パウル・クレー建設』1923年。

Paul Klee, Architectur, Neue Nationalgalerie. ©Wikimedia.

 

 

 

 

 

 

 

 

【43】 スターリン ――「プロレタリア独裁」ではなく

「書記局の独裁」=官僚支配へ

 


スターリンの敵対者が 1929年に指摘したことは、ある意味で正しかった。〔…〕スターリンはプロレタリアート独裁を確立しなかった――その代わりに、書記局の独裁が生まれた、と。

 

 「熟練者で仕事ができるという評判を得た』こと、『組織政治家にして国家建設者」と見られたことは、〔ギトン註――「革命」がもはや過去の出来事となった〕1920年代後半においては、決して悪いことではなかった。〔…〕官僚制支配は〔…〕信頼できる対応のように思われた。というのもスターリンは(〔…〕「かつて」の人民とではなく、新しい人民とともに)新しい国家の建設を続け、(かつて試されたことのない)社会主義型の生産管理法を見つけ出す必要に迫られたからである。

 

 〔…〕スターリンの課題は、大陸帝国を革命蜂起と内乱から再建し、機能的な国家へと効果的に変えることであった。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.153-154. .  



 これらの点で、スターリンヒトラーとは大きな違いがあった。ヒトラーは「ワイマル・ドイツ」から「機能的な国家構造を引き継ぎ〔…〕一定数の伝統的エリートの協力に頼ることができた。」ヒトラーもナチス党も、彼らの「国家社会主義」という看板が想像させるような国家機構の「青写真」を持っていたわけではない。が、スターリンはそれを持つ必要に迫られ、持ち得た時に権力をも得ることができた。

 

 「ヒトラーの課題」は「伝統的な国民国家を、完全に新しいタイプの人種主義帝国へと拡大することにあった」が、スターリンの場合には、基盤となるような伝統的な国家体制は無く、彼は自ら「機能的国家」を建設しなければならなかった。そのために彼が「第一の目標」として掲げたのは、「政体内部におけるイデオロギーの純化」だった。集権化を強め、官僚制を故障なく機能させるに必要なのは、官庁の整備でも経済発展でもなく、唯一のイデオロギーによる人心の「純化」だった。(p.154.)

 

 

ジョルジュ・ブラック葡萄とクラリネットのある静物』1927年。

Georges Braque, Still Life with Grapes and Clarinet, The Phillips Collection, Washington, D.C . ©Wikimedia.

 


スターリンは、レーニンの「新経済政策 ネップ」の帰結に直面していた。ネップは〔…〕ロシアの農民にとって、短命だったが・ほとんど黄金時代と言ってよい瞬間だった――それは、農民層の富を増大させれば〔…〕彼らは十分な食糧を供給し・工業製品を買うようになる・というニコライ・ブハーリンの考えに基いて推進された。』結果として『独立した土地所有農民と都市の商人を増加させるとともに、いわゆるネップマンによる多くの詐欺まがいの経済活動や利潤追求を生み出し〔…〕た。〔…〕悪名高い成金層が勃興した。〔…〕都市における彼らの顕示的消費』『憤慨を惹き起こした』が、それには『それなりの〔…〕理由があった。〔…〕ネップマンの経済状況はきわめて不安定で税金も高額だったので、投資はほとんど無意味』だったから、『できるかぎり早くすべてを消費』しなければならなかったのだ。

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.154-155. .  

 

 

 つまり、「ネップ」の根本的な問題点は、その主たる狙い、すなわち「市場活動の制限的許容」にあったと見ることができます。「ネップ」の追求した目的そのものが、失敗の根本原因でもあったことになります。たしかに、農村の余剰生産を原資とする富農層・商人層が成長しました。しかし、彼らの活動可能性は、「社会主義化」を大義とする枠組みによって制限されていた。獲得した利潤は「投資」すべき対象を見いだすことができず、自ら事業を拡張するにも(高額課税など)障碍が多すぎた。商業活動じたいも不安定で、したがって、得られた利潤は「できるかぎり早く」費消し、消費を誇示することによって個人的満足を得るほかはなかったのです。これでは、全体としての経済は、安定も成長もしません。


 

『ネップは、レーニン主義の教義に対して深刻な問題を突きつけた。もし、制限された市場活動を通じて近代化を継続するの』であれば、は、〔…〕政党カリスマ』を失う危機に見舞われることとなる。は、〔…〕英雄的な創設者への忠誠を喚起し〔…〕動員や〔…〕動機付けを可能にする力・を失ってしまう危機のなかにあった。

 

