アメリカ合州国の小学校(AI画像)。 ©Silvano Mangana / Gay Cultes.
21世紀の先進国の市民は、各人の責任において自己の安全をはかる
ことから、まず学ばねばならない。
【7】 1968-1995 ―― 旧左翼への幻滅・
「中道自由主義」への不信と「反国家」の抬頭
前節の考察でウォーラーステインが明らかにしたのは、1968-89年ないし -95年における「資本主義的世界経済」の動向は、コンドラチェフ波動の下降「B局面」であり、にもかかわらず東アジアだけは例外的な飛躍的上昇を遂げていた、その大きな要因は、ヘゲモニー国家アメリカの・1945-70年期〔先立つA局面〕における “冷戦” 世界政策にあった、ということです。
じつは私としては、これに加えて、かつての植民地支配国家日本の “再起” の動向〔それは、じつは進行している。ただし、戦前と同じものが復活するなどと思っている人には決して見えない!〕が、副次的要因としてあると考えています。というのは、この時期の各国――韓国,台湾のみならず、ヴェトナム,マレーシア,タイ,インドネシア等――が受けた「産業移転」の移転元と資金の出どころは、日本がかなりのウェイトを占めていると思われるからです。しかも、旧植民地ないし被占領国から引き揚げて、まだわずか 20年程度。かつての人脈と経験がそのまま利用できるとしたら、進出も受け入れも極めて容易です。たとえば、日本の企業幹部は、進出先の自宅に天皇一家の写真を貼っておくだけで、現地の人間関係はたいへんスムースになった、という話を当時よく聞きました。加えて、「平和憲法」と民主主義が、アジアの人びとの警戒を解いたでしょう。ともかく、「世界システム」の通常の場合なら、西洋人から選択的に与えられる「恩恵」を求めて競争になるところ、日本人は、比較的細やかに・「恩恵」が行きわたるようにふるまったので、「格差」が目立たない発展という特質を生み出した、とも言えるのかもしれません。
そうは言っても、私はこの方面の専門家ではありません。記憶のままの素人考察が、どれだけ当たっているのやら、心もとなくもありますから、これはこのへんに止めておきたいと思います。
問題は、1968-95年の経済動向がもたらした「政治的帰結」です。この場合も、経済動向の場合と同じく、東アジアは、世界の動向から懸け離れた状況を見せています。そこで、まず「世界システム」全体の動向、しかるのち東アジアの状況‥という順序で見ていきましょう。
アメリカ合州国の小学生。 ©Silvano Mangana / Gay Cultes.
銃の扱いは、21世紀の合州国市民となるために必須の技能である。
『世界経済の〔…〕窮状がもたらした政治的な帰結〔…〕。第1に、〔…〕旧左翼およびそれまでの反システム運動――旧植民地世界における民族解放運動,ラテン・アメリカのポピュリスト運動,〔訳者註――東西〕ヨーロッパの共産党,西欧〔…〕北米の社会民主主義/労働運動――にたいする信認は、深刻な打撃をこうむった〔…〕それら〔…〕の大半は、選挙を勝ち抜くために〔…〕さらに中道寄りになっ〔…〕た。結果として、大衆にとって〔…〕著しく魅力の乏しいものとなり、また〔…〕彼ら自身の自信もゆらぐことになった。
〔ギトン註――社会の〕窮乏化が進み、人びとが忍耐を失うなかで、それらの諸勢力が〔…〕大衆の〔…〕政治的反動を制御するメカニズムとして機能することも不可能となった(それまでは、〔…〕主として支配 コントロール 機構〔の一部――ギトン註〕だったのである)。大衆の多くは、〔…〕別の方向へ向かった――政治的アパシー〔…〕,あらゆる種類の原理主義運動,またネオファシスト運動〔…〕。重要なことは、これらの大衆が、ふたたび自らの意志で行動するようになった〔…〕ことであり、〔…〕世界システムの既得権益層の眼からすると、大衆が再び危険なものとなった〔…〕ことである。
政治的帰結の第2は、その結果、世界のあちこちで大衆が反国家的になった〔…〕ことである。〔…〕この機会を絶好のものと見た保守勢力が息を吹き返し、〔…〕彼らを〔…〕後押ししているのはたしかであるが、〔…〕大衆が〔…〕何らかの反動的ユートピアにたいする支持を表明しているわけではない。むしろ彼らが表明しているのは、漸進主義的な改良主義』に対する『不信感なのである。〔…〕
このような反国家的な態度は、経済的な再分配における国家の役割の否定だけではなく、徴税水準および国家の安全保障力〔国防のみならず、警察・消防・防災の――ギトン註〕の効率性やその意図に対する一般的な不信感〔…〕、専門家に対する非難〔…〕にも反映している。それは、諸々の法的な手続に対する公然たる侮蔑感の高まりや、〔…〕犯罪の増加といったことにも現れている。このような反国家主義の政治は、累積的なものである〔不満が、国家の徴税力と安全保障力の弱化を招き、それが一層の不満を招く。――ギトン註〕。
〔…〕ステップをひとつ踏むごとに国家機構は弱体化し、〔…〕さらなる国家の否定へと導かれていくのである。われわれは現在、〔…〕近代世界システムの形成以来はじめて、国家権力の深刻な後退の時期に生きているのである。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.95-97. .
