赤い線は 10月10日の,青い線は 10月11日の軌跡。 .

 

 

 「山辺道 やまのべのみち」は、現存する日本最古の古道と言われている。奈良盆地南東端の桜井市から奈良市東部(春日山の麓、古地名「添 そふ」)まで、「春日断層崖」の裾を伝ってつづいている。

 

 そのうち、よく知られているのは桜井市から天理市までの部分で、桜井市金屋 かなや の「つばいち」〔「海石榴市」。古代のバザールで、記紀・万葉歌に言及がある〕故地から天理市布留 ふる の「石上 いそのかみ 神宮」まで。沿道に道標や地図が濃密に設置されていて分かりやすい。

 

 その先、天理市から、奈良市の「春日大社」・奈良公園までは、奈良県が「奈良盆地周遊型ウォークルート」の一部として整備しているけれども、ネットでも現地でも検索が難しく分かりにくい。いきおい YAMAP などでも、天理以北はルートを載せていない。

 

 そういうわけで、今回は、桜井~天理間のポピュラーなルートを歩いてみた。‥‥と言っても、古跡や風景を眺めながらのモタモタ歩きでは、1日で踏破するのはきついので、2日間にわたった。まず第1日目は、桜井駅から柳本 やなぎもと 駅までだ。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 

 

 

 「桜井駅」北口。私にとってはいつもの出発点だ。自転車を借りて明日香へ向かったり、バスで三輪 みわ の資料館へ行ったり。徒歩で始まるのは今回が初めてかもしれない。駅前の大通りを真っすぐに北へ向かう。

 

 

 

 上流へ向かって望む大和川。このへんから上流は初瀬川と言う。向かって左の岸が「つばいち」の故地だが、左の岸には「仏教伝来之地」の石碑があり、「海石榴市」の説明板は右の岸にある。

 

 あいにく今日は曇っている。晴れた日の写真も出しておこう。あわせて万葉歌の説明も。3年前の撮影。↓対岸が「つばいち」故地。

 

 

 

 

 

 「やその巷」というほどだから、「つばいち」には八方からの道が通じていて、見知らぬ人々と行き会える・古代では数少ない場所だったのだろう。

 

 

 

 

 三輪山(頂上の丸い山↑)に向って進む。「山辺道」に出会う↓。左の道から来た。

 

 

 

 

 「山辺道」を進むと、さまざまな古い道標がある:

 

 

 

 「右 三は〔三輪〕/なら 道」

 

 

 

 

 

 「これより ちか道/三輪大明神/ならこへ〔奈良越え?〕

 

 

 ↓「金屋の石仏」に到着。石仏は、その先の蔵庫の中にある。

 

 

 


 

 

 「石仏」と言っても立体像ではなく、石板に刻みつけたレリーフだ。時代も平安~鎌倉期に下る。しかし、朝廷貴族が権力にものを言わせて荘厳な仏像を飾っていた時代に、中層以下の民間でも、造形手法に限界はありながらも仏像を保持していた事実は注目すべきだろう。とくにこの大和地方は、古墳から掘り出される石棺や石室を再利用して、乏しい経済力でも造仏を営むことができたのだろう。説明にある「右側の赤茶色の石」とは、↓左側の石板のことだろうか?

 

 

 

 

 

 ここまでは、3年前の写真を混じえている。

 

 竹やぶとヒノキ林のなかを「平等寺」へ向かう。クヌギが混じっている。クヌギの樹肌と葉,実。

 

 

 

 

 

 

 平等寺」門前に到着。

 

 

 

 


 「平等寺」は、聖徳太子の創建と伝えるが、じっさいの建立は鎌倉初期だろう。室町時代の絵図には、東西500メートル,南北330メートルの大伽藍として描かれている。鎌倉~室町期には、東大寺,西大寺,興福寺,醍醐寺三宝院等と密な交流があり、また、西大寺叡尊のつながりからか「アジール」の機能をはたしていたようで、関ヶ原の戦いでは敗戦の武将を匿っている。さきほどの「金屋石仏」も、もとは「平等寺」境内にあったものだ。

 

 しかし、江戸時代には近隣の大神 みわ 神社の神宮寺の役割をしていたために、明治に入ると「廃仏毀釈」により激甚な弾圧を受け廃寺状態となる。その悲惨な被害と復興の経緯は↓こちらの説明板に詳しい。

 

 

 

 

 

 

 

 「山辺道」の地図を掲示している↑。まだまだ先は長い。

 

 

 

 「はつせ/いせ 道

 

 

 「みわ神社」へ向かう。「耳成山 みみなしやま」が見える。

 

 

 

 

 

 「大神神社」↓。ふつうは「みわ神社」と読む。神社自身は「おおみわ神社」と読ませたいらしい。どっちにしろ無理な表記だ。↓鳥居の下の石碑にあるとおり、「三輪大明神」でよいではないか。

 

 

 

 

 


 

 

 

 先へ行くと、「三輪山」の高い杉林が聳え立っている。樹齢はどれほどだろうか。よほど古い時代に植栽したのだろう。

 



 


 「狭井 さい 神社」↓。「みわ神社」の摂社のひとつ。本社におとらず人が多いと思ったら、「三輪山」の登山口なのだそうだ。というより、立入り監視ゲートらしい。この神社の許可を受けてからでないと登ってはいけないというのだから恐ろしい。こんなところは早く通り過ぎよう

 

 

 


 先へ行くと、沿道で柿が鈴なりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「ささゆり園」。ここも「みわ神社」の一部で、社花のササユリを植栽しているとのこと。サクラの植樹も多い。春はさぞかし賑やかなことだろう。

 

 

 

 

 「ささゆり園」の垣根の破れ目から「耳成山」と「畝傍山」が見える。どうせなら、平野方向に目隠しの垣根など作らないで、開放的に見せてくれればよいのにと思う。

 

 


 

 「ささゆり園」を出て先へゆく。檜・杉植林に、竹やぶ、雑木林は、クヌギ,クスノキ,コナラ,シラカシなど。の果樹園も多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 平地の奥に小ぶりの寺刹が見える。「玄賓庵」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 平安初期の僧・玄賓僧都の隠棲地だったと云われる。謡曲『三輪』は、三輪明神が女人の姿をとって玄賓の前に現れるという筋書きで、「玄賓庵」はその舞台でもある。「三輪山奥之院」とあって、「みわ神社」との関係は深いようだ。

 

 誰も中に入ろうとしないので、拝観料を投げて入ってみると、案内札の文句にたがわず、ほっとするスポットだった。私につづいて、急にぞろぞろと数人が入ってきた。


 

 

 

タイムレコード 20251010 [無印は気圧高度]
 958「桜井駅」北口[77mGPS] - 1028「山辺道」出会い[79mGPS] - 1035「金屋石仏」[88mGPS]1055  - 1107平等寺[101m] - 1119みわ神社[97m=GPS]1124 - 1130狭井神社[109mGPS] - 1145「ささゆり園」[93m]1155 - 1224玄賓庵[120mGPS]1230 - (2)へつづく 。