Emil Nolde『秋の海 Ⅻ (青い水,橙の雲)』1910年.©Minnesota Marine Art Museum
【10】 自由主義,普遍主義と「民族自決」;
ヨーロッパの失墜,軍事的「水平化」
日本の高校の世界史教科書には、第1次大戦後、ウィルソン大統領が提唱した「民族自決」原則が世界中から歓呼をもって迎えられ、採用されたかのように書かれています。しかしそれは、歴史的事実とは異なるのです。
当代自由主義者の “最高峰” と言ってもよいウィルソン教授兼大統領の「民族自決」原則は、最高権威の自由主義者のあいだでは、たいへん評判が悪かったのです。なぜなら、「自由主義」とは本来「普遍主義」であり、コスモポリタンを志向するものだからです。弱小な「民族」ごとに国家を細かく分けるようなナショナリズムへの譲歩は、彼らの「19世紀的自由主義」には馴染まなかった。「大衆の政治参加」という新しい事態に直面して、自由主義者のあいだで大きく対応が分かれたのも、第1次大戦後の特徴と言えるのかもしれません。
パリ講和会議にあたって、「普遍主義」を志向する「自由主義」の多数派――「あらゆる学者や専門家がヴェルサイユに集まった。〔…〕彼らは、ナショナリズムの熱狂を超越した覚書や計画を提出しつづけた。」ケインズがその一人だったし、ウェーバーも、覚書に名を連ねていた。彼らは、諸国が「平和と共通の繁栄の名のもとに協調してほしいと願っていた。」ケインズは、「平和原則 14カ条」を「ウィルソンのドグマ」と呼んで嘲笑した。「それは、[貿易や文化のつながりよりも、人種や国籍の分離を賛美し〔…〕、幸福ではなく国境を保障する]ものだったから」。
しかし実際のところ、諸国の官僚と外交官たちは、これら「自由に浮動するコスモポリタンの知識人ら」の提案を取り入れることはなかった。学者たちの「試みは〔…〕失敗に終った。この失敗により、」諸国民のあいだの「根深い敵対を乗り越えることができ」ず、「大戦後の秩序は〔…〕基礎から欠陥を抱え」たものとなった。敗戦諸国に課された巨額の賠償金。そして、「民族自決」による小国家群の乱立と国境変更は、古い「自由主義者」たちの考えでは、賠償の取立てにも劣らず爆発の危険を孕みこむものだった。
ケインズはまた、ヨーロッパの「道徳的疲弊」、相互の「信頼に対する全般的危機」、「普遍主義からの全体的な後退」が起きていることを指摘した。彼は言う、「物質的な安寧という喫緊な問題を超えて」他者を「感じたり労わったりするわれわれの力は〔…〕失われている。」
ケインズがウィルソンを嘲うのとは対照的に、⑦ 多くのヨーロッパ人が「アメリカに政治的・道徳的リーダーシップを求めた。」そして実際に、大戦後のヨーロッパ世界では「経済、〔…〕文化のアメリカ化が進み、〔…〕ヨーロッパの文化批判者の眼には、それが〔…〕[大衆社会]への堕落を加速させたように映じた。」
「世界が最終的にヨーロッパ化すると単純に信じることも、もはや不可能になった。〔…〕16世紀のオスマン帝国の侵攻以来はじめて、ヨーロッパが自らの運命を非ヨーロッパの大国に委ねた」のが、この時だった。「ほとんどのヨーロッパ人は〔…〕気づいていなかった」が、この時ヨーロッパは、「地球上での卓越した地位を永久に失なったのかもしれな」かった。すなわち ⑦ ヨーロッパの「優越的地位」の失墜である。
Franz Marc,『岩がちな道(山岳地形)』 1911 年。
San Francisco Museum of Modern Art.
⑧「戦争は、水平化と同質化ももたらした。前線における[塹壕民主主義]と〔…〕[溶融した大衆]である。」ドイツの作家エルンスト・ユンガーは、戦争で「莫大な損失を被った社会集団内に生まれた・男性間の新しい兄弟感情の神秘を祝福した。」集団内には「下級士官,非熟練労働者が含まれ、彼らこそ真の[塹壕の貴族]だとされた。〔…〕戦争は、新しい種類のエリート意識」を生み出したのだ。彼らは「恐れを知らず伝統的で、流血を避けないが憐れみを避ける人種であり、機械を造り、機械を信じ、機械」を「冷徹な理性と熱き血でコントロールする〔…〕。彼らが世界を一新する」とユンガーは称賛した。「塹壕のエリートたち」は、「民族ボルシェヴィスト」「民族革命派」などと自称し、情緒本位の直接行動を特徴としたが、マルクス主義者にもナチスにも合流しない独自の道を歩んだ。(pp.46-49.)
以上が、⑧「塹壕民主主義」と「政治の軍事化」という・第1次大戦後に現れた新たな傾向です。
『戦争は、2つの政治的なイメージを遺産として残した。
ひとつは、国家,労働者,資本家の妥協の政治、いいかえれば合理的な利益追求の政治である。
もう一つは、国民 ネーション を救済することに意志を集中させる・軍事化された政治である。
どちらも、19世紀の古典的自由主義の否定であり、〔…〕「大衆の政治への参入」〔…〕に独自のやり方で対応する試みだった。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,p.49. .
