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ウル第3王朝の創始者ウルナンム王の円筒印章(上)と捺影(粘土板に)。

王が神々から叙任されている。紀元前22世紀。大英博物館蔵 ©Wikimedia.

 

 

 

 

 

 

【65】 メソポタミア――

ウルナンム法典とハンムラビ法典

 

 

『世界帝国は世界貨幣だけではなく、さまざまな間共同体的な原理や技術をもたらした。それは第1に、法である。〔…〕ここで言う「法」は、小さな部族や国家を越えた領域で通用する法、すなわち万民法である。〔…〕それは交換様式Bのみならず、にかかわるものである。帝国の関心事は、諸部族・国家を支配することだけでなく、それらの「間」、いいかえれば、諸部族・国家間の交通・通商の安全を確保することにあった。したがって、帝国の法は根本的に国際法である。たとえば、ローマ帝国の法はヨーロッパで「自然法」のもととなった

柄谷行人『力と交換様式』,p.145.

 

 

 つまり、複数の部族,国家を征服して成立した「古代帝国」は、異質な諸社会を統合するために「万人に等しく有効な立法」という権威を必要としたわけです。アッシリア,バビロニア,マケドニア,ローマなどの諸帝国が興亡しましたが、なかでも注目されるのはアケメネス朝ペルシャ帝国です。ペルシャ帝国はゾロアスター教を国教としましたが、征服した諸民族にこれを圧しつけることはなく、各民族の伝統的な宗教を尊重し、また、幅広く自治を認めました。ユダヤ民族も、捕囚されていたバビロンから帰国を許され、エルサレムに神殿を再建することができました。ローマ帝国にしても、ユダヤの伝統的機構サンヘドリン(最高法院・議会)の活動を許容しています(イエスを無罪と認めていたローマ総督ピラトに対し、強硬にタヒ刑を主張したのはサンヘドリン)。

 

 「帝国は、その中にある国家や部族社会の内部には干渉しない。」そこで、諸国家・諸部族は、強大な帝国が征服を行なって、近隣の横暴な敵国を抑えてくれること、また、国際的な交易路の安全が保障されることを、むしろ歓迎したので、古代帝国は、「ほとんど一夜にして形成されたり再建されたりする」のを、私たちは見ることになります。「新たな征服者が誰であれ、従来の国際法的秩序、交易の安全性が保証されることを」諸民族は歓迎したのです。(柄谷,p.146.)



『このような〔ギトン註――万民法が発生する〕事態は、メソポタミアにおいて都市国家が帝国に発展していった過程に見いだされる。たとえば、シュメール人のウル第3王朝〔紀元前21世紀頃〕でそれが起こった。王は官僚機構を整備し、法慣習の異なる複数民族をまとめるため法典(ウルナンム法典)を編纂したのである。〔…〕このとき、〔…〕世界帝国の王、つまり皇帝が出現したと言ってもよい。とはいえ』ウル第3王朝は『長続きしなかった。


 つぎに、〔…〕古バビロニア時代の王ハムラビ〔前1792-1750〕〔…〕は、ハムラビ法典を編纂した。』この法典について『注目すべきことが2つある。第1に、この法が、それまで支配的であった法とは異なるということである。』

柄谷行人『力と交換様式』,pp.146-147. 

 


 「互酬原理」が支配する「氏族制社会」では、報復は倍返しになる傾向がありました。相手の贈与より多くを返すことで優越性を得るのと同様に、害を与える場合も、より多くを返さなければ復讐の意味がないと考えられたわけです。そして、報復の無限拡大連鎖が続けば、部族社会全体が内部崩壊へと向かうことになります。こうして、「氏族制社会」内部の階層分化によって、外部へのみならず内部の攻撃性が強まり、“報復” を名分とする相互紛争が激化するにしたがって、「氏族制社会」は存続の危機を迎えることとなるのです。

 

 このような事態に、諸部族を束ねて支配する帝国「国家」として対処したのが、『ハンムラビ法典』だったと言えます。これに先立つ『ウルナンム法典』も、異なる法慣習を持つ諸部族に共通の「法」を与えて調停する意味はありましたが、『ハンムラビ法典』はそれを超えて、直接その法規定内容によって、諸部族間/諸部族内部の紛争を抑えこもうとするものであったのです。

 

 

『ハンムラビ法典』を刻んだ石柱(高さ2.25m)と頭部拡大(ハンムラビ王太陽神

シャマシュから叙任される図)。前1793-51年。ルーヴル美術館蔵 ©Wikimedia.

