「朝鮮三一独立運動」(1919年3月1日)。ソウル「パゴダ公園」に集まった市民と
「独立宣言文」読み上げ。同公園の記念レリーフ。©アジア歴史資料センター
【34】 「近代国家システム」の動態――
対内的に「強い/弱い」国家、マフィア。
「近代世界システム」には、強い国家もあれば、弱い国家もある。概して、「中核」地域,つまり「中核」的生産過程が集まった地域にある国は強い国で、「周辺」地域には弱い国々がある。しかし、たとえば、ヨーロッパにも、ルクセンブルク,モナコ,リヒテンシュタインのような小国があります。それらは「弱い国」のようにも見えますが、はたしてそうでしょうか? 国家が「強い」か「弱い」かは、どんな基準で比べるかによります。
『国家の〔ギトン註――対内的な〕強さ〔…〕は、法的決定を実際に実行する能力によって定義することが、もっとも有益である。単純な指標〔…〕としては、課税額のうち実際に徴集され徴税当局のもとに納められた税金の割合を用いることができるだろう。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.133.
この基準を適用すると、中世・近世の国家と比べて、近現代の「中核」地域の国家のほうが「強い」ことは明らかでしょう。ルイ14世時代の「絶対主義」フランス王国よりも、現代のスウェーデン王国のほうがはるかに徴税能力は大きい。ウォーラーステインによれば、近現代において「強力な国家」が実際に徴収しうる税金は、法的課税額の「ざっと8割程度」。「弱体な国家」の場合は「2割に近い」。
『弱体な国家の税の徴収能力の低さの原因は、官僚機構の弱さであり、また逆に、徴税能力の低さのゆえに・官僚機構を強化する財源が奪われてしまうということでもある。
国家が弱体であればあるほど、〔ギトン註――民間で〕経済的な生産活動を通じて蓄積しうる富は小さくなる。その結果として国家機構は〔…〕、横領と賄賂を通じて、それ〔国家機構――ギトン註〕自体が資本蓄積の中心的な場の一つに〔場合によっては唯一の中心的な場に――著者註〕なってしまう。〔…〕その結果、国家が他の責務を実行する能力を弱めてしまうのである。
国家機構が資本蓄積のおもな様式となってしまうと〔ギトン註――機構における地位は、官僚が私腹を肥やす源泉となるので〕、定期的に人事異動を行なう』ことはなくなり、『不正な選抜が広がり、権力の譲渡が無法に行なわれ〔…〕、必然的に軍の政治的役割が拡大することになる。
理論上、国家は唯一の正当な暴力の行使者であり、〔…〕警察と軍隊は』国家による暴力独占の『主たる媒体であり、理論上は国家の権威の単なる道具にすぎない。しかし、』国家が弱体だと、『国家による暴力独占は〔…〕減殺され〔…〕、政治的指導者』が、国家機構内の軍・警察と、国家機構外の事実上の私的権力にたいする『実質的支配を維持することはきわめて困難にな』る。このように『体制が国内の治安を保証しえない状況では、つねに、軍が直接に執政権を握ろうとする誘惑が増すのである。〔…〕
こういった現象』は『何らかの失政の帰結ではなく、生産過程の大半が周辺的で、したがって資本蓄積の源泉が弱体であるような地域の国家に固有の病理〔…〕弱体さの帰結だということである。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,pp.133-134. .
アメリカの「子供の使い」ではない?――イランの最高指導者ハメネイ師(右),
ロウハニ大統領と会談する安倍晋三首相。2019年6月12-14日、テヘラン。
©OFFICIAL KHAMENEI WEBSITE / REUTERS.
たとえば、大半が周辺国である「産油国」に、軍政や独裁的王政が多いことは、ここから説明できます。「世界市場においてきわめて大きな利潤を生む天然資源」例えば石油「を産する諸国においては、国家に入る歳入の実質は」油田の “地主” であることによる「地代である」。ところが、国有であるはずの産油施設は、じっさいには官僚によって私的に支配されており、「地代」収入の大部分は「民間に流れ」て費消されてしまい、国庫には残らない。官僚組織を強化しうるような財源は国家には無く、国家は弱体でありつづける。国家の内外には、事実上の私的権力が乱立する。「そういった諸国がしばしば軍政状態に陥るのは、偶然ではない」。(pp.134-135.)
