ムッソリーニヒトラーミュンヘンで群衆に敬礼している。1937年9月。

ドイツを初めて訪問したムッソリーニのために、ヒトラーは、この日を

祝日に制定して歓迎した。©Stefano Bianchetti / Bridgeman Images.

 

 

 

 

 

 

 

 

【34】 「ファシスト的解決」と「コーポラティズム」

 

 

 「ファシズムは、近代」の「テクノロジーや科学〔…〕に対して異議を唱えなかった。〔…〕とりわけイタリアのファシストは、飛行機や戦車、そして速度一般を理想化した。」「ドイツでも、あらゆる立場の思想家たちが」、ファシズムは、「資本主義の規範に従属させられている技術を〔…〕解放できると期待し」た。「経済的および技術的諸力」を、個々の資本主義的企業家が「無計画に用いるのではなく、」ファシズムのもとでは「国民共同体のために、より合理的に動員できる〔…〕と期待されたのである。」エルンスト・ユンガーはこれを「総動員」と名づけた。「国民 フォルク」を「完全に組織化」し「完璧に動員された集合体と」することである。トーマス・マンは、ファシズム思想が提示する「想像の過去へのノスタルジーと最先端の」テクノロジー「の奇妙な組み合わせ」を「高度に技術化されたロマン主義」と呼んで支持した。

 

 こうしてファシズムは、かなり広汎な人々に支持された。彼らは、ファシズムが打ち出す「意志の不合理な賛美」や「暴力の肯定」「タヒの礼賛」には目をつぶりつつ、「時代の課題」つまり “近代の陥った袋小路” からの脱出法・解決策としてファシズムに惹きつけられたのです。とりわけ、ファシズムに期待されたのは、それが「大恐慌」からの脱出口になるのではないか、という点でした。「ファシストたちは、社会主義と資本主義の最良の部分を組み合わせた[中間の道]〔…〕[第三の道]といった経済政策を提案した。ケインズ主義と同様」に、失業問題の解決策として「公共事業のプログラムを支持した。」

 

 「どっちつかずの奇妙な人物の多くが、社会主義者として出発しながら〔…〕ファシズムへと転向した」。

 

 「ファシズムは、伝統的なエリートの関心も惹きつけた。」じっさい、ドイツでもイタリアでも、ファシスト政権〔最初の首相就任〕は、「伝統的エリート」や国王から任命されて成立しています。「伝統的エリート」および「中産階級の有権者」のあいだでは、「政治形態としての議会主義政府は終ってしまったという感覚が共有されていた。」「大衆民主主義」に対して・伝統的知識庫にある方策はすべて試行済みで、もう「ファシズム」による以外に解決は無いのだ、と彼らは感じていたのです。

 

 ですから、「武力で権力を奪取したファシスト指導者は存在しない。〔…〕ヒトラー自身、20世紀における革命は暴力的な反乱無しに達成可能」だと「明確に述べている。」

 

 もっとも、そのせいで、ファシストの支配は、最初は「旧エリートとの協力のもとで」妥協しつつ進められ、「最終的には旧エリートの破壊」をめざすこととなった。

 

 

ローマ「コロセウム」でのムッソリーニの演説に集まった群衆。1928年。

©Andrea Jemolo / Bridgeman Images.

 

 

 ファシズムが「時代の問題にたいし〔…〕提供すると」約束した解決法――「ファシスト的解決」――とは、具体的にどんなものだったのか?「理論的には、それはコーポラティズムであった。」(pp.196-200.)

 

 

『コーポラティズムとは、社会を多様な産業別に・雇用者と労働者の集団に明確に区分けしたうえで〔A産業の雇用者集団,A産業の労働者集団,B産業の雇用者集団,‥‥というように?――ギトン註〕、そうした集団がすべて国民の善のために協力するというものである。コーポラティズムは、階級対立の問題、および〔…〕経済分野における意思決定への個々人の参加〔…〕問題の双方に答えるように思われた。イタリアのコーポラティズムは、〔…〕ソレルの理論とくに「生産者の倫理」〔※〕に関する〔…〕理論から色濃く影響を受けていた。〔…〕

 

 権威主義的コーポラティズムの主眼は明確であった。〔…〕階級闘争を終わらせることである。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.200-201. .  

 註※「ソレルの[生産者の倫理]」: ソレルは、「階級闘争〔…〕として遂行されるプロレタリアの暴力は〔…〕きわめて英雄的なものとして現れ〔…〕世界を野蛮から救う」と主張する。「暴力が世界を野蛮から救う」というテーゼは、「ファシスト思想の中心をなす主題」でもある。ソレルは、「暴力」によって「救われ」た後の世界について、「生産者の倫理」を強調し、そのユートピア的世界は「義務と勤勉という伝統的価値によって特徴づけられる」とする。そこでは、「叙事詩的な、ホメロス的〔…〕英雄的生産が、工場で達成されるだろう」、したがって、「[生産者の倫理]が実現すれば、国家の必要性ももはや存在しない」のだと言う。(p.191)

 

 

トルステン・ヨヴィンゲ中央宮殿から見た市役所』1933年。

Torsten Jovinge, Stadshuset från Centralpalatset, 

Nationalmuseum Stockholm. ©Wikimedia.

