在特会系のヘイト・デモに「帰れ」コールを浴びせるカウンター。

2016年1月31日、神奈川県川崎市川崎区。 ©在日本大韓民国民団。

 

 

 


 

 

【11】 「自由・平等・友愛」――

「国家」が「自由」に勝利した!

 


 国家が積極的に経済に介入し、資本主義産業を育成する一方で、労働者保護も行なう『ドイツ国家資本主義の〔ギトン註――自由主義に対する〕優位は、普仏戦争〔1870年〕におけるプロシャのフランスに対する勝利によって象徴されます。〔…〕その裏面において、フランスの敗戦によって生じたパリ・コンミューン〔1871年〕・の敗北があるのです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.81.  

 

 

 この2つの事件は、“自由に対する国家の勝利” という同じ歴史的事象の両面です。イギリスに倣った「自由な資本主義発展」をめざしたフランスが、「国家資本主義」を強力に進めたプロイセン(普仏戦争勝利を機に「ドイツ帝国」となる)に敗北した。その一方で、『共産党宣言』以来のマルクスプルードンの “自由な” 共産主義(アナーキズム)運動が、ドイツの “国家と党の” 社会民主主義に敗北したのです。「パリ・コンミューンをやったのはプルードン派ですが、マルクスは熱烈に支援していま」した。(p.78.)

 

 

『以後、「社会民主主義」が革命運動の主流になりました。〔…〕パリ・コンミューンの敗北〔…〕は、諸個人の「連合」〔アソシエーション――ギトン註〕に対して、「組織」「党」「システム」が勝利したこと、いいかえれば、革命運動のなかで「国家」が勝利したことを意味するのです。

 

 その結果、「社会民主主義」が社会主義運動の最も支配的な形態となった。そこでは、一国の中での議会主義的改革、国家による計画的な経済政策が提唱されます。〔…〕晩年のエンゲルスもそれに近づいています。〔…〕「第2インターナショナル」は、そうした社会民主主義によって形成されたものですが、』『の矛盾が露呈したのは第1次大戦においてです。各国の社会民主党は、参戦を支持した。それは、社会民主主義が国家に依拠する以上、不可避的でした。

 

 社会民主主義にとって代わったのは、自然成長的な大衆運動とは別次元にある「前衛党」を主張したレーニン主義です。レーニンは、マルクス・エンゲルスの片言隻句を搔き集めて「暴力革命」と「プロレタリア独裁」の理論を固めました。ここにおいて、「国家」の支配が全面的となります。〔…〕

 

 社会民主主義が参戦したのに対して、』レーニン『「帝国主義戦争から革命へ」という戦略を掲げ、ロシアの敗戦に乗じて革命を成功させました。この成功が、「マルクス=レーニン主義」の優位を確立したわけです。ここに、「共産党」による「第3インターナショナル」(コミンテルン)が形成されました。』が、『ヨーロッパにおける革命の挫折とともに、〔…〕スターリンのもとで、コミンテルンは、ロシアがそれを通して世界の運動を支配する機関となってしまいました。〔まもなく第2次大戦でソ連が資本主義諸国と連合したため、コミンテルンは解散した。――ギトン註〕

 

 〔…〕今日各国の共産党は名を変えていますが、名を変えようと変えまいと、それは基本的に「社会民主党」に類するものです。しかし、「共産党」はまちがったから「社会民主党」にもどればよいという考えは、〔…〕後者〔…〕が第1次大戦で破産したことを忘れている。すなわち、それ〔社会民主主義――ギトン註〕は、「国家」を自明の前提とするものであり、本質的に国家主義・保護主義であるほかありません。

 

 その点で、自由主義者のハイエクが言ったことを想起すべきです。

 

 

シカゴ大学。©Wikimedia. ハイエクは 1959-62年シカゴ大学教授の地位にあり

その間 1960年に『自由の条件』を発表して古典的自由主義(リバタリアニズム)

を唱え、社会主義とニューディール的福祉国家をともに批判した。

 

