チンギスハーン騎馬像。モンゴル国トゥブ県エルデネソム,チョンジンボルドク丘。

©マドンセの撮影ブログ(ameblo.jp/madonce).

 

 

 

 

 

 

【3】 本書の章立てと概要

 

 

 さて、このレヴューでは、『帝国の構造』から、第3,4,5章を扱います。

 

 第3章 専制国家と帝国

 第4章 東アジアの帝国

 第5章 近世の帝国と没落

 

 第3章は、いわば《帝国》総論。《帝国》とは何か? ヨーロッパにはなぜ《帝国》が成立しなかったのか? ヨーロッパ近代の「帝国主義」は、《帝国》とはどう違うか? といった問題を扱います。

 

 第4章は、以後の中国の諸王朝を扱いますが、重要なのはモンゴル帝国の位置づけです。柄谷氏は、王朝を、中国だけの国家だとは考えません。それは世界帝国モンゴルと一体なのであり、モンゴル帝国が解体すると、そこから、「ティムール」「サファヴィー朝ペルシャ」「ムガール」「オスマン・トルコ」「ロシア」などの諸帝国が誕生します。ここで柄谷氏は、ロマノフ朝「ロシア」帝国を、モンゴル(キプチャク汗国)の延長として理解するという、ヨーロッパ人の史観とは真っ向から異なる考え方を提示しています。

 

 第5章は、西欧を中心とする「近代世界システム」、つまり広義の「帝国主義」が、旧《帝国》の諸地域を蚕食し、従属化させてゆく過程を扱います。しかし、資本主義と「主権国家」を “不磨の大典” とする「近代世界システム」は、かつてアジアに繫栄した「《帝国》の原理」を理解しないがゆえに、いまや行き詰まり、人類全体を滅亡の危機に引き込もうとしているかに見えます。そこでいま、あらためて「《帝国》の原理」をふりかえり、その「高次元での回復」を考えてみる必要がある。……というのが、柄谷氏の主張なのです。

 

 なお、第6章:帝国と世界共和国 は、カントの「永遠平和」構想に関する議論で、すでにこれまでのレヴューで扱った内容なので飛ばします。第7章:亜周辺としての日本 は、たいへんに興味深い議論ですが、問題も多い。余裕があれば、ざっと論評したいと思います。

 

 

ギリシャ,スパルタ付近のローマ街道とテュロス遺跡。©Wikimedia.

 

 

 

【4】 「交換様式C」と「交換様式B」

――それぞれ、いかにして発生したか?

 

 

 『資本論』でマルクスは、資本家と労働者という階級関係(生産関係)から始めなかった。『共産党宣言』で名声を博した政治指導者としては、階級闘争を強調してそこから始めたほうが大衆の期待に応えられただろうに、彼はあえてそうしなかったのです。彼が出発点としたのは「商品の交換」、すなわち交換様式Cです。マルクスは『資本論』では、生産様式論つまり史的唯物論を採らずに、交換様式論から論理を構築しようとした。なぜなら、アダム・スミス以来の古典派経済学、つまり個人の生産活動を基礎に据える考え方を超えるには、交換と分業に注目する必要があったからです。

 

 しかし、マルクス交換様式論をつらぬくことができなかった。そのことは、彼が――また彼を継承したマルクス主義者が一般に――資本主義を背後で支える「国家」の存在をとらえきれていないことにも現れています。「国家」もまた交換様式である、商品経済とは異なる交換様式だということを、彼らは見抜けなかったことになります。



『マルクスは『資本論』で資本主義経済を解明しようとした時、〔…〕商品の交換という事実から始めたのです。そして、それが貨幣に転化し、自己増殖する資本としての貨幣に転化する過程、さらにそれが全生産関係を組織していく過程をとらえようとした。それは、資本主義経済を、〔…〕交換様式Cの発展によって歴史的に組織されていった体系(システム)として把握することです。そのことによって、最後に、資本主義経済が信用の体系としてあること、つまり、むしろ観念的な体系であることが理解されるのです。〔…〕

 

