ロマン・M・セマシュケヴィチザ・モスクヴォレーチエの通り』1930年。

Roman M. Semaschkewitsch, Straße in Samoskvorechye, anagoria,

 Улица в Замоскворечье, Tretyakov Gallery. ©Wikimedia.

 

 

 

 

 

 

 

 

【26】 スターリン ――「大粛清」はなぜ?

 

 

 スターリン体制」の狂気は、 失政の責任を擦 なす りつけるスケープゴートを狩り出した、というだけでは説明できません。「集産化」とも飢餓とも関係のない軍隊が、それどころか、独ソ戦の戦線から帰還した兵士までが檥甡になっているからです。「粛清は、国家の壮大な自傷行為の観を呈」したほど、ソ連国家の隅々にわたって、なぜ檥甡になるのかさえ自ら理解できない膨大な檥甡者群を掃き出したのです。

 

  スターリン本人は、潜在的な競争相手の排除を狙っていた、という説明は、一定の説得力を持ちます。たしかに、幹部級の粛清に関しては、そう言えるでしょう。 自らの支配が傷つくのを極度に恐れるという・あらゆる独裁者に共通の心理が、これを補強します。その場合、 排除されなければならないのは、競争者だけではない。権力の地位に上昇する前のスターリンを知っていた同僚や部下も、ことごとく消滅させなければならない。彼らは、「ロシア革命」でスターリンが何の役目もしていなかったこと、家庭教師に付いて習うまでマルクス主義を知らなかったこと、‥‥などなどを知っていたからです。彼らの記憶は、「カリスマ化」の邪魔になる。

 

 「過去」の目撃者だけでなく、「外部」の目撃者も危険です。ファシズム化した諸国から亡命してきた共産党員の多くが檥甡になりました。彼らは、「スターリンの手で刹されるために来たようなものだった。」粛清を免れるには、野坂参三がそうしたように、仲間の罪をでっち上げて密告するのが最善の方法でした。1940年代にドイツ側の捕虜となってから帰還した兵士がほとんど全員「粛清」されたのも、「西側の世界」を見てしまったためと推測することができます。

 

 しかし、これに関連して私は、ミュラーが挙げていない・「粛清」の第7の目的を付け加えたいと思います。それは、 シベリア開発などの「囚人労働力」の確保です。帰還捕虜も、かなりの部分が銃刹ではなく労働収容所に送られました。戦後の日本兵に対する「シベリア抑留」など、目的は明らかに労働力です。これらの強制労働と、シベリアなどの電力・工業開発の関係は、現在でも明らかにされてはいませんが、人口稀薄なシベリアで、あれほど目覚ましい開発が、現地住民の労働だけで遂行しえたとは思えないのです。

 

 「共犯者の創出」は、「でっちあげ」要員の確保であり、「粛清」の裏の面ですが、「共犯者」自身が未来の檥甡者であったことに、スターリンの現出させた事態の特質があります。ある意味で、それは「犯罪集団あるいは血縁集団」と同じ結束の論理であり、「そこではすべてが〔…〕個人的関係に依存していた」。こうして、「歴史を創る正しい道を指し示す非人格的カリスマとしての」前衛党という論理は、もはや通用しなくなっていたのです。「共犯者を創る」スターリンのやり方は徹底していました。しばしば、虐刹にあたって、「決定の場に居合わせた」全員に署名をさせています。

 

 

シベリア・イェニセイ河を堰き止めたクラスノヤルスク湖。 ©Wikimedia.

1956年に着工され、72年完成当時には世界最大の水力発電量を誇ったこの

人工湖とダムは、どれほどの強制労働を費やしたのだろうか?

 

 

 ⑥ スターリン自身が「いつも脅かされていると感じ」ていました。しだいに「この指導者は〔…〕実際に社会で」何が起きているか分からない、自分の命令が本当に行なわれたかどうか分からない、と悩むようになり、「実施の証明」の「追求に取り憑かれてしまった。」「実施の証明」は、部下が嘘をついていないかどうか、つまり「正しい共産党員」かどうかにのみ依ると、スターリンは考えたのです。疑われた者は銃刹に送られます。こうして、命令の「実施証明」と「共産党員のアイデンティティ」が、ひたすら要求されるようになり、それが、共産党と社会全体を、救いようのない混乱に陥れた。「それは恐怖を爆発させ、人民をお互いに攻撃させた。〔…〕ある秘密警察官が説明したように、[他の誰かを裏切り者と暴露することで自分が裏切り者ではないと証明するまで、すべての人が裏切り者だった]。」

 

 しかし、このような異常な状態は、体制を不安定にするどころか、むしろその結束性を高めたのです。というのは、「相互信頼がまったく欠けているのだから、反対派どころか反対意見らしきものもまとまることは不可能であった。」(pp.151-162.)

