映画『破戒』。©全国水平社創立100周年記念映画製作委員会。

島崎藤村の小説『破戒』は、日本最初の本格的言文一致体小説だった。 

 

 

 

 

 

 

【15】 「帝国とネーション」――

「ネーション=ステート」を越える資本主義

 


 20世紀末以来、①EU のような・国家を越える広域「共同体」の形成と,②東欧諸国のような・エスニックの分離独立,――の2方向に起きている「ネーション=ステートを超える動き」は、「近代世界システム」「主権国家の世界体制」に対して、どんな影響を及ぼすのでしょうか? たんに「ネーション=ステート」の区割りを変えるだけで、「ネーション=ステート」の集まりからなる世界体制を変えるわけではない、と言えるでしょうか?

 

 柄谷氏は、「ネーション=ステート」体制が解体するかどうかについては明らかにしていませんが(おそらく「否」)、近代の「ネーション=ステート」とは異なる別種の「想像の共同体」が出現すると見ているようです。それは、たとえば、過去の《帝国》を範型として構築される。‥‥ただ、この論文では、《帝国》はあくまで範型ないし「衣装」であって、過去の《帝国》そのものが再建されるわけではない、とされます。すなわち、氏の後の論考〔『帝国の構造』〕のような「《帝国》の原理」は、まだ述べられていません。


 

『近代のネーションは、ベネディクト・アンダーソンが言うように「想像の共同体」imagined community です。それは、〔…〕過去のさまざまな意匠を喚起し〔…〕現在に結びつけることにおいて成立します。

 

 しかし、今構成されつつあるトランスナショナルな共同体は、それとは別のものです。それを私は「想像のトランスナショナル共同体」imagined transnational community と呼ぶことにしたいと思います。それは古代帝国、あるいはそれを支えていた世界宗教の復元として現れる〔…〕

 

 「帝国」』『「帝国主義」と区別しなければならない。帝国主義は 1884年に始まる〔…〕資本主義が「資本の輸出」を始める段階に入ったことを意味しています。〔…〕

 

 古代帝国では、普遍的なローマ法〔のような「万民法」――ギトン註〕があり、それが遵守されていれば、帝国に属する各民族は、それぞれの同一性を保ちながら勝手にやっていることができたのです。〔…〕中国の帝国にしても同じです。日本もこの帝国の中に属していたわけですが、従属していることすらほとんど意識しないでやってこられたのです。

 

 「帝国主義」』以前『の西欧の植民地支配も、〔…〕大ざっぱなものであって、植民地になった諸国のそれまでの体制を放置してきました。

 

 「帝国主義」は、それとは違って、ネーション・ステートと同じような「同一化」を〔ギトン註――植民地に対しても〕強制しはじめます。たとえば日本は、〔…〕台湾および〔…〕朝鮮に対して、彼らを日本国民として同一化させようとしたわけです。

 

 台湾も朝鮮も、中国の帝国において属国としてありましたが、このような支配は一度も経験していません。すると「帝国主義」は、近代のネーション・ステートの拡張として見るべきであると言うことができます。〔…〕

 

 ナポレオンの打ち立てたヨーロッパ支配は、『「帝国」とは異質です。それはネーション・ステートの延長であり、その結果として、支配された地域にナショナリズムをもたらした〔…〕

 

 ナショナリズムの問題は、たんに政治・経済的な視点ではけっして理解できません。それは、むしろ文学、あるいは美学的な問題です。〔…〕

 

 近代国家(ネーション・ステート)は、帝国の中から分節化されて形成されたものです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.17-20.  


 

 

(上)「かみつけの里 古墳祭り」、高崎市上毛野はにわの里公園。

©gunma-kanko.jp.

(下)山上碑(681年,世界記憶遺産)高崎市山名町。 中国を中心とする

漢字文化は、7世紀には東国にまで達していたが、にも拘らず

そこでは、中国とは異なる独自の信仰と文化が栄えていた。

 

 

 「《帝国》の特徴」のひとつは「文字の優位」です。《帝国》では、「ラテン語や漢字やアラビア文字が唯一の文字(言語)であり、それによって表される意味は超越的で普遍的(カトリック)です。」これに対して、「近代化」のなかで起きてきたのが、「俗語」で書こうとする運動です。宗教改革は、聖書を「俗語」に翻訳すること、それを印刷術で普及することと、密接にかかわっていました。先にドイツ語があったのではなく、ルターの「この翻訳が規範となって、のちにドイツ語」ができ、「ドイツ民族が形成されたのです。」フランスでも、中世の史料に「フランス語」という言い方はありません。「田舎のラテン語」などと呼んでいます。