産油国の軍政や独裁を、一部の左翼評論家は、「アメリカ・ヨーロッパの石油支配」のせいだ、などと言って大衆の感情をあおります。しかし、たとえばイランの権威主義体制は、この理屈ではまったく説明できません。ウォーラーステインの「世界システム分析」は、この現象を、現代世界そのものの特性として合理的に理解させてくれます。
ただ、その点から言うと、こうした現象は、「資本主義的世界システム」がつづく限り無くならない(ホメイニ以後のイランのような反西欧的国家も、「世界システム」の有機的構成部分である)。それらは、誰かれの指導者の失政や、テロリズム〔結果にすぎない〕のせいでもなければ、アメリカの支配欲,CIAの陰謀,国際石油資本の強欲のせいでもないからです。右であれ左であれ、たんなる道徳的非難は、よい結果をもたらしません。
もっとも、ウォーラーステインの分析も、現代の周辺国独裁のさまざまなタイプを説明し尽しているかというと、私は疑問があります。ウォーラーステインの説明では、いわゆる「開発独裁」が把えきれません。
たとえば、韓国のかつての朴正熙軍事独裁政権では、指導者である朴正熙自身が軍を含む全権力を握っていました。中核地域の強国との違いは、指導者の権力が、合法的国家機構による民主的結果ではなく、機構を事実上構成する分裂した私的権力(多くは軍人)によって支えられていた点です。軍,行政,教育等あらゆるレベルでワイロが横行していました。そのような権力構造にとって合法的機構が邪魔になれば、官製クーデターによって憲法と法律のほうを変えてしまう。こうして「主権在民」のジオカルチュアは中途半端にネグレクトされますが、それを正当化する名目が、「開発」(経済発展)とナショナリズムです。
そこから言えば、現在のように、国家機構〔の大部分〕が合法的・民主的しくみにしたがって動くようになった段階で〔私権力的要素もまだ残っている!〕、朴正熙時代のような官製クーデターを起こそうとしても、どだいが無理なのです。
『国家の弱さ』は、『地方の名望家(土豪や軍閥)――彼らは一定の軍事力を支配し〔…〕、しばしば〔…〕地域的正統性を伴って、国家によらない地域支配を実施する能力をもつ――の相対的な強さを〔…〕意味している〔…〕。20世紀には、民族的な反システム運動〔…〕が地方的な領主に転じ〔…〕たものがある。そういった土豪勢力は、資本主義的な企業活動のマフィア的側面を引き出してしまうことが多い。マフィアは基本的に、生産過程を食い物にする存在である。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.135. .
「マフィア」は、麻薬のような違法な製品に限らず、むしろ全く合法な生産過程に寄生して高率の利潤を吸い上げることも多いのです。彼らは、国家の力が及ばない狭い地域を、独自の地方的権威や反国家的暴力で取り仕切り、非独占的な(つまり多数生産者の)利潤率の低い産物の「生産過程に、独占された回路をつくり出す。」
マフィアは生きている。逮捕されたシチリア島有力マフィア組織「コーザ・
ノストラ」の中心人物。2018年4月19日。©AFP / ALESSANDRO FUCARINI.
イタリア政府は「マフィア対策庁」を設けて撲滅を図るが容易なことではない
コロナ以来、マフィア諸組織は、欧州数か国に拡大する兆しがあるという。
このような「マフィア的なやり方」の資本主義活動は危険であり、「マフィア自身にとっても、生命の危険を伴う」。法外な高利潤の分け前をめぐって仲間割れが起き、刹害報復の連鎖となることがめずらしくない。そこで、「歴史的にマフィアたちは、いったん資本の蓄積に成功すると、そのカネを洗浄して合法的な企業家に転身しようとする。」
しかしそれでも、国家の支配が行きわたっていない状態がなお続いていれば、彼らに代わって「新しいマフィアが現れてくる」こととなります。
「国家がその権威を」強化して実効支配を強め、「マフィアの役割を低下させようとする方法の一つは、住民を」〔イタリア人に同化しないシチリア根性のような〕狭い地域から脱却させて「[国民 ネイション]に変容させることである。」(pp.135-136.)
