カオス現象の数学的モデル (ローレンツ・アトラクター)
https://math-fun.net/20180712/519/ はじめランダムな位置にあった
諸点は、互いに引きつけあう(attract)かのように運動して、
まとまった形になるが、その形と構造は予想できない。
ごくわずかな揺らぎが、結果の大きな違いとなって現れるからだ。
【37】 「近代国家システム」の動態――
「ヘゲモニー」の成立と自己解体。
「近代世界システム」における国家間の争奪戦のなかで、強力な国家は「単独で自らの思い通りにふるまえる」地位を得ようと、つまり最強の一国になりたいと望み、そしてしばしばそれを実現します。「史的システム」の永い歴史のなかで、国家がそのような最強の地位を得る方法は2つありました。ひとつは、世界=経済を「世界=帝国」に転換し、自らが《帝国》の中心となることです。もうひとつは、世界=経済は世界=経済のまま、諸強国との競争に打ち勝ち、世界=経済における「覇権 ヘゲモニー」を獲得することです。
「近代世界システム」において、「世界=帝国」への転換をめざした国家は3つありましたが、いずれも失敗しました。3つとは、① 16世紀カール5世の「両ハプスブルク」帝国、② 19世紀初めのナポレオン、③ 20世紀半ばのヒトラーです。
世界=経済から「世界=帝国」への転換は不可能なのか?……「帝国」とは、ウォーラーステインの定義では、「システム全体が単一の政治的権威のもとにあるような構造をもつ世界システム」です。「帝国」は、「無限の資本蓄積を優先する行動に対して、それを抑えつけることのできる政治組織」を有しています。だから、「世界=帝国は、実際のところ資本主義を窒息させてしまう。」過去の世界=帝国はいずれも、――オスマン帝国にしろ、中国の王朝にしろ――それが解体するまでは資本主義の侵入を許しませんでした。
これに対して、「世界=経済」にも、《帝国》とは異なる特有の構造があります:「単一の分業」、「単一の国家間システム」をなす「複数の国家」、そして「単一のジオカルチュアを伴う〔…〕複数の文化」――この構造は、「資本主義システムの必要に特異に合致している」のです。そこで、資本主義的「世界=経済」のなかで、もしもある国が「システムを世界=帝国に転換しよう」などと意図するならば、そのような国家は、はじめのうちはともかく「最終的には、〔…〕資本主義的な企業の大半からの敵対に直面することになる」のです。①「両ハプスブルク」帝国、② ナポレオン、③ ヒトラー――いずれの “帝国建設” の試みも、そうして挫折したのです。
こうして、資本主義的「世界=経済」には、《帝国》は存立しえませんでしたが、「覇権 ヘゲモニー」を獲得した大国は3つありました:17世紀半ばのネーデルラント連邦(オランダ)、19世紀半ばの連合王国(英国)、そして 20世紀半ばのアメリカ合州国です。「覇権 ヘゲモニー」は、比較的短期間しか続きませんが、その間においては、覇権 ヘゲモニー 国家は、「国家間システムにおける」諸国の「行動の規準を定め、世界=経済を生産,流通,金融のすべてにおいて支配し、最小限の軍事力の行使で自国の政治意志を貫徹し」、かつ、自国言語を「世界を論ずる際の道具立てとして」公式化する権威を振るうのです。
R.A.ヒリングフォード(1828-1904)『ワーテルローの戦い[1815年]
におけるウェリントン将軍』。©Wikimedia. ナポレオンの
「帝国への野望」が潰えた後、大英帝国のヘゲモニーが確立した。
覇権 ヘゲモニー 国家は、「長い期間に及ぶ世界秩序の相対的な破綻期――いわば「30年戦争」〔…〕――のあとにつづいて現れる。」つまり、①②③の《帝国》化をめぐる戦乱の後で、《帝国》の “悪魔的” 意図を粉砕して抬頭します。① ハプスブルク・スペインに打ち勝って登場したオランダ、② ナポレオン戦争後の世界を支配した英国、③「連合国」の盟主となってヒトラーを屈服させたアメリカ、いずれもそうでした。
資本主義的企業家は、覇権 ヘゲモニー 国家の勝利を歓迎します。なぜなら、ヘゲモニー国家は、「独占的な主導産業 リーディング・インダストリー」が好む自由貿易などの「世界=経済」諸制度を安定させるからです。のみならず、ヘゲモニー国家の支配は、「万人にとってよりよい将来〔…〕を保証するように見える」点で、「ふつうの人びとにも支持されるのである。」
覇権 ヘゲモニー は、なぜ永続しないのか? ヘゲモニー国家となるためには、「覇権の〔…〕基礎」である「生産の効率性」の向上に集中しなければならない。これが「決定的に重要である。ところが、」いったん覇権を握ってしまうと、それを維持するために、国際関係での「政治的および軍事的役割――いずれも高くつき、消耗が激しい――に資力を分散しなければならない。」それらに力を奪われているあいだに、早晩「他国が経済的効率性を向上させ」て追い上げてくる。
ヘゲモニー国家は、経済的に劣勢になると、政治的影響力も、それに応じて減殺される。そうなると、強大な軍事力を見せて威嚇するだけでは従わない国家が出現するので、じっさいに軍事力を行使することになる。軍事力の行使は、いかなる意味でも、ヘゲモニーを衰退させる原因となる。こうして、世界は、新たなヘゲモニーとの交替期――新たな「30年戦争」――に突入する。(pp.143-146.)