 

 《帝国》からの、それぞれの地域の「分節化」、すなわち「ネーション=ステート」の形成を押し進めたのは、「絶対王政」のような政治運動、ブルジョワジーのような経済的な動きだけではなく、「言文一致」のような文学的・美学的な動向も重要なのです。その過程で、ネーションナショナリズムが形成されました。

 

 「ルターの宗教改革は、この俗語化と密接につながっています。彼は信仰を、〔…〕自己の内面の直接的な問題としました。それはいわば、内的な言語(音声言語)を文字(ラテン語)に優越させることです。それは、超越的な意味を解体することです。その結果、信仰は個人的なものになり、かつ各地域によって違ったものになります。」(p.20.)


 宗教改革による分裂と宗教戦争の後で、ルターとは対照的に、《帝国》の「普遍」を復興する方向をめざしたのがライプニッツだったと言えます。

 

 

ライプニッツは、モナドロジーや記号論理学を、〔…〕宗教的な対立によって分解してしまった西ヨーロッパにおける統合の論理として考えた〔※〕のです。モナドロジーとは、各モナド(個人)がそれぞれ全体を「表出」しているというヴィジョンです。これは、各モナド(ネーション)がばらばらに孤立するのでもなく、全体主義的な統合でもないような、統合のイメージであると言っていいかもしれません。また、彼が記号論理学を考えた時、各国でどんな読み方をしてもよい漢字をモデルにした〔…〕ライプニッツはある意味で、「帝国」を回復しようとしたわけです。

 

 現在起こっている事態はある意味で、1930年代の世界ブロック化という状況に似ています。しかし、決定的に違っているのは、それがもはや「帝国主義」的でなく、「帝国」的だということです。それは、各ネーションのアイデンティティをそのまま保ちながら、あるゆるやかな統一をめざすといったかたちをとっています。この意味では、それは 1930年代の再現〔つまり世界大戦の危機――ギトン註〕にはならないでしょう。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.20-21.  

 註※「ライプニッツと普遍」: ライプニッツはロマン主義ではありません。むしろ逆です。ロマン主義は、ナショナリズム・ネーションの淵源として中世(騎士道,武士道)を賛美しますが、中世にはネーション(民族)など存在しません。中世にあったのは、世界宗教であり、普遍であり、世界《帝国》への憧れです。ロマン主義の根本的な錯誤が、そこにあります。なお、ライプニッツのモナドロジーには、仏教の「因陀羅網」哲学の影響が顕著ですが、柄谷氏は触れていないので、これは別の機会に論じます。

 

 

 このように、柄谷氏はこの時点では、新たな「帝国主義戦争」すなわち「第3次世界大戦の危機」ということを、深刻に考えてはいなかったことがわかります。たしかに、「ヨーロッパ共同体」のような地域的な国家統合を、そのまま「新たな帝国主義の現れ」とのみ見ることはできないでしょう。しかし、こちらの【2】で見たように、柄谷氏は現在では、「新自由主義」の衣装をまとったトランスナショナルな現在の資本主義を、「第3の帝国主義段階」と見ています。

 

 

朝鮮神宮、京城、南山、1937年頃。『朝鮮神宮御鎮座十周年記念』より。

1937年日中戦争の全面化とともに、日本の朝鮮統治権力は、皇民化(同化)

政策の一環として各地に神社を建て、キリスト教徒にも参拝を強要した。

チマ・チョゴリの朝鮮人女学生と和服の日本人女学生が参拝している。

 

 

 ここで(pp.21-24.)柄谷氏は、西田幾多郎の『世界新秩序の原理』を引用して独自の解釈を述べているのですが、私には誤読としか思えません。「西田は、世界と個(国家)のあいだに地域を置い」て「大東亜共栄圏の論理」を構想したが、それは現実には「帝国主義的支配」をそう「解釈」したにすぎなかった、と言うのです。

 