【11】 マクス・ウェーバー ――
「福祉国家」と「官僚制」の危険
『法律家として訓練を受けていたウェーバーは、〔…〕多くのドイツの同時代人同様〔…〕法形式主義者であって、国家を脱神秘化しようと試みていた。国家はいかなる種類の「有機体」でもないし、特定の目的と同一視されうるものでもない。ウェーバーは国家を、もっぱら国家が用いる手段を通じて定義し〔…〕た。すなわち、「国家とは、ある一定の領域の内部で、正統な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」〔…〕
強制力の強調は、ウェーバーが政治を永続的な闘争として〔…〕イメージしたこととよく一致した〔…〕。しかし、より重要なのは、暴力の正統性であった。近代国家では、正統性は、特定の目的を追求する約束によってではなく、合法性を通じて獲得される。これは、正しい法の制定手続に従い、――官職が私有財産のように所有される封建制やその他の体制とは異なり――行政手段から明確に分離された行政官に執行を任せた結果である。ウェーバーが近代の「大衆国家」と呼んだものは、このように、必然的に官僚制をともなって出現したのである。
Adolf Erbslöh〔1881-1947〕『ポジターノ(イタリア、ナポリ)近くの海岸』
他の法実証主義者と同様、ウェーバーは、法をいかなる道徳的基礎付けからも切り離す。自然法や客観的な普遍的価値への信仰は〔…〕衰退したと考えていた。したがって、憲法の範囲内での命令として立法される場合に限って、法は妥当性を有し、〔…〕服従される〔…〕。法実証主義者のほとんどが政治的には自由主義者だったが、彼らの理論のなかに自由主義の真の道徳的基礎はなかった。
〔…〕「大衆国家」における法の性質の変化に関する彼の分析は、きわめて大きな影響を及ぼした。〔…〕カール・シュミットやフリードリヒ・フォン・ハイエクなどによって、のちのち取り上げられ〔…〕た。とりわけウェーバーは、自由主義的な「法の支配」が、福祉国家の出現と実質的な「正義」の要求によって侵食されていることを懸念していた。透明性があり、政治家が説明責任を負う一般規則による統治が、特定の状況や特定の市民に向けられた手段や法令と混同されてしまうおそれがあった。正義といった理想〔…〕を、一般的で予見可能な法に書き換えることは不可能だとウェーバーは感じていた。むしろ、それは新しい家産制もしくは封建制の抬頭をまねくかもしれない。そうなれば、説明責任を負わない行政官たちが貴族に変化し、特定の集団を贔屓 ひいき することになる。
官僚制化は、〔…〕自由な個人という考えも疑問に付した〔…〕。ウェーバーは、啓蒙が約束した個人の自律というものの将来について、おおいに憂慮していた。ただし彼は、「大衆」の劣った性質という問題よりも、肥大化しつづける官僚制とデマゴギーのような社会現象〔…〕に、より大きな危険を見いだしていたのである。官僚制もデマゴギーも、民主的な「大衆国家」では不可避だ、というのが彼の考えだった。
〔…〕ウェーバーは、2つの危機を見てとっていた。ひとつは、自由主義的な国家と大衆民主主義の危機。もうひとつは、〔ギトン註――自由で自律的な近代的〕個人の危機である。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.50-52.
【12】 マクス・ウェーバー ――
「プロテスタンティズムの倫理」と「魂なき専門家」
「カルヴァン派の教義である運命予定説」は、現世での無目的な経済活動に信者たちを追い立てた。「彼らは、神に選ばれているかどうか〔タヒ後、天国に迎えられるかどうか〕をどうしても知りたかったのに、絶対に知ることができなかった。牧師は、〔…〕ただ信じるようにと命じた。」不安を減らす方法は、「ひたすら働き続けることだった。〔…〕労働の中でこそ信者は、自らを神の道具であるとみなすことができた」。
「こうしてカルヴァン主義は、現世での経済活動の成功によって、来たる世界での救済を立証するよう信者たちを駆り立てた。」ウェーバーは端的に言う:「神は自ら助くる者を助く」。それは「近代的個人」の深い「内面の孤独」にほかならなかった。カルヴァン派は、「組織だった自己抑制」と「各自の転職に身を捧げるという、固有の生活行動様式を発展させた。」ウェーバーによれば、それが近代に特徴的な「合理化」にほかならなかった。それは、「伝統から決別したという点でも[合理的]」な生活倫理 エ-トス だった。
「この新しい倫理は、あらゆる快楽を厳格に忌避する一方で、より多くの金銭の追求を」強要した。そこでは、「営利は人生の目的と考えられ、人間が物質生活の要求をみたすための手段とは考えられていない」。それこそが、「[資本主義の精神]の出現の前提条件」だった。
Wilhelm Morgner『キリストのエルサレム入城』(1912年)
Museum Ostwall. ©Haus der Geschichte Baden-Württemberg.
