チリ・アジェンデ政権の誕生(1970年)。ドキュメンタリー映画『チリの闘い』
より。「社会主義への移行」を公約して大統領に選出されたサルバドール・
アジェンデは、銀行・鉱山の国有化,教育・医療の支援,最低賃金引上げ,大土地
所有の廃止などを進めたが、73年、米CIA の支援を受けたクーデターで政権は
倒され、ピノチェト軍事政権のもとで大規模な左派弾圧・刹戮が行なわれた。
【1】 「世界システム」の社会過程と、
「世界システム分析」を生み出した知的過程
イマニュエル・ウォーラーステインの『近代世界システム』全4巻 の大著は、容易に読破できそうにないので、私は永いこと手を付けられずにいました。ところが、それらの内容を著者自身がコンパクトにまとめた本書は、読みはじめてみると、たいへん解りやすく、快速で読み進めているので、レヴューすることにしました。この本は、「読書メーター」などを見ても、ネットでの紹介が十分とは言えない状況ですから。
私は、昔ウォーラーステイン氏に個人的に会ったことがあるのです。偶々行き違ったような出会いでした。故Sという・ちょっと風変わりな在日朝鮮人が、日本国家への戦後補償(Sの主張では「公式陳謝」)請求の進め方について、来日中のウォーラーステイン氏にアドバイスを求めた席に、まだ右も左も解らない若い私も同席していたのでした。Sは、氏のアドバイスが気に入らなくて、さんざんケチをつけていましたが、ウォーラーステイン氏はそれにも丁寧に答えていました。当然のことながら、私にはウォーラーステイン氏の意見のほうが、もっともに思われた。それで、会見が終った後で、私は、SおよびSの取り巻き日本人たちと大喧嘩しました。紆余曲折あったあとで、韓国の元慰安婦らを原告とする「遺族会」の補償請求訴訟が起き、私たちはSらと袂を分かって支援することになります。それで、この会見のことはよく覚えているのです。氏の本の最初の訳が出て、日本でも注目されはじめた頃でした。『近代世界システム』全4巻 はまだ翻訳がありませんでした。
「近代世界システム」とは、ウォーラーステイン氏らが提案する「分析単位」の一つです。そういうシステムがある、というよりは、そういう時間的・地理的範囲を対象として、そこにあるシステムを研究してみましょう、ということです。
「近代世界システム」とは、大きな分類で言えば「史的システム」の一つであり、「史的システム」には、「ミニシステム」と「世界システム」の2種類があります。
「ミニシステム」とは、たとえば縄文時代の日本にあった諸社会です。小さな世界ですが完結した世界があり、外部とは明確に区別されている。人びとは自分たちの「ミニシステム」の中だけで暮らしているが、外部にも世界があることは知っている。たとえば、外部との塩の交易がなければ、生きてゆくことができません。
これと対照的なのが「世界システム」で、「世界システム」の中にいる人にとっては、それ自体が唯一の「世界」であって、外部は存在しません。仮りにあっても無視する:脳裡に上りません。そのために、じっさいには、外部との境界――どこまでが「世界」なのか――は曖昧です。
「世界システム」は、2つの・大きく特徴の異なるシステムに分かれます。「世界=帝国」と「世界=経済」です。「世界=帝国」の典型は、古代中国の漢帝国,唐帝国です。「漢」王朝,「唐」王朝という中心(核心)のまわりにたくさんの周辺(夷狄)諸国家があり、それらの全体が「世界=帝国」として秩序づけられています。「世界=帝国」は、それが「世界」でありすべてであるとの観念を持っていますが、じっさいには、複数の「世界=帝国」の共存が史上珍しくありませんでした。メソポタミアの「世界=帝国」とエジプトの「世界=帝国」は、メソポタミアのアケメネス朝ペルシャが起こした征服戦争によって、ひとつのオリエント「世界=帝国」に統合されています。
「世界=経済」は、「世界=帝国」とは国家のあり方、国家が経済に及ぼす支配のしかたが異なります。「世界=帝国」の中心には強大な官僚制国家があって、「世界」全体を統率していました。すくなくとも、そういうタテマエで「世界=帝国」の秩序が保たれていました。しかし、「世界=経済」には、そうした中心になる強大な国家がありません。中心になるのは、「経済」のヘゲモニー(覇権)を握る中心都市で、それは1か所に固定しておらず、国際経済活動の結節点のあいだを次々に移動していきます。そして、「経済」のヘゲモニーを握る都市が、政治的なヘゲモニー国家を形成することになります。
