タマン・サリ(水の王宮)。インドネシア、ジョクジャカルタ。
ジョクジャカルタ・スルタンの離宮で、 1760年ころ造営された
・一種のハーレム。スルタン家は現在も、インドネシア共和国
のジョクジャカルタ州知事を兼務している。 ©skyticket.jp.
【13】 1967 / 73-2000「B局面」――
半周辺・周辺;キッシンジャーのIMF批判
『「半周辺」および「周辺」諸国に眼を転ずると、コンドラチェフ波のB局面は、破滅と好機の両方を提供するものであった。破滅の側面とは、それら諸国の輸出品――とくに一次産品――の市場の〔ギトン註――世界的な〕縮小である。これは、グローバルな〔ギトン註――加工〕生産の縮小に起因する〔…〕。原油価格の上昇も、世界規模での生産の縮小を引き起こす一方で、非中核諸国の輸入コストを増大させ〔…〕た〔企業経営も農家経営も苦しくした――ギトン註〕からである。輸出の減少と輸入費用の上昇があいまって、とくに 1970年代には、それらの〔ギトン註――半周辺・周辺〕諸国の大半において国際収支は深刻に悪化し、それら諸政府は借款(〔…〕OPECの超過利潤の再利用であった)を受け入れざるをえなくなり、、10年とたたぬうちに〔…〕債務危機へと導かれていった。
しかし、コンドラチェフのB局面はまた、好機を提供するものでもあった。その主要な効果として〔…〕非中核諸国は〔…〕中核諸国からの産業の配置転換〔…〕の受益者となるからである。ただし〔…〕すべての非中核諸国は、〔…〕配置先になろうとして互いに競争する立場にある〔…〕。
1970年代には、〔…〕NICs(新興工業国)という言葉が流通しだした〔…〕主要例』は、『メキシコ,ブラジル,韓国,台湾の4つである。
1980年代までに、メキシコとブラジルは、このリストから消え、「フォー・ドラゴンズ」(韓国,台湾,香港,シンガポール)という言葉が使われだした。
1990年代までには、〔…〕タイ,マレーシア,インドネシア,フィリピン,ヴェトナムおよび中国へと、さらなる配置転換を示す指標が現れた。
そして現在、いわゆる金融危機がまずもって右の最後のグループに生じ、〔…〕「フォー・ドラゴンズ」にも生じた。日本が 1990年代の初頭から、かなりの経済的困難〔「バブル崩壊」――ギトン註〕を経験しているのは周知であ〔…〕る〔…〕
この場面でIMFの入場である。IMFは、合州国政府の強力な支持を得、1980年代の初頭の「債務危機」〔中南米の「累積債務危機」――ギトン註〕の解決を発明し、それを携えて登場した。その「解決」とは、危機にある政府に、緊縮財政と・今まで以上に広汎な投資家への市場開放を勧めるというものであった。〔…〕かのヘンリー・キッシンジャー』も批判して言うように、『IMFは、「ひとつの特効薬であらゆる病気を治療しようとするはしか専門医のごとく」行動している〔…〕。
では、誰に責任があるのか?』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.109-111. .
タマン・サリ(水の王宮)。©agoda.
キッシンジャーの見解では、これらの債務諸国が国際的な投資家群に市場を開放したことが、けっきょくは破綻をもたらすことになった。これらの周辺・半周辺諸国の国内には、「投資家および資金の貸し手が〔…〕不足し」ており、市場開放によって、そこに群がった「海外の投資家たちが〔…〕非健全な投資を通じて〔…〕莫大なたなぼた的利益を手にしたこと」から、これら諸国の「危機」は生じた、と言うのです。しかも、「IMFの出す特効薬は〔…〕それら諸国の[国内の銀行システム]」を完全に無力化させる「ものであり、破滅的な効果をもたら」して「合州国の世界システムにおける地位に」悪影響を及ぼし、「本質的に[政治的な]危機を引き起こす」、とキッシンジャーは言う。
キッシンジャーは、先進国のような「社会的セーフティー・ネット」をもたないそれら諸国の「銀行システム」は、海外から膨大な数の投資家が群がって自由に投機的な「不健全な」投機行動を繰り返すならば、「無力化」してしまう、と言うのです。したがって、彼の見解によれば、「IMFの特効薬」もまた、いっそうの「金融市場の開放」を勧めることによって、「はしか」を不治の病にしてしまう。その結果は、「資本主義世界経済」の安定性を損ない、もたらされる世界的な「政治的危機」は、合州国の国際的地位をも損なう、ということでしょう。
この 1998年以後の「危機」収束の過程を見ると、キッシンジャーの鳴らした警鐘がそのまま当たっていたかどうかは、議論のあるところです。が、キッシンジャーは、「政治的に許容されうる」国際的な「格差の程度には限度がある、ということによく気がついて」おり、この点は評価できるのです。ただ、彼は、――ウォーラーステインによれば、米国の「水漏れを止める配管工」にすぎず――もっぱら短期的な金融的側面のみに視野を向けていて、生産・流通もふくめた「長期の視点に立つ分析を行なってはいない。」(p.111.)