 しかし、柄谷氏が引用している箇所を見る限り、「地域」は読み取れません。西田は、「今日の世界大戦は〔…〕強大なる国家と国家が〔…〕各自が世界的使命を自覚して」激烈に闘争することにより「全世界が一つの世界的世界に構成せられる」のであり、これこそが世界大戦の要求する「世界新秩序の原理」であり「我国の八紘為宇の理念」であり、天皇の「聖旨」であると言っています。つまり、西田のファシズム哲学は、当時の日本ファシズム一般の宣伝文句と同様に、日本「国家」の外は直ちに「世界」となってしまい、「大東亜」は「地域」として意識されているわけではないのです。(つまり、西田らファシストが考えた「大東亜」とは、《帝国》のような・ネーションを超えたものではなく、「帝国主義」すなわちネーションの延長にすぎなかった。)

 

 なので、この部分は飛ばしたいと思います。

 

 

 

【16】 「帝国とネーション」――

「想像の共同体」であった近代日本

 

 

ネーションは、『どんなにナショナリストが、』それは『同一の血や言語に深く根差していると考えたとしても、〔…〕どんなに古く連続したもの〔…〕と見えても、実は近代に生み出された「想像の共同体」です。〔…〕ネーション=ステートは、『近代の産業資本主義と「国民経済」によって形成される〔…〕

 

 スイスやベルギーのナショナリズムは、〔…〕言語や民族の共同性に還元できないものです。〔…〕世界各国からの移民でできている〔…〕アメリカ合州国のナショナリズムは、〔…〕エマソン〔…〕に典型的に示されています。ヨーロッパ的伝統と書物を断ち切り、自己自身の内なる理性と実際の経験にもとづこうということです。このエマソン主義が政治的に実現されたのは、1865年南北戦争における北部の勝利においてです。〔…〕多くの国においてナショナリズムが血や過去の伝統において語られるのと対照的に、アメリカのナショナリズムはいつも自由と民主主義といった理念によって語られる。』これはネーションの本質を一つの極において示しています。現実にアメリカは、自由と民主主義の理念のもとに他国を支配してきたのです。〔…〕

 

 明治維新はステートをつくったが、ネーションを形成しえなかった。そもそも明治維新は、薩摩・長州といった諸藩の反乱という意味合いが強いのです。また、薩摩や長州は、イギリスと単独で戦争しています。自由民権運動も、半ば封建的な部族の争いという要素をもっています。〔…〕明治政府は〔…〕憲法を発布し議会制度をはじめます』が、『これは国家主義のイデオロギーであって、ネーションを形成するものではなかった。

 

 しかしその後『明治国家は、アイヌだけでなく、明らかに別の国家であった琉球王国を統合しています。〔…〕彼らを国民(ネーション)たらしめる〔…〕には、従来とはまったく別の原理が必要でした。〔…〕たとえば儒教的国家などというイデオロギーでは、そんなことはできないのです。天皇をもってくることも無効です。』

 

 ネーションは、明治政府に『敗北した自由民権派によって、「想像的に」形成されたといったほうがいいのです。日清戦争を機に、民権派の国権主義への転向が大量に起こっている。――ギトン註〕

 

 

内村鑑三の墓、多磨霊園。©underthecanopy2016.blogspot.com. 

“I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God.”

 

 

 ネーションがほんとうに形成されるのは、それが人々に、そのためにタヒぬことが永遠に生きることを意味するような気持にさせるときです。〔…〕それは人を、先祖のみならずまだ生まれてもいない世代との連続的な関係において理解することを可能にし、人がそこに生まれたという偶然性を必然的なものに変えることを可能にする。これは、宗教や部族〔…〕が崩壊した後に出てくるものです。

 

 江戸時代において、武士は主君のためにタヒぬという武士道を確立していました。しかしこれは、言ってみれば部族に属することです。〔…〕ネーション〔「日本」――ギトン註〕のためにタヒぬという考えはなかった〔…〕

 

 親族の強いところでは、それによってネーションの形成が妨げられている〔…〕宗教も、イスラム圏のように強いところでは、ネーションの形成を妨げています。なぜなら、宗教が「生とタヒ」を意味づけてしまうからです。〔…〕

 

 西ヨーロッパにおいて、このような「ネーション」が形成されるのは、18世紀以来啓蒙主義によって宗教が否定されてしまったあとからです。それはロマン主義として現れます。つまり、ネーションのために生き、そのためにタヒぬ、それによって永遠の同一性のなかにつながるという意識が、ロマン派とともにはじめて出現したわけです。近代日本のネーションも、従来の諸観念の継承』ではなく『その否定のなかに見いだされる。

 

 たとえば、内村鑑三をはじめとする明治のキリスト教徒は、キリスト教を武士道と結びつけていました。しかし、それは江戸時代の武士道の延長ではなく、根本的には武士道の否定です。〔…〕武士のような生存のしかた〔主君のために生きかつタヒぬこと――ギトン註〕が不可能になったこと、それゆえ〔…〕生存を意味づけるものが無くなった〔…〕ことに、彼らのキリスト教は発しているからです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.24-30.  