 

 

 『ハンムラビ法典』は、「目には目を、歯には歯を」という《同害報復》の法だと言われることが多いけれども、《同害報復》とは、報復を奨励するものではなく、むしろ抑制するために定められる「法」だということを理解する必要があります。つまり、被害者といえども、加害を超えるような “倍返し” を相手に返すことを禁止して、報復の拡大連鎖を防ぐ点にこそ、《同害報復》規定の狙いがあるのです。「国家」が交換様式Bに基く絶大な権力によって、交換様式Aを抑圧し、「万人の戦い」に終止符を打ったのが『ハンムラビ法典』であったと評価することができます。

 

 しかし、『ハンムラビ法典』のなかで《同害報復》になっている規定は、ごく一部にすぎません。大部分の規定では、まず、身分による差別があります。また、報復ではなく「贖罪金」の支払いで済ます規定も少なくありません。じっさいに条文を見ておきたいと思います。

 

 

上掲石柱の一部。『ハンムラビ法典』を記す。この写真の上下の向きは

石柱と同じ。しかし、文字は下から上へ読む形になる。

 

ハンムラビ法典(抄訳)

 

 ※翻訳にあたっては、キング英訳(Codex Hammurabi , as translated in 1910 by Leonard William King.)を底本とし、グレスマン独訳(Altorientalische Texte zum Alten Testament, Edition Alpha et Omega: Deutsche Übersetzung nach Hugo Gressmann, Berlin 1926, S. 380ff.)を適宜参照した。〔 〕内は、訳者の補充・注記。

 

 

§115 人〔債権者〕が他の人から穀物または貨幣を受け取る権利をもち、担保として人質を取ったときに、人質が債権者の家で自然死によってタヒんだときは、もはや何の請求もできない。〔債権者は、抑留中に人質がタヒんだ責任を問われない代わり、債権の支払いを求めることもできなくなる。〕

§116 もしその人質が債権者の家で、殴打または悪い扱いのせいでタヒんだときは、人質の主人〔債務者〕は、法廷で商主〔債権者〕に罪を認めさせなければならない。〔タヒんだのが債務者の〕息子ならば、〔債権者〕の息子を刹すべし〔タヒんだのが〕奴隷ならば、彼〔債権者〕は3分の1金ミナを支払ったうえ、人質〔奴隷〕の主人から受け取ったすべてのものを失うべし〔返さなければならない〕

§195 息子がその父を打ったときは、彼
〔息子〕の腕を切り落とすべし。

§196 人が、生来の自由人の眼を潰したときは、彼
〔加害者〕の眼を潰すべし。

§197 人が他の人の骨を折ったときは、彼の骨を折るべし。

§198 もし彼が解放奴隷の眼を潰したとき、また、解放奴隷の骨を折ったときは、彼は1金ミナを支払うべし。

§199 もし彼が人の奴隷の眼を潰したとき、また、人の奴隷の骨を折ったときは、彼はその奴隷の買価の半分を支払うべし。

§200 人が同位の者の歯を折ったときは、彼の歯を折るべし。

§201 もし彼が解放奴隷の歯を折ったときは、彼は3分の1金ミナを支払うべし。

§202 人が自分よりも上位の人の頬を打ったときは、彼は公衆の面前で60回、牛の鞭で打たるべし。

§203 生来の自由人が、他の生来自由人または同位の者の頬を打ったときは、彼は1金ミナを支払うべし。

§204 解放奴隷が他の解放奴隷の頬を打ったときは、彼は10シェケルの貨幣を支払うべし。

§205 奴隷が解放奴隷の頬を打ったときは、彼の片耳を切り落とすべし。

§209 人が生来自由の女を打ち、そのけっか彼女が胎児を流産したときは、彼は彼女の損失に対し10シェケルを支払うべし。

§210 もしその女
〔被害者〕がタヒんだときは、〔加害者〕の娘を刹すべし

§229 大工が人のために家を建てたが堅固に建てず、建てた家が倒壊して持主を刹したときは、その大工は刹さるべし。

§230 もし、倒壊した家が持主の息子を刹したときは、その大工の息子を刹すべし。』

 