↑以上は、ウォーラーステインが述べた 1968-95年期「世界システム」の全般状況です。おそらくは、アメリカを中心としたものでしょう。読者は、読んでいて違和感を覚える箇所が少なくないと思います。それは、私たちの東アジアではこれらの動きがまだ顕在化していないか、もしくは、東アジアでは全く逆の方向へ向かっている(いた?)、そのどちらかのためです。
そこで、次節↓では、諸国家と大衆の政治状況について、より東アジアにフォーカスした視野で見ていくとしましょう。時期的にも、1968-95年を基本としながら・それ以後――つまり著者にとっては近未来――の展望をめざします。
東ティモール民主共和国の首都ディリとアタウロ島。 ©Wikimedia.
ポルトガル領「東ティモール」は、インドネシアに事実上占領され抵抗して
いたが、1999年に独立住民投票の実施に至り、2002年独立した。首都の沖合に
あるアタウロ島には、ポルトガルが建設した刑務所があり、ポルトガル植民地
時代、インドネシア占領時代、ともに政治犯の流刑地となっていた。
【8】 1968-1995 と、それ以後 ――
東アジアをめぐるシナリオ ㋐
『このような反国家主義の拡散の波がまだ達していない唯一の地域が、まさに東アジアなのである。なぜならば、1970-1995年の期間における〔…〕深刻な〔ギトン註――経済的〕後退を経験しておらず、したがって漸進主義的改良主義に対する幻滅がまだ生じていない唯一の地域〔…〕だからである。東アジア諸国家内部において』は、『相対的に秩序が保たれている〔…〕。東アジアの共産主義国家だけが、〔…〕崩壊をこれまでのところ免れている〔…〕。
世界システムのなかにおける東アジアの現在/過去〔…〕は、未来に対して、どのような警鐘をならしているであろうか。きわめて不確定である。基本的には、2つのシナリオがありえる。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,p.97. .
東アジアの未来が不確定なのは、「近代世界システム」の未来が不確定だからです。「世界システム」のシナリオいかんに応じて、東アジアが辿ってゆくであろう道すじも異なってきます〔というより、東アジアがどうなるかによって、世界システム全体のシナリオは大きく影響を受けて異なったものになる、と言ったほうがよいかもしれない〕。㋐ 「世界システム」のひとつの可能性は、「近代世界システム」が「これまでどおりに持続」する、したがって、旧ヘゲモニー国家アメリカの没落とともに、新たなヘゲモニー国家が抬頭する、というものです。しかし、㋑ もう一つのシナリオは、この「世界システム」がカタストロフィーに達して「根本的な構造変化,破裂」すなわちカオスを生じ、「最終的に何らかの新しい史的システムの構築に至るという」ものである。「どちらが起こるかによって、東アジアが」迎える帰結も異なったものとなる。
㋐ 1970-95年期に起きたことが、「ヘゲモニー勢力の衰退の初期段階」だったとすれば、これから起きることも、「これまで繰り返し起きてきたことのヴァリエーション」であるはずなので、かなりの精度で予測することができる。それを「手短かに要約」すると、次のようになる:(pp.97-98.)