 

 ハイエクは、「共産主義」は言うまでもなく、社会民主主義、福祉国家、あるいはケインズ主義を否定していました。つまり、彼はそうした思想に存する・「分配的正義」(平等)という考え自由をおびやかすと考えたのです。《分配的正義の原理は、〔…〕社会全体がそれに従って組織されるときにはじめて満たされる〔…〕であろう。〔…〕これはあらゆる基本的な点において、自由社会とは反対の社会である。すなわち、個人が何をなすべきか、またいかにそれをなすべきかを、権威者が決定する社会を作り出すであろう》〔『自由の条件』〕。それに対してハイエクは、市場経済の自動調整機構に任せるべきだ〔…〕そうでない限り、必ず「国家」が強くなる、と言うわけです。

 

 しかし、自由主義経済――ギトン註〕は、少なくとも第1次大戦後において破綻していました。1980年代の「自由主義」〔新自由主義のこと――ギトン註〕も破綻しかけています〔※〕〔…〕私が言いたいのは、「自由と平等」は原理的に背反することであり、それは今後においても解消されることはない、ということです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.81-83.  

 註※「破綻しかけている」: 本論考は、1992年の講演。「新自由主義」は、現在では完全に破綻している。なお、当時、柄谷氏はまだ「ニュー・アソシエーショニズム」等のアソシエーション運動にはコミットしていなかった。

 

 こうして、柄谷氏は、「自由と平等」の「原理的背反」は決して解消されないことを、考察の結論としているのです。

 

 私は、ここで、ひとことだけ疑義を述べたいと思います。それは、柄谷氏の「平等」の把え方には権利性の観点が欠けているのではないか、ということです。その点は、ハイエクも同じかもしれません。「経済成長による平等」という思想にも、アリストテレスの「分配的正義」にも、「平等」を、誰かが要求しうるような権利と見る考えは無いのではないか。なるほど、「平等」が、個人または集団の権利として主張されるようになったのは、それほど古いことではないかもしれません。しかしそれは、権利としての「自由」と並んで、近現代の政治的思考が避けて通ることのできない課題なのです。

 

 

 

【12】 「自由・平等・友愛」――

「友愛」、ネーション、ナショナリズム

 

 

『「友愛」は、〔…〕人間の本性のごときものではありません。それは、〔…〕18世紀後半において現れる、ある感情の形態です。17世紀の哲学者〔ホッブズ,ロックら――ギトン註〕は、そういう感情を知りませんでした。ということは、この感情』は、『歴史的に「自由」あるいは「私有」が実現され、且つそれがそれまでの生活形態に、ある深刻な矛盾〔不平等の拡大など――ギトン註〕を生みだした時に出てきた、ということです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.84.  

 

 

 ここで柄谷氏が「友愛」という感情を説明するために持ち出しているのは、「タイガース対ヤクルトの試合で、神宮球場のレフト側」観客席(タイガース・ファンが多い)での熱狂です。「そこでは、各人が日常ではどんな立場にいようと、一つの[共生感]が生まれている。阪神が勝てば、互いに見知らぬ人〔…〕が握手したり抱き合っている。」甲子園球場ならある地域的な連帯性も、神宮球場にはありません。「彼らが共有しているのは、タイガースの過去の栄光、というよりも悲惨の記憶」、それだけなのです。もちろん、「悲惨」を舐めたのはタイガースの選手であって、ファン自身ではない。ファンにとってそれはあくまでも想像上のものなのです。

 

 オリンピックや高校野球ならある・ネーションや郷土のような連帯の基盤も、ここにはありません。「宗教団体の集会や全共闘の集会」のような「思想信条の共有」もありません。むしろ、思想・信条・地域・ネーションといった「対立が消去されています。」プロ野球ファンは、外国人の選手であっても全く異和感なく応援するのです。

 

 

阪神タイガースリーグ優勝の瞬間。2023年9月14日、甲子園球場。©be-do.jp。

 

 

 つまり、「友愛」とは、「たんに幻想的なもので、[たかが野球]にすぎない」、そういうものなのです。しかし、「こういう現象が江戸時代にありえたかどうか、考えてみてください。」参加者の所属と切り離された「互いが誰で・何であるのか・に関心を持たない」そういう連帯性が、歴史上初めて生まれたのは、幕末の「打ちこわし」や「ええじゃないか」の時だったのではないでしょうか?