 

楽人を描いた壺レリーフ。ウル第3王朝c.2112–2004BC.ルーヴル美術館蔵

 

 

 §196,197,200 は《同害報復》の規定です。しかしその場合でも、加害者と被害者が「同位」――同じ身分――である場合に限るとしているのです。身分の違いがある場合には、報復は加害と同等ではなく、身分差に応じたウェイトが付けられています(§198,199,201,202,204,205)。

 

 報復加害ではなく、「贖罪金」で解決する規定も多い。被害者が加害者よりも下位の場合(§198,199,201)のほか、同位の場合にもあります(§203,204,209)。

 

 身分は、「生来の自由人」、奴隷、解放奴隷(もと奴隷だった自由人)の3種類があって、奴隷の場合には権利能力を認められていない。奴隷が受けた被害は、主人の財産的損失とのみ見なされています(§199)。眼につくのは、加害に対する処罰(報復)として加害者の「息子」「娘」を刹す規定があることです(§116,210,230)。「息子」「娘」は、身分的には奴隷と同様の境遇に置かれていたわけで、家父長制にもとづく厳然たる身分差別の社会体制が想像されます。§195のような・家父長に対する侮辱を処罰する規定もあります。

 

 「大工」「商人」のような特殊な職業人に関する規定もあって(§115,116,229,230)、それらを見ると、職業人も、奴隷ほどではないが差別的に扱われているようです。

 

 これら、法典に規定された裁定や処罰が、じっさいにどうやって行なわれていたのかはわかりませんが、警察や刑吏のような国家の機構があったかどうか、疑わしいと思われます。むしろ、処罰は、基本的に加害者・被害者間の “報復” に委ねられていて、“報復” が正当かどうかをめぐって紛争になり、宮廷に持ちこまれた場合に、王が判決を下す。判決に基く執行は、やはり当事者間で行なう。そういう体制であったかもしれません。その場合に、法典は、じっさいに下された裁定を集めて分類した「判例集」だったと見ることができます。(法典の「後文」には、「ハンムラビ、有能な王が確立し、国民に真にして善なる道を歩ませようとした正しい判決である」と書かれています。)


 また、§115,116から推定されるように、自由人である家父長はそれぞれ、人質や捕虜を抑留する牢獄や私兵を持っていたことが考えられます。

 

 

『互酬交換の場合、〔…〕倍返しになりがちであるのに対して、この法令は刑罰の上限を明文化することによって復讐のエスカレーションに歯止めをかけるものであった。〔…〕傷害に対して対価を以て賠償するという規定もある〔…〕交換様式の観点から言えば、この条項はに代わってを根底に置くものである。

 

 

バビロンの遺跡。現在は復元が施されている。©Wikimedia.

 

 

 それと同時に、ハムラビ法典に見られるのは、貨幣経済の浸透とともに生じた〔…〕貧富の階級分解を国家によって制御しようとする態度である。具体的には、利息の制限がその一例である。

 

 法典の「後文」に、こう書かれている。《(これらが)ハンムラビ、有能な王が確立し、国(民)に真にして善なる道を歩ませようとした正しい判決である。強者が弱者を損なうことがないために、身寄りのない女児や寡婦に正義を回復するために》。その意味で、ここに、「社会正義の擁護者としての王」という観念が出現したと言える。〔…〕

 

 貨幣経済が広がった古代の国家では、〔…〕急激な富の不平等化をもたらした。ハムラビ法典は、交換様式Bを管理するにいたったこと〔※〕を示す例である。〔…〕

 

 都市国家の間の競合を通して領域国家(王朝国家)が形成されたとき、〔…〕王は以前にもまして「聖なる」存在となった。〔…〕領域国家を統合するような広域国家、すなわち帝国においては、〔…〕王の一層の神格化が必要となる〔…〕皇帝は、それまでの王――〔…〕皇帝の臣下となった――と同格であってはならない。〔…〕皇帝の背後にある神もまた、それまでの神々を超えるものでなければならない。こうして、国家の拡大、すなわち、世界帝国の成立がかつてない神観念をもたらしたといってよい。〔…〕