【35】 「近代国家システム」の動態――
対外的に「強い/弱い」国家、植民地。
『国家は国家間システムの〔…〕なかに存在しており、その』対外的な『強さは、〔…〕世界システムの競争的な環境のなかで自律的に行動しうる程度によっても測られる。
理論的にはすべての国家が主権的であるが、〔ギトン註――対外的に〕強力な国家は、弱体な国家の国内事項に〔…〕容易に「干渉」することができる〔…〕
強力な国家は弱体な国家に対して、』自国に『立地する企業』の利益となる『生産要素の流通について、国境を開放するよう圧力をかける』。その一方で、弱小国に有利な産品の流通については、逆に、障壁を設け、『弱体な国家からの〔ギトン註――開放〕要求に抵抗する〔…〕。アメリカ合州国とヨーロッパ連合は、世界の他の諸国に向かって、〔…〕市場を開放するよう要求しつづけている。』その一方で、アメリカとヨーロッパは、『自国産品と競合するような農業生産物や繊維製品については、逆に、周辺地域〔…〕からの流入に対して市場〔…〕開放〔…〕に実に頑強に抵抗している。
強力な国家は弱体な国家に対して、』好ましい『人物が政権に座るように圧力をかけ、さらに、』他の弱体な国家への圧力行使に『協力させる。また、強力な国家は、弱体な国家とのあいだ』で、『長期的な結びつきを強化するような文化的実践――言語政策,教育政策〔留学先の誘導をふくむ――著者註〕,メディア配信など――を受け入れるよう圧力をかける〔…〕
また、強力な国家は、国際関係の領域(条約や国際機関)における自らの指導〔核不拡散条約に入れ、核禁止条約には入るな、テロ防止関連条約は全部入れ、etc.――ギトン註〕に弱体な国家が従うよう、圧力をかける〔…〕
強力な国家は、弱体な国家の指導者個々人を買収することがある〔…〕、弱体な国家は』強力な国家の企業のために、『資本の適切な流れのお膳立てを行な』い、それと引きかえに『強大な国家からの保護を受けようとする。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,pp.137-139. .
「朝鮮三一独立運動」。「独立万歳」を叫んで行進する京城女子高等普通学校生
1919年3月1日、ソウル市内。 ©Wikimedia.
ここで、植民地について考えてみます。植民地は、↑上の「強/弱国」の規準でいえば「もっとも弱体な国家」、と言えなくはない。しかし、植民地は対外的には、「主権国家」ではありません。「主権を有さず、他国の支配下に服している統治単位」というのが、「植民地」の定義です。
しかしながら、対内的に見ると、植民地も「主権国家」の機能を果たしているのです。「植民地当局は、所有権を保証し、国境管理に関する決定を行ない、政治的参加の様式を整え〔植民者以外の現地住民の選挙権を認めることは稀〕、労働条件の決定を法制化し、またしばしば」植民地で「行なわれるべき生産活動」や栽培されるべき作物の種類〔禁止,制限,優遇〕を決定した。ただしこれらの決定は、もっぱら、宗主国から来た人間が行なうしくみだった。それは、「現地人の文化的劣等性」という論理、および、「植民地統治は、彼らの文明化と教育のためだ」という論理によって、正当化された。(p.139.)
『植民地国家は、〔…〕国家間システムにおけるもっとも弱体な種類の国家である。〔…〕自律性は最低限しかなく、〔…〕最大限にまで本国からの企業および個人による搾取にさらされていた。もちろん、〔…〕宗主国の目的〔…〕は、たんに植民地における生産過程の支配』にだけ『あるのではなく、〔…〕強力な他の諸国がその植民地の資源や市場に入りこんでこられないようにしておくことにもあった。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,pp.139-140. .