「世界=経済」は、かつて古代ギリシャなどにもありましたが、みな一時的なもので、隣接する「世界=帝国」から影響を受けて併呑されていきました。「世界=経済」が、世界史上初めて確実な地歩を記したのは、ブローデルが明らかにした 16世紀の「地中海世界」です。16世紀の「地中海世界」に成立した「世界=経済」は、何度もヘゲモニー都市を交代させながらヨーロッパに広がって行き、「近代世界システム」となります。「近代世界システム」は、やがてアメリカ・アフリカ・アジアにまで拡大して行きます。この拡大運動は、資本主義の宿命です。「近代世界システム」の死命を制しているのは、資本主義という特有の経済(運動法則の束)なのです。
ウォーラーステインが第❶章で説明しているのは、「世界システム分析」という考え方が誕生した「知の歴史」です。「世界システム」は、人類の世界にビルト・インされた構造ですが、それを認識しようとする「世界システム分析」じたいが、「世界システム」の運動のなかから発生してきたものだ。このようなウォーラーステインの考え方は、ヘーゲル以来の弁証法論理が持つ・知と歴史(社会)の関係にかんする枠組みです。知は、歴史や社会の外部に立ってそれらを批判することなどできない。世界の外に立つ「全知全能の神」も「アルキメデスの足場」も存在しないのだ。
アルキメデスのテコ。アルキメデスは主君であるシラクサ王に、「私に足場を
与えてくれたら、地球でも動かして見せよう。」と言い放った。
このような枠組みを政治問題に適用すると、誰か偉い人が「正しい」政治批判をして、その人にしたがって政治と社会が改善されるという考え方、それを期待する英雄待望論は、ナンセンスな思い込みにすぎないこととなります。
「世界システム分析」を誕生させた「知の歴史」は、1945年と 1968年が画期となります。1945年までの諸科学は、多数の個別科学(disciplin)に分かれていました。19世紀に、実験を重視する経験的自然科学と、哲学など・合理的論理操作を手法とする「人文学」が分かれ、それぞれが多数の専門個別科学に細分化されていきました。社会に関する探究は、「歴史学」が、次いで個別科学として成立した「政治学」「経済学」「社会学」が担うこととなりましたが、それらはいずれも、「科学的」経験科学と「人文学」のあいだで自分の場所を定めるのに苦しみ、右往左往しているのが実情でした。
20世紀になると、「文化人類学」と「東洋学」がそれに加わります。19世紀の「歴史学」「政治学」「経済学」「社会学」は、事実上、ヨーロッパの領域、ふつうには各自国のみを研究対象としていたのですが、各国の帝国主義的膨張は、ヨーロッパ外の植民地・諸部族や、アジアの旧帝国に関する知識を、統治と攻略のために必要としたのです。「文化人類学」と「東洋学」は、「法則」の発見をめざす経験科学よりも、一度限りの個性的事実からの類推を重視する「人文学」のほうに、方法的に傾いていました。
ところが、1930年代以後は、これら各個別科学プロパーの探究の有効性が疑われるようになり、個別科学のあいだの壁が取り払われるようになります。たとえば、東洋のある国の社会について「政治学」「経済学」「社会学」の手法で「科学的に」研究する、あるいは逆に、ヨーロッパの社会に「文化人類学」の手法を持ちこんで「人文学」的な主張をする、といったことが盛行したのです。純粋な「人文学」(ウェーバーの言う「文化科学」)とされてきた「歴史学」も、経済学を中心とする科学的理論の適用――したがって国を問わず適用される「一般法則」――を求めるようになりました。
こうして、1945年以後には、個別科学の「枠」の動揺を象徴する4つのおもな論争が起きたのです。
【2】 地域研究と開発主義(発展段階論)
――1945年の転換
ここで問題になるのが「開発主義(development theory)」、日本で聞きなれた訳語で言うと、「発展段階論」です。英語の development は「開発」とも「発展」「展開」とも訳されますが、意味は同じです。
『アメリカ合州国の覇権 ヘゲモニー と第三世界の自立の』結果として、それまでは強固にあった『社会科学内の分業〔…〕は、アメリカ合州国の政策立案当局にとっては、無益どころか有害』なものにさえなった。『アメリカ合州国は、道教の古典を解読できる〔ギトン註――東洋〕学者よりも、中国共産党の勃興を分析できる〔ギトン註――政治〕学者を、バンツー諸族の親族構造を解説できる〔ギトン註――文化人類〕学者よりも、アフリカのナショナリズム運動の強さや都市の労働力の成長を説明できる〔ギトン註――社会/経済〕学者を必要とした。〔ところが、旧い学科分業のもとでは、アジア・アフリカの地域は、東洋学者と文化人類学者の専属領域で、彼らは中国共産党もアフリカの都市の実情も知らなかった。――ギトン註〕
独立記念日を祝うインドの子供たち。2013年、北京。©oneindia.com.
