世界社会フォーラム」(ブラジル、ポルト・アレグレ)でマニフェストを

行なう日本代表団。2003年1月26日。©Wikimedia.

 

 

 

 

 


【46】 「近代世界システム」の危機――

B局面(1968以後):巻き返しの波,カオス増大

 

 

『ここにおいて、世界=経済がコンドラチェフ循環の長いB局面〔下降,停滞――ギトン註〕に入ったため、中道自由主義勢力と右派勢力とは共闘して、〔…〕3つの生産費用の要素〔労働力,投入物,租税――ギトン註〕すべてについて、その上昇の傾向を巻き返そうとした。人件費〔…〕を下げ〔…〕、投入物の費用を再外部化しようとし、福祉国家の便益〔教育,保健,生涯的所得保証――ギトン註〕のための税を削減しようとした。

 

 この攻勢は、さまざまな〔…〕形態をとった。中道は、〔…〕開発主義の主題〔それによってグローバルな両極化を克服できると、「中道」自由主義は称してきた――ギトン註〕を放棄し、かわりにグローバリゼーションという主題を持ってきた。』それは、『財と資本の自由な流通〔労働を除く――ギトン註〕に、〔ギトン註――国家間および国内の〕あらゆる境界を開くことを求めるものである。イギリスにおけるサッチャー体制とアメリカ合州国におけるレーガン体制は、この政策の先導役を務めた。それは理論としては「新自由主義」と呼ばれ、政策としては「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれた。ダヴォスで開かれた「世界経済フォーラム」は、この理論の普及の場であった。IMF と、新たに設立された WTO は、ワシントン・コンセンサスの主たる実施機関となった。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.205. .



 しかし、この「巻き返し」は、うまくいきませんでした、「中核」諸国による「グローバリゼーション」の呼びかけに対し、「周辺」地域が付いて来なかった、‥いや、ついて来れなかった。一部の地域では、ついて行こうとして諸政権・諸国家が崩壊してしまったからです。

 

 「1970年以降あらゆる地域(とくに「南」の地域と旧共産圏地域)〔…〕が直面した経済的困難によって、」それら諸政府は、「[構造調整]と境界の解放を求める圧力に抗」しきれなくなった。「古い反システム運動〔社会主義またはナショナリズム〕によって統治」していたそれら諸政府は、自らの原則を捨てて「グローバリゼーション」に応ずることとなったのです。しかしその結果は、それら諸国の経済体制ないし政権自体の崩壊となりました。結果として、世界規模で「中道~右派」がもくろんだ「生産コスト上昇への巻き返し」は、期待された水準に達しませんでした。「利潤への圧迫を終らせるに必要な水準」には「はるかに及ばないものであった。」

 

 こうして、「中核」地域を中心とする資本主義諸企業・投資機関は、「コスト上昇」がやむとの期待を放棄し、「ますます、生産の領域〔…〕ではなく、金融投資の領域で利潤を上げようとするようになった。」なるほど「そのような金融的操作は」、“ゲーム” 参加者の一部には大きな利潤をもたらしました。それによって、世界的な両極の「格差」はこれまでになく巨大なものとなった。そして、この “金融ゲーム” の盛行によって、世界=経済は「通貨及び雇用の変動の影響を受けやすくな」り、著しく「不安定」なものとなったのです。実際のところ、金融投資ゲームは、世界全体に「カオスの増大」をもたらす大きな要因となりました。(pp.205-206.)

 

 

同時多発テロ」。航空機の体当たりを受けて燃え上がるニューヨーク

貿易センタービル。2001年9月11日。©Getty / Forbes Japan.