【36】 「近代国家システム」の動態――
大国間関係と「半周辺国家」
近現代の「国家間システム」においては、強力な国家と強力な国家が、弱体な国々にたいする支配権を奪いあって競争し、さらにそこに中程度の強さの「半周辺国家」が割り込んで、「半周辺国家」どうしで争いながら「中核」へ上昇していこうとするので、複雑な「国家間の対抗」争奪「過程が生ずる。」この激しい争奪戦も、通常の時期には全体として「勢力均衡 バランス・オヴ・パワー」を成立させて、相対的に安定します。「勢力均衡 バランス・オヴ・パワー」とは、「国家間関係において、どの一国も自動的には自らの思い通りにはふるまえないような状況」をいいます。
近代「国家間システム」における強力な国家は、「定義上」たがいに「対抗し合う関係にある。」なぜなら、それら諸国は、それぞれ、自国に本拠を置く企業群にたいして、彼らが他国の企業と対抗する利害関係について「責任を負っているからである。」
ただ、それら「強力な国家」間の競争は、敵意剥き出しのもの(究極は戦争)となることは稀れで〔トランプも、まずは習近平を招いて、マール・ア・ラーゴで接待した〕、「ある矛盾のために、抑制されたものとなる。それはちょうど、市場で激しく競い合う寡占企業間に」“想像上のカルテル” というべき協調関係が生ずるのと同様です。つまり、この種のゼロサム・ゲームでは、「囚人のジレンマ」に陥ってしまうのは賢い選択ではないと誰もが解っているので、それを避けようとする力がはたらくのです。
逆に言えば、「国家間システムおよび近代世界システム全体が、しっかりと統合されていること」こそが、強大国群全体の「共通の利益」なのです。国連その他の国際協調の機構は、ある部分までは、〈大国の利益のためにこそある〉と言ってよい。
つまり、大国間関係には、「アナーキーな国家間システムに向かう」遠心力と、「秩序の貫徹した国家間システムへ向かう」凝集力とが、つねに同時にはたらいており、「その帰結は通常、」これら両極端「の中間の構造となる。」
インド、タタ・スティール(TISCO)ジャムシェドプル製鉄所。
©Jamshedpur Steel City. 2023年の世界の粗鋼生産量は、
1位:中国、2位:インド、3位:日本だった。
「半周辺国家」の特殊な性質は、すでに (6)【18】で述べられていたように、「国内の領域でも、国家間の領域でも、生産者,資本の蓄積者,そして軍事力としての自国の地位を向上させるべく、きわめて意識的に国家の権力を用いる。」「半周辺国家」がめざす選択は、「世界システムの〔…〕位階秩序」のなかで上昇し、できれば「中核」的強大国群に仲間入りし、それができなくても「半周辺」の地位を維持し、まちがっても「周辺」国家群に再転落しない、ということです。
「半周辺国家」にとって最も厳しい競争は、「半周辺国家」どうしのあいだで争われます〔南シナ海をめぐる中国,フィリピン,ベトナムの争奪戦!〕。「半周辺国家」にとって最も重要な上昇の機会は、「世界システム」が「コンドラチェフ循環のB局面」にある時に訪れます。「それまで主導産業〔リーディング・インダストリー〕であった産業が、中核地域から、」より有利な利潤機会(低賃金労働力等)を求めて移転して来る(かもしれない)からです。「半周辺国家」は、われ先に名乗りを上げて、この旧「主導産業」を誘致しますが、誘致に成功するのは、「ざっと 15か国ほどの〔…〕半周辺諸国のうち1国か2国」にすぎません。こうして浮沈が分かれ、「半周辺国家」の一部は相対的に沈んで、「周辺」に退行してしまう。他方、1国程度は、将来「中核」へと上昇する可能性をつかむかもしれません。
旧「主導産業」の誘致に成功した国も、決してバラ色ではありません。「世界システム」全体の中ではすでに時代遅れになった「おさがり」を引き受けたにすぎないからです。移転初期には回復した「利潤も、急速かつ急激に逓減することは見やすいことである。」(pp.141-143.)
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!