 

 

イタリアでは、〔ギトン註――「コーポラティズム」に基く〕ファシスタ協同組合が、実際に公的な国家機関となった。各組合は、労働者と(理論的には)雇用者とに規律を課し〔実際にはもっぱら労働者を規制した。――ギトン註〕、国民生産に関して政府に責任を負うこととなっていた。

 

 ファシストの哲学者ウーゴ・スピーリトによれば、この『構想は、「経済的調停についての偉大なる実験として〔…〕」最終的には「階級的差異を完全に超越し、総合的な社会的統合をもたらすことが想定されていた。スピーリトによれば:

 

コーポラティズムは、個々人が私的な目標を追い求めることに反対』するのであり、『まさにそれゆえに、コーポラティズムは、ファシスト革命の唯一無二の政治的・道徳的・宗教的本質なのである。

 

 スピーリトはさらに、私的所有を「組合所有」へと転換し、労働者たちが会社の一部を所有し運営する形態までも望んだ。この考えは、予想通りイタリアの経営者のあいだに懸念を呼び起こし、決して実現することはなかった。〔…〕スピーリトはシチリアに追放された。〔…〕


 1930年代末までに、イタリア国家、あるいは半政府機関や「公社」は、イタリア経済の主要部分を管理下に収めていた。実際のところ、イタリアはソ連につぐ大きさの国家セクターを有していた。コーポラティズムは成功した〔…〕と広く見なされた。アメリカでも、〔…〕ムッソリーニのファシズムに魅了されたニューディーラーが現れた。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.202-203. .  

 

 

 

【35】 ムッソリーニとジェンティーレ

―― 倫理的「ファシスト国家」と「純粋民主主義」

 

 

 「ファシズム」は、最初から教義を持っていたわけではありません。先に「政権奪取」という行動〔1922年、ファシスト党の「ローマ進軍」・ムッソリーニ内閣の成立〕があり、その後ようやくムッソリーニが「ファシズム」の教義を発表したのは、「権力を握ってからほぼ 10年後」〔Mussolini, Die Lehre des Faschismus, 1935〕。書いたのはムッソリーニ自身ではなく、最初のムッソリーニ内閣で「国民教育大臣」を務めたジョヴァンニ・ジェンティーレでした。

 

 「ジェンティーレは当初自由主義者」でしたが、「社会主義から自分たちの体制を救う最後の機会をムッソリーニのなかに見いだし」たのです。

 

 

ミハイル・ヴァルフォロミエヴィチ・ルブラン風景』1937年。

Mikhail Varfolomeevitch Leblanc, Landschaft, пейзаж, anagoria.

Yekaterinburg Museum of Fine Arts. ©Wikimedia.

 

 

『彼〔ジェンティーレ――ギトン註〕は、現実とは究極的に「精神的」なものであり・人間の意識と道徳的選択の産物であるという「絶対的観念論」』に基いて、『人類〔…〕の完全なる自己実現のための道徳的規範を提示した。〔…〕人類は本質的に社会的存在であるため、自己実現は他者との交わりによってのみ達成される〔…〕それ以外の概念はすべて個人主義』『幻想にすぎないとされた。

 

 そこからして、〔…〕近代の自由主義的個人は、〔…〕完全な自己実現には至らない営みしかもたらさないことになる。その営みでは、契約に基づ』く社会全体の『利益と、自己利益との浅薄な妥協を乗り越えることは決してできない〔…〕

 

 これに対してジェンティーレは、国民というものが、個人と集団の両面にわたる道徳的選択のための土台を提供すべきだと主張した。こうし』『彼は、個々人が継続的に自己を改造し実現することのできる主権的制度としての「倫理的国家〔…〕を導き出すことになった。彼は、「ファシスト国家〔…〕精神的な力である」と説明した。〔…〕それは〔…〕具体的には〔…〕国民の意志を具現化する国民的指導者との〔ギトン註ーー個人の〕同一化を意味するとされた。


 ジェンティーレにとって、国民とは、意志に基いて選択され・想像された共同体であった。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.203-204.  

 

 

 つまり、ジェンティーレムッソリーニとともに唱えた「ファシズム」とは、伝統的なナショナリズム(民族主義,国民主義)とは異なるものでした。それは、いわば自由主義・個人主義の洗礼を経たナショナリズムであり、洗礼を経たうえで・人間は・自己実現のために「国民」を選びとって自らの「自由」と「個人」を否定する――そういう考え方だったと言えます。ジェンティーレによれば、「伝統的なナショナリズム」がもつ問題点は、「国民」を「何か所与のもの」「外部からもたらされたものと理解している」点にありました。が、彼の哲学では、「人間の意志や道徳的選択を超越したものなど〔…〕存在しなかった。」彼にとって「国民」とは、どこか外部から与えられるものでも、人間に先立って歴史によって決定されてしまっているものでもなかった。「人間の意志と道徳的選択」だけが、「国民」の根拠でなければならなかった。「イタリア」の統一はいまだ未完であり、「イタリア国民」とは、彼らが自らの「意志と道徳的選択」によって創り出すものだったのです。ジェンティーレにとって「ファシズムとは、国民の継続的な創造であるべきだった。」

