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 石巻山頂の石灰岩露頭。

 

 

 

 

 

 

 

 「大知波峠」~嵩山方面の稜線が見える


 

 

 

 「大知波峠」から北へつらなる稜線。手前は「石巻山」の続きの尾根

 

 

 

 

 南(右)へ眼を移すと、「三ツ口池」。背後は赤岩尾根。

 

 

 

 

 西→南→東とカメラを回してきた。豊橋の市街地が広がる。

 

 

 

 

 ↓イワシモツケ。花期を過ぎている。石灰岩地特有の植物だそうだ。

 

 

 

 

 

 ヒロハヤブソテツ↓。シダのなかま。

 

 

 

 

 ↓ヌルデ。べつに石灰岩地特有ではないが。

 

 

 

 

 いやに勢いがいいが、これはヨモギだ。石灰に強いんだろうか?

 

 

 

 

 下りて行くとカゴノキがある。さっきはどうして気づかなかったかな。

 

 

 

 

 

 暗い林床にヤブコウジ↓。

 

 


 

 この一帯の「弓張山地」は、中央構造線外帯(南側)の付加体でできている。秩父帯(中生代ジュラ紀)らしい。秩父市周辺と同じ地質だ。中生層(水成岩)が、石灰岩やチャートの巨大岩塊をふくんでいるのも同じ。「石巻山」は、中生層の上に石灰岩の山頂部が乗っかった格好だ。山腹に境目(不整合)がある。「このしろ池」という小さな水たまりがあって、その畔に「不整合」の露頭が出ている。

 

 ↓木造の祠の屋根から左斜めの線が「不整合」で、その上は石灰岩層、下は緑色岩だそうだ。見てもよくわからないが。

 

 

 

 

 鳥居まで戻ってきた。「自然科学資料館」というのがあるから寄ってみる。いろいろとパネル展示があるが、なぜか、いちばん売りのはずの石灰岩地植物の説明だけが無い。どうしてだろう?

 

 

 

 

 


 「大知波峠」までは、どうってことはない。中腹に、バイクでも行けそうな広い道がある。古道「豊川道」の一部なのだろうか。行く手「大知波峠」方面の稜線↓。

 

 

 

 

 「大知波峠」に到着。

 

 

 

 

 

 向こう側に浜名湖が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 峠の東側斜面に、平安時代の巨大な伽藍の跡が発見されたのは 1989年だ。7年間の発掘調査で、A~Hの遺跡域に、12棟の礎石建物遺構が発掘され、2001年に国の史跡に指定された。下の実測図は、広大な寺域の一部にすぎない。

 

 

 

 

 10世紀中頃に建立され、11世紀末に衰退。12棟の建物はほぼ同時に存在したことになる。増改築もさかんに行なわれていた跡がある。多数の仏堂と僧房を配した山上の修道・参籠施設の姿が浮かび上がる。が、いっさいの記録がなく、断片的な史料も、言い伝えさえ残っていないので、実体は謎に包まれている。

 

 

 

 多数の仏前具(花瓶,鉢など)をはじめとする緑釉・灰釉,土師器が出土している。現在は、峠の名前から「大知波廃寺」と呼んでいるが、土器の墨書には「大波ヵ寺」とある。当時の呼び名は「おおばかでら」でよいのだろうか?

 

 

 

 

 ↑「礎石建物A,B1,2,E」。沢谷を挟んで4棟が並んでいた。

 

 

 

 

 ↑「礎石建物B1」と池。池は、沢を堰き止めて造られているが、平安時代当時からあった。

 

 ↓発掘時の「礎石建物B1」。大きな横長の仏堂で、2段の石垣と、参入の石段がついていた。

 

 

 

 

 「礎石建物B1,2」↓

 

 

 

 

 「礎石建物A」↓


 

 

 

 

 

 「礎石建物D」↓は、すこし離れた森の中にある

 

 

 

 

 

 ↓「D」の・この礎石はチャートだ

 

 

 

 

 「豊川道」をたどって、浜名湖側の「一本杉」まで下りて来た。古道の目印の杉の木があったのだろう

 

 

 

 

 ↓大知波峠をふりかえる。「知波田」駅まで 小1時間の散歩道。浜名線は列車の間隔が長いから、急いでもしかたがない

 

 

 

 踏査記録⇒:YAMAP

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20240605 [無印は気圧高度]
 (1)から - 1042石巻山[353m 358mMAP]1120 - 1146石巻山自然科学資料館[226mGPS]1207 - 1210鳥居※ - 1316大知波峠[346m]1325 - 1325大知波廃寺1415 - 1510「一本杉」登山口[59mGPS] - 1618「知波田」駅[11m]。