「等持院」は「天龍寺」の系列の禅寺で、足利尊氏の墓がある。そのことから分かるように夢窓疎石とも関係が深い。が、建立の経緯は複雑であるようだ。
室町幕府開創期の 1338-41年頃に柳馬場御池〔現・京都市役所近く〕に「等持寺」が建立された。ここは、その別院として 1343年に建立され、当初は「北等持寺」と呼ばれた。柳馬場御池の「等持寺」については、尊氏を開基とする説と、弟直義を開基とする説がある。開山についても、夢窓疎石とする通説と、それを否定する異説がある。異説によれば、観応の擾乱〔1350-52 直義 vs 尊氏・高師直の内紛〕の後で、「等持寺」を没収した尊氏が大改築を行ない、寺伝も改ざんして直義派の跡を消し、夢窓疎石〔1351年没〕を開山にしてしまったのだという。
応仁の乱で本寺の「等持寺」は荒廃したため、別院の「等持院」が「等持寺」を吸収する形で合併したが、その「等持院」も戦国の戦乱で衰微していった。豊臣秀頼以降、江戸幕府の援助を受けて、当地の「等持院」が再興された。現在の建物はすべて江戸時代の新築または再築。
現在「等持院」には、「心字池」庭園,「芙蓉池」庭園という2つの池泉回遊式庭園があり、いずれも夢窓疎石作と伝えられている。が、上記の創建異説を考慮すると、そのあたりは微妙になる。ただ、開山が夢窓疎石でないとしても、彼の弟子僧がその後の住持の多くを占めるようになり、「等持院」が夢窓派(天龍寺派)の寺院として確立する過程で、庭園も夢窓疎石の作風に倣って整備された、ということはあってもおかしくない。
「方丈」↓
「心字池」庭園↓
ちょっとした角度の違いで表情が変わるのがおもしろい。
方丈の縁に接して石庭もある:
「芙蓉池」庭園↓
後ろは、「立命館大学」の建物。
足利義政お気に入りの茶室「清漣亭」。江戸時代初期に再建。
池畔には石も多いが、「天龍寺」のような典型的な夢窓流庭園(?)とは趣きが違うような気がする。石の形が整いすぎているのかもしれない。こちらの「芙蓉池」庭園は 1935, 39年に修復されている。そのせいなのかどうかは分からない。
庭園の見学は済んだので、近くにある「雙ヶ岡 ならびがおか」に昇っておきたい。「仁和寺」の門前を過ぎる。
知らなかったが、「仁和寺」はずいぶん大きな寺だ。寄ってみたいのはやまやまだが、境内も広そうで、ゆっくり見ていると夕方になってしまう。またの機会としよう。
京福電鉄「御室 おむろ」駅。駅舎も駅名の額も凝っている。
「雙ヶ岡」は、京都市街の真ん中でこんもりと茂っているので、目立つし気になる高まりだ。双子の丘に見えるが、ピークは3つあるらしい。前方後円墳ではないが、「一の丘」の頂上付近は円墳で、「三の丘」付近には群集墳がある。
麓からの比高は 50メートル程度。あっというまに「一の丘」頂上に着いた:
「一の丘」頂上から西の展望:
真下の丘は、地形図↑を見ると、「文徳天皇陵」とその向こうの標高 97メートルの無名峰であるようだ。奥に、「小倉山」と「嵐山」が見える。
北側に、さきほどの「仁和寺」が見える↓。
西方から次第に南へ視野を移していくと、京都市の西郊が長岡京~山崎まで広がっている。
ピークから少し下りたところに、「清原真人夏野公墓」という石柱がある。「清原真人夏野」は平安初期の貴族で、「清原真人」が氏で「夏野」が名。舎人親王の子孫で皇族だったが、臣籍降下を桓武天皇に願い出て、この4字姓も自分で考案して認められた。舎人親王は『日本書紀』の編纂総裁者として有名だが、夏野も『令義解』『日本後記』などの編纂に加わっている。藤原氏全盛の時代に右大臣にまで昇ったのは、それだけの力量があったからだろう。
しかし、この墓標は後世の付会で、「雙ヶ岡」の南西麓に「清原真人」氏の邸宅〔現在の「法金剛院」〕があり、夏野は「雙 ならび ヶ岡大臣」とも呼ばれたので、その頂上の古墳が夏野の墓だとされてしまったらしい。じっさいには、古墳時代後期〔6世紀後半~7世紀初頭〕の豪族首長墓。当時この一帯を根拠地とした秦氏 はたし の一族ではないかという。
石柱のあたりからピークを撮すと↓、たしかに円墳の形をしている。「雙ヶ岡1号墳」という。玄室の発掘も行われ、金環,石棺破片などが出土したが、崩壊防止のために埋め戻されている。
「二の丘」に向かっていくと、「遠見の広場」という場所があって、東側を展望できるように樹木を伐ってある。右が比叡山(四明岳)。左に2峰重なっているのは、水井山と横高山。
「二の丘」頂上↓。展望はない。
「三の丘」のほうへ少し下ると、自然石の露頭がある。
鞍部まで下ると、「三の丘群集墳」の説明版がある。6世紀末~7世紀初頭、古墳時代終末期の小古墳の集合で、「1号墳」から「16号墳」まで、おびただしい数の墳墓が検出されている。被葬者は、「一部支配階級ではなく、より広範な階層の人々」だ。たしかに、鞍部の地形は、円丘上の起伏が多いが、どれが古墳なのかは見分けられない。
「三の丘」頂上↓。
タイムレコード 20260516 [無印は気圧高度]
(1) から - 1249「等持院」山門[72mMAP] - 「等持院」庭園1325 - 1349「仁和寺」門前[76mMAP]1354 - 1407「一の丘」[116mMAP]1424 - 1445「二の丘」[104mMAP] - 1457「三の丘」 - 1505「花園扇野町」バス停[43mMAP]。
踏査記録⇒:YAMAP







































