになります。現在は牧野風の草地になっていて、SLなどが展示されています↓が、当時は、牧草と飼料畑,そしてカラマツの防風林が混淆していたようです。

 

 

 


 

 「まきば園」前から、レストラン/売店のわきを通って南へ向かいます。賢治の往路を逆に歩くかたち、復路と並行するかたちになります。農場員の寮があり、畑があります。

 

 

 

 

 

 ↓つぎの一節は、このあたりの情景であったと思われます。道に迷ってしまった賢治は、ちょうど行き会った農場員の一団に時間を聞いています。「正午の鐘」が聞こえたことから、おおよその現在地の見当をつけているのです

 


『向ふから農婦たちが一むれやって来る。
 実にきちんと身づくろってゐる。
 みんなせいが高くまっすぐだ。
    
〔…〕
 そらがずゐぶん重くなった。
 けれども真っ白に光ってゐる。
 耕耘部の方から西洋風の鐘が鳴る。
 かすかだけれどもよく聞える。
 もうみんな近くにやって来た。
 聞いて見やうおれは時計を持たないのだ。
 (あの鐘ぁ十二時すか。)
 「はあそでごあんす。」
 みんながしづかに答へてゐる。
 これではまるでオペラぢゃないか。
 動き出した彫像といふやうに
 しづかにこっちを見やりながら
 正しくみんな行き過ぎる。
 鐘の方へ歩いて行く。
 端正は希臘に属し、時間のあかるさ。
 もう育牛部の畜舎がみえる。
〔…〕

宮澤賢治『小岩井農場』草稿「第5綴」より .

 

 

 「耕耘部」は、もう少し南の「中丸」地区にありました。これから、そこへ向かいます。農場に時を告げる「鐘」は、「耕耘部」事務所の軒に掛かっていました。当時、「小岩井農場」では、農場員の妻や娘も農耕作業員として働いており、正午になると、このように、昼食のために耕地から「耕耘部」の食堂へ、集団で移動していたのです。

 

 

 

 

 現在の寮と畑を過ぎると、バス通りに並行する車道に出、道は、スギアカマツクリ,ホオノキ,イタヤカエデの林の中を、真っすぐに南へ向かいます。ほとんど車が通らないので、道の真ん中を歩いて行けます。両わきに、フキが茂っています。

 

 

 

 

『  林と思想

 そら、ね、ごらん
 むかふに霧にぬれてゐる
 蕈
 きのこ のかたちのちいさな林があるだらう
 あすこのとこへ
 わたしのかんがへが
 ずゐぶんはやく流れて行つて
 みんな
 溶け込んでゐるのだよ
   こゝいらはふきの花でいつぱいだ』

宮澤賢治『春と修羅』より「林と思想」 .

 

 

 

 


 ↑白藤かと思いましたが、葉の形〔先が、細く尖らない〕がフジとは少し違います。ハリエンジュだと判明。

 

 

 


 林から出ると、急に明るくなります。旧「耕耘部」への未舗装路が右に岐れるので、そちらへ行ってみます。

 

 

 

 

 

 旧「耕耘部」事務所。「鐘」が掛かっていたのは、ここなのでしょう。

 

 

 

 

 

 森蔭に見える↓この建物は、「四階倉庫(四階建倉庫)」と呼ばれる古い建物で、収穫した飼料用穀物やトウモロコシを脱穀・皮むき・乾燥するための施設でした。工程を終えた穀物を順々に下の階へ落としてゆく流れ作業で、効率を上げていたそうです。

 

 

 

 

 

 1916年に新築され、賢治の当時にはまだ真新しく、周囲の建物・樹木よりもひときわ高い・亜鉛メッキ鉄板葺きの屋根が、ピカピカに光っていました。賢治は、↓こう描いています。

 

 

『そら、もう向ふに耕耘部の
 亜鉛の屋根が見えて来た。光ってゐるぞ。亜鉛だぞ。
 キップ装置の亜鉛じゃない
 澄み切った気圏の試験管の
 光の底の
 亜鉛なのだ。』

宮澤賢治『小岩井農場』草稿「第4綴」より .

 

 

 じっさい、この建物は当時、岩手山の上からも、日光を反射して光っているのがよく見えたそうです。

 

 つまり、賢治としては単なる叙景ではない。当時としては驚くほど合理的な、省力化を追求した「小岩井農場」の農作業にたいする讃嘆が、この詩句には込められているわけです。賢治がこの農場の風景を、「どんなに新鮮な奇蹟だらう」とまで称賛しているのは、たんに景色がきれいだということではなく、すべてを膨大な人力と手作業だけで遂行するほかなかった当時の東北農民の境遇と比べて、あまりにも合理的で進歩的な・輝くような「小岩井」の農業に向けられた賛辞であったのです。

 

 さて、「耕耘部」を過ぎると、つぎに現れるのは「小岩井小学校」の跡です。戦後に新築された建物が、現在もそのまま残っています。

 

 

 

 

 

 

 「小岩井小学校」は、農場員の子弟の教育のために農場が設けた私立小学校でした。こういう点にも、合理的知性を備えた労働力を育成するとともに、労働者の文化的な豊かさにも配慮を向ける「農場」の姿勢が現れていました。そのことを、賢治が強く意識していたことは明らかです。賢治の表現はあまりにも詩的で、このような現実的な考察は読み取りにくいのですが、『小岩井農場』の詩句を紙背に徹して読むと、それは浮かび上がってきます。

 

 次回は、私のそうした深読みを記してみたいと思います。

 

 

 

 

 

「小岩井小学校跡」前にあるブナの純林。戦後のエコロジー・ブーム

のなかでの試験的植栽と思われる。2枚目以下 2017年5月撮影。

 

 

『風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。』

宮澤賢治『虔十公園林』より .

 

 

 

 

タイムレコード 20260603 無印は気圧高度。
 1135「小岩井農場・まきば園」入口ゲート[306mGPS] - 1146車道合流[300mGPS] - 1203「耕耘部」への分岐[284mGPS]1215 - 1253「聖なる地点」下の細道分岐[255mGPS]1257 - (2) へつづく。