赤い線(左方)は 12月19日の ,
青い線(右方)は 12月20日の ,
各軌跡。.
18日は、歌姫町のバス通りの西側で、「佐紀盾列古墳群」西群の落穂ひろいをした。19日は、バス通りの東側で落穂ひろいを続ける。「佐紀盾列古墳群」東群には、「ウワナベ古墳」をはじめとする巨大古墳が居並んでいる。それらのうち「ヒシアゲ古墳」と「コナベ古墳」は、11月の「やまのべ行」で遺漏が多かったので、リベンジすることにした。
19日の出発点は、航空自衛隊前のバス停。ここには幹部候補生学校があるようで、ちょうどこの日は卒業式、ふだんは乗降客のいない停留所が、参列の父兄でごったがえしていた。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「コナベ古墳」は、西側に多数の「陪塚」があるという。「コナベ池」の岸を西へ向かう。池の南西角まで来た。墳丘、正面は前方部。左奥が後円部。
民家の奥に見える叢林は、地面が高まっている。どうやら「陪塚」のひとつらしい。
周濠の西岸を北へ向かう。対岸の主墳は、「くびれ部」の「造り出し」を見せる。
「後円部」に近づいてきた。
道路の左は、クヌギ,アラカシが主体の林地。その奥に高まりがある。これも「陪塚」にちがいない。
「周濠」の岸から離れて「水上池」のほうへ向かう。途中にまた「陪塚」が、少なくとも2基ある:
「水上池」の北東角に出る↓。
万葉歌碑がある。
をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも
『万葉集』四-675, 中臣女郎 .
「おみなえし」が咲く佐紀沢に「花かつみ」が咲くように、ついぞこんな恋をしたことはない。「花かつみ」は、花菖蒲か何か、植物種未詳。「をみなへし~花かつみ」は「かつて」の序詞。
前回、「ヒシアゲ古墳」(磐之媛陵)の拝所へ行ってなかった。宮内庁の拝所は、前方部・中央を正面から見る位置に設けられている。そこから観察することは、神祇観念を離れても意味のあることだ。
「ヒシアゲ古墳」前方部。拝所から。
周濠は二重にある。外側の周濠は現在、水を張っていない。
内側の周濠。
内側の周濠と墳丘前方部。
内側の周濠 ‥‥ おや? ゴイサギ?
東へ戻って、「コナベ古墳」側を見ると、「陪塚」がある。「平城坂上陵 飛地い号」の標柱があって、宮内庁は「ヒシアゲ古墳」の陪塚としているが、場所から言えば「コナベ古墳」の陪塚群の一つだろう。
「ヒシアゲ古墳」の東側を回って、先日も来た・復元埴輪のある公園に着く。ここはもう、「ヒシアゲ古墳」の北東角だ。
先日は見過ごしたが、落ち葉を掻き分けると、周濠の堤が出土した位置が、敷石で表示されている。説明によると、外側の周濠の内側の堤だ。復元埴輪も、破片が出土した位置に並べられている。
50メートルほど東には「陪塚」もある。宮内庁の指定はないようで、教育委員会が認定した「陪塚」ということらしい。
北東角へ、さらに進むと、かなりの数の「陪塚」群に遭遇した。「コナベ古墳」の陪塚群とちがって、叢林で塞がれていないので、地面の起伏がよく見える。「飛地は号」「に号」「ろ号」の標柱がある。
まだ日は高いが、明日に備えて、きょうはここまでとしよう。
タイムレコード 20251219 [無印は気圧高度]
1320「航空自衛隊」バス停[798mGPS] - 1329「コナベ池」南西角[78mGPS] - 1357「水上池」北東角[78mGPS] - 1402「磐之媛陵」拝所[79mGPS]1429 - 1505「磐之媛陵」陪塚群の西端[80mGPS]1510 - 1521「歌姫町」バス停[85mGPS]。
踏査記録⇒:YAMAP
翌日は、東大寺の北に移って落穂ひろいを続ける。前回、「楼門」が閉鎖されていて中に入れなかった「般若寺」からだ。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「般若寺」の入口は南にあるが、東側の国道からでないと入れない。西側の「楼門」〔1267年建立〕が、こちらからも見える。
入口で目立つのは、鎌倉時代半ば 1253年頃建立の「十三重石塔」。渡来した宋の石工:伊行末・行吉父子の手で建てられた。この種の石造多層塔は日本ではあまり重視されないが、中国・朝鮮の仏寺ではたいへん尊重される。石造建築物に重きを置く文化があるのだろう。
「本堂」、1667年上棟。
タイムレコード 20251220 [無印は気圧高度]
1131「般若寺」バス停[112mGPS] - 1135「般若寺」[117mGPS]1229 - (15) へつづく 。





















