「カルヴァン主義者は、これまで世界が体験してきたなかで最大の集合的奴隷化に至る」歴史過程を「始動させたのである。」それは、ウェーバーが「普遍的な合理化と官僚化の[鋼鉄のように堅い容器 」〔「鉄の檻」と誤訳されているが、ウェーバーの原語は、中身を保護するための容器の意〕〔※〕と呼んだものだった。」(pp.52-54.)
註※「鋼鉄のように堅い容器」: ウェーバーの原文:「Nur wie »ein dünner Mantel, den man jederzeit abwerfen könnte«, sollte nach Baxters Ansicht die Sorge um die äußeren Güter um die Schultern seiner Heiligen liegen. Aber aus dem Mantel ließ das Verhängnis ein stahlhartes Gehäuse werden.〔(17世紀英国ピューリタンの説教師)バクスターの考えでは、外物についての配慮は、ただ「いつでも脱ぐことのできる薄いマント」のように聖徒の肩にかけられていなければならなかった。ところが、悲しい運命は、このマントを鋼鉄のように堅い殻に変えてしまった〕」。
『この秩序は現在、〔…〕その機構のなかに入りこんでくるいっさいの諸個人の生活様式を決定しているし、おそらく将来も、燃料の最後の一片が燃え尽きるまで決定しつづけるだろう。〔ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』〕
〔…〕近代資本主義は、〔…〕自由や民主主義と、とくに親和性をもっていたわけではなかった。実際、苛責なき合理化は、ピューリタンの継承者たちを、功利の最大化を追求する狭量な人間に変える危険性を孕んでいた。ウェーバーが言う「魂なき専門家、心情なき快楽主義者」である。
〔…〕科学は、自然秩序のなかに客観的意味など存在しないことを証明し、それによって伝統的ないし神学的な確実性を切り崩した。科学は信念を破壊することはできたが、〔…〕新しい価値を生み出せなかった。〔…〕科学がもたらすことができたのは、結果の予測、外部世界の支配に必要な手段だけであった〔人間がそれら「手段」を用いて目指すべき目的・価値は、科学によって奪い去られたままだった――ギトン註〕。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.54-55.
【13】 マクス・ウェーバー ――
「選択からの逃走」、「主観主義」の誘惑
『西洋近代では、〔…〕多くの異なる「価値の諸領域」や「生の秩序」が出現した。領域や秩序それぞれに主要な価値や内的法則があり、各々の「合理化」の形に従っている。たとえば、経済、美、宗教、〔…〕政治などの諸領域である。これらの価値の諸領域は、ウェーバーによれば、より体系化・専門化し、それゆえ「合理化」してきた。しかし、〔…〕個人の中では、それぞれの主張は両立しえない。〔…〕ウェーバーはこう主張する。「〔…〕これらの神々を支配し、その争いに決着をつけるものは運命であって、けっして[科学]ではない。」
Ernst Ludwig Kirchner「葦を投げる水浴者たち」:画集『橋』(1910年) より。
〔…〕価値多元主義は、〔…〕究極的には、諸個人による基本的に不合理な決定や実存的なコミットメントを求める。〔…〕
人生全体は、〔…〕自覚して生きねばならないとすれば〔…〕究極の決断の連続である。〔Max Weber, "Der Sinn der ›Wertfreiheit‹ der soziologischen und ökonomischen Wissenschaften", 1917.〕
〔…〕あらゆる人間は〔…〕、どの神に仕えるか、自ら選択しなければならない。その際、自分が選ばなかった神々の信者たちと自動的に紛争に突入することになるのだと意識する必要がある。
こうした選択の必要性は、近代の個人に巨大な重荷を課すことになった。ウェーバーによれば、この選択という経験が人間の解放をもたらすことになるのだが、そのように認識するには大いなる成熟を要する。〔…〕
選択から逃走する誘惑〔…〕。逃走経路のひとつは耽美主義で、もうひとつが「同胞愛」の倫理、つまり全人類(および全価値)が融和する政治的ユートピア主義である。手段-目的の合理性が〔…〕人間の支配にまで及んでくると、この〔ギトン註――ユートピア主義の〕誘惑が力を増す。ウェーバーによれば、近代経営とともに、とりわけ官僚制が、近代人を〔…〕「エジプトの農夫」のように無力にしてしまう〔…〕隷属状態を作り上げていた。
近代の自己は、自ら作り出した構造の罠にはまるようになった〔…〕。人間自らが住み作り出した世界を、人間は理解することが〔…〕もはや』でき『なくなった。
同時に、技術の支配や労働の義務は、ウェーバーが近代の「主観主義文化」と呼んだものの誘惑を強化した。〔…〕その一つの帰結は、〔…〕「究極的で最も崇高な価値」〔民族文化,国家目的など――ギトン註〕〔…〕が公的生活から後退したことである。〔…〕近代は、一方で、非人格的で管理不能〔…〕理解できない力と、他方で、過剰に刺激された主観性への逃走〔…〕に分裂する宿命を負っていた。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.55-58. .
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