『資本主義的な世界=経済は、〔訳者註――複数の〕国家を、国家間システムを、そして覇権 ヘゲモニー 大国の断続的な出現を必要とする。
しかし、資本家にとっての優先事項は、〔…〕つねに、無限の資本蓄積のままであり、それは、』ある一国が絶対的支配権を握るような状況では達せられにくく、『政治的・文化的支配権がたえず浮動する状況において、もっともよく達成しうる。資本主義的な企業は、そのような浮動的状況のなかで、国家からの支援を得つつ、国家〔…〕の支配から逃れるべく、手管をつくすのである。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.147.
以上で、第❸章までを終えました。第❹章「ジオカルチュアの創造」では、イデオロギーと社会運動を扱っていますが、「近代世界システム」のイデオロギー(普遍主義)については、すでに (8)【24】で概略は述べられていました。ですので、第❹章は飛ばして、第❺章「危機にある近代世界システム」に進みます。
連合軍のベルリン爆撃で破壊されたドイツ帝国議会議事堂。ドイツ側
ベルリン防衛軍降伏(1945年5月2日)後の6月3日撮影。©Wikimedia.
ヒトラーの「帝国への野望」が潰えた後、アメリカのヘゲモニーが確立した。
【38】 「近代世界システム」の危機――
「危機と移行」のカオス。
『史的システムには寿命がある〔…〕。史的システムは、〔…〕システムを構成する諸構造の枠組みと制約のなかで、その歴史的生命にしたがい、循環的な律動を刻みつつ〔…〕長期的な趨勢を歩んでいく。』やがて『長期的な趨勢の描くカーヴは漸近線に接近し、システムの内的矛盾は深刻化する。つまり、システムがもはや解決しえない問題に突き当たるということである。これによって引き起こされるのが、世界システム分析で「システムの危機」と呼んでいるものである。〔…〕
当該のシステムの枠組みのなかでは解決しえない困難〔…〕それは、〔…〕そのシステムを越えていくことによってのみ克服されうるものである。〔…〕そこに起こっているのは、システムの分岐、すなわちシステム』を安定させる『均衡の解が、まったく異なる2つの形で与えられ』る『状況のことである。〔…〕システムは、危機に際して、それを解決する2つの選択肢〔システムは、そのどちらにも収束しうる――ギトン註〕に直面する、ということができる。〔…〕システムの構成員は総体として〔つまり、人類全体として――ギトン註〕、いずれの選択肢を採るのか、つまりどのようなシステムが新しく構築されるのかについての選択を要請されることになる。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,pp.183-184.
ここでウォーラーステインが言う「分岐(bifurcation)」とは、常微分方程式で表現される力学系・で使われる用語です。そこで、力学系を参照して、はるか忘却のかなたにある積分計算まで動員して探ってみたのですが、歴史社会的システムの移行モデルと、それほどぴったり一致するようなものではありません。ですから、ここでは力学系や数学はあまり気にしなくてよいと思います。「分岐」は、「2つに分かれる」というふつうの意味に解したうえで、ウォーラーステインが述べる《移行》の論理を、彼が述べるまま理解しておけば、それで十分です。
『分岐の過程は、カオス的である。「カオス的」』であるとは、移行の『期間における小さな行動の一つ一つが、有意味な帰結に至る高い可能性をはらんでいるということである〔そのため、それらの総和としての最終的な帰結が、どんなものになるかは予想しがたい過程が「カオス」である。――ギトン註〕。
そのような条件下では、システムの振幅が激しくなる』。が、『最終的には、ひとつの方向に傾いていく。決定的な選択がなされるまでには、通常、かなりの時間〔《移行期》と呼ばれる。――ギトン註〕がかかる。〔…〕
移行の帰結は、まったく不確実である。しかしながらある点に至ると、はっきりとした帰結が現れ、人びとは、異なる史的システムに置かれることになる。
われわれが生きている近代世界システム――〔…〕資本主義的な世界=経済〔…〕――は、目下まさにこのような危機にある。〔…〕このような危機に置かれて、しばらくが経過している。この危機は、今後さらに 25~50年ほどは続く可能性がある。〔…〕
東京・アメリカ大使館前のベトナム反戦デモ。1968年6月15日。
©Wikimedia. 「1968年世界革命」は日本にも波及した。
移行期』において『われわれは、〔…〕既存の世界システム〔…〕のさまざまな構造や過程の激しい動揺に直面する』ので、『われわれの短期的な期待は、〔…〕きわめて不安定なものとなる。〔…〕不安定な状況のなかでは、人びとは』既得の『権益や(位階 ヒエラルキー 的な)地位を確保しようとするため、そのような不安定性は深刻な不安感、ひいては暴力を招く』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.185. .