 

 

 つまり、内村鑑三ナショナリズムは、武士道に基くものではなく、むしろ封建的主従制の消滅で武士道が不可能となった後に、武士道に代わって “個人の生を超える永遠の生” を保証するものとして、キリスト教の影響のもとに想像上で再建されたのです。内村は、「2つのJ(Jesus と Japan)は同等に重要」だと言っていますが、「Jesus の名によって日本国家に絶えず敵対」しつつ、「逆に、そのことによってネーションとしての Japan を見いだしていた、と言えます。」

 

 

 日本でネーションを生み出したのは、「国家」に敵対するグループ、あらゆる伝統を一度切断するような人たち〔…〕、広い意味で自由民権運動に属するような人たちです。たとえば、自由民権派のグループは多くの新聞を発行し、「政治小説」と呼ばれる小説を書き、これが広範に読まれたのです。ナショナリズムが昂揚するのは日清戦争〔1894年〕においてですが、その場合最も熱烈なナショナリストは、もと自由民権派だった人たちで』す。

 

『ここで注目に値するのは新聞と小説です。アンダーソン〔『想像の共同体』――ギトン註〕は、ネーションはヴァナキュラーな言語(俗語)〔音声言語――ギトン註〕を通して、かつそれを通してのみ形成されると言い、その場合新聞と小説が重要な役割を果たすと言っています。それらが、それまで〔…〕無関係であった出来事,人々,対象を併置するような空間を提供するからです。この意味で「小説」は、ネーションの形成において〔…〕中心的な役割をはたしていると言わねばなりません。〔…〕

 

 近代的なネーション=ステートの形成が遅れたドイツにおいて、ネーションとしての同一性を保証しつづけたのがドイツ文学だった〔…〕フィヒテは次のように言っています。

 

 同一の国語を話す者は、あらゆる人間の技巧に先立って一つの自然〔言語――ギトン註〕によって、眼に見えない絆でもって全体が結び付けられている。それは〔…〕同一の全体に帰属し、自然的に〈一者〉であり、分割しえない一つの全体をなす。こうした「民族」は自己の内に、異なる由来や国語を持つ他の民族を一つたりとも受け入れることはできない〔…〕〔『ドイツ国民に告ぐ』1808年〕

 

 〔…〕フィヒテは、民族の同一性を内的な言語に求め、他の要素:地縁や血縁に求めていません。〔…〕その場合、「民族」は、まさにドイツ文学のことだと言わねばなりません。というのも、それ〔ドイツ「民族」――ギトン註〕は文学(言語)においてしか実在しなかったからです。〔当時、ドイツは多数の領邦国家に分かれていた。――ギトン註〕〔…〕

 

 

フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』ゴルトマン文庫 の表紙。

©zvab.com. フィヒテは、ナポレオン軍占領下の

ベルリンで、ドイツ・ネーションの一体性を訴えた。

 

 

 日本において、自由民権運動は、むしろその挫折においてこそ「想像の共同体」を形成したといえるでしょう。それ〔「想像の共同体」であるネーション――ギトン註〕は、「文学」によって喚起されたのです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.30-32.  

 

 

 ただし、文語体で書かれた・民権派の「政治小説」はナショナリズムを興隆させたものの、全国民的規模で「ネーション」を形成するには至りませんでした。「ネーション」の形成には、「言文一致体」小説の登場が必要だったのです。

 

 

 

【17】 「帝国とネーション」――

「言文一致体」小説とネーション

 


『言文一致の運動〔…〕が、本格的に実現するのは日清戦争後〔※〕です。〔…〕

 

 言文一致が本当に実現されるのは、言葉と内面との間に距離がなくなり、あたかも言語が内面そのものに根をおろしているかのように、そして言語が内面の外化であるかのように見えてくる時です。〔…〕まさに言語が、ナショナリズムの核心において存在しはじめる時です。

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.32-33. 