 

 15世紀のアンデス山脈において〔…〕「太陽の王国」と呼ばれたインカ帝国〔…〕道路網(王道)や飛脚システムが発達し〔…〕世界帝国の条件を備えている。そこでは、太陽信仰が国家の基本となった。皇帝は「太陽の子」または太陽の化身として、貴族層や神殿の〔…〕聖職者を統治するようになったのである。

 

 古代のメソポタミアでも、帝国の成立に伴ってこのような王の神格化が起こった〔…〕王は、〔…〕神の意志を代行する者として崇められた〔…〕ウル第3王朝の〔ギトン註――ウルナンム王やバビロニアのハムラビ王の場合、超越的な神の意志にもとづいて「社会正義」を与える者として崇拝された。ゆえに、超越的な神という観念は、世界帝国の成立に伴って生じた、ということができる。〔…〕超越的な唯一神は、根本的に帝国の形成と連関している。〔…〕

 

 領域国家が拡大するにつれて、〔…〕交易の発展とともに生じた〔…〕貧富の差、つまり階級的分解という問題に〔…〕王は対処しなければならなかった。〔…〕『ハムラビ法典』〔…〕には、「社会正義」を実現するのが王の役割だという観念が見られる。またそれは、「社会正義」をもたらす神という観念とつながっている。その意味で、絶対的な神の観念の源泉は、絶対的な王権の成立にあるといってよい。』

柄谷行人『力と交換様式』,pp.147-150,155. 

 註※「交換様式Bを管理するにいたった」: あたかも、と同様の「平等化」の機能をもったかのように思うかもしれないが、『ハンムラビ法典』を見れば明らかなように、貧富の拡大・不平等化にたいするの「管理」とは、あくまでも、不平等を身分制度として固定化し、安定させることにある。

 

 

バビロンの遺跡(1932年)。発掘時の状況。©Wikimedia.

 

 

 

【66】 中国とエジプト――

「天」の思想;太陽の唯一神

 

 

 中国でも、紀元前11世紀に「殷」を倒して諸国家を統合した「周」王朝の時代に、「至上神の観念が現れた。それが《天》である。」《天》は、諸国家の神々の神格を超えるものと見なされ、「宇宙の主宰者、造物主として」君臨するようになった。(柄谷,p.150)

 


『天は神と区別される。それは神々を超える唯一神である。たとえば、呪術は神を動かそうとするものだが、天には呪術が通じない。その意味で、天はまさに「超越的」である。さらに、天はむしろ国家権力と結びつく〔…〕王は天(天帝)の子であり、天命により天下を治めると考えられるようになった。

 

 一方、庶民にとって、天はいわば運命に類したものであったから、彼らが実際に頼ったのは、天よりも、呪術的な神、先祖神のような神々であった。

柄谷行人『力と交換様式』,,pp.150-151.  

 

 

 もっとも、「周」は帝国としてはまだ安定していませんでした。前8世紀には、傘下の「鄭」などの諸国が独立性を強めて「周」王室を左右するようになり、「春秋時代」になる。さらに、前5世紀には「戦国時代」となり、諸国は連合と分裂を繰り返して(合従連衡)、戦闘をくりひろげます。

 

 《天》の観念も、「周」ではまだ「不明確であった」。「春秋・戦国時代」には「諸子百家」が、さまざまな思想体系を主張して相克しますが、百家の思想論争の「根底には、《天》の観念をどう解するかということがあった、〔…〕その意味で、それらは[神学]であり、また[自然哲学]でもあった。」やがて、百家の中で有力になった「儒家」「法家」のイデオロギー(たとえば孟子の「革命」思想)が、「秦および漢の帝国を可能にしたのである。」(柄谷,p.151)


 他方、エジプトでも「新王国時代」〔前1570頃~前1070頃〕には、外征によって世界帝国化する動きが顕著になり、それに続いて、おそらく世界最初の一神教が、「太陽神」信仰として登場します。

 

 