↑ここでウォーラーステインは、《移行期》の期間として「今後さらに 25~50年」と言っているのですが、「資本主義的な世界=経済」つまり〈中核⇔周辺〉システムが解体して、新たなシステムに取って代わる期間としては短すぎるようにも思われます。本書がアメリカで出版されたのは 2004年ですから、「2029~2054年」までということになりますが、2025年の現在、あと4年かそこらで資本主義が別のシステムに入れ替わると信じる人はいないでしょう。ウォーラーステイン自身、別の著書では、「脱商品化のプログラム」は「これから 500年間では〔…〕完全には実現していないかもしれないが、その方向でかなり進んでいることはできるだろう。」とも言っています。(山下範久・訳『脱商品化の時代』,2004,藤原書店,p.343.)
そうすると、上で言う「25~50年」のあいだに、資本主義が別のシステムに入れ替わってしまうわけではない。それはもっと先のことだ、‥‥。とすると、ウォーラーステインの言葉は、たとえば↓次のように理解することができるのではないでしょうか?
「2029ないし2054年」までの《移行期》は、あくまでも「カオス」の期間であって、そのあいだは、次のシステムがどんなシステムになるのかさえ、まだハッキリとは見えていない。あるいは、「2つの可能性」のあいだで、どちらに行くかが争われる「分岐」の期間である。
そして、この《移行期》の終りになって、ようやく方向が定まる…あるいは、新しいシステムが地球上の一角に現れ、もはや消し去れないだけの地歩を占める。その段階ではまだ、「資本主義的な世界=経済」システムも、残って動いている。
両者が実際に入れ替わって《移行》が完了するまでには、なお数世紀以上がかかる、と。
『この危機は、いつ始まったのか。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.186. .
ここでウォーラーステインが論じているのは、《移行期》の開始点というより、「先駆」ないし「予兆」がいつあったか、ということです。彼はそれを、「1968年の世界革命であ」ったとするのです。「この世界革命によって、世界システムのさまざまな構造は、相当に不安定化することになったからである。」
「脱商品化」の試み。「羅須地人協会」建物。現在、花巻農業高校敷地内で保存。
宮澤賢治が主宰した農民組織「羅須地人協会」は、物々交換も定期的に行なった
『1968年の世界革命は、長く続いた自由主義の優越性の時代の終りを画することとなり、』それまで、長いあいだ『世界システムの政治的諸制度を〔…〕守ってきたジオカルチュアの枠組み〔「進歩の思想」と「主権在民」理念――ギトン註〕を外してしま〔…〕った。この〔…〕枠組みが外れると、資本主義的な世界=経済の基礎がぐらつく。
資本主義的な世界=経済は、』それまで、さまざまな『政治的〔…〕文化的な衝撃にさらされてきたが、』ジオカルチュアによって『保護されてもいた』。ところが『今やその衝撃をもろにかぶることにな』った。
もっとも、「1968年」の衝撃が「システムの危機」をもたらすこととなったのは、衝撃そのものもさることながら、「システム」そのものに、『長期にわたって存在してきた構造的趨勢が』あったからである。1968年に『その趨勢は漸近線に近づきはじめつつあり、』そのために、システムの『循環的律動』がもたらす『反復的困難を、〔それまでは周期的に回復できていたのに――ギトン註〕克服することがもはや不可能になっていたのである。その趨勢が何なのか〔…〕理解してはじめて、われわれは、1968年の衝撃がなぜそしていかに、それまでシステムを統合してきたジオカルチュアの解体を促すことになったのかを理解することができる。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,pp.186-187. .