 

 

 ところで、ウォーラーステインは、↑上の引用文の初めに、「コンドラチェフ循環の長いB局面」と書いていますが、「長い」とは、どういう意味でしょうか? コンドラチェフの理論では、1つの周期は 50-60年で一巡します。「A局面」「B局面」がそれぞれ約30年ということになります。ところが、1968年ころに始まった「B局面」は、すでに30年が経過したのに「A局面〔上昇,好況〕に転換する気配がない。ウォーラーステインの示唆は、もはや「資本主義世界システム」そのものが正常に機能しなくなり、いつまでたっても上昇局面への再転換はなく、世界=経済は「カオス」――新たな・異なるシステムへの移行期――に突入してゆく、ということを意味します。

 

 「カオス増大」の・もう一つの症候は「テロリズム」の盛行です。金融投資の盛行が、経済的領域で「カオス増大」に寄与したとすれば、「テロリズム」は、政治の領域で世界的な「カオス増大」と「ジオカルチュア」の解体を促したのです。

 

 

『2001年9月11日にニューヨークのツインタワーを襲ったオサマ・ビンラーディンの劇的な攻撃は、世界の政治のさらなるカオス化の徴候と、〔ギトン註――自由主義と反システム諸運動のあいだの〕政治的連帯のありかたの転換点とを画するできごとであった。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.207. .

 

 

 この出来事によって、それまでは反システム運動の一部分に対しても寛容な姿勢を貫いてきた「自由主義的な中道派」〔たとえば、アメリカの民主党の首脳部〕は、正統性の基盤にひびが入り、「右」からの攻撃を受けて動揺します。「右派」は、これをきっかけに、「中道」との不本意な共闘を断ち切り、自らが主流に躍り出ようと画策します。「右派は、アメリカ合州国の軍事的強さによる一国主義的主張を中心に、」1968年以後に「人種とセクシュアリティの分野で起った」文化的進化・を元に戻すプログラム〔妊娠中絶の禁止,黒人・移民・LGBTの差別などの復活〕を徐々に進めたのです。「その過程で、1945年以降に確立されたジオポリティクス上の諸構造」の多くが崩されていった。これら「9・11」以後の右派の「努力は、すでに高まっている世界システムの不安定性をますます悪化」させた。

 

 

『そのような状況において、われわれは何を期待しうるのだろうか。第1に強調すべきことは、世界システムのあらゆる制度的領域において激しい揺れが起こる〔…〕――というより、すでに目の当たりにしている〔…〕世界=経済激しい投機の圧力にさらされ、それは、〔…〕金融管理当局が制御しうる範囲を越えてしまう。激しい暴力〔「テロル」,および「テロル」に対抗するジェノサイド的暴力〕が、さまざまな規模で〔…〕いたるところで発生する。そのような暴力を〔…〕止めることのできる〔…〕主体は、もはや存在しない。国家』、あるいは『宗教機関〔…〕の力によって伝統的に守られてきた道徳的制約の有効性は、相当に低下しつつある。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.208.

 

 

ネパール、カトマンズで開催された第16回「世界社会フォーラム」。100余国から

1200団体,3万人余りが集った。2024年2月15日。©Keshab Gurung / TRN.

 

 


【47】 「近代世界システム」の危機――

「ダヴォス精神」と「ポルト・アレグレ精神」

 


『21世紀の最初の〔…〕数十年間において、世界は〔…〕3つのジオポリティクス上の断層に置かれる〔…〕。(1) 資本蓄積の地理的頂点のあいだで闘われる〔ギトン註――ヘゲモニー争奪の〕闘争、(2) 〔…〕中核地域と周辺地域とのあいだの闘争、(3) 今後われわれが〔…〕構築しようとする〔ギトン註――「近代世界システム」に代わる新たな〕世界システムの形をめぐってのダヴォス精神ポルト・アレグレ精神とのあいだの闘争、の3つである。〔…〕


 世界経済フォーラムは、1971年に創設され、毎年〔ギトン註――スイスの〕ダヴォスで会議が行なわれるため、一般にダヴォス会議と呼ばれる。〔…〕ダヴォス会議は、1000を超える一流グローバル企業をメンバーとして擁している〔…〕

 

 ダヴォス会議は、〔…〕世界において権力を〔…〕持っているか、これから持とうとする者たちが、〔…〕自分たちの行動を調整し、世界規模で標準となるプログラム〔…〕を確立するための〔…〕基盤として誕生した。〔…〕ダヴォスはまた、〔ギトン註――ヘゲモニーを争う〕三極間の対立が提示され〔…〕緩和される場でもある。それは』、公衆と「南」の指導者を説得しながら『「北」が自らの目的を追求〔…〕できる場なのである。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『脱商品化の時代』,2004,藤原書店,pp.380-381,400-401,. .

