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親パレスチナ・デモの禁止令が出るなかで、数千人が「パレスチナを守れ」と

声を上げたフランスの首都パリのデモ(2023年10月12日)/長周新聞

 

 

 

 

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イスラエル戦争が刺激した「米国の雷管」
…崖っぷちに立つ名門大学の学長たち

 

 

 米国下院で今月初めに行われた「大学内反ユダヤ主義公聴会」の影響が落ち着く気配がない。下院教育・労働委員会が主導したこの公聴会に出席したハーバード大学・ペンシルベニア大学(UPenn)・マサチューセッツ工科大学(MIT)など名門大学の学長たちは「イスラエル戦争以降、大学街でユダヤ人の虐殺を求めるデモ・発言を懲戒することができるか」という議員の質問に「状況によって異なる」「文脈次第」と答えるにとどまった。

 学長たちのこのような態度は政界だけでなく学校内外で批判を浴びた。結局、UPenn のエリザベス・マギル学長は公開謝罪の末に辞任した。ハーバード大学のクローディン・ゲイ学長も学生・教授陣が辞任要求声明を出し、ユダヤ人大口寄付者が寄付の撤回を圧迫するなどして崖っぷちに立たされた。ハーバード理事会の留任決定でゲイ学長は引き続き事態の収拾にあたることになった。

 それでも下院は13日、学長たちの公聴会での発言を糾弾する決議案を通過させるなど余震は続いている。公聴会の「スナイパー役」を果たしたエリス・ステファニック議員(39・共和・ニューヨーク)は「この決議案は倫理的真実のほうに立つための超党派的努力で、歴史に残るだろう」とX(旧ツイッター)に投稿した。

 

 

◇アイビーリーグを揺さぶった公聴会

…謝罪・辞任・「冷や汗」

 

 ニューヨーク・タイムズ(NYT)など外信は米国最高の名門大学、いわゆるアイビーリーグの学長たちが回避性の発言で一貫している背景に「米国社会に存在する長年にわたる敏感な学内表現の自由問題が引っかかっているため」と指摘している。

 この事態は10月ハマスの奇襲以降、米国大学街に広がった「イスラエル対パレスチナ」デモの決定版ともいえるものだった。ハーバード大学にある 36 の学生団体連合は「ハマス攻撃の責任はイスラエルの極右政権にある」という批判声明を出したほか、ハーバードやUPenn・コロンビアなどでは相次いでパレスチナ・イスラエルを支持する応戦デモが続いた。親パレスチナ派のデモ隊とユダヤ人学生たちが物理的に衝突することも起きた。

 一連の事件をめぐり、共和党と大学のユダヤ界の大口寄付者は「反ユダヤ主義に積極的に対応しなければならない」と言って学長たちに詰め寄った。反面、「イスラエルに批判的な声を反ユダヤ主義だと言って禁止すれば学内の言論の自由が萎縮する」という懸念もある。

 これに関連して英国フィナンシャル・タイムズ(FT)は社説を通じて「米国憲法に則り、明らかかつ現存する危険がない限り、学生は保守であろうと進歩であろうと、キャンパス内の発言だけで処罰を受けることはできない」としながら「米国最高エリート教育機関のトップがこのような基準さえ明確に提示することができないのは残念」と突いた。学長たちが批判世論を意識して所信を十分に明らかにすることができないことが、このような事態を引き起こしたという指摘だ。

 

 

◇「学生の権利、正門の前で消えない」

 

 米国社会で修正憲法第1条の解釈に関する学内の表現の自由論争は1960~70年代に遡る歴史的なイシューだ。非営利組織「米国市民自由連盟」によると、1966年米国最高裁の「ティンカー対デモイン教育区事件」の判決が分岐点になった。当時黒人民権運動とベトナム戦争反対デモが社会を覆い、その影響を学校も受けていた。

 65年デモインのある公立高校に通っていた学生ジョン・F・ティンカー(当時15歳)はベトナム戦争に反対する趣旨で黒の腕章をはめて学校に行き、停学処分を受けた。4年間の法廷争いの末に、最高裁は「腕章を着用するのも一つの意見表明と見ることができ、修正憲法第1条が明示した学生の表現する権利は学校の正門の前で消えるわけではない」と判示した。

 翌年、ケント州立大学の反戦デモで州防衛軍の発砲によって大学生が死亡した事件は全国 800万人の大学生、高校生による連鎖デモの導火線になった。その後、学内で学生の政治的意見を幅広く保障しなければならないという雰囲気が盛り上がった。


 

◇裁判所、表現の自由を案件ごとに判断

…絶え間なく続く訴訟
 

 米国裁判所公式サイトのガイドラインによると、修正憲法第1条を適用するのにも限界がある。どのような表現が「差し迫った危険」を内包しているのか、特定個人または集団を具体的にねらっているのか(特定性)によって表現の自由は許されない場合がある。今年10月、コーネル大学で「学校の中でコーシャ(ユダヤ人の食べ物)飲食店に銃を撃つ」とオンラインに投稿した3年生が逮捕されたのはそのためだ。

 反面、このような場合を除いては大部分の発言の自由を認めるという意味にもなる。曖昧に「ユダヤ人が嫌いだ」という言葉は許される余地が大きいということだが、この場合、少数集団に対する差別・嫌悪を幇助するというジレンマが生じることになる。

 このような盲点を補完するのが 1964年の民権法だ。私立学校でも連邦財政の支援を受けている教育機関は人種、肌の色、出身国家に伴う差別禁止違反に関して政府の調査対象になる場合がある。これを根拠に教育省は先月ハーバードやUPenn をはじめとするコーネル・コロンビア大学など6校の大学で提起されたユダヤ人差別5件、ムスリム差別2件に対する調査に着手した。

 最高裁は学内の表現の自由に対する基準をさまざまな判例を通じて微調整してきた。「わいせつ物を公立学校新聞に掲載するのは表現の自由に該当しない」などだ。このような状況なので、学生・教授はもちろん、市民団体まで学校に対してたびたび訴訟を提起する。学長の「求められる答えを述べる」という消極対応もこのような訴訟を意識しているとの解釈がある。


 

◇キャンパス文化戦争も背景に
 

 修正憲法第1条は政府に対する市民の自由保護に関する内容なので、私立大学が必ず順守しなければならないものでもない。ただし、訴訟の可能性などを総合的に考慮してアイビーリーグは最高裁の判断に符合する表現の自由に関する政策をどの学校も持っている。最近の論点は「少数の人種や性少数者など特定集団の安全に影響を及ぼす恐れがある嫌悪発言も表現の自由として保護を受ける価値があるかどうか」に合わされている。

 イスラエル・パレスチナ事態だけでなく、大学は最近数年間、学内の政治的発言の許容程度をめぐり頭を痛めてきた。堕胎、性少数者イシューなど尖鋭な問題に対する意見表明が差別や嫌悪を助長することがあるかどうかに関し、キャンパスでも「文化戦争」が起きているためだ。

 一例として、2021年バージニア工科大学の保守派の学生3人は「学校が偏見対応チーム」を作って学内の自由な意見を抑圧し、修正憲法第1条に背いた」としながら訴訟を起こした。これに先立ち、同校の偏見対応チームがあるサークルのメンバーの発言が「同性愛嫌悪、人種差別、女性嫌悪に該当する」と指摘したが、これに学生たちが反発したのだ。1審は「偏見対応チームの指摘は学校の懲戒とみることはできないので、表現の自由を侵害したとまではいかない」として大学側を支持した。学生の控訴でこの事件は現在最高裁で審議されている。

 

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