【14】 「アジア通貨・金融危機」と3つの時間 ――
コンドラチェフ・サイクルと「ヘゲモニーのサイクル」
そこで、「半周辺」「周辺」諸国の視点からは、「アジア通貨・金融危機」を長期的な流れの中に位置づけて見よう、ということになります。ここで、3つの長期的視点――「時間的枠組み」――を区別して、それぞれについて考えてみる必要があります。「うち2つは複合的状況レベルの時間」、すなわち ⓐ コンドラチェフ・サイクルと ⓑ「ヘゲモニーのサイクル」、のこるひとつは、ⓒ「史的システム」の交替にかかわる「構造的レベルの時間である。」サイクル(周期)の長さは、ⓐ<ⓑ<ⓒとなっています。
『ⓐ このコンドラチェフ波のB局面〔1970年~2000年頃――ギトン註〕においては、〔…〕世界システムの東/東南アジア地域が、〔…〕下降局面に起因する配置転換の主たる受益者となった。〔…〕当該地域諸国は、他地域の半周辺・周辺諸国とは異なり、大きな成長の勢いを示し、下降局面の影響がそれら諸国に』も『及ぶ〔ギトン註――1997-98年〕までの間は〔…〕繁栄に向かっているかに見えた。〔…〕「フォー・ドラゴンズ」および〔…〕東南アジアが 1980年代に』これほどの『実績を示すことができたのは、日本との地理的・経済的結びつきによるものである(いわゆる「雁行的発展効果」〔※〕)。〔…〕
〔ギトン註――1997-98年の〕危機によって明らかとなったのは、たとえ適切なあらゆる行動をとったとしても、世界システムにおいて一つの地域が相対的な経済的地位を長期かつ根本的に改善しつづけるに十分ではないということである。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.112,113. .
註※「雁行型発展理論」: 「工業化には発展段階があり、労働集約的な軽工業部門から、装置産業である重化学工業、そして技術集約的なハイテク産業へと順を追って進む。日本が先導役になり、NIES、ASEAN諸国が順に[離陸]したように、この変化が東アジア域内で国ごとに順送りに生じたことを、雁の一群が飛ぶ様子に見立てて、この名がついた」(コトバンク)。なお、⇒:Wiki(第2モデル).
横浜の応接所に入るペリー一行。『ペリー提督日本遠征記』1856。横浜開港資料館蔵
ⓑ「ヘゲモニーのサイクル」とは、「ヘゲモニー国家」の勃興と衰退・交替「をたどるサイクルである。」景気循環としては「ロジスティック波動」にあたるのではないかと思います。
その「現在のサイクルの起点は〔…〕1873年ころ」である。この年代にイギリスのヘゲモニーが衰退過程に入り、新しいヘゲモニー国家の候補としてドイツとアメリカ合州国が、競合しつつ勃興を開始した。「この闘争は、1914年から 1945年まで続いた[30年戦争]にまで至り、アメリカ合州国が勝利をおさめた。その後、」アメリカの「ヘゲモニーの時代が、1945年から 1967 / 73年まで続いた。」
ヘゲモニー「の基盤である経済的生産性の優位は、」強力な競争者の登場によって「不可避的に切り崩され」る。アメリカに対する競争者として登場したのは、「西ヨーロッパと日本であった。以来、合州国経済は、急速に相対的な衰退を続け、そのぶんだけ〔…〕競争者を益するところとなった。ある時点までは、合州国は、冷戦の脅威を利用して同盟者たちを統制することで、自らの衰退を政治的に封じ込めることができた。」しかし、その封じ込め道具も、「1989-91年のソ連の崩壊によって霧消してしまった。」
『この期間〔1945-1991――ギトン註〕において、日本は西ヨーロッパよりもうまく立ち回ることができた。それは、ひとつには経済的諸制度が、相対的に新しい「後発」のものであったからであり(ガーシェンクロン効果〔経済発展における「後発性の優位」――訳者註〕)、また、アメリカ合州国の企業は、長期的な関係を取り結ぶ相手として、西ヨーロッパよりも日本に関心をもっているように思われた〔…〕。日本との地理的・経済的結びつき』によって、他の東・東南アジア諸国も「雁行的発展」を遂げた。
『おそらく 21世紀の初めには、次のコンドラチェフの上昇局面が進行するにつれて、日本は世界システムの資本蓄積における主導地域の座を占めるものとして現れてくるだろう。このような日本/東アジアの経済的中心性において、再興してきた中国が果たす役割の大きさは、このジオエコノミーおよびジオポリティクスの再編――新しいヘゲモニーのサイクル〔…〕の始まり――における大きな不確定要因である。
このようなパースペクティヴからすると、〔…〕東アジア金融危機は、〔…〕一時的事件であって、日本、日本/中国、ないしは日本/東アジアが勃興する構造的条件を変更するものでは全くないだろう。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.113-114. .