 

 「友愛」は、「家族、部族、エスニックなどの共同体、あるいは宗教的な共同体における連帯と違って、それらが崩壊した後の個人によって見いだされる」想像上の共同体なのです。

 

 近代における「自由」と「平等」は、「人間と人間が媒介的〔間接的――ギトン註〕にしか関係しないような形態において生じる」。「[友愛]はまさにそのような諸個人のあいだに生じるものであり、」そのような間接性を頭の中で乗り超えて、「人間と人間の[直接的]な関係あるいは共同性を想像的に実現しようとするものです。

 

 「ネーションは、そのような友愛の一形態です。」(pp.84-86.)

 

 「ネーション」の形成による近代文学の成立、ということが、柄谷氏の早くからの重要なテーマになっています。それにちょっと言及しますと、たとえば国木田独歩は、『忘れえぬ人々』の中で、神奈川県溝ノ口の旅館で隣り部屋になった青年と同志的共感を通じ合ったことを書いているのですが、「忘れえぬ人」とは、その青年ではない。なぜなら、思想傾向というものは年月を経れば変化し、疎遠になってしまうからです。「忘れえぬ人」とは、たまたま投宿するために二言三言交わしただけの、その宿屋の主人である。あるいは、独歩が瀬戸内海を船で渡っていて偶々見かけた・島の海岸に立っていた一人の男である。その人びとを「忘れえぬ」のは、国民であるという以外に何の繋がりもない人に対して、理由の分からない連帯性を感じたからなのです。

 

 加えて言えば、当時日本帝国は、明治維新以後初めて他民族を支配するようになった。当時、このような「見知らぬ人」との連帯感が強く感じられたのは、互いに日本「国民」であるという・「支配者どうし」「ひとかどの者どうし」の連帯感情を、独歩らは初めて知ったからです。

 


『たとえば、アメリカ人は湾岸戦争で熱狂しました。その瞬間はアメリカにおける現実、つまり自由と平等の矛盾を忘れています。〔…〕レーガン主義のために貧富の差が激化していたのに、戦争においては誰もが〔ギトン註――白人も黒人も〕「アメリカ人」としての友愛の幻影に陥ったわけです。〔…〕

 

 日本や韓国〔…〕においても、ナショナリズムはアメリカと同様に、ある「想像的な共同体」として現れたのです。つまり、従来の部族、親族、身分、階級を(たとえ想像的にであれ)廃棄するときに、「日本人」とか「朝鮮人」という概念が現れたのです。〔…〕

 

 いいかえると、ネーションの起源は「友愛」です。ルナンは、ネーションが血や大地やその他のつながりと無縁であり、ただ過去の栄光、というより〔…〕悲惨の共有にあることを強調しています。〔…〕

 

 フランス革命において「市民」は外国人が多く、またフランス領内にいてもフランス語をしゃべっていない人が圧倒的に多かった。このフランス革命で、はじめてネーション(国民)が生まれたと言っていいのですが、それはこれまでの国籍的所属とは無縁のものです。〔…〕

 

 フランス革命』が形成したナショナリズム〔…〕は、ナポレオンの「帝国」において鼓吹されました。そして、「国民教育」によって「フランス人」が形成されていったわけです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.86-87.  

 

 

J.M.W.ターナー『ティンターン修道院の内陣と袖廊交差部』1794年。©Wikimedia.