 

 

 ダヴォス」を指導する人びとの原理は、「ディ・ランペドゥーザの戦略、すなわち、[何も変えないためにすべてを変える]という戦略である。」

 

 「移行期」の「カオス」にあたって、「世界システムの上層階層〔…〕の多数派は、「譲歩」と「抑圧」を交互に繰り出すという伝統的な政治手法に訴える。そうやって古いシステムを維持しようとするが、もちろんこのやり方は、早晩破綻する。

 

 ところが、「上層階層」の一部は、新しい波に乗って「自らの特権的地位」を確保しようとする。それを可能にする唯一の手法が、「ディ・ランペドゥーザの戦略」なのです。このグループは、「現在のシステムが崩壊過程にあるという事実を把握する」だけの「洞察力と知性を有し」ており、「自分たちが望むような移行形態を実現」できるだけの「堅固な意思と豊富な手段とを握っている。〔…〕情報にせよ専門技術にせよ、〔…〕その資力で調達することができるし、きっとそうする」。彼らが案出する「移行」のプログラムは「魅力的に見え、」大衆が「だまされやすいもの」である。それは、「ラディカルで進歩的な変化の意匠をまとっている」。脱商品化の時代』,pp.326-327.)

 

 ふりかえってみれば、現在の「世界システム」への移行期〔16世紀〕において、封建制ヨーロッパの最上級支配層の一部は、積極的に、政治と宗教の「すべてを変え」ることによって、新興ブルジョワジーの最上層に合流したのでした。

 

 

映画化された ディ・ランペドゥーザ『山猫』(ルキノ・ヴィスコンティ監督、

1963年)の1場面。シチリア島に上陸したイタリア統一義勇軍「赤シャツ隊」

 

 

 ランペドゥーザの小説『山猫』に登場するファルコネーリ公爵家の令息タンクレーディは、シチリア王国の最高位貴族の身でありながら、イタリア統一軍の来襲を前に、王国に対するシチリア内の反乱に身を投ずるのです。「我々が統一反乱に参加しなかったら、連中ガリバルディ率いる統一義勇軍〕はこの国を共和国にしてしまいます。すべて現状のままであってほしいからこそ、すべてが変わる必要があるのです。」それには、時代の流れに付いて行けなくなったシチリアの王家を、まず打倒しなければならない、というわけです。(トマージ・ディ・ランペドゥーサ,小林惺・訳山猫』,2008,岩波文庫,p.41.)

 

 そして、ウォーラーステインによれば、それが「ダヴォス」の指導者たちの戦略でもあるのです。

 

 「ダヴォス会議」に対抗して、20001年以来、世界の広範囲の社会運動の結集点として毎年開催されているのが「世界社会フォーラム」で、第1回開催地の名で「ポルト・アレグレ会議」とも呼ばれています。「それは、多様な立場と主張とを持つ諸々の戦闘的活動家たちの交流の場であり、そこに集まる〔…〕活動は、世界規模〔…〕地域規模の集団的示威行動から、〔…〕各地でのローカルな組織化まで、多彩である。」そこに共通して見られる傾向は、「世界の政治的左派は、選挙を第一次的な目標から外すようになってきており、むしろ[諸運動の運動]を組織しようとし始めている」ことです。「ポルト・アレグレ精神」は「世界の諸々の反システム運動を非ヒエラルキー的に統合するものである。

 

 「[もうひとつの世界は可能だ]という彼らのスローガンは、世界システムが構造的な危機にあり、政治的な選択に実質的な意味があるという彼らの感覚を表現している。」つまり、「世界システム」が安定していた時代とは異なって、今ここで人びとがどんな選択をするかによって、将来の社会のすがたは大きく変ってゆく可能性がある〔それがカオス状態の特質〕――ということです。(『入門・世界システム分析』,pp.206-207;脱商品化の時代』,p.352.

