2026年2月2日の軌跡 .
「報国寺」の「やぐら群」は、拝観路から離れていて観察しにくいが、場所を変えてみると、枯れ木の邪魔は減った。工夫して、さまざまにカメラを調整して撮ってみた。帰ってから画像を整理すると、思わぬ成果があった。ここの「やぐら群」は、他所にはない特徴的なタイプだと判ったからだ。
まず、この3つの「やぐら」↓は比較的よく撮影できた。左から1番,2番,3番と呼ぼう。
「報国寺」の「やぐら」は、みなこのような「かまぼこ形」の開口部で、方形のものは無い。「かまぼこ形」というより、いびつな半円形だ。掘り方はかなり荒い。前回の「寿福寺やぐら群」と比べれば明らかだろう。入口に、はっきりした袖は見られない。
1番とその右の2番は、内部でつながっている。そのため、あいだの入り口部分が “円柱” 状に残されている。内部は、天井も開口部より高い。このような入口の構造を「袖(短い羨道)」とみることもできるだろう。↓1番と2番。
2番の開口部は、上部が飛び出ていて「ひさし」のようにも見える。2番の右壁は開口部まで続いていて「袖」は無い。2番は、天井に段がある。2番と3番の内部は繋がっていない。
3番↓。はっきりした「袖」は無い。開口部の上部はそのまま天井に続いており、その奥に天井の段がある。それよりも目を惹くのは、内部右に「奥の室」があることだ。
「奥の室」とのあいだの連絡路は、いびつな円形で、床面は繋がっていない。このような構造は、1番と2番のあいだの連絡とは異なる。「奥の室」は、3番と天井の高さは変らないようだ。
1番,2番,3番の左方と上部に「やぐら群」は続いているが、残念なことに、落石防止ネットに覆われていて、よく見えない。↓この画像の範囲には6穴以上の「やぐら」が見えるが、撮影できたのは、A,B,Cのみ。
ネット裏の「やぐらA」↓。土砂で埋もれているので、開口部が方形なのか半円形なのか、確認できない。
「やぐらB」↓。「かまぼこ形」のようだ。それ以上のことは判らない。
「やぐらC」↓。見えにくいが、「かまぼこ形」のようだ。向かって左の袖は無い。右側はよく見えない。
以上から、「報国寺」の「やぐら」は、開口部が「かまぼこ形」で、掘り方は荒く、開口部の「アーチ」状構造、天井の段違い、「奥の室」の掘進が見られる。明確な「袖」は見られないから、こういうのも「室町時代様式」なのかもしれない。それにしても、「浄智寺やぐら群」などとは異なる個性的な特徴がある。
「報国寺」を出て、バス通りを「十二所」へ向かう。国土地理院の地図には「じゅうにそ」、バスの停留所には「じゅうにそう」と書いてある。どちらの読み方が正しいのだろうか。
「十二所」で、まず立ち寄っておきたいのは「光触寺 こうそくじ」、時宗 じしゅう の寺だ。「山門」↓は、1804-1818年ころの創建で、もとは茅葺きだった。
「光触寺」は時宗の寺だけあって、縁起伝承やエピソードには事欠かない。いずれも史実とは距離があるが、寺に縁起絵巻が伝わっていたり、中世説話集『沙石集』,徳川光圀の『鎌倉日記』に掲載されていたりと、文化現象としてはたいへんに興味深い。
関心のある方はこちらを参照していただきたいが、創建縁起をかんたんに要約すると:
鎌倉時代のはじめ、万歳法師という素行不良の僧が盗みの疑いをかけられて頬に焼き印を捺されたが、焼痕はつかず、身代わりに運慶作の阿弥陀如来像の頬に焼痕がついてしまい、21回修復しても消えなかった。この「頬焼き阿弥陀」を本尊として建立された「岩蔵寺」が 1278年に比企ヶ谷から当地に移転したのが、この寺のはじめだという。史実としては、この 1278年に当地で建立されたと考えられている。その後、第3代住持が一遍に帰依して時宗に改め、「岩蔵山光触寺」と改号している。
現在「本堂」↓に安置されている阿弥陀三尊像を調査した結果、運慶作とは認めがたいが、阿弥陀,両脇侍とも 13世紀前半の作と立証された。その点で、創建伝承は半ば裏付けられたと言える。本尊は公開されていないが、写真の頬に焼痕は見えないようだ。
「本堂」前の「地蔵堂」には、「塩嘗め地蔵」が安置され、幾皿もの塩が供えられている。
もとは境外の街道沿いにあって、塩の行商人に信仰されていたという。その伝承は光圀の『鎌倉日記』に掲載されているから、それ以前からあった古い地蔵だということになる。青銅「一遍上人像」もある↓。
古い像ではないが、「踊り念仏」からは想像できない・極めて特異な表情をしている。近代のどんな信仰が籠められているのだろうか。
「光触寺」からバス通りを少し戻って、「明王院」に至る。
「明王院」は 1235年創建。「五大堂」↑とあるのは、密教の「五大明王」〔「不動明王」を中心とする5体の明王〕を本尊としているためで、現存五大像のうち、不動明王像は鎌倉時代の仏師・定慶〔運慶の次男またはその弟子〕の作。茅葺きの本堂と庫裏が並び、白梅がかかり、背後からシイ・カシの山が迫る境域は夢のようだったが、残念なことに境内撮影禁止。Wiki から本堂の写真〔下の1枚目〕を転載しておこう:
「明王院」の門前から、背後の尾根に上がってゆくことができる。ここが「天園ハイキングコース」の終点だ。昇り路の途中から境内を撮したのが、↑この画像。
タイムレコード 20260202 [無印は気圧高度]
(3) から - 952「報国寺」内「休耕庵」[35mGPS]955 - 1003「報国寺」山門★ - 1008「浄明寺」バス停※ - 1012「十二所」バス停[28mGPS] - 1018「光触寺」[29mGPS]1030 - 1037「明王院」[27mGPS]1046 - (5) へつづく。





