 マルクスは単純な商品交換()から始めて、巨大な資本制経済の体系をとらえましたが、〔ギトン註――その考え方を「国家」に応用すれば、〕服従と保護という単純な交換()から出発して、さまざまな国家や世界帝国にいたる過程を解明することができる、と私は考えます。

 

 交換様式Bは、まったく異なるものです。ただ、それらに共通するのは、いずれも共同体と共同体のあいだでの「交換」として始まるということです。人が陥りやすい誤解は、〔ギトン註――アダム・スミスのように〕交換が個人と個人の間で始まるという見方です。

 

 まず商品交換について言えば、それは共同体の内部ではなされない。そこに〔共同体の内部に――ギトン註〕あるのは交換様式A(互酬交換)です。交換様式が成立するのは、共同体と共同体の間においてです。〔…〕マルクスは、商品交換が共同体と共同体の間で始まるということを幾度も強調しました。それは、商品交換の起源を個人と個人の間に見出したアダム・スミス以来の偏見を批判するためです。スミスのような見方は、近代の市場経済を過去に投射しているのです。〔…〕

 

 つぎに強調したいのは、〔…〕交換様式Bもまた、共同体と共同体の間で始まるということです。』

柄谷行人『帝国の構造』,2023,岩波現代文庫,pp.72-75.  

 

 

 

 

 交換様式Bもまた、共同体と共同体の間で始まる。これは、古代における国家形成の過程を考えてみれば納得できることです。たとえば、ヤマト王権の形成は、最終的には各地の首長(共同体の代表者)が天皇王権(これまた共同体の首長)に服従することによって成立しています。各共同体は、自己を象徴するものとして、それぞれの「神」を戴いていました。そして、天皇王権が戸籍などによって下位共同体内部の人民を直接掌握するのは、それより百年以上後〔7世紀後半〕に起きたことです。

 

 しかし、柄谷氏がここで述べているのは、それとは異なる・一種の思弁論理上の過程です。交換様式Cは、共同体と共同体の間で始まったけれども、交換様式Cの発生は、その前提として交換様式B、つまり、商品交換者の私的所有権を保証する「法」ないし国家の存在を必要とする、と言うのです。これは、歴史的な事実過程としては疑問があります。商品交換は、国家成立以前でも、また国家の存在しないところでも、行なわれえたと考えられるからです。たとえば、遊牧民は農耕民からしばしば掠奪を行ないます――つまり農耕民の私的所有を蹂躙する――が、商品交換による交易も同時に行なっているのです。

 

 とはいえ、歴史的事実の問題とは別に、柄谷氏が述べるような論理的な理論問題も、それはそれとして考えておく必要があります。

 

 

『共同体と共同体のあいだでの交換がなされるとき、それは一定の法あるいは国家によって裏づけられています。マルクスは言う。《〔…〕彼ら〔商品交換者――ギトン註〕は交互に私有財産所有者として、認め合わねばならぬ。契約という形式をとるこの法関係は、〔…〕経済関係を反映する意志関係である。〔…〕人々はここではただ相互に商品の代表者として、したがってまた商品所有者として存在している。》〔『資本論』Ⅰ,第2章〕

 

 これは、共同体間での商品交換という経済関係が、法的関係なしにありえないこと、したがって、契約不履行や掠奪を不法として処罰するような何らかの法・国家が前提される、ということを意味します。〔…〕

 

 法も共同体の内部ではなく、共同体と共同体の間に成立するものです。共同体の中では「法」は不要です。そこには「掟」があります。これは、いわば互酬性交換様式A――ギトン註〕による縛りです。〔…〕厳密には、「法」が成立するのは、共同体の掟が通用しない領域、つまり共同体と共同体の間においてです。そして、そのような法を背景として、共同体と共同体の間で商品交換が可能となるわけです。ゆえに、交換様式Cを前提としているのです。』

柄谷行人『帝国の構造』,2023,岩波現代文庫,pp.75-76.  