 

 しかしながら、「国民」は、人間の「意志に基くものであったとしても、それは、個人主義的なものではなかった。」「国民」の創造は、「国民国家と市民の完全な同一化」によって達成される。それは「何よりもまず、国民的で・まさに包括的な教育の成果なのであった。近代国家は、ただ単に倫理的国家」であるというにとどまらず「国民に思想を教え込む国家」でなければならなかった。

 

 ジェンティーレは、最初のムッソリーニ内閣で教育相を務めた際、教育省を「国民教育省」と改称し、19世紀半ば以後最大の公教育改革に着手した。そのさい、「人文主義およびナショナリズム〔…〕に重点を置きつつ、生徒の意志を教師のそれと[一体化させる]重要性を強調した。ムッソリーニはこの〔…〕政策を称賛し」た。

 

 このようなジェンティーレの『ファシストの教義』を、クローチェ〔※〕は、「子供の作文だ」と嘲笑しました。たしかに、家族→市民社会→国家 というヘーゲルの弁証法の図式を皮相的になぞった作文にも見えます。そこでは、ヘーゲルには無い 個人と国家、生徒と教師の無媒介な「合一」が、かなり短絡的に追求されていました。

 註※「クローチェ」: Benedetto Croce〔1866-1952〕:イタリアの哲学者・歴史学者。『ヴィーコの哲学』『歴史叙述の理論と歴史』『ナポリ王国史』など。「すべての歴史は現代史である」との言は有名。はじめ、ムッソリーニのファシスト政権を支持したが、1925年頃から反ファシズムに転じ、以後一貫して批判し続けた。

 

 

ジョルジョ・デ・キリコ大きな塔』1921年。

Giorgio de Chirico, The Great Tower. ©Wikimedia.

 

 

ムッソリーニは社会主義からファシズムへと転じ〔…〕たけれども、集団主義者という点では終始一貫していた。〔…〕彼の課題は、社会主義時代における唯物論から、ファシズムに必要な「唯心論」への転向であった。〔…〕ジェンティーレが人類の共同体志向と精神的性質を強調する「行動的観念論 アットゥアリズモ」の哲学と呼んだものは、〔…〕「倫理的国家」と同様に、すぐさまムッソリーニの関心を惹いたのであろう。

 

 (真偽のほどは確かではないが)カール・シュミットの証言によれば 1936年、ドゥーチェ〔ムッソリーニ――ギトン註〕〔…〕国家は永遠であり、党は一時的である。わたしはヘーゲル主義者だ」と語ったという。

 

 倫理的国家は全体的国家〔…〕であろうとした。それはつまり、「すべてが国家の中にあり、国家の外部には何も存在せず、国家に敵対するものも存在しない」ことを意味していた。〔…〕ジェンティーレは、これが正真正銘の民主主義の形態であり、集団的政治行動を生み出す〔…〕最良の方法だとも主張しつづけた。1927年、彼は〔ギトン註――米国の雑誌〕『フォリン・アフェアーズ』誌上で〔…〕以下のように説明している:

 

 ファシスト国家〔…〕人民の国家であり、つまり、抜きんでた存在の民主的国家なのである。国家が存在するのは、市民国家を存在させようとする限りにおいてであ〔…〕る。それゆえ、国家の形態は、個々人の、すなわち大衆によって意識されている形態と同一となる。

 

 それゆえに党組織が必要なのであり、ファシズムがドゥーチェの思想と意志を大衆の思想と意志にするうえで用いるプロパガンダと教育の実行組織〔つまり党組織――ギトン註〕が必要になるのである。そこから、ごく小さな子供もふくめて人民大衆の全体をの手中に収めるという・ファシズムにとっての巨大な課題が生じてくる。

 

 こうした構想から、純粋民主主義が描きだされる。ジェンティーレによれば「国家と個人はひとつであり同一である。」

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.206-207. .  

 


 すなわち、ムッソリーニジェンティーレの構想では、ひとりひとりの大衆の「思想と意志」は独裁者の「思想と意志」と完全に一致しなければならない。それこそが「国家と個人の同一化」であり、「正真正銘の民主主義」であり「純粋民主主義」である。そして、「ファシズム」のこの壮大な構想を実現する手段が、によるプロパガンダと教育であり、生徒を教師に同一化させる「公教育」である。――ということになります。

 

 しかしながら、じっさいのイタリアにおけるムッソリーニ政権は、こうした「全体主義」の完全な実現へと進んだわけではありませんでした。ムッソリーニの政権獲得は、国王の命を受けるかたちで行なわれたのであって、旧勢力との妥協は必然的であったからです。伝統的な勢力,制度,価値への従属が残されました。

 

 次節では、その過程を見てゆくこととなります。

 

 

 

 

 

 

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