最後の段落↑に言う「東アジア金融危機の一時的性格」は、たしかにそのとおりだったと言えるでしょう。しかし、その前の段落の「日本は、世界システムの資本蓄積で主導地域の座を占める」というウォーラーステインの予想は、みごとにハズレたと言わなければなりません。なぜ、そうなってしまったのか? …… “左翼” 界隈では、アベノミクスのせいだ、財務省のせいだ、といった声が高くなっていますが、はたしてそうでしょうか?
私は、現在の日本が経験している「行き止まり」は、「近代世界システム」の限界にかかわるものであって、アベノミクス、日本財務省の均衡財政政策といった人為的かつ一国的な措置は、「危機」を拡大することはあっても、その根本原因ではないと考えています。
海にそそぐ黄河。山東省、黄河三角州国家級自然保護区。
ここで参考になるのは、ⓐ↑でも参照した「雁行型発展」理論、その「第3モデル」に言う「世界経済の同質化」です。すなわち、「先進国〔日本〕が新しい製品を生み出せずに後発国〔中国,台湾,韓国,インド等〕のキャッチアップが追いついてしまっている状態」。これが地域内で起きていると考えれば、現在の状態をよく説明しています。が、そうしてみると、それは日本だけに起きるのではなく、中国もまた、将来は同じ運命に見舞われるのではないか。中国の現在の上昇は当分続くとしても〔“西側” で取り沙汰されている「中国経済の停滞」は、一時的ないし副次的傾向にすぎない。日本の成長率と比べて見よ!〕、「ヘゲモニー」獲得に至ることはないと見なければなりません。
【15】 「アジア通貨・金融危機」と3つの時間
――「史的システム」の交替
『最後に、ⓒ 構造レベルでの時間が存在する。資本主義世界経済は、「長期の 16世紀」以来、史的システムとして存在してきた。あらゆる史的システムには3つの契機がある。生成の契機,通常の成長すなわち発展の契機,そして構造的危機の契機である。〔…〕いま〔…〕近代世界システムが構造的危機に突入したと考える根拠は十分にある。〔…〕次のヘゲモニーのサイクルが完全なかたちで進行することは、ありそうにない。〔…〕次のコンドラチェフの〔…〕上昇局面たるA局面〔2000年以後に起きると予想された。――ギトン註〕は、構造的危機を食い止めるというよりは、むしろ加速するだけである〔…〕ことは疑いがない。
この場合、われわれは、複雑性研究でいう〔…〕「分岐 バイファケーション」に立っている〔…〕そこでは世界システムは、システムのすべての方程式の解が同時に複数あるという〔…〕意味で「カオス的」となり、短期的なパターンについての予測可能性は全く失われる〔…〕。何らかの新しい「秩序」が現れる』が、『その秩序がどのようなものとなるかについては、絶対的に非決定論的である〔…〕
このような観点からすると、東アジア危機は、〔ギトン註――「近代世界システム」の終了という未来の〕ひとつの兆しである。それは初めて現れたものではない。その最初は 1968年の世界革命であった。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.114-115. .
これらの「危機の兆し」に対して、「新自由主義者」たちは、「システムの再安定化をもたらす秘密を発見した」などと称しているが、「そのようなイデオロギーが、いかに不毛」で無力なものであるかを、「危機」は「証明するだろう。」
「フィナンシャル・タイムズ」やキッシンジャーのような人々は、IMFを批判しつつ、「金融投資家の[パニック]がもたらす政治的インパクトを憂慮する」。彼らのIMF批判は正しいが、彼らは同時に、「われわれが生きている・この史的システムは不死である」という途方もない命題を「偽証」しようとしている。思慮を欠いた連中が「パニック」を起こすことさえなければ、すべてはうまくいく、と証明したいのだ。だから、「彼らがわれわれに提起するものはほとんどない。」
「不タヒのシステムなどというものはない。そして、人類の歴史において最も大きな経済的・社会的格差を産み出したシステムが不タヒであろうはずがないことも確かなのである。」(p.115.)
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!