 これらの危機に対する対応――および、徐々に忍び寄る市場化・への明確な代案――は、強制的工業化農業集団化であるように思えた。それが、戦時共産主義という陶酔の時代への回帰として提示された』ときには、『とくにそうだった。回帰の過程で、教義の純粋さを取り戻すこと』が期待された。『しかし、もっと社会学的な理由づけも』主張された。『後進的で農民に支配されたロシアでは、共産党は、〔…〕実際にはプロレタリアートをいまだに創り出せていなかった。彼らは上部構造を握っていたから、いまこそその土台・下部構造を作る、あるいはとにかく拡大する〔つまり、「独立自営」の農民を減らして、党に忠良な農・工のプロレタリアを増やす――ギトン註〕必要があった。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.155-156. .  

 

 

アリスタルフ・レントゥロフヴォイコフのケルチ冶金工場の労働者たち

1930年。Aristarkh Lentulov, The Workers of the Voykov Kerch Metal Factory,

Рабочие Керченского металлургического завода им. Войкова.

Chelyabinsk Pipe Rolling Plant collection. ©Wikimedia.

 

 

 

【44】 スターリン ――

「強制的工業化」と「クラークの撲滅」

 

 

 「こうしてスターリンは、強制的工業化〔…〕に乗り出した。この事業が必要としたのは」、「 外国資本の導入」か、 資本が無くても力づくで農村を搾取するか――の、どちらかだった。「スターリンは後者の道を選び、農民に集団農場へ移るよう強制した。」

 

 つまり、スターリンが狙ったのは、〈産業革命〉を人工的に起こすことだった、と言えば理解しやすいでしょう。スターリン主義を「開発独裁の一種」――人工的な資本主義化――とする理解が説得力をもつ理由です。

 

  ひとつの方法は、先進国の資本による〈経済侵略〉を、後進国の政府が歓迎して呼び込むことで起動されます。イギリスが 200年ほどかけた過程を、数十年以内に縮めて現出させることができます。農村は破壊され、食糧と労働力が都市に流れて、工業社会を形成する素材に――資本の餌食に――なります。19世紀後半以来、多くの後進国が、この方法を実施してきました。日本も例外ではありません。

 

 しかし、ボリシェヴィキ党には、 の方法をとれない理由がありました。19世紀後半からロシアでも徐々に萌していたこの過程を、レーニンは「寄生的資本家」を育てていると非難して、その除去を主張したからです(もっとも、「ネップ」の成果を見たレーニンは、例によって風見鶏の方向転換を考え始めていた矢先、それを理論化することなく病タヒしてしまいました)。それゆえ、 を容認することは教祖への裏切りであり、忠良な共産党員には、口が裂けても言えないことでした。

 

 そこで、有能な官僚スターリンが考え出したのが  です。要は、農村を破壊して、自営農民から土地を奪い、プロレタリアとして都市へ掃き出したうえ、彼らに喰わせる食糧が農村から供給されるようにすれば(つまり「本源的蓄積」)よいのです。それを、「市場」経済によってではなく、人工的に、共産党国家官僚の政治権力によって実現すればよい。それなら、レーニンの教義に反しないし、外国資本に屈服しなくてもできる。

 

 こうして「 食糧と〔…〕労働力の〔…〕提供を農民に容赦なく強制する」方法が実施されました。ただし、この収奪と引き換えに、都市から農村へ「日用品・消費財」が供給されたかというと、これはほとんどありませんでした。一方的な収奪となったのです。農民は、自有耕地を奪われて「集団農場」に集められ、「プロレタリア」化されました。「スターリンが[階級としてのクラーク〔富農〕の撲滅]と好んで呼んだものが進行しはじめた。」その実、「クラーク」などという階層が成立していたかどうかは疑問です。実際には、ジノヴィエフが告白したように、「われわれは、食べるには困らない農民をすべてクラークと分類し」て「撲滅」したのでした。「これは、ボリシェヴィキのなかに広く見られた反自営農感情と一致した。」のみならず、「マルクス主義理論の古典のなかに」散在する農民蔑視の偏見とも一致した――マルクスの出身階級は貴族で、エンゲルスは自ら工場経営者だった――のです

 

 

セルゲイ・ヴィノグラドフ静かな風』1932年。

Sergey Vinogradov, Виноградов, Тихий вечер. ©Wikimedia.

