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 京都の「嵐山」は標高 382メートルの立派なピークだが、ふつうに「嵐山へ行く」と言うと、山へ登る人はほとんどいない。この一帯の桂川の沿岸風景を見に行く観光が大部分だ。今回の私の目的も嵐山登山ではなく、北岸の「天龍寺」庭園の観覧に尽きる。

 

 が、それだけでは時間が余るので、「天龍寺」背後の「小倉山」を越えて嵯峨に下り、いつもの嵯峨野歩きでは時間切れになってしまう「大覚寺」境内の「大沢池」をゆっくりと周回することにした。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 天龍寺」観覧を予定した 21日は連休前の土曜日で、「嵐山」の「渡月橋」周辺は猛烈な混雑が予想される。風景の写真も撮れないと思うので、まずは前日夕方に川沿いだけ見ておくことにした。南岸の「阪急嵐山」駅に降り立つ。

 



 

 

 渡月橋↑。嵐山↓。昔は松林におおわれ、白砂青松の景勝地だったそうだが、人が山に入らなくなったので植生が照葉樹林に変わってしまった。今のほうが、縄文以来の日本の風景なのだろう。

 

 

 

 

 渡月橋の上から望む↓。正面の丸い山が「小倉山 おぐらやま」。

 

 

 

 

 

 翌朝は、予報どおりに、よく晴れた。「嵐電嵐山 らんでんあらしやま」駅を出ると、もうこの混雑だ。

 

 

 

 

 

 天龍寺」は、南北朝時代の 1339年に足利尊氏が北朝・光厳上皇の院宣を得て、後醍醐天皇〔同年没〕の菩提を弔うため建立した。「天龍寺船」による日元貿易で建築資金を補った。敵対関係にあった後醍醐のための菩提寺建立を尊氏に強く勧めたのは禅僧夢窓疎石で、疎石が開山となった。


 建立以前は、ここは大覚寺統〔後醍醐ら南朝の皇統〕の離宮で、大覚寺統が南朝・吉野に去って留守になった離宮を寺院に改造したことになる。「天龍寺」の寺域は、創建時には広大で、夢窓疎石は境内の名勝地を「天龍寺十境」に数え上げたが、そのなかには桂川にかかる「渡月橋」も含まれていた。「十境」のうち、当時の姿を現在まで伝えているのは夢窓疎石が築庭した「曹源池庭園」で、嵐電側から入ると「大方丈 だいほうじょう」の裏側にある。

 

 

 

 


 池の岸と周囲の斜面に配された多数の石が、借景の嵐山以下の丘陵風景とあいまって、独特の世界を形造っている。天龍寺の庭園は、夢窓疎石の作庭のなかでも晩年の円熟した境地に属するものだそうだ。

 

 

 

 

 


 「大方丈」の縁から、池・中央奥の石群を拡大して撮してみる。

 

 

 

 

 

 


 漫然とただ眺めても、夢窓疎石の作庭について知れるところはない。ただ、このあと「小倉山」を登っている時に思いついたことがある。それはまたその箇所で記すことにしよう。Wiki によると:

 

「曹源池の名称は疎石が池の泥をあげた際に池中から[曹源一滴]と記した石碑が現れたところから名付けられたという。」

 

 この逸話から考えると、池じたいは、大覚統の離宮だった時代からあったものかもしれない。

 

 池岸から少し離れると、苔むした土面が波打ち、さまざまな形象の石を埋め込んだ景観が、この庭園の基想であるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 庭ばかり撮していたが、もちろん「天龍寺」には多数の堂宇がある:

 

 

 

 

 

 天龍寺」北門を出て竹林を進んでいくと、西隣の丘陵は「嵐山公園」になっている。公園の頂部に、桂川を見下ろす「展望台」がある。「渡月橋」から上流の桂川は、「大堰川 おおいがわ」「保津川 ほづがわ」と呼ぶそうだ。

 

 

 



 

 

 舟着場があり、「保津峡下り」の舟が着いている。

 

 

 

 

 対岸・嵐山の中腹に堂宇が見える。地図を見ると「大悲閣」と書いてある。

 

 

 

 

 「展望台」から尾根伝いに路がついていて、「小倉山」に昇っていく。アラカシコナラアセビの疎林にアカマツの幼木が混じる。

 

 

 

 


 尾根も斜面もゆるやかで、ところどころに大きな石が突き出ている。

 

 

 

 

 


 これらの石は、むろん自然に有るものだが、まるで石庭のようだ。眺めながら思いついた。「天龍寺」の庭園も、石が突き出た自然の地形をそのまま利用しているのではないか? それが、夢窓疎石の作庭の思想なのだろうか。

 

 しかし、疎石の最初期の作庭である鎌倉の「瑞泉寺」では、庭園を掘り出した際の調査から得られた知見として、庭も背後の崖も、岩盤を掘りこんで造ったものだとされていた。「天龍寺」の庭園思想からすれば、崖に掘られた「やぐら群」などは、もともとあったのを開山のさいに取り込んだと考えられるだろう。しかし、「瑞泉寺」の発掘結果は、むしろ「やぐら群」も含めて夢窓疎石の造作であることを示唆している。夢窓疎石の作庭しそうに変遷はあるのだろうか? そのへんが理解のカギになるかもしれないと思った。

 

 広めの尾根筋を、さらに昇っていく。酸化鉄で赤く風化した岩盤が露出している。

 

 

 

 

 

 「小倉山」は、ふもとの「渡月橋」から円いかたちに見えていたように、頂上のかなり手前で緩傾斜になる。そのあたりが最も展望がよい。

 

 

 

 

 

 

 

 桂川。「渡月橋」が見える↑。↓北山方面。

 

 

 

 

 

 この寺↑は、「清涼寺」のようだ。

 

 

 

 

 「雙ヶ丘 ならびがおか」↑。仁和寺 にんなじ,太秦 うずまさ 広隆寺のあたりだ。奥に大文字山如意ヶ岳がうっすら見える。

 

 

 

 

タイムレコード 20260221 [無印は気圧高度]
 1035「嵐電嵐山」駅[39mGPS]  - 1157「天龍寺」北口[60mGPS]  - 1205「嵐山公園」トイレ[69mGPS]1213  - 1218「嵐山公園」展望台[85mGPS] 1226 - 1258「展望ポイント」[221mGPS]1312 - 1318「絶景ポイント」ピーク[225mGPS]1321 - 1332「休憩ポイント」[274mGPS]1336 - 1348「小倉山」頂上[291mGPS]1353 - (2) につづく。