「立命館大学」前で出発する時に記録のスタート・ボタンを押していなかったことにあとで気づき、「龍安寺」のあとで押したので、そこから先だけの記録になっている↓。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「立命館大学」行きの市バスを終点で降りると、行く手に見えるのが衣笠山。乗客の大部分は外国人観光客で、山のへりを巻いて「龍安寺」へ向かう。なぜ乗り越えて行かないのか?「そこに山があるからだ」と宣うたのは彼らではなかったか?
「衣笠山」の斜面は、アラカシ,アカマツ,ソヨゴ,クリ,コナラなどの自然樹林。シダ類の下生えも多い。尾根に出ると、路は平坦になる。
「衣笠山」頂↓。201メートル。
東方に展望が開けている。正面は比叡山。市街地のなかの丘は「船岡山」。左手前に鹿苑寺の金閣も見える。
西方も、木の間越しに展望がある。右手の峰は「嵐山」の連なり。市街地のなかの丘は名称不明の 97メートル峰、その向こうに「広沢池」が隠れている。
衣笠山頂から西側への下りは、やや急坂。斜面の路脇に「龍安寺」の石標が見える。ここはすでに「龍安寺」の所有する山林。
ゆく手に石垣が現れる↑。石垣と石畳の道になり、さらに下っていくと、陵墓の拝所がある↓。「龍安寺」の背負う裏山全体が、いくつかの天皇陵の集合体になっているようだ。
↑「堀川天皇陵」と「一條天皇陵」の拝所。さらに下ってゆくと、「後朱雀天皇」の皇后・陽明門院陵の拝所↓
「龍安寺」に、裏から入る。裏から入るなという立て札があるが、閉鎖してはいない。出るときに受付で拝観料を払えばよいのだ。有名な「方丈庭園」(枯山水の石庭)には、今回は行かない。表てにある「鏡容池」庭園は夢窓疎石〔1275-1351〕の作庭とする説もあるようだ。「龍安寺」じたいは室町時代 1450年の建立だが、一帯は平安時代から「円融寺」境内→徳大寺家の山荘、と変遷してきた。寺の「方丈」内部にある石庭はともかく、池周辺の造園に夢窓疎石の手が加わった可能性もありえなくはないだろう。そこを見ておきたい。
回遊式庭園で、池はおもに南側(表て側)から眺めるようになっている。裏から来たので、まずは、木の間越しに森蔭から水面を見ることになる。
池の北岸に「湯豆腐屋」がある。値段が高いので食べたことはないが、そこの庭に入りこむと池の眺めがよい。
スイレンが咲いて夢のようだ。
池庭には付きものの石は、「鏡容池」では目立たない。しかし、回遊してみると、森蔭に数々の秀麗な石が据えられている、もしくは自然のまま置かれている:
池の南岸に回る。北岸の「大珠院」が見える。
右の島は「伏虎島」。↓「水分石」:ふつうは滝の石組のなかにあって、水流を分けるものだそうだ。池の中にあるのは珍しい。
山門。
全体的な印象としては、「龍安寺」の「鏡容池」庭園は、夢窓疎石の他の作庭とは趣が違うようだ。たとえば「天龍寺」の「曹源池」庭園は池畔にも背景斜面にもぎっしりと石が据えられていて、池はそれらと一体の景観をつくっている。が、ここでは池の水面〔睡蓮を浮かべている〕と樹林が主役で、池畔の斜面を強調する演出はない。
そこで次は、夢窓疎石の作庭との説がもう少し有力な「等持院」へ向おう。
「等持院」山門前に到着。
タイムレコード 20260516 [無印は気圧高度]
1020「立命館大学前」[80mMAP] - 1108「衣笠山」[201mMAP]1353 - 1123「堀川/一條天皇陵」拝所[120mMAP] - 1146「龍安寺」通用口[90mMAP] - 1227「龍安寺」山門[88mMAP]1230 - 1249「等持院」山門[72mMAP] - (2) へつづく。


































