「貝吹き地蔵」を辞して「天台山」のピーク脇を通過すると、巨樹の並び立つ平坦地に出る。同じ種類の樹のようだが、何の樹か分からない。

 

 

 

 


 ここに来るまでの森は、スダジイ,シロダモ,シラカシ,アカガシシデが目についた。暖帯照葉樹林のおもむきだ。これはクスノキだろうか? 樹冠が高くにあるので、葉の形を見分けられない。

 

 

 


 その後も照葉樹が多いが、カエデ,ヤマグワなどが混じってきた。

 

 木の間から対面する尾根を眺めると、そちらもシイ,カシ類の照葉樹が多いようだ。

 

 

 

 


 5叉路を通過。左に折れると、大塔宮鎌倉宮 だいとうのみや・かまくらぐう へ降りる近道。見送って直進する。

 

 

 

 

 「天園」ピークに到着↓。目隠しの灌木の勢いが良いが、かろうじて稲村ケ崎が見える

 

 

 

 

 


 じつは、国土地理院の地形図(↑)では、ここは「大平山」の頂上になっている。しかし、「大平山」には、500メートルほど西に・もう一つピークがあって、現地では「大平山」の山名標はそちらにある。どっちがほんとの「大平山」だかわからなくて、ややこしい。

 

 こっちのピークは横浜市の最高点で、このあと行く西の「大平山」は鎌倉市の最高点だ。どちらが高いのかというと、地形図では区別がつかない。私のスマホの GPS高度は横浜市のほうが 6m 高く、私の登山用腕時計の気圧高度では、鎌倉市のほうが高い。こちらを「天園」と名づけた横須賀海軍東郷平八郎は横浜の味方らしいが。。。

 

 

 

 

 鎌倉側の「大平山」ピークへ向かう。木の間越しに、横浜市・港南台~金沢区の市街が見える。

 

 

 

 

 同じ種類の樹が数本かたまって生えている。帰ってから調べて見ると、タブノキだ。

 

 

 

 

 

 タブノキは「照葉樹林の盟主」と言われるような巨樹になる。ただし、ここのタブノキは、まだ若木だ。ほかに、ヒノキ,スダジイなど。落ち葉を見ると、ハリギリも多い。ハリギリは、山地帯の広葉樹林でよく見かけるが、暖帯林にも生えるのだな。

 

 森から出て、草原になる。ゴルフ場があって、我が物顔の建物や駐車場が目障りだが、展望は良くなった。

 

 

 

 

 

 イヌタデ。暗い樹林の中に生えていたものよりも、赤みが強く、実の数も多い。

 

 

 

 

 

 陽のあたる草原には、ススキも多い。

 

 

 

 

 

 鎌倉側にも展望が開けた。稲村ケ崎↓。もっとよく晴れていれば、富士山が見えるはずだ。

 

 

 

 

 

 歩いてきた・瑞泉寺からの尾根も見える。

 

 

 

 

 遠くの稜線は、逗子・葉山方面だろう。

 

 


 

 

 鎌倉側ピークに到着↓。大平山の山名標がある。展望もよくないし、どおってことないピークだ。

 

 

 

 

 

 あとは、「天園ハイキングコース」を西へたどる。「やぐら」は見られなくなったが、見どころは地層だ。

 

 




 

 

 

 おもしろい形の岩だ。これも、軟い層が風化して削られたのだろう。

 

 

 

 

 分岐点↓。画面右へ直進すれば「建長寺」に至る。きょうは、ここで左へ折れて、「覚園寺 かくおんじ」に降りる。

 

 

 

 

 ハイキングコースの入口まで下りてきた。庚申塔,青面金剛板碑 いたび,石仏,五輪塔がある。もとは、ここに覚園寺の「総門」があったそうだ。

 

 

 


 覚園寺」山門。

 

 

 

 

 山門から入ったすぐ横に多層塔がある。まったく説明が見当たらないし、文化財指定も無いが、見たところかなり古いものだ。後述の「大楽寺」にあったものなのかもしれない。

 

 


 

 覚園寺」は、名前だけは小学校の臨海学校で習って知っていたが、鎌倉でも奥にあるせいか、来る機会がなかった。いつか訪ねてみたいと思っていた。『吾妻鏡』によれば、創建起源は 1218年の薬師堂建立に遡る。宗旨は、北京系 ほっきょうけい 律宗という、叡尊忍性の「極楽寺」とは別の系統の律宗。この宗派は現在では、真言宗泉涌寺派となっている。

 

 厳しい戒律を守る伝統を保持してか、境内は撮影禁止。写生も禁止。いちばん手前にある「愛染堂 あいぜんどう」↓だけが、外から建物だけ、という条件で撮影を許された。

 

 

 

 

 「愛染堂」は、さきほどの「総門」跡の近くにあった「大楽寺」にあったのを移転したもの。「大楽寺」は、明治初年に廃寺となっている。「愛染堂」の建物は新しいが、中に安置された愛染明王,不動明王,阿閦 あしゅく 如来像は、みな鎌倉時代のものだそうだ。が、文化財指定されていない。

 

 「覚園寺」じたいは、南北朝以来たびたびの火災で、鎌倉期のものはすべて焼失しており、仏像も建物も室町以後のものだが、仏像3点が国の重要文化財に指定されている。もっとも古いものが不遇に置かれているようで、何だか変な気がする。

 

 カメラをリュックに納めて境内を見て回ったが、どの建物も、茅葺きの質素なたたずまいだ。「やぐら」もあって、昼間でも灯明を点していた。

 

 

 


 「大塔宮鎌倉宮」に到着。小学生の下校時間だ。


 

 

 

タイムレコード 20251028 [無印は気圧高度]
 (2)から - 1225「貝吹き地蔵」[129mGPS]1230 - 1235「天台山」肩を通過[131m] - 1239巨樹の集団[131m]1242 - 1255「獅子舞」分岐[144m] - 1300「天園」[161m]1310 - 1330「大平山」展望地[150m]1335 - 1340「大平山」ピーク[162m]1343  - 1415「天園ハイキングコース」岐れ[111m]1420 - 1440「覚園寺」愛染堂[40mGPS]1510 - 1520「大塔宮」バス停[26mGPS]。

 

 踏査記録⇒:YAMAP