廃墟の美。ゴシックとロマン主義が発見した非合理的「崇高美」を表している。

 


友愛は、18世紀イギリス、アダム・スミスによって、sympathy〔同情・共感〕というかたちで見いだされています。スミスは、レッセ・フェールで放っておけばよいと考えたのではないのです。明らかにそれは貧富の差をもたらすからです。それを緩和するものとして彼は共感を考えた。というより彼は、そうした共感が存するところでのみ、市場経済の自動調整機構(見えざる神の手)がうまく働くと考えた〔…〕共感〔…〕は、集団における結合とはちがって、いったんエゴイズムが肯定されることによって生じるものです。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.88-89.  



 ところで、アダム・スミスが「共感」を唱えたのと同じ時期のイギリスで、「ロマン主義」が出現しています。エドモンド・バークが、英国ロマン主義の代表です。ロマン主義は、「産業革命とともに現れた矛盾を超えるものとして」唱えられました。またバークは「フランス革命を批判し、理性よりも伝統的な慣習に依拠すべきだと」主張した。

 

 バークのロマン主義は自由主義を否定するわけではありませんが、「これがドイツに渡ると、きわめて反動的なものになり〔…〕文字どおり中世への復古を唱えるロマン主義になります。」

 

 つまり、18世紀後半~19世紀に出現した「友愛」という社会的感情は、㋐アダム・スミスの「共感」と、㋑「ロマン主義」、という2つの方向をとって現れたのです。これらは、「自由主義がもたらす分裂や疎外に対して、それを克服するための2つの方向として」主張されました。その後 20世紀にかけて、㋑は一種「美学的」な資本主義批判となっていきますが、他方㋐は個人の利益追求を否定するものではなく、むしろエゴイズムの肯定を前提とするものであり、資本主義と一体化して「ネーション」のイデオロギーを形成していきます。

 

 

カール・フリードリヒ・シンケル『河岸の城』1820年。©Wikimedia.

ドイツ・ロマン主義絵画として有名なもの。

 

 

 ㋑「ロマン主義」のほうは、より反動的な、「美学的」反資本主義の傾向を伴ないながら、やはりナショナリズムの一潮流となっていきます。

 

 「ロマン主義〔…〕は、失われた中世の共同体や生産形態〔職人の仕事や生活ぶり,領主と農民の信頼関係,騎士道と主従,etc.〕を想像的に回復するものです。これは美学的なものです。〔…〕バークは[崇高と美]について論じた美学者でした。それは最初の[近代批判]であり、[資本主義批判]です。」

 

 ㋑の一種として、同じ時代の日本に現れたのが、本居宣長の「もののあはれ」の思想です。「もののあはれ」とは、「根本的には compassion〔苦しみをともにする〕です。〔…〕心に感じた[もののあはれ]は、他人にそれを語り書くことによって、さらに、他人がそれに感動することによって〔…〕心が晴れるのだ、ということです。宣長が見出したのは[美学]です。またそこには、[古代]を想像的に見出すことが伴っています。ただ、それはまだ明瞭なナショナリズムになっていません。宣長は徳川体制や身分制を否定していないからです。しかし、それが日本のナショナリズムの起源となったことは疑いありません。つまりナショナリズムは、たんなる排外主義とはちがって、ある種の感情:compassion を見出さなければならない」。

 

 ㋑「ロマン主義」のもう一つの変種は、フォイエルバッハの言う「類的本質」です。初期のマルクスも、これに同調しています。フォイエルバッハによれば、「神」とか「国家」は、各個人が自分の「類的本質」を自己疎外して外部に投影した幻像です。いわば、人類としての連帯性を、他者と共通の「神」「国家」として仮想し、崇めているのです。しかし、疎外態は非本質的であり、個人は本来の「類的本質」を取り戻して十全な人間として自己実現すべきである。それが「共産主義」だと言うのです。マルクスは、これを「類的存在」と呼んでいます。それは、共同体の成員としての絆を意味しているようです。つまり、初期マルクスの思想は「ロマン主義」なのです。

 

 しかし、その後マルクスは、シュティルナーフォイエルバッハ批判を読んで、この考えを捨てました。

 