(6)【19】で説明されていたように、「資本主義的な世界=経済」システムは、「コンドラチェフの長期波動」という周期的律動を刻みながら、一定の “趨勢” ないし方向へ変動してきました。しかし、この “趨勢” は、「無限の資本蓄積」の優先的実現という・資本主義の不可避の衝動の結果であると同時に、その継続を徐々に徐々に困難にしてしまう要因でもありました。その一つが、世界人口の「プロレタリア化」によって、低賃金労働の供給源である「非プロレタリア」および「半プロレタリア」人口の枯渇に近づいてゆくということ(本源的蓄積フロンティアの消滅)でした。
(6)【19】に「減衰振動」の模式グラフを示したように、“限界” に近づけば近づくほど、コンドラチェフ波の振動は低く抑えられていきます。が、それだけでなく、B局面からA局面への回復は困難になっていくのです。
また、他面から見ると、この “限界” は、「ジオカルチュアの解体」でもありました。「ジオカルチュア」とは、「世界システムの内部において、正統なものとして広く受け入れられている規範および言説の様式」をいいます。
「近代世界システム」の「ジオカルチュア」は、フランス革命〔1789-1794年〕で登場し、19世紀を通じてヨーロッパ全域に広がり、さらに 20世紀には「近代世界システム」の拡張とともに全世界で「正統」イデオロギーの地位を占めるに至ったのです。それは、① 政治上の変化は “常態” であり正当なものだという「進歩」の思想、および ②「主権」は王ではなく「市民(citizen, citoyen)」に帰属するという「主権在民」の思想です。
宮澤賢治の童話『どんぐりと山猫』は、
資本主義〔黄金のドングリ〕と国家権威〔山猫の裁判官〕と
国民主権〔権利平等の判決〕の関係をよく表現している。
① のほうは、いわば無意識のうちに人びとに浸透し、右翼ファシストから極左過激派までが信奉する「現代の常識」ないし「神話」となりました〔∴「右」であればあるほど「改革」を主張します〕。しかし、② のほうは、19-20世紀を通じて政治上の激しい争点を形成しました。というのは、「主権者」である「市民」とはどこまでか?‥「市民」に包摂される者と排除される者〔低所得者,非納税者,女性,外国人,植民地住民,‥〕の「境界線」をめぐる争いが、議会政治の動向を決定したからです。主にこの争点を基礎として、「保守主義」「中道自由主義」「急進主義」の3つのイデオロギーが分かれ、大部分の時と場所において「中道自由主義」が勝利しました。(pp.149-157,240.)
こうした「自由主義」イデオロギーを中心とする「ジオカルチュア」は、政府の政策を通じても、また、人びとの思想と行動を通じても、「近代世界システム」〔不等価交換と余剰搾取のシステム〕に人びとを統合し、それを力強く支えたのです。というのは、「自由主義」者は、「万人の主権者への包摂」という高邁な理想を高々と掲げながら、現実には、ごく少数の選ばれた者の利益と「資本蓄積」を優先する政治を行ない、それに抗議する者は「民主主義の敵」の烙印を押して排除したからです。この戦略は、「近代世界システム」がうまく機能しているあいだは成功しており、逆に、「近代世界システム」は、この「ジオカルチュア」によって衝撃から保護されていました。社会主義国も、社会民主主義政党の政府も、①②のジオカルチュアを、保守的な資本主義国家の政府以上に熱烈に掲げることによって、資本主義的「近代世界システム」の維持に貢献しました。
ところが、「1968年」の衝撃は、この統合体制を初めて揺るがしたと言えます。「周辺国」の反抗を潰そうとするヘゲモニー国家、および反抗を建前上支援する社会主義国家、双方に対して攻撃が向けられました。ベトナム反戦とチェコ事件は、それらを象徴していました。もちろん、そこから直ちに資本主義が凋落したり政治体制が塗り替えられたわけではありません。「1968年」はあくまでも、“予兆” ないし “徴候” にとどまったのです。それでも、それから約20年をへて、「システム」の最も弱い環であった「社会主義国」体制が崩壊したことは、「68年」の衝撃が無効なものではなかったことを示しています。
「68年」は、「システム」と・それを支えてきた「ジオカルチュア」とを解体させる “趨勢” が、最終的な「危機」の漸近線に近づいたことを知らしめる “徴候” であったと言えます。ウォーラーステインによれば、「68年」を境に、①②のジオカルチュアはそのままのかたちでは維持できなくなり、代わって登場したのが、「グローバリズム」と「新自由主義」だったのです。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!