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〔21〕 「労働者協同組合法」と《アソシエーション》

――「脱成長コミュニズム」への道

 


『生協や信用金庫なども協同組合ですが、マルクスが念頭に置いているのは、労働者協同組合です。

 

 実は、2022年10月に、日本でもついに「労働者協同組合法」が施行されました。でも、まだあまり知られていないので、その理念を少し説明しておきましょう。

 

 協同組合においては、構成員の労働者たちは、自分たちで出資し、共同経営者となります。そうすることで、労働者は自分たちで能動的に、民主的なしかたで、生産に関する意思決定をめざします。資本家たちに雇われて給料をもらうという賃労働のあり方が終わりを告げ、自分たちで主体的、かつ民主的に会社を経営するようになるわけです。

 

 協同組合が作るものは、〔…〕人々が生きていくのに欠かせないような必需品です。〔…〕過剰な広告を打ったりもしません。〔…〕SNSやスマホゲームのように、中毒性をもって私たちの時間やデータを奪うようなものも作りません。それよりも、労働者の働きがいや地域のニーズを重視するのが労働者協同組合です。労働者協同組合によって、生活に必要な知識や生産手段、生産物が〈コモン〉になっていくのです。

 

 その際、〈コモン〉をミクロな、小さな変革として捉えるのは一面的です。日本の労働者協同組合は、地域の保育や介護、林業や清掃業などが中心ですが、事業の可能性は無限大。

 

 海外、特にスペインやイタリアでは、家電産業や農業、出版業など多部門で事業が展開されています。

 

 さらに、協同組合はソーシャルビジネスや自治体ともつながっていくことで、もっと広いマクロな範囲でアソシエーションを構築していくことができるはずです。それは、コモンを管理するいくつもの連合体が、おたがいに生産調整を行なうイメージです。

 

 そうすることで、社会で誰が何をどれだけ必要としているかがわからないままに無計画に生産するという資本主義社会のあり方が、徐々に抑制されるようになっていきます。〔…〕

 

 これは一見すると、〔…〕実現不可能に思われるかもしれません。けれども、それが現実のものとなる余地は、ICT(情報通信技術)やアルゴリズムが発展している現代社会において、むしろ飛躍的に拡張しています。

 

 実際、大企業のグローバル・サプライチェーンは、自分たちの必要とするものを、市場でのやりとりを経由せずに相当な規模で確保しているわけです。それを労働者自身が能動的に管理していくような生産体制にシフトしていこうというわけです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,2023,NHK出版新書,pp.209-211.  




 

 

 このように、現代においては、資本主義から脱却できる技術的条件が拡大している一方で、資本主義の「物象化」がもたらす経済(物質代謝)の歪みは極限に達しています。

 

 私たちは、自分たちの能力と限られた時間を、生活に必要なものの生産に振り向ける代わりに、「資本の(自己増殖の)ための労働」「資本の(自己増殖の)ための消費」に駆り立てられてはいないでしょうか? 利潤を生みだす「商品」の「価値」が優先されて、「使用価値」は脇に追いやられ、無くてもよいスマホゲームや広告宣伝媒体の生産に集中しているあいだに、食糧自給率はゼロに近づいていないでしょうか?

 

 

 社会全体として、『今の生産規模を維持する必要はどこにもありません。不必要な商品や過剰になった品目数を減らしていき、より「地産地消」で必需を反映した生産へとスケールダウンしていくことも、新技術の力を最大限活かすことになるはずです。〔…〕


 このように脱商品化を進めて〈コモン〉をふやし、〔…〕無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための、使用価値を重視する社会へと転換するのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,p.211.  

