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〔17〕 「ザスーリチ草稿」――まとめ

 


 前回までに、マルクスが実際にザスーリチに送った回答と、その草稿3つを順に検討してきました。そこで、私が読みとった主な点を言えば:

 

 (i)「私的所有 ⇔ 集団的所有」というカテゴリックな図式が、けっきょく最後まで踏襲されたために、自由な個人の自己実現の基礎となるべき「個人的所有」の創出・維持が軽視される結果となり、没個人的な「集団化」の方向へ向かうおそれがあること。

 

 (ii) チェルヌイシェフスキー・テーゼから引き継いだ飛躍が埋められなかったこと。そのために、西欧資本主義の「肯定的成果」の摂取が強調される一方で、その侵入による負の効果に、十分な注意が払われない結果となったこと

 ※註:「世界資本主義侵入の負の効果に対する認識の甘さ」 私見では、これこそが、ソ連を中心とする「社会主義」国家群が最終的に自壊した原因である。

 

 (iii)「共同体」の《物質代謝》における役割と、その歴史的発展論理については、マルクスの認識は、たしかにあるていど深化した。が、十分ではない。とりわけ後者に関しては問題が多いこと。共同性と私性の「二重性」というマルクスの論理枠組みは、共同性の減退・崩壊という発展方向しか帰結しない。にもかかわらず、この論理によって、自然発生的「集団化」という帰結を主張するのは、飛躍ないし論理矛盾でしかない

 ※註:その前提で、あえて国家権力の行使によって「私有化」を排斥し「集団化」を進めるならば、「共同体の上に聳立する専制国家」をもたらすおそれがある。歴史的に現出した「レーニン・スターリン体制」は、その不幸な実現であったと言えるかもしれない。

 

 (iv) しかしながら、集団化と私有化の「二者択一」を前提とするマルクスの硬直した概念枠組みを改めるならば、そこから、「共同体」の・ある種の発展として、利己的にのみ発展する私有ではない「個人的所有」を生み出す可能性が開かれ、《アソシエーション》創出の論理を生み出してゆく余地もあるかもしれない。以上です。

 

 

 最後に、斎藤さんの本に戻って、私とはまた異なる視点からの「ザスーリチ草稿」の理解を見ておきたいと思います。その際、前回にまとめた「共同体」の継起的発展図式にも言及がありますので、まず再録しておきます:

 

 3つの草稿を総合しますと、マルクスが考えている「共同体」の “継起的発展” は、つぎのようになっています:

 

 

① 原始共同社会=血縁的共同社会 人びとは共同の住居に住み、生産労働はすべて協働で、収穫物(あるいは狩猟の獲物)だけが分配されて個人の私的所有になる。

 

② カエサル『ガリア戦記』に描かれた紀元前1世紀のゲルマン人 耕地は、各氏族・部族に毎年分配されていた。しかし、個人には分配されず、耕作は共同で行なわれていた。生産が共同である点からいえば、①の一種と言ってよい。

 

③ 「農耕共同体」 ロシアの「ミール」 ゲルマン人の場合には、②と④のあいだで経過しているので、この段階は文字史料には記録されていない。屋敷地と付属菜園が「私的所有」で、耕地、牧草地、森林、未墾地は「共同所有」。ただし、耕地は成員に分配され、「割り替え」や「開放地条制」があり、耕作は各個人が自己の計算で行なう。

 

④ タキトゥス『ゲルマニア』に描かれた紀元後2世紀のゲルマン人 屋敷地と付属菜園のみならず、耕地も成員に分割されて「私的所有」となっている。牧草地、森林、未墾地だけが「共同所有」。

 

⑤ 19世紀西ヨーロッパに残る「共同体」の名残り 森林、未墾地まですべて「私的所有」だが、森林の落ち枝は村人が自由に拾ってよい、などの慣行として「共同所有」の痕跡が残っている。

 

 

 

 

 

 

〔18〕 「ザスーリチ」解体――

もうひとつの “ロシア革命”

 

 

『「第2草稿」では、〔…〕「共同体的所有の経済的優位性」を指摘している〔…〕ロシアの「農耕共同体」が西欧社会に対する優位性をもつのは、共同所有が協同的労働やアソシエートした労働の基礎として機能するからである。〔…〕ただし、その共同所有は、ロシアへの資本主義の侵入によって急速に破壊されつつある〔…〕

 

 「第1草稿」〔…〕「新しい共同体」〔↑前節の③――ギトン註〕は、土地の集団的所有を維持するが、土地を構成員に配分・分配し、それぞれが個別にその果実を取得する〔…〕集団主義と個人主義の「二元論」〔二重性――ギトン註〕によって「第二次構成の共同体」〔↑前節の④――ギトン註〕は衰退の危機にさらされるものの、一方で、過度に強い共同体の紐帯の解消は「個人性の発展」の可能性も生み出す。マルクスによれば、個人主義が集団主義を圧倒して共同体の崩壊を招いてしまうのか、それとも、労働の社会化の過程で集団的規制が残り、それを基礎として社会主義への道が開かれるかは、それぞれの社会が置かれる「歴史的文脈」によるというのである。〔…〕