『第18王朝〔前1570頃~前1293頃〕〔…〕イアフメス1世とその後継者達は、上下エジプトのみならず近隣のシリア、ヌビア地方へ大幅に領土を拡大し、エジプトはオリエント世界最大の国家の一つとして君臨するに至った。トトメス3世に代表される歴代王達の征服活動は目覚ましく、広大な征服地とともに膨大な戦利品がエジプトへ流れ込み、エジプトは空前の繁栄の時代を迎えた。

 

 歴代の王達は遠征の後に、国家神であるアメンに戦勝を謝するため、テーベにあるアメン神殿に多数の寄進を行なうのが慣例となっていた。やがてアメン神殿はエジプトにおいて比類無い有力勢力となり、アメン神官団の動向は時として王位すら左右するようになった。〔…〕懸念を抱いた王達は〔…〕第18王朝半ば頃になると、〔…〕アメン神官団の勢力をそぎ落としにかかった。〔…〕アメンヘテプ3世の時代には、〔…〕アメン神官団を統御することが可能とな』り、『圧倒的な王権を背景に数多くの巨大建築が残された。

 

 

アメンホテプⅣ世の王妃ネフェルティティの胸像。すぐれた写実表現

によって「アマルナ美術」の代表作とされる。©Wikimedia.

 

 

 アメンヘテプ3世に続くアメンホテプ4世〔前1362?~前1333?〕は、更に進んでアメン信仰を排し、〔ギトン註――太陽神〕アテン神を唯一信仰する』アテン一神教による『宗教改革(アマルナ革命)に乗り出した。王はアテン信仰を盛り上げるべく、王名をアク・エン・アテン〔「アテンに仕える者」の意。=イクナトン――ギトン註〕と変更し、首都を〔…〕アケト・アテン〔テル・エル・アマルナ――ギトン註〕へと遷した。新しく筆記語として当時の口語(新エジプト語)が採用された。そしてアマルナ美術と呼ばれる新たな美術様式が生み出され〔…〕た。』

Wiki「エジプト新王国」  . 

 


 アメンホテプ4世は、『それまでの多神教を廃止して、太陽神アテンを至高の唯一神とした。〔…〕フロイトはその理由を、エジプトが帝国となったことに見いだした。

 

エジプトは世界的国家となり、〔…〕この帝国主義が、宗教においては普遍主義と一神教として現れるようになった。いまやファラオはエジプト外部のヌビアやシリアをも包括的に配慮しなければならなくなり、神性もまたその民族的な限定を放棄せざるを得なくなった。〔「モーセという男と一神教」, in:『フロイト全集』第22巻〕

 

 〔…〕イクナトンがいう一神教〔…〕は、多数の部族・国家を包摂した帝国が、複数の神々を超えた一神教を必要としたことからきている。その意味で、〔…〕国家の拡大がもたらした産物である。それはまた、王が豪族・神官らを制圧して独裁的な体制を作り上げることでもあった。〔…〕たとえば、〔…〕ウェーバーが次のように述べていた。

 

イクナトンの一神教的な〔…〕太陽崇拝への動きは、〔…〕数多い祭司的神々を排除することによって、祭司たち自身の優勢な権力をも打ち挫 くじ き、また国王を最高の太陽神祭司へと高めることによって、神と崇められたかつてのファラオたちの権勢を再現するといった要求に由来したのである。〔『宗教社会学』〕

 

 したがって、イクナトン一神教が示すのは、それが世界帝国をめざす宗教だということである。それが、ハムラビ王の「社会正義」のための統治とつながっている。そのような宗教を「世界宗教」と呼ぶことにしよう。

柄谷行人『力と交換様式』,2022,岩波書店,pp.155-158.  



 「世界宗教」は、交換様式Bの圧倒的優越によりもたらされる。」この「帝国」の「世界宗教」に対抗して登場するのが「普遍宗教」です。「普遍宗教」は、「帝国」に抑圧された被征服部族や、奴隷、流亡民のなかから発生します。たとえば、「普遍宗教」であるヤハヴェの一神教を唱えるモーセは、ファラオの祭司たち・兵士たちと闘って、数々の奇跡によって圧倒し、奴隷化されていたユダヤ人を率いてエジプトを脱出するのです。「普遍宗教」が依拠する「交換様式〔…〕とは、によって封じ込められたの “高次元での回復” にほかならない。」(柄谷,p.158)

 

 

 

 

 

 

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