 

 

 さきごろコロナ・パンデミックが世界を襲った時、先進国では、資本主義の金儲けの論理が社会を覆っていたために、輸出入に障碍がおきると、自分たちでは必需品を作れなくなっていることが判明して慌てたのです。こうして、先進国は、戦争、インフレ、気候危機などによるリスク増大が懸念される 21世紀においては、自給型の「使用価値経済」への転換が欠かせないことを、ようやく認識するに至りました。

 

 大量生産と大量消費を「繁栄の証し」とするような成長至上主義の経済は、もうやめなければならない。「資本主義の常識」はもはや維持できないということが、明白になりつつあります。

 


『大量生産や大量消費をやめた使用価値経済では、過剰な広告や頻繁なモデルチェンジ、計画的陳腐化なども不要になります。マーケティングや広告、コンサルタントのような・使用価値を生まない仕事は、もっと削られてもいいはずです。(少なくとも、彼らがエッセンシャル・ワーカー〔介護,保育,家事等、利用者の複雑なニーズへの臨機応変な対応が要求される「人間にしかできない」仕事の従事者――ギトン註〕の何倍もの給料を支払われる必然性はどこにもないのです)。

 

 残った〔ギトン註――単純な〕仕事は「ワークシェア」〔用具,サービスと余暇の貸し合いによって単純な仕事を効率よく処理する仕組み。ウーバーイーツやライドシェアは一例――ギトン註〕すれば労働時間を短縮でき、自由時間が増大します。その際には、ワークシェアの理念に合わせて、賃労働と家事労働の区別も無くさねばなりません〔「商品化」の範囲を狭め、相互扶助を拡大することにより、可能となる――ギトン註〕〔…〕いろいろな仕事をみなでローテーションしながらシェアするのです。

 

 労働者自身が何をどのように作るかを決められるようになれば、構想と実行の分離が乗り越えられます。そうすれば、技術は、労働者を管理・支配するための手段から、能力の差を乗り越えて、自由に働けるようにするための補助手段へと変わる。つまり、技術革新の成果は、さらなる(無駄な)商品を作るために使われるのではなく、労働時間を短くしたり、能力の差を埋め合わせて、作業をより平等に行なうために使われるようになります。

 

 そこでは、一部の人だけが楽しくやりがいのある仕事を独占して、他人に命令しながら金儲けをする一方で、特定の人がいつも介護や洗濯、料理といったケア労働を強いられるというような社会的分業は廃止されます〔…〕

 

 

 

 

 こうした大転換の先にあるのが、脱成長コミュニズムです。コミュニズムは、教育、医療、移動手段などが無償となり、食べ物、衣服、本なども、だんだんとお互いの贈与でやりとりされるようになっていく社会です。また、職業訓練、デイケア、子育てのサポートが十分に整備・供給されることで、誰もが自分の能力を全面的に開花させることができる社会です。これこそが、「各人の自由な発展が万人の自由な発展のためのひとつの条件であるようなアソシエーション」(『共産党宣言』)なのです。

 

 〔…〕コモンを基礎とするコミュニズムの原理は、資本主義社会のもとでも常に作用しています。友達の引っ越しを手伝う〔…〕子どもの友達が遊びに来て、ついでに食事を与えた親が、〔…〕代金を請求したりしませんよね。〔…〕

 

 つまり、私たちはみな、日常においてはコミュニストなのです。〔…〕そうした実践を友人や家族に限定する必要はないのです。〔…〕私たちは、商品や貨幣に依存しない〈コモン〉の関係性を、今よりももっと広げられるはず。

 

 資本主義の暴走が進むなか、〈コモン〉の領域を広げようとする動きは、実際に存在します。市民が出資して電気を地産地消する「市民電力」の取り組みや、インターネット・アプリを介してスキルやモノをシェアする「シェアリング・エコノミー」も広がっています。私はこうした動きを、新自由主義の「民営化」に抗する「市民営化」と呼んでいます。

 

 もちろん、市民営化が進んでも、依然としていろいろな財やサービスが、貨幣を使って商品として交換され続けるし、その限りで、市場は残るでしょう。〔…〕

 

 資本主義以前の社会においても、市場はあったのですから、別に市場を完全に否定する必要はありません。〔ギトン註――資本主義以前とは異なる〕資本主義の特徴は、商品がすべてを覆ってしまい、ただただ資本を増やすために、人間と自然を収奪していくことにあります。

 

 「市民営化」と〈コモン〉が大きく広がった時の市場の姿は、〔…〕人々は商品や貨幣だけにすっかり依存するということがなくなっているし、相互扶助が広がることで、利潤獲得を目的にする動機も弱まっていく〔…〕

 