 

 したがって、ロシアに残る農村共同体とその共同体的所有が、地球全体を巻きこむ資本主義の高波に飲み込まれ、消滅してしまうのを傍観する必要はない、とマルクスは述べる。それどころか、ロシアの農業共同体の生命力は、〔…〕資本主義の拡大に対する抵抗の基礎を提供することができるというのだ。〔…〕

 

 しかし、ロシアへの資本主義の侵入によってミールの崩壊がすでに起こっている〔…〕「もしも革命が適時に起こるならば、もしも、農村共同体に自由な飛躍を保証するために、革命が全力を集中するならば、農村共同体はまもなく、ロシア社会を再生させる要素として、資本主義制度によって隷属させられている諸国に優越する要素として、発展するであろう。」〔『全集』,19巻,p.398〕

 

 〔…〕マルクスは、非西欧社会における資本主義の拡大に対する抵抗力に注目することで、ロシア革命の可能性を見出したのである。』

斎藤幸平『マルクス解体』,pp.288-291.  

 

 



〔ギトン註――ロシアと〕同じ論理は、〔…〕アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった地域の他の農耕共同体にも適用できるだろう。〔…〕世界中に残存していたさまざまな原古的な共同体も〔…〕資本主義に積極的に抵抗し、社会主義を樹立する集団的主体性を持ちうる〔…〕〔ギトン註――マルクスは〕主張するようになったのだ。言い換えれば、原古的な共同体は、主体性を持たない・歴史の受動的で不動な対象・ではもはやなくなったのだ。

 

 マルクスは 1860年代に入ってから、資本主義発展がもたらした自然環境の劣化や周縁部〔アジア,アフリカ,…――ギトン註〕への侵奪を前にして、それまでの楽観的な理論枠組みを再考する〔…〕「物質代謝の亀裂」は、資本主義による共同体的生産・所有の破壊が生み出す「自然の生命力」の劣化の現れにほかならないのだ。この意味で、プロレタリアートの形成〔小農民の無産者化――ギトン註〕と環境破壊の問題は同根である。

 

 マルクスがザスーリチ宛の手紙〔の草稿――ギトン註〕のなかで、前資本主義的共同体の「経済的優位性」を認めているのは、〔…〕例えば、マルク協働体〔ゲルマン人の③型――ギトン註〕の生産力が西欧資本主義社会よりはるかに低いとしても、自然との物質代謝的相互作用をはるかに意識的に制御し、社会的平等と土壌の肥沃度を同時に確保していたという点で、そちらのほうが優れているのである。事実、これこそが共同体を長く持続させる「自然の生命力」の源であった。

 

 さらに、「資本の生産力」はポスト資本主義社会の基盤を提供しない以上、マルクスは、西欧社会はこれらの農耕共同体から物質代謝を組織する別の方法〔例えば、江戸時代・日本の里山エコロジー――ギトン註〕を学ぶ必要があると考えるようになっていったのだ。〔…〕

 

 資本主義の私的所有制度は、個人による共有財〈コモン〉――ギトン註〕の恣意的な使用を正当化する。しかも、〔…〕損害は外部化されて、社会全体に不均等な形で波及する〔公害,労災,僻地への原発設置,途上国・地域の強制労働,…――ギトン註〕。これに対してマルクスは、「アソシエートした生産者が、人間と自然の物質代謝を合理的に規制する」〔『全集』,3巻,p.1051〕ことを要求した。ここでの「合理性」の要求は、〔…〕リービヒやフラースと〔…〕同じであり、未来に向けた持続可能性を意味する。〔…〕

 

 マルクスは手紙の「第1草稿」で、資本主義の危機は〔…〕「近代社会が、集団的な所有および生産の「原古的な」型のより高次な形態へと復帰することによって終結するであろう」〔『全集』,19巻,p.393〕〔…〕マルクスは、〔…〕西欧が前資本主義社会に「復帰する」必要があると主張したのである。原古的な型の・より高次な形態に「復帰する」ために、西欧が非西欧社会から、いったいどのような原理を取り込む必要があるのだろうか。

斎藤幸平『マルクス解体』,pp.292,307-309.  
 

 

 


 西洋からの植民者がやってきた当時、「イロコイ連邦」のアメリカ先住民は、いくつかの対偶婚家族が一つの大きな家屋に住んで共同の世帯を形成していました。ルイス・モーガンは、これを「生活の中のコミュニズム」と呼んでいます。

 

 しかし、モーガンの言及するところでは、同様のことが、1861年「農奴解放」前後に窮迫したロシア農民のあいだでも、相互扶助として行なわれていたのです。(『マルエン全集』,補巻4,p.285.