 

 ところで、このような原理でまとまっている政党――「教団」ではなく――が、現在の日本にもあることは、ご存知でしょうか? そこでは、末端の会議での相互批判が奨励され、一見すると自由民主主義を強調しているかのようですが、あらゆる「分派」活動は禁止され、党内に影響力のある意見を述べた下部党員は、その内容いかんにかかわりなく、「攪乱した」などの理由をでっち上げられて除名・排除されます。

 

 このように、ある状況のもとでは、「相互批判」が奨励されるのは「言論の自由」でも「民主主義」でもない。相互信頼を減刹させて、反対意見がまとまるのを防ぐためだ、という良い例です。
 

 

 

【27】 「1936年ソヴィエト憲法」と「新しい人民」

 

 

 スターリンのもとで、「大粛清」と同時進行した事業が2つあります。『1936年ソヴィエト憲法』の制定公布、そして 「新しい人民」を創造することです。「テロル〔大粛清〕のもう一つの誘因が、新しいソヴィエト憲法の導入にあったことは〔…〕まちがいない。」

 

 スターリンは『1936年憲法』を、「世界で唯一の徹底的に民主的な憲法」だと自賛しました。なるほど、それまでの「制限選挙権」〔都市の有権者と勤労階級の有権者の制度的優位。1918年憲法には、「資本家・地主・聖職者」の選挙権剥奪規定があった〕は廃止され、間接選挙から〔国会にあたる「最高会議」の〕直接選挙に変更された。このような、一見すると「民主的」な制度への改革は、「[階級対立]はソ連から〔…〕姿を消した」からだと宣伝され、「いまや全く新しい人民――ソヴィエト人民――とまったく新しい愛国主義――ソヴィエト愛国主義――が、社会主義を、そして最終的には共産主義を実現するために創り出されねばならな」い、とされた。そこで、問題は、この 「新しい人民」の実体です。「社会主義建設」の完了によって階級は消滅した〔「搾取者」はいなくなった、とされた〕から、完全に民主的な選挙ができるようになった、というのは本当でしょうか?

 

 

イサーク・ブロツキィ憲法の日』1930年。Isaak Brodsky, Day of Constitution; 

И. Бродский, Праздник Конституции. ©Wikimedia.

 

 

 『36年憲法』には、

 

 

『勤労者の利益に適合し、かつ人民大衆の組織的自主活動および政治的積極性の発展を目的として、ソ連邦の市民に、社会諸組織、すなわち労働組合、協同組合、青年組織、スポーツおよび防衛組織、文化的、技術的および学術的団体に団結する権利が保障される。また労働者階級、勤労農民および勤労インテリゲンツィアのうちの最も積極的かつ意識的な市民は、自由意志にもとづいて、共産主義社会を建設するための闘争において勤労者の前衛部隊であり、かつ勤労者のすべての社会的ならびに国家的組織の指導的中核をなすソビエト連邦共産党に団結する。』

『1936年ソヴィエト連邦憲法』第126条. . 

 

 

 という規定があります。また、「人民」の権利としては、「労働権」のほかには、「休息・余暇・医療保障・高齢者と病人の看護・居住・教育・文化的援助など」が記されていますが、これらは集団的な権利であって、個人の権利ではありません。

 

 つまり、ソヴィエト連邦憲法が規定する「人民」とは、自由主義・立憲主義諸国の国民のような「自由な個人」の集合体ではなく、共産党を中心として「人民の政治的発展」を目的とする集団的活動を行なう巨大集団であって、個人というものは、憲法上存在しないのです。

 

 そのような「人民」概念のもとで、実際にはどんな「民主主義」が行なわれるでしょうか? 例として、この『36年憲法』の制定過程を追ってみましょう。

 

 「36年6月に草稿が作成されたのち〔…〕[公的議論]に附せられ、多数の意見が憲法委員会に送られた。また、5000万にのぼるソヴィエト市民が、草稿を議論する〔…〕50万の会合に参加した。」こうして、「理屈の上では、憲法は広範囲に及ぶ人民の参加によって作り上げられた」かのようです。

 

 しかし、スターリンが述べるところによれば、反対派は、民主主義とは分派を形成する自由だと思っているが、「われわれは民主主義をそのようには理解しない。」反対派の「分派形成」は禁圧されなければならないし、民主的討論は、「党大衆の活動と意識の向上」を目的としなければならない。「つまり、問題に関する議論だけ」が目的ではない。党が「指導力を発揮する場への・党大衆の体系的な参与」の場でなければならない。

 

 すなわち、「憲法」の大衆討論は、どんな憲法にするかを議論する場ではなく、大衆を、が正しいと思う方向へ政治教育するための場である。そこでは、反対意見を持つ者が「分派」をなして自分の意見を主張するようなことがあってはならない。というのです。

 

 

ラマン・シエマシュキエヴィチ思案』1934年。

Raman Siemaŝkieviĉ ,"Роздум"[belaruskaya]. ©Wikimedia.