 註※「言文一致の実現」: 言文一致体の小説は:坪内逍遥『当世書生気質』〔1885年〕、二葉亭四迷『浮雲』〔1887-91年〕など、日清戦争前からあったが、日清戦後の国木田独歩『武蔵野』〔1898年〕を経て、日露戦後の島崎藤村『破戒』〔1906年〕、田山花袋『蒲団』〔1907-08年〕において初めて、登場人物の内面言語の表出を特質とする近代小説の出現に至った。

 


 柄谷氏は『日本近代文学の起源』で、「近代文学」の成立における「内面の発見」が、どのようにして起きたかを論じました。しかし、それが単なる文学史の問題ではないことに気づいたのは、後年のことでした。「内面の発見」の諸現象:「風景の発見」「言文一致」などが、「ナショナリズム」および「ネーション=ステート」の確立と、いかに密接にかかわる問題だったか、ということについて、柄谷氏は次のように回顧しています。

 


『私は明治日本におこった「風景の発見」や「言文一致」などについて考察したのだが、ふりかえって気づいたのは、私が考察したのはすべて、近代の国民国家〔ネーション・ステート――ギトン註〕の確立において生じる問題だということ、ゆえにどの国でも生じる問題だということであった。たとえば、「言文一致」に関して、韓国や中国でおこったことはある程度知っていた。しかし、ギリシアやブルガリアの読者から、彼らの国でほぼ同じ時期に同じようなプロセスがあったことを知らされたときには、驚いた。』

柄谷行人「『原本日本近代文学の起源』への序文」. 

 

 

島崎藤村こま子。©でんでんブログ。藤村は、家事手伝いに来ていた姪の

こま子と近親の恋に陥り妊娠させたため、フランスに留学名目で逃亡したが、

帰国後は関係を再開するとともに、大正7年には、逃亡に至った一部始終を

小説『新生』に書いて発表し、世間から非難を浴びた。

 

 

 注意すべきは、こうした近代のナショナリズムを、それ以前からあるナショナリズムと混同してはならない、ということです。たとえば、江戸時代の本居宣長は、儒学・仏教などの「中国の書物と思考に従属している者を批判しました。」一見すると、近代文学のナショナリズムと似ています。外国の書物と伝統的な “借り物” の思考を否定し、自己の内部的直観を掘り下げようとしたからです。「しかし、彼は同時代の言語〔俗語,音声言語〕を言語として見出したわけではありません。書物を否定したわけでもない。」宣長の「もののあはれ」は、『源氏物語』や古代歌謡を文語で読むことによって得られた情緒であって、かならずしも彼自身の内部的直観ではなかった。宣長が光源氏のような恋愛遍歴をしたことはないし、そうする必要を認めたこともなかった。これと対照的なのは、自分の書く小説中の人物の内面に一致させようとして、自分の現実生活のほうを作品に合わせて堕落させた・大正期の自然主義作家です。両者は、大きく異なるのです。「宣長〔…〕同時代のヴァナキュラーな言語を言語として認めず、また、それで書こうとしなかった。過去の作品」が彼の「内部」に「融け込んで生きていた〔…〕わけではなく、過去の作品」の片言隻句を取り交ぜて「テクストを織り上げる」という「近代以前の作家」のやり方を踏襲していたのです。「つまり、言葉は彼の[外部]にあったのです。」

 

 宣長の思想は、のちの国学者や明治維新のイデオローグ,近代ナショナリストらによって、日本ナショナリズムの元祖であるかのように崇められましたが、「この混同あるいは遠近法的倒錯にこそ近代ナショナリズムの秘密がある。」

 

 たとえば、本来の(古代・中世の)「和歌」というものは、「過去の和歌を見習い、またそれを意識して書かれるものです。」そうした古代・中世人,また宣長が持った「過去への意識と、」近代の「ロマン派の歌人が見出す過去への意識は、決定的に違います。(pp.33-35.)

 

 

『ある日本の批評家が、かつてこう書いたことがあります。私を日本に結びつけているのは、国家ではなく、日本語であり、つまり、そこにおいて一切の過去が現存しかつ将来にも永遠につながるような日本語である、と。言うまでもなく、これはロマン派=ナショナリストの典型的な認識です。〔…〕しかし、連綿と続いてきたと』彼らが見なす『過去の歴史、〔…〕過去の文学は、近代ロマン派によって再解釈・構成されたものでしかありません。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.35-36. 

 

 

 

 

 

 

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