 

 

 「この政策は」机上においては「中央集権的な社会工学計画」のように見えたが、その実施においては、「全国規模のポグロム〔ユダヤ人に対する市民の集団的刹戮・破壊行動〕に似たものとなった。」ただし、対象はユダヤ人ではなく、中程度以上のすべての住民であり、担い手は、一般市民ではなく国家の官吏たちです。「国家官吏たちは、しばしば手当たり次第に何でも奪い、現場でクラークのウォッカを飲み、彼らの衣服を盗んだ。これに対してクラークたちは、官吏に引き渡すよりも」自ら「家畜を大量に刹し、道具を破壊する〔…〕ことも多かった。結果は〔…〕惨憺たるものだった。終りのない暴力の連鎖――人肉食も含む――や空前の飢餓で、何百万人もがタヒ亡した。」

 

 その一方で、ソヴィエト当局による〈隠蔽〉とプロパガンダは大成功を収めた。スターリンは、「国内旅券」を復活して、地方・農村のこれら大惨事を、多くのロシア人にも外国にも知れないようにした。ソヴィエト政府は「国際市場で穀物を売り続け、赤十字からのいかなる援助も拒絶した。」アンドレ・ジイドら西欧の知識人を招いて豪華な晩餐会を開き、強制収容所の被収容者に扮装した秘密警察員が、栄養の行き届いた容貌を見せながら、恵まれた待遇を賛美して欺いた。(pp.156-158.)

 

 

 

【45】 スターリン ―― 「集団化」の失敗、

「見世物裁判」と粛清の開始

 

 

『とはいえ、集産化の失敗は、国内ではある程度までしか隠すことができなかった。〔…〕政策の失敗がはっきりすればするほど、体制はますますスケープゴートや陰謀論を必要とした。――それゆえ、体制』『「破壊者」から「サボタージュの工作人」〔…〕「スパイ」へと犯人捜しを〔…〕エスカレートさせていった。敵を表わす公式の言葉も、「階級の敵」から「人民の敵」に置き換わり、〔…〕共産党の内部にも潜むことが示唆された。〔…〕

 

 こうして 1930年代半ばの見世物裁判が始まった。〔…〕共産党は、自らの指導者たちの処刑を要求した――そしてそれは実行された。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,p.158. .  

 

 

 スターリン政権下の「モスクワ裁判」は、1⃣ 1936年8月〔被告ジノヴィエフら16人〕、2⃣ 1937年1月〔被告ピャタコフら17人〕、3⃣ 1938年3月〔被告ブハーリンら21人〕に行なわれ、古参の共産党幹部と・彼らの罪をでっち上げるために共謀者とされた者たちが、「ドイツ日本の手先となってスターリンらを暗刹しようとした」との罪状で、大部分が銃殺刑に処された。懲役刑にされた者も、全員が刑務所で刹害されている。つまり、でっちあげのために動員された者まで全員を処刑または密刹して、証拠を残さないようにしたと見られる。

 

 裁判は、国外から招かれた各数十人のジャーナリスト・知識人と「市民」〔じつは市民に扮装した「内務人民委員部」職員〕に公開され、でっち上げに都合の悪い証言は「市民」のヤジで妨害され、また開廷日の間に拷問等が行なわれた結果、被告人全員が最終的に「自白」した。ブハーリンは、証人として出た 2⃣ で、でっち上げに反する証言をしたので、3⃣ のでっち上げ裁判が行われた。

 

 

ブルーノ・リリエフォッシュ『岩礁の上のケワタガモ』1937年。

Bruno Liljefors, Ejdrar på kobbe. ©Wikimedia.

 

 

 ミュラーによれば、スターリンは「あらかじめ詳細に計画された裁判全体の台本まで書かせて」準備したとされる。検事が激昂して被告人を糾弾する場面なども準備され、被告人たちも周到に「稽古」を重ねて舞台に臨んだ。すくなくとも、「でっちあげ」要員の被告人たちは、自分まで処刑されるとは知らずに、熱心に「稽古」に励んだようだ。

 

 このような「見世物裁判」〔及びそれに続く広汎な活動家・人民一般の粛清〕が行なわれた理由・動機として、ミュラーは、「集産化」などの政策の失敗を覆い隠すためのスケープゴート、 スターリンが、古参ボリシェヴィキなど「潜在的な競争者を全滅させ」て独裁を確実にするための「個人的権力政治」、 スターリン自身の狂気ないし「偏執狂 パラノイア 的人格」、 ソ連以前のロシアと、ソ連以外の体制の「目撃者の体系的な絶滅」、 このようなスターリンの体制への「共犯者の創出」。すなわち、「できるかぎり多くの人びとを巻き込むこと」によって結束を固めようとする「犯罪集団の論理」。 このような体制の中で惹き起こされた・相互密告による「恐怖の爆発」。を挙げています。(pp.158-162.)

 

 

 

 

 

 

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