〔…〕ひとつの解決は〔…〕歴史学者,経済学者,社会学者,政治学者を訓練して〔ギトン註――個別科学の枠を取り払い〕、世界のその他の地域〔北米・西欧以外の地域――ギトン註〕で起っていることの研究に従事させるというやり方である。これが、アメリカ合州国ではじまった「地域研究 エリア・スタディーズ」の起源である。しかし、本来的に〔…〕「個性記述」的な〔…〕地理的,文化的な「地域」の研究と、経済学者,社会学者,政治学者が(〔…〕歴史学者の一部でさえ)前提としている「法則定立」的な認識論的態度とは、いかにして接合されうるのか。そのディレンマを解決するべく現れた』の『が、「開発(発展)」の概念である。
開発〔…〕の背後にあるのは、おなじみの〔…〕段階論である。〔…〕個々の「国民社会」はすべて、本質的に同じ方向に向かって開発されていく〔…〕が、その歩みの遅速は〔…〕異なる〔…〕。〔…〕このトリックには実際的な側面もあった。「最も開発された」国〔最先進国――ギトン註〕は、「開発が遅れている」諸国に対するモデルの役割を果たしうるという示唆があるからである。前者は後者に対して一種の模倣を勧奨し、虹のかなたにある・より高い生活水準とより自由な政治的構造〔…〕を約束する立場となった。
これがアメリカ合州国にとって有益な知的ツールであることは瞭然である。アメリカ合州国では、政府および各種財団がこぞって主要大学に〔…〕地域研究の拡大を支援〔…〕した。〔…〕そして、ソ連も開発の段階論概念を採用した。』その『基本的なモデルは〔ギトン註――アメリカと〕同じである。ただ1点だけ、〔…〕ソ連版の段階論では、アメリカ合州国ではなくソ連が、〔訳者註――最も開発の進んだ〕モデル国家とされ〔…〕た。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,pp.38-40.
【3】 「世界システム分析」誕生まで
――4つの論争:①従属理論
「従属理論」は、「中核/周辺概念」とも呼ばれる・一定の政治的主張を持つ社会科学者のグループですが、彼らが活躍した舞台は、大学でも学会でもなく、国連の「ラテンアメリカ経済委員会(ECLA)」でした。私のブログでは、すでに彼らのひとり:アンドレ・グンダー・フランクが、おなじみになっています。
「この[中核/周辺]というテーマを〔…〕重要な焦点にしたのは、1950年代、ラウール・プレビッシュと、彼のもと ECLA で働いていたラテンアメリカ出身の[急進分子]たち〔…〕であった。その基本的なアイデアは〔…〕、国際貿易は対等な〔…〕交易ではなく、〔…〕経済的に強い諸国(中核諸国)は、経済的に弱い諸国(周辺諸国)から剰余価値を」搾取する「交易条件〔…〕で貿易を行なうことができる、というのが彼らの主張である。」(pp.42-43.)