 目指すのは、お金のあるなしに関係なく、みんなにとって大事なものを、みんなで管理し、共有できる豊かさであり、すべての人が「全面的に発達した個人」として生きられる社会です。〔…〕

 

 この大転換の結果、経済成長を目的としない脱成長型社会が実現され、生産ははじめて持続可能なものになる。そして、〔ギトン註――自然と人間との物質代謝に生じた〕「修復不可能な亀裂」も修復される〔…〕

 

 ロシア革命以前、パリ・コミューンを経験した 19世紀末の社会主義者たちにとっては、〔…〕私たちが思い描くようなソ連や中国の「社会主義」よりも、こうして、「協同的な富」の豊かさを実現するアソシエーション型社会のほうが、よりリアルなものでした。そのような体験をもとにして、モリスも有名な『ユートピアだより』を書いたのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.212-215,217-219.  

 

 


 

 

〔22〕 「ネットワーク」の重要性

――「ミュニシパリズム」の広がり

 


『パリ・コミューンが 1871年5月末に軍隊によって鎮圧されてしまった原因の一つは、コミューンが孤立していたからです。警察の封鎖線が敷かれてしまったため、〔…〕地方の人々は、「新聞の噓と中傷」を通じてしか、コミューンで行なわれていた試みを見ることができなかった〔…〕本当は、コミューンは農民の利害も反映し、重税や抵当債務、徴兵制から解放することをめざしていたのにもかかわらず、両者は対立するかのように宣伝された。だから、農民たちはコミューンのために一緒に戦おうとしなかったのです。

 

 パリと地方には分断があったわけです。〔…〕農民たちと連帯することができないと、資本にも勝つことができない。〔…〕

 

 ロシアのミール共同体もまた、点在して孤立した状態で存在していた〔…〕マルクスは、これではミールがロシアの帝政に勝つことはできないとわかっていました。ザスーリチ宛の手紙の草稿でも、「ある共同体の生活とほかの諸共同体の生活との結びつきの欠如」に特徴づけられた・ミールの「局地的小宇宙性」を「あらゆる意味で有害な」「弱点」として指摘しています。だからこそ、西ヨーロッパの資本主義がもたらした鉄道や電信などの果実を、ロシア社会がしっかりと取り込むことの重要性をマルクスは唱えたのでした。〔…〕

 ※註 「資本主義の果実」: ミール共同体などの前近代の農耕共同体が、「鉄道や電信」などの交通・意思疎通手段を利用できるようになっただけで、「社会主義」に生まれ変われるかどうかは頗る疑問です。たとえば、意思疎通に関しても、「農業集団化」においては、「党」の機関誌などのメディアが情報を独占していたために、「党」に都合よく歪められた情報しか伝わりませんでした。そもそも共同体の問題点は、「局地的小宇宙性」だけではありません。「個人的所有」の基礎となる自律的主体の発展を妨げるすべての経済的・政治的条件を吟味する必要があります。

 

 この〔…〕話を一国内に限定する必要はありません。都市と地方の分断だけでなく、先進国と途上国の分断を克服しないかぎり、資本主義に立ち向かうことはできないからです。〔…〕

 

 実は、世界に目を向けると、「都市と農村の対立」を乗り越える「アソシエーション」を作ろうとする動きが、〔…〕コロナ禍や気候変動を前にして、さらなる広がりを見せているのです。

 

 今、世界的に大きな注目を集めているのが、スペイン第2の都市バルセロナの呼びかけで始まった「ミュニシパリズム(地域自治主義)」の国際的ネットワークです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.219-221.  



 「ミュニシパリズム」とは、municipal(地方自治体)から派生した語で、住民の政治参加を選挙のみに限定せず、地域に根差した住民投票などの直接民主制的方式や、住民参加、合意形成を重視する運動です。

 

 「ミュニシパリズム」の呼びかけに呼応して《アソシエーション》的な〈コモン〉拡充政策を打ち出している都市としては、たとえば、

 

 ① バルセロナの市民運動から誕生した地域政党「バルセロナ・コモンズ」の市政府は、さまざまな既得権益と闘いながら、市立保育園の設置、アパートの買取りと公営住宅化、低廉な葬祭サービスの提供、DV被害者救済シェルターの運営、地産自然エネルギーを供給する公社の設立・運営などを行なってきた。(⇒:ミュニシパリズムとヨーロッパ