 シュティルナーのほうは、㋐アダム・スミス流「友愛」の発展形と言えます。つまり、エゴイズムの肯定を前提とする・より自由主義的な考え方です。「シュティルナーは、フォイエルバッハのような考えでは〔…〕人は神や国家を内在化しただけで、そこから解放されない」。むしろ「各人はまったく単独的なエゴイストであるべきだと主張しました。各人が徹底的なエゴイストであることによって、逆に相互に連合しうると言うのです。」(pp.89-91.) シュティルナーの言う「エゴイストの連合」とは、既成の社会・すなわち第三者によって予め作られた共同・に対立して、「エゴイスト」たちの「交通ないし結社」によって作られる「流動的な結合」であり、各人は、相互に利用しあうことで「折り合い」によって自分の「力」を強めることができるならば・という条件付きで認められる共同です。(池田寿夫「人間的本質と現実的個人」,p.163.)

 

 しかし、それは無意識のレベルでも形成され得ます。たとえば、マルクスが『資本論』で述べているような、「相互に異なった共同体」に属して「無関係に生きている人々が」そうとは知らずに「貨幣による交換によって関係づけられて」いるような場合も、シュティルナーの言う「エゴイストの連合」にほかなりません。そうした「連合」を見いだすためには、個々人を国家や共同体から切り離す視点が不可欠です。

 

 シュティルナーと同様に、プルードンらフランスのアナーキストが言う「相互扶助」も、㋐に属するアダム・スミス流「友愛」の発展形です。「プルードンの社会主義は、その意味で[友愛]の社会主義で」あり、「エゴイズムを肯定することと矛盾しません。」(『〈戦前〉の思考』,pp.90-91.)

 

 

青年ヘーゲル派の面々。©Wikimedia. エンゲルスが描いた戯画。

ルーゲの原稿を奪って踏み躙るバウアー兄弟の後ろで、

シュティルナーが平然と煙草を吹かしている。

 

 

 たしかに、シュティルナーのように、一見バラバラなエゴイストの社会に、彼らの「連合」を可能にするような・眼に見えない「友愛」の繋がりを見いだしても、またそこでプルードンらのように、「相互扶助」を称揚し美化しても、それらは結局のところ「想像的」なものでしかありません。「現実の資本制経済は、そうした友愛あるいは相互扶助によってはどうにもならない〔…〕矛盾を抱えているからです。しかし逆に言えば、そうであるからこそ、[友愛]がそれ〔資本制経済の矛盾――ギトン註〕を解決する想像物として要請されるのです。」つまり、実際には解決にならないとしても、人びとは求めずにいられないのです。

 

 しかし、「こうした友愛(感情)は制度化されてはならない。」制度化されると「友愛ではなくなるからです。」「たぶん、革命の瞬間あるいはその後しばらくは、こうした友愛は可能でしょうが、長くは続きません。ヒッピー的コンミューンも」、しばらくは続いても、やがて「崩壊してしまいます。」(p.92.)

 


『それに対して、友愛ナショナリズムという形をとるとき、持続的なものとなります。なぜなら、それは国家的制度と結合して客観化されるからです。なぜナショナリズムが「友愛」の形態として力を持つかは、ここから説明できると思います。近代までの〔近代以前の――ギトン註〕国家機構は君主のためのものでしたが、ネーション・ステートは、すべての国民を救済し平等をもたらすものとして思念されるのです。それは、国民の自由と平等の矛盾を解消するものと見なされる。』

柄谷行人『戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.92. 

 

 

 もちろん、「国家」は「自由と平等の矛盾を揚棄」することなどできません。しかし「想像の共同体」であるネーションは、人びとの「想像のなかで」、この矛盾を揚棄するのです。「ファシズムは、そのようなものだと言っていい〔…〕ファシズムは[美学]であり、現実に達成されないものを実現しているかのように思いこませる装置です。」(pp.92-93.)

 

 

 

 

 

 

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