のちには、この交易条件は「不等価交換」であると主張されるようになり、ウォーラーステインの「世界システム分析」も、この「不等価性」の主張を引き継いでいます。しかし、純理論的には、この「不等価性」を論理整合的に説明するのは容易でないと思われます。ウォーラーステインに対しても、この主張については多くの経済学者から批判が寄せられています。たとえば、柄谷行人氏は、商人資本(国際貿易業者)は地理的な価値体系の差異から剰余価値を得るとしています。つまり、「等価交換」から剰余価値が発生するしくみを、「価値体系の差異」によって説明しているわけです。しかしそうすると、剰余価値がもっぱら中核諸国の側に流れる理由は、説明できないことになります。経済理論的には、この「不等価交換」は、なお解かれていない難問であると言えます。しかし、理論的にはどうあろうと、現実に行なわれている「南・北」間の国際貿易は、「不等価交換」であるとしか言えない、というのが、「従属理論」の主張なのです。
キューバ革命(1959年)。革命勝利後、パレードするフィデロ・カストロ。
「従属理論」は、19世紀の古典派経済学者デイヴィッド・リカードの「比較生産費説」に対する批判であったと言えます。たとえば、社長と秘書は、どちらもタイプライターを打てるし、マーケティング戦略を考えることができる。タイプ打ちの能力(生産性)の違いが3対2であるのに対し、マーケティングは 10対3だとします。この場合、社長はマーケティング計画だけを行ない、秘書はタイプ打ちに専念するのが、もっとも効率的である(合計産出量が多い)ことになります。この理屈を国と国の関係に適用したのが「比較生産費説」です。それぞれの国が、「比較優位」のある商品の生産に特化して(たとえば、英国は毛織物,スペインは葡萄)、自由貿易によって交換するのが、どちらの国にとっても「利益の最大化となる。」ただしこれは、資本と商品の移動に障碍がなく、労働力の移動は制限されていることが前提となります。
「比較生産費説」は、貿易を自由化すれば世界全体がトクをすると言って、自由貿易を奨めるのですが、これは現在も、先進国の経済学者や IMFが主張する金科玉条です。しかし、じっさいには、それによって不公平な結果が生じます。自由貿易は、低開発国の経済を破壊してしまう。低開発国は、先進国との自由貿易のせいで、ますます貧乏になる。それというのも、「不等価交換」によって、低開発国は先進国に剰余価値を搾取されるからだ、と「従属理論」は主張するのです。
「中核」と「周辺」のあいだの不平等の問題に対して、「従属理論」から導かれる処方箋は、「周辺」の諸国家が行動を起こし、「中期的将来に交易条件の平等化が達せられるような仕組みを制度化する、というものであった。」
そこで、主な実践的問題は、この「不平等」への対抗策いかんということになります。「いかなる対抗策が、不等価交換に対して有効であるか」。経済的規制〔たとえば、周辺国側の輸出制限〕だけで足りるか? 経済的規制に加えて政治的行動が必要か?「政治的行動(たとえば政治的革命)が必要とされる度合いは、どの程度であるか」が、「従属論者」のあいだでも争われました。「多くの従属論者たちは、真に不平等を是正するため」には、行動〔たとえば、重要産業の国有化〕の「前提として政治的革命が必要であると主張した。」
「ラテンアメリカで展開された従属理論は、表面的には、西洋諸国、とくにアメリカ合州国が行なっていた、またそうせよと説いていた経済政策に対する批判を第一義としていた。たとえば、アンドレ・グンダー・フランクは、中核地域の大企業」,諸大国,IMF, IBRD などの国際機関が行なってきた「貿易自由化」の帰結は、「低開発の発展(development of underdevelopment)」だと表現しました。「自由貿易」によって、低開発国は発展する(開発される)のではなく、ますます悪い従属的状態に「発展」させられる、というのです。つまり、そうやって「発展」させられる「低開発(underdevelopment)」とは、先進諸国と接触する以前から・その社会にあった状態(その社会の自己責任と言うべき状態)ではなく、「史的資本主義によってもたらされた」状態だというのです。
他方で、「従属論者」たちの主張は、ラテンアメリカ諸国の共産党に対する批判でもありました。なぜなら、共産党は「発展段階説を奉じて」おり、社会主義化の前段階として、まずはブルジョワジー(結局はアメリカ)と協力して半封建制から脱出せよと説いていたからです。
これに対して「従属論者」たちは、キューバ革命の影響のもとで、次のように主張しました。「ラテンアメリカ諸国はすでに資本主義システムの不可分の一部となって」いるのであり、「したがって必要なのは」アメリカや、親米的な進歩的ブルジョワと手を組むことではなく、「いますぐ社会主義革命を起こすことであると」。(pp.43-45.)
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