 

 

 

 

 しかし、「法」とは必ずしも国家や、処罰する権力の存在を前提とするものではありません。「法」の本体は、人びとの「法的確信」であって、処罰でも恐怖でもありません。共同体の内部には、かならず何らかの「掟」や規律が存在します。柄谷氏は、それを「法」と区別しますが、はたして区別できるだろうか。かつてスピノザが述べたように、権力の起源は、「自分以外の多数者」に対する各人の恐怖です。それは共同体的なものです。

 

 このように考えれば、商品交換と「私的所有」を支える「法」は、「国家」成立以前から存在したと見ることも可能です。すくなくとも、「定住」開始後の狩猟採集社会(共同体の内部!)では、個人の「所有」が認められていました。

 

 マルクスにしろ、柄谷氏にしろ、その思弁論理は、それこそ近代国家の下での商品経済社会を先史・古代に投映しているのだと思います。

 

 

 

【5】 「《帝国》の原理」――

諸部族・国家を超えるもの

 


『国家が成立するには、共同体が他の共同体を支配するような契機がなければならない。』

柄谷行人『帝国の構造』,2023,岩波現代文庫,pp.81-82.  

 

 

 柄谷氏はそれを、「恐怖に強要された契約」だと言うのですが、私はむしろ、共同体の首長が、より上位の共同体首長(王)に服従することによって、自分の共同体内部での権威を高めることができる。自己の支配を固めることができる。そういう利益が、国家成立の契機となりうると考えます。なおこれは、柄谷氏自身が『力と交換様式』で述べていることです。

 

 つまり、諸共同体の上に立つ「国家」が出現するのは、各共同体の内部で階層分化が進んで、「首長・祭司層」が出現した後だ、ということができます。


 

『この場合、国家の下でこれまでの共同体は残ります。そして国家は、それら多数の共同体を超えるものです。また、そのような原理をもたないかぎり、国家ではありえない。


 同じことが帝国について言えます。帝国は、〔…〕たんなる国家の拡大ではありません。帝国は、多数の共同体=国家からなると同時に、それらを超える原理をもたなければならないのです。〔…〕多くの国家が積極的に服従するような要素がなければならない。いいかえれば、交換様式Bがなければならない。』

柄谷行人『帝国の構造』,2023,岩波現代文庫,p.82.  

 

 

 柄谷氏のいう・多数の共同体を超越する「国家の原理」とは、たとえば「王」の神聖性です。たんに各共同体を代表する神々のなかの “第一人者” であるにとどまらず、神々を超越する神聖性を具えたときに、「国家」たるにふさわしいイデオロギーが成立したと言えます。だからこそ、奈良時代の天皇は単に「神」であるだけでは足りず、仏教の権威に支えを求めたのです。

 

 

『なぜ仏教がそのとき導入されねばならなかったのか。それは、大和朝廷が単なる部族連合から「国家」へと発展するために不可欠だったからです。というのは、さまざまな部族,氏族はそれぞれ違った神々を信仰していますから、それを統一するためには、天皇家の氏神では無理です。そうした神々を超えた普遍的な「神」が要る。つまり、部族・血縁を超えた「世界宗教」が必要でした。』

柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.134.


 

聖武天皇陵。奈良市法蓮町.

 

 

『たとえば、モンゴル世界帝国は、中国からアラビアにいたるまでの大帝国です。どうしてこれが可能だったかといえば、権力の上層部では首長制がとられていたからです。〔…〕中国ではの皇帝であっても、世界レベルでは首長のひとりにすぎない。各地から来た対等な首長たちの間で〔ギトン註――「クリルタイ」会議で〕選ばれなければ、全体のハーンにはなれません。つまり帝国は、単独の専制国家には無い互酬性原理に基づいているのです。

 

 その意味で、世界帝国は一面では交換様式Aにもとづいているわけです。それは、〔…〕帝国が遊牧民国家の原理を受け継いでいることを意味します。それは、定住農民を支配する専制国家には無いものです。しかし、たんなる遊牧民国家では、フン族アッチラ王のような世界征服者にはなりえても、帝国を築くことはできません。〔遊牧民国家のままでは、農民を支配する官僚機構も技術もないから。――ギトン註〕〔…〕帝国は、いわば遊牧国家と定住農民国家を統合することによって可能になるのです。