 

 

『自然環境の厳しさに迫られたロシア人は、〔…〕クロポトキンが提唱したような相互扶助に頼らなければならなかった。それこそが、「生活のなかのコミュニズム」の自然的基盤だったのである。

 

 土地や財産の共同体的規制を通じて、「生活の中のコミュニズム」は、基本的に毎年同じ生産を繰り返した。つまり、その長く続く伝統的な生産方法は、経済成長のない定常循環型経済を実現していた

斎藤幸平『マルクス解体』,pp.311-312.  
 


 このような文脈のもとで、モーガンは、カエサル『ガリア戦記』に描かれたゲルマン人共同体〔前記②型――ギトン註〕の経済に注目しており、マルクスもまた、その部分をノートに摘録しています:

 

 

『彼らは農耕には熱心でない。誰も、決まった大きさの耕地や自分の地所を持ってはおらず、役職者や首長が、毎年、氏族連合や同族者集団に、適当な場所に適当な耕地を割り当てる。しかも、翌年は別のところへ移動させる。〔…〕

 

 平民にとって最大の誉れとなるのは、自分たちの周囲をできるだけ広く無人の荒野にしておくことである。〔…〕

 

 土地は働き手の数に応じて分配される。広大な原野が存在するので分配は容易である。

『マルクス・エンゲルス全集』,補巻4,pp.473-474.  

 

 

 つまり、紀元前のゲルマン人共同体が、部族間で毎年、耕地の割り替えを行なっていたのは、それが容易にできるほど、周囲には未墾地がありあまっていたからです。そして、森林や空き地がたくさんあるのに、彼らはあえて耕そうとしないので、地味の良い未墾地がありあまるほどあったのです。

 

 なぜ開墾しないのかというと、カエサルがゲルマン人に聞いて記すところでは、戦士としての武勇を高めるためです。農耕に熱心になると、戦争をいやがるようになる。また、金銭欲に溺れてしまう。貧富の差ができると、心が安らかでなくなる。こうしたことはみな、戦争への意欲を妨げるというのです。

 

 逆に、居住地のまわりに空き地が多ければ、他の部族が恐れて近寄らないためだと見なされる。周りに荒れ地が多いほど、強い戦士だと見られて尊敬される。だから、あえて開墾をしないのだ、と言うのです。

 

 

 

 

 

 このように、ゲルマン人のあいだでは、共同体的な規制は、戦士の意識と強く結びついていたことがわかります。ほかの民族の場合にも同様で、前近代の共同体というものは、――戦士とは限りませんが――何らか、およそ経済とは無関係な決まりごとを信じて、人びとは共同体規制を守っているのです。
 

 

『社会の再生産には共同体の規制と制限が強くかかっていて、技術が「持続的 persistent」であったため、生産力の発展は非常に遅かった。〔…〕生産力を高める可能性や、長時間労働をする可能性があったとしても、これらの共同体は意図的にそうするのを避けたのである。定常状態を維持することで、支配と従属の関係を生み出す権力と富の集中を防いでいたのだ。

 

 1870年代にマルクスは、〔…〕ナロードニキの創設者の一人とされるチェルニシェフスキーから強い影響を受けていた〔…〕チェルニシェフスキーは、〔…〕スラヴ主義者のように共同体をスラヴ精神の体現として理想視〔…〕しなかった。〔…〕チェルニシェフスキーは、〔…〕ロシアの伝統的な共同体は西欧資本主義の果実を取り入れつつ、他方で、西欧の社会主義運動は共同体的生産から学ぶことで、新しい未来を切り拓けると訴えたのだ。〔…〕

 

 1880年代までにマルクスは、経済成長を伴なわない共同体の持続的な安定こそが、人間と自然の持続可能で平等主義的な物質代謝的相互作用を実現するための基盤であることを認識していたのだ。〔…〕

 

 14年の研究の末、定常型経済に基づく持続可能性平等が、資本主義に抵抗する力の源泉であり、だからこそロシアの共同体が資本主義の段階を飛び越えてコミュニズムに到達しても何ら不思議ではないという結論を出したのだ。さらに、西欧社会が資本主義の危機を解決するために、原古的な型のより高次な形態に意識的に「復帰する」のが必要なのも、定常型経済のもとでの持続可能性平等を実現するためである。

 

 この意味で、マルクスのポスト資本主義の最終展望は、脱成長コミュニズムなのである。〔…〕

 

 資本主義的発展の果実と、非西欧社会における定常型経済の原理の組合せこそが、西欧社会が原古的な共同体の「高次な形態」としてのコミュニズムへの飛躍を可能にするのだ。

斎藤幸平『マルクス解体』,pp.313-316.  
 

 

 

 

 

 

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