 

 

 「ダヴォス精神」とディ・ランペドゥーザの戦略」『の反対側に立っているのは、世界を、より民主的で、より平等主義的なものに再構築しようとしているあらゆる人びとである。〔…〕この目的を共有する異なる集団が行動をともにしうれば、〔…〕意味のある変革が達成される大きな可能性の契機となろう。〔…〕


 システムの分岐の最終的な決着として、現在のシステムと同じく、ヒエラルキー的な特権を中心的特徴』とする『新しい史的社会システム〔…〕をめざす者たちと、相対的に民主的で〔…〕平等主義的なシステムの方向をめざす者たちとのあいだで〔…〕、いずれが勝者となるのかはわからない。我々はその答えを〔…〕知りえない。〔…〕勝ち馬に乗るという選択肢はないのである。あるのはただ厳しい闘いだけであり、その闘いのなかでわれわれは実質的合理性〔※〕をめざさなければならない。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『脱商品化の時代』,2004,藤原書店,pp.327-328.. .

 註※「実質的合理性」: マックス・ウェーバーの用語。「ウェーバーが指摘しているのは、多元的な主体と多元的な価値の世界において、票を数えるといった単純な算術」を超え、しかも「各人が自らの望みを思うがまま追求する」ような「全くの無規制状態をも超えたところ」に、論争の「解決がありうるということである。」そのような・多数決でも実力闘争でも権威的裁定でもない「社会的決定を行なう実質的」な「方法が存在するということだ。」(p.339.)

 

 

 

 


【48】 「近代世界システム」の危機――

「移行期」における行動パターン

 


 こうしてシステムが不安定化した「移行期」において、人びとがとる行動様式は、3つに分かれます。

 

 ① まず、「大半の人びとの行動様式」は、システムの安定期と変わりません。「慣習に従ってこれまでどおりに行動し続けることが〔…〕短期的には理にかなっている」からです。「慣習的な行動様式」に人びとは「慣れ親しん」でおり、目先の利益が得られる「確実性が高い」。‥‥と、ウォーラーステインは言うのですが、私の考えでは、むしろ私たちは、それ以外の行動様式を知らないからです。しかし、ウォーラーステインによれば、システムが「長期的趨勢を漸近線に接近させている」以上、〔一国単位の集団的な〕慣習的行動によってシステムをそのままの形で機能させ続けることは、「端的に危機の悪化を意味する。」たとえば、日本での食料価格の高騰は、これまで貧困であった国々の生活水準が向上し、彼らの食料購買力が増していることと無縁ではありません。だからといって、私たちは即座に食生活を変えることなどできない。いまや、日本のエンゲル係数の上昇は、天井を知らぬ勢いです。

 

 にもかかわらず、「まさにシステムの諸構造の揺れが激しくなっているがゆえに、大半の人びとは、慣習的な行動にしがみつくことで」安心「を得ようとするのである。」

 

 ② さらに、中期的には、「あらゆる立場の人びとが、〔…〕システムに適応しようとする。〔…〕過去にうまくいった」パターンを再度持ち出して試みようとする。たとえば、「中核」の上層の人びとは、問題をヘゲモニー争奪の論理によって、「強いアメリカ」によって解決しようとする。あるいは、「中核-周辺」つまり「南北問題」と見なして、それぞれの立場の要求をする。が、「システムの構造的危機においては、そのような中期的適応はほとんど効果を持たない。」

 

 ③ しかし、情報と知的資源に恵まれた最上層の人びとのなかには、ごく少数ながら、システムの構造的危機」を正しく見抜き、「積極的に今のシステムを別のシステムに変容させ〔…〕る道を進」む者も出てくる。彼らは、「システム間移行期の激しい変化を利用して、そこに生じたシステムの変化を特定のかたちに固定化し、そうすることで、」カオス分岐のうちから、自分たちの特権を維持してくれる方向を選び出して「後押し〔…〕する。」これ「こそが、最も大きな帰結をもたらす行動形態である。」すなわち、ディ・ランペドゥーザの戦略」ないしダヴォス精神」にほかなりません。

 

 そしてその一方では、同様に「カオス分岐」のうちから、上層の特権維持ではなく、「より民主的で平等主義的な」方向を選び出そうとする「ポルト・アレグレ精神」が、これに対抗しています。


 つまり、この「カオス的移行期」にあっては、「反システム運動」にとって第1義的に重要なのは、「直接行動」でも「政権奪取」でもない。先ずもって重要なのは、大局に立って・さまざまな「分岐」の相違と意味を分析する冷静な洞察なのです。(pp.208-210.)
 

 

 

 

 

 

 こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

セクシャルマイノリティ