 

 さらに、帝国交換様式Cと切り離すことができません。これは、そもそも帝国が商業に従事する遊牧民と結びついていることを示すものです。ふだんは分散している遊牧民が急激に結集することがあるのは、〔ギトン註――他の〕国家によって交易がおびやかされるときです。彼らは帝国を形成することで交易を取り戻す。〔…〕各共同体や小国家は、征服され、従属させられるとしても、帝国の形成を歓迎しました。それによって先ず、平和と交易の安全がもたらされる。さらに、帝国が発行する貨幣や手形〔※〕によって交易が容易になる。したがって帝国の形成によって交易が飛躍的に発展し、生産力が上がったのです。

 

 世界帝国は、〔…〕さまざまな間共同体的な原理やテクノロジーをもたらしました。』

柄谷行人『帝国の構造』,2023,岩波現代文庫,pp.82-84.  

 註※「手形」: この場合は、商業手形(唐・宋代に中国の民間で発生した。国家・帝国とは一応無関係)よりも、国家・帝国の発行する通行証のことと思われる。法顕・玄奘ら唐僧が中国とインドの間を行き来できたのは、通行証のもつ国際法的権威のおかげ。

 

 

 世界帝国がもたらした技術や制度を順に挙げてみますと:

 

① 世界貨幣

② 通行証(旅券)制度

③ 万民法(国際法)

④ 世界宗教

⑤ 世界言語

 

 さらに、柄谷氏が別の場所で挙げているものに:

 

⑥ 都市間道路網の建設

⑦ 駅逓・通信制度

⑧ 度量衡の統一

 

 があり、私はこれらに

 

⑨ 大運河の建設

⑩ 暦法の制定(ユリウス/グレゴリオ暦,授時暦)

⑪ 紀年法(キリスト紀元、イスラム紀元)と年号(東アジア)

 

 を加えてよいのではないかと思います。

 

 ③「万民法」とは、「部族や国家を越え」て通用する法、いわば国際法です。諸部族・国家を支配するだけでなく、それらの間の「交通・通商の安全を確保すること」も、帝国の重要な関心事だったからです。

 

 ローマ帝国の「法」が、のちのヨーロッパで「自然法」のもととなったのは、それが「本来、国際法的であったからです。」また、このような「万民法」の存在は、支配下の部族・国家の内部統治には干渉しないという《帝国の原理》と表裏の関係にあります。

 

 

 

 

 ④「世界宗教」は、各国家・共同体の宗教を超える《帝国》の権威を基礎づけるものですが、しかし、帝国は、これを必ずしも支配下の国家・民族に強制しませんでした。アケメネス朝ペルシャ帝国に顕著に見られる・この宗教的寛容は、《帝国の原理》の重要な部分です。「帝国〔…〕宗教的に寛容でなければならない、〔…〕そうでなければ、〔…〕多数の部族・共同体を包摂することはできない。」(p.85.)

 

 ローマ帝国は、異端・異教に対して不寛容なキリスト教を国教としていますが、その時点では、すでにローマの《帝国》としての存在自体が危うくなっていたと言えます。

 

 ⑤「世界言語」とは、漢文のような「文字言語」のことです。漢文は、中国人が日常会話で使う音声言語とは異なるものです。発音は、地方ごと、国ごとに違いがあります。にもかかわらず文章語として、諸民族・諸国家の間で通用するのです。時代的にもほとんど変化がなく、3000年近く前の文章を読むことができます。

 

 同様のものとして、ローマ帝国の西半分で通用するラテン語、東半分で通用したコイネー〔諸民族間言語として簡略化したギリシャ語〕があります。コーラン・アラビア語も、同様のもので、基本的に文字言語です。イランの諸帝国、オスマン帝国、ムガール帝国などで通用しました。

 

 「右に述べたような帝国の法,宗教,哲学が言語で表される以上、帝国の特質は、何よりもその言語」に現れるといってよい。(p.85.)
 

 

 

 

 

 

 こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

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