「十王岩」から「天園ハイキングコース」を少し進むと、古い石の道標がある。

 

 

 

 

 「   二十一ヶ所四番

右 建長寺道

     半僧坊奥之院

 

 

 右の行の「く」のような字が読みにくいが、「番」の草書だと思う。

 

 裏へ回って見ると:

 

 

 

 

 「 八十八ヶ所

左 覚園寺道

      二十一ヶ所三番

 

 

 「二十一ヶ所○番」とは、「相州二十一ヶ所霊場」のようだ。「八十八ヶ所」は不明。

 

 道標のあるところから、南側へ下りる路があって、それは建長寺」の「半僧坊奥ノ院」と「覚園寺」に続いているということだ。じっさいに、か細い脇路が出ていたが、今でも使える道かどうかわからないので、行ってみなかった。

 

 が、帰宅してから調べると、この脇路は、重要な「やぐら群」2か所に通じていることがわかった。ここも、あらためてリベンジしなければなるまい。「やぐら」学は、奥が深い。何度リベンジしても、終りということはない。

 

 道標を通過して「天園コース」をさらに進むと、道わきに「やぐら」が現れてきた。「百八やぐら群」に近づいてきたのだろう。

 

 この「やぐら」は、奥を四角く掘りこんでいる。「やぐら」の中に「やぐら」があるようなこの構造も、ときどき見かける。

 

 

 

 

 つぎの「やぐら」は、入口に袖があるのがよくわかる。鎌倉時代様式だ。

 

 

 


 

 

 「覚園寺」に下りるコースの分岐点に到着。

 

 

 


 しかし、分岐を曲がらずに「天園コース」を直進すると「鷲峰山」の頂上に達するはずだ。ピークをたしかめておきたい。すると、現れてきたのは、先日も撮影した↓この岩。

 

 

 

 

 

 なるほど。ここが頂上だったのだ。ハイキング・コースは岩を右にまいているが、左のほうに高まりがある。これが「鷲峰山」ピークだ、と GPS で確認。分岐点に戻る。分岐点から「覚園寺」方面に降りていくと「百八やぐら」群が現れるのだが、ここは、後日のリベンジ行とともに紹介しよう。

 

 コースの終わり近く、覚園寺「総門」跡に近づいたあたり、崖の上部に「平子やぐら群」がある。

 

 

 

 

 ヤブが邪魔をしていて、うまく写らない。すでに日もかげっている。きょうは、このへんにしておこう。

 

 

 

 

 「総門跡」に到着。ゴミ集積場を兼ねているのが見苦しいというか可哀そうだ。右端は「庚申塔」、中央の板碑は「青面金剛王」と彫られている。いちばん左の石仏、銘はよく読めないが、下に彫ってあるのは「見ざる言わざる聞かざる」だ。

 



 

 

 

 

 

タイムレコード 20251104 [無印は気圧高度]
 (1) から - 1443十王岩[140mGPS] 1453 - 1455古い分岐標石[140mGPS]1502  - 1519「覚園寺」分岐点[112mGPS]1522 - 1524「百八やぐら群」西方脇路分岐点[112mGPS] - 1530鷲峰山[119mGPS]1535  - 1542「百八やぐら群」西方脇路・折返し点[114mGPS] 1401 - 1546「覚園寺」降り道に戻る[113mGPS]  - 1608「平子やぐら群」[53mGPS] 1617 - 1621「覚園寺」総門跡[30mGPS]1626  - 1631「大塔宮」バス停[22m]。

 

 踏査記録⇒:YAMAP

 

 

 

 

赤い線は 11月4日の,紫の線は 11月7日の,青い線は 11月8日の軌跡。 .

 

 

 11月4日のあと、7日、8日に短時間のリベンジをした。これまでに見た「やぐら」はいわば廃墟で、漆喰も絵画も剥げ落ちていたが、この2日間には、建造当初の絢爛豪華な「やぐら」内部の様子を想像させてくれるものもあった。おおぜいのハイカーの通り道からそう隔たっていない場所に、これほどのものが壊されずに存在するのは、まさに奇跡としか思えなかった。

 

 そこから急に、自分のしていることが心配になった。このブログはまだアクセスが少ないから良い。YAMAP に出しているほうは、どんな人が見るか分からない。高山植物のように盗掘が利益になるようなものではないから、悪質業者が入りこむことはないだろうが、どんな悪戯をする不心得者がいるかはわからない。YAMAP では一定の備えをしておいたが、このブログに関しても、わざと不親切に説明する、参考サイトのリンクを張らない、正確な場所がわからないようにする、などの対策をとらざるを得ない。

 

 通り一遍に見ても何がおもしろいのか分からない、自分で努力して調べた人だけが興味を持てる、そういう拵えにしておけば、不心得者に情報が伝わることはないものだ。だから、あえてつまらなくする工夫をこらす。この点どうかご理解をいただきたい。

 

 

↑ 11月7日の行程。 .

 

↑ 11月8日の行程。 .

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 「建長寺」には、この間何度も拝観料を払った。塔頭 たっちゅう の「回春院」が苦労して整備している径を利用させてもらうのだから、不平は言うまい、むしろ感謝すべきだろう。 「建長寺」の「三門」「方丈」を過ぎて、右側に「達磨像」が見えると、「回春院」への分岐点に到着する。

 

 

 

 

 きょうも「建長寺」は、欧米系の訪問客が多い。そもそも創建時から、の侵略を逃れてきた中国僧が多く、中国語が飛び交い、異国のようだったと当時の史書に書かれている。ここの宗旨は「外国人ファースト」なのだ。が、訪問者の出自を問わず、「回春院」のほうへ向かう者はいない。

 

 

 

 

 「回春院」山門↑。↓「大覚池」。ここは、いつ来てもほっとする。

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20251107 [無印は気圧高度]
 「建長寺」バス停[38mGPS]1515 - 1526「回春院」分岐[52mGPS]1540 - 1528「回春院」大覚池[58mGPS] - (3) へつづく。