 

 

 こうして『36年憲法』の制定過程は、「人民」のあいだに「ある種の大衆的正統性を生み出そうとする巨大な試み」であり、そこでは、「民主主義」とは、討論・採決による「政治的選択」ではなく、「非人格的な政党カリスマへの」帰依として理解されたのです。

 

 この 「新しい人民」の創出において重要なのは、いまや教育と〈改造〉の対象は「党員大衆」に限られず、それ以外の全「人民」に及んでいたことです。スターリンが 1920年代半ばに予告していたように、いまや[百万人もの非党員労働者と農民大衆を包括する自治組織,委員会,協議会からなる巨大な蟻塚が生まれた――この蟻塚こそ、毎日の〔…〕静かな労働を通じて、ソヴィエト国家の強さの源泉を創造しているのだ。]こうして、「第1に党への参加を通じて」、さらにより広汎な大衆が「国家に参加することで、まったく新しい人民――ソヴィエト人民――が創造されつつあった。」

 

 そこで、問題になるのは、これら  憲法制定、および 「新しい人民」の創造と、「大粛清」との関係です。「大粛清」こそは、↑以上のような特別な「民主主義」を創出し維持するためには必須の装置であったことが分かるのです。

 

 レーニンの教説では、鋼鉄のような「新しい人間」は、少数の「前衛党員」であり、「つねにエリートにとどまるとされた」。ところが、スターリンは、これを「党員大衆」を超えて広げ、「まったく新しい人民を創造しようと試みた。」レーニンの時代に少数のエリートを鍛えた熱槌は、いまや全「人民」に及ぼされなければならなかった。その役割を果たしたのが、「大粛清」による「恐怖の監視/密告」体制だった、というのです。

 

 また、スターリンらを悩ませたいまひとつの問題として、「直接選挙」のリスクがありました。いかに「分派」を根こそぎ禁圧し大衆の政治教育を徹底しようとも、党外をふくむ人民による「直接選挙」は、いつどんな形で反対派の議員を選び出さないとも限らない。しかも、当時すでに党外には、「党から除名された150万」の人びとがいたのです。彼らの動向を監視し、危うい者から先にシベリアへ、または墓地へ送り込むために、「大粛清」は「民主主義」維持に必須の手段だったのです。「粛清の推進」によって「異議と[逸脱]の可能性をもたない人民を形成」しなければならない。(結局それだけでは懸念を払拭できず、選挙実施の「土壇場になって党は、投票名簿に載せられるのは」党が「事前承認した候補者だけと決めた。」)〔現在の日本でも、ある政党は、規約では党役員選挙の立候補は自由とされているのに、実際には党が承認した投票名簿に丸を付けるスターリン以来の方式で行ない、それを「民主主義」と称している〕

 

 そこで、「民主主義」のためには「大粛清」が正当化されなければなりませんでした。それには、なによりも「国家」の強大な権力が正当化されなければならなかった。というのは、「社会主義化」の進展とともに「国家」権力は必要がなくなり、ついには国家は消滅する、とのレーニンの “遺言” と、何とかして辻褄を合わせる必要があったからです。

 

 強大な権力とテロルの正当化は、2つの根拠によってなされました。ひとつは、スターリンがひねり出した詭弁で、「[階級の廃止は、階級闘争の消滅によってではなく、その激化によって達成される。]〔…〕社会主義が」完成に「近づくにつれて」、ブルジョワ階級の残党は瀕タヒの抵抗を強めるから「階級闘争はますます激化」する。これを圧伏するために「国家はより強力になる必要がある」と言うのです。スターリンは 1933年には、「国家のタヒ滅は、国家権力の弱体化ではなく、その最大限の強化を通じて生じる」とまで言っています。

 

 

ブルーノ・リリエフォッシュ冬景色の中の狐』1938年。

Bruno Liljefors,  Fox in Winter  Landscape, Räv i vinterlandskap,

Nationalmuseum Stockholm. ©Wikimedia.

 

 

  もうひとつの正当化は、国外におけるファシズムの抬頭、その後の第2次大戦という事態によってなされました。「国が敵〔資本主義世界〕に包囲されたままであるという事実が、〔…〕テロルを正当化した。」まさに「ファシズムの興隆ほど、スターリンを正当化するものは無かった。」(pp.162-167.)

 

 

 

 

 

 

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