台湾・ひまわり運動。中台間「サービス貿易協定」に異議を唱える学生が立法院を
占拠した(2014年4月5日)©ロイター / アフロ。 東アジアでは、2014年の台湾・
ひまわり運動,香港・雨傘運動,翌年の日本・シールズ(SEALDs)の安保関連法案
反対運動という、若者を中心とした社会運動が盛り上がったが、結果はそれぞれ
違った。台湾では、中国との拙速な経済一体化を進める政府の動きを止めさせた。
民主選挙を求めた香港、軍備強化に反対した日本では、事態を打破できなかった。
『① 最近 20年間〔1978-97――ギトン註〕に〔…〕前面に出てきた諸産業に基礎をおいて、新規のコンドラチェフ波のA局面がまもなく起こる。
② その〔…〕担い手としてトップに立つべく、日本,EU,アメリカ合州国の間で激しい競争が生じる。
③ 同時に、アメリカ合州国のヘゲモニー権力を継承すべく、日本とEUとの〔…〕競争が始まる。
④ 3極間の激しい競争〔…〕は、2者関係に集約されるのが通常である。組合せとして〔…〕可能性が高いのは、日本と合州国との連合 対 EU〔…〕である。
⑤ それは、旧ヘゲモニー国〔アメリカ――ギトン註〕に支持された海/空軍国〔日本‥らしい――ギトン註〕と 大陸勢力〔EU――ギトン註〕との対抗関係 という古典的な状況の再来となる。〔…〕ジオポリティクス上の理由からも、経済的な理由からも、最終的に日本の勝利に終る〔…〕。
⑥〔…〕合州国は両アメリカと、日本は東〔…〕及び東南アジアと、EUは中・東欧・旧ソ連と、〔…〕3極〔…〕は、特定の地域との経済的・政治的結合〔…〕の強化を継続する。
⑦ このような〔…〕再編成〔…〕で最も困難な政治的問題は、中国を日米ゾーンに、ロシアをEUゾーンに、どのように包摂するか〔…〕であるが、〔…〕条件の折り合いは、おそらく存在する。
これからの約50年間〔1997-2046――ギトン註〕に、EUと東アジアとの間に相当な緊張が予想され、おそらく東アジアの勝利に終る〔…〕。その時点で、〔…〕日本の支配的役割を中国がもぎとることになるか〔…〕については、予測が極めて困難である。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.98-99. .
↑どう思うでしょうか? たしかに ④ までは、20世紀末から 21世紀初めにかけて実際に起きていますから、是認してよいでしょう。しかし、⑤ は?
「海洋国家・対・大陸勢力」という図式が、オランダ・イギリス 対 フランスにも、イギリス・アメリカ 対 ドイツにも当てはまったのは歴史的事実です。しかし、日本は、「海/空軍国」なのか?! 第2次大戦前の日本海軍ならともかく、いまの海上/航空自衛隊は、とうていそんな存在ではないでしょう。軍を度外視すれば、「海洋国家」と言えるのか? それも疑問です。
そもそも、「日本の勝利」という予想が、現在では、まったくの見当違いにしか響かないのです。
もっとも、中国は、(ウォーラーステインがこれを書いた頃はともかく現在では)海軍力を著しく増強しています。かつての海軍国家アメリカを追い抜いているかもしれません。〔各国の海軍力については:⇒(1) (2)〕
それでは、中国が日本のお鉢を継いで「東アジア国家の世界ヘゲモニー」を実現するのか? ‥それも難しいと思われます。中国が「中核」領域に抬頭した場合には、経済システムにおいてもジオカルチュアの面でも、「世界システム」そのものが解体・変容を免れないと思われるからです。
国会前で安保関連法案反対の集会を行なうシールズの若者たち(2015年7月10日)©Rodrigo Reyes Marin / アフロ。
地域勢力の間の「連合」については、2025年の現時点では、むしろ、EU+中国 vs アメリカ合州国 という新たな図式が脚光を浴びはじめています。前者の勢力は、「自由貿易」主義をはじめとする「近代世界システム」のジオカルチュアの遺産継承を掲げて賛同者(国)を集めようとし、アメリカ合州国に先導される後者の勢力は、その根本的な破壊を標榜します。前者については、中国の国内体制に問題が残りますが、「EU+中国」が新たなジオカルチュアを担うことができるとすれば、それも早晩変わっていかざるをえません。その半面、EUもまた、中国の体制から・或る面を取り入れなければ、「資本主義的世界システム」が陥った袋小路から脱け出すことはできないでしょう。
とはいえ、↑上でウォーラーステインが述べる予想は、あくまでも「近代世界システム」が無傷で存続することを前提としています。この前提じたいが疑わしい。ウォーラーステインは、この「シナリオはすでに始まっていて、しばらく続きはするものの、〔…〕資本主義的世界経済の〔…〕構造的な危機のゆえに」、けっきょく、このシナリオの結末は「現実のものと」ならない、としています。(p.99.)
次回は、もう一つのシナリオ ㋑ について見ることとしましょう。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!