 

 ② 家賃高騰に苦しむドイツ・ベルリン州で、住民投票で導入が勧告されたアパート強制買い上げ制。3000戸以上の共同住宅を持つ不動産会社から、州が強制的に買い上げて、低家賃住宅として住民に提供する。

 

 ③ オランダ・アムステルダム市による「ドーナツ経済」の導入と実践。

 

 

 

 

 「ドーナツ経済」とは、オクスフォード大学の経済学者ケイト・ラワースが提唱した考え方で、

 


『ドーナツの内側の輪郭が社会的基盤を示しています。教育や民主主義、住宅、電気などへのアクセスが不十分になると、人々はドーナツの穴に落っこちてしまいます。一方、外側の輪郭は地球の環境的上限を表しています。〔社会的基盤の整備も、多くの場合、地球環境に負荷を与える――ギトン註〕むやみやたらにエネルギーや資源を使用するなら、この外側の輪を突き抜けてしまい、地球は破壊されてしまうでしょう。だから、できるだけ多くの人が、この両方の円の間に入るような生活を実現する必要があるというのが、ラワースの発想です。

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,p.222.  

 

 

 ところが、グローバル資本主義は格差を広げつづけ、グローバル・サウスの人びとが、真ん中の穴からドーナツに這い上がってくることを許しません。他方で、先進国の人びとの「帝国的生活様式」は、外側の円を突破して、地球人類全体を、気候変動をはじめとする生存の危機に陥れています。

 

 

『これまでの経済成長偏重を根本的に是正し、脱成長型経済に転換していくことをドーナツ経済は求めています。〔…〕

 

 例えば、これまでであれば、不動産価格が上がることは、投資という観点から歓迎され都市開発の成功の証とみなされたでしょう。けれども、それが多くの人々の住環境を脅かすのであれば、〔…〕動産売買への規制や、資産への課税、公営住宅の拡充が要請されることとなります。

 

 また、より公正な社会を実現するためには、先進国による途上国からの搾取もやめなくてはなりません。それゆえアムステルダムは、西アフリカのカカオ、バングラデシュの洋服、スマホやパソコンに用いられるコルタン鉱石のコンゴでの生産における搾取や環境破壊を透明化し是正しなければならないと、〔…〕市長は述べています。〔…〕

 

 ふつうの経済学者であれば、環境の持続可能性と市民の生活改善を両立させるためには、かつてないほどの技術革新と経済成長が必要だ、と言うでしょう。けれども、アムステルダムは成長に依存しない街づくりに舵を切ったのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.222-225.  

 

 

 こうして、「ミュニシパリズム」の呼びかけのもとで、‥

 


『民営化や緊縮のような新自由主義的な政策を・押し付ける国家や、社会の富を商品化しようとする・グローバル企業に対して、「恐れることなく」NOを突き付け、全住民のために行動する革新的自治体が生まれています。

 

 1つの街だけでは立ち向かえないかもしれない。だからこそ、アムステルダムやベルリンの挑戦は、国境を越えて、グローバル・サウスとも連帯しながら、グローバル資本主義に立ち向かう姿勢を見せているのです。〔…〕

 

 グローバル資本主義に対抗すべく、ローカルなコミュニティや地方自治体が、グローバルにつながり始めている――。これは果たして何を意味するのでしょうか。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.225-226.  

 ※註 「グローバル・サウス」: インド,インドネシア,トルコ,南アフリカ,ブラジルといった南半球に多いアジア・アフリカ・ラテンアメリカの新興国・途上国の総称。資本のグローバリゼーションのもとで、途上国の開発が進んで豊かになるのではなく、かえって「開発による格差と貧困」に苦しむ国,地域,人びとを指す。また、それら、グローバル資本主義への服従を強いられた人びとが、連帯して、北半球の先進諸国に対し・国家を越えて抵抗する政治的主体性をも意味する。

 

 

 

 

 

『「資本主義はそろそろ限界かもしれない」と感じている人は、若い世代を中心に確実に増えています。〔…〕

 

 では、どんな社会、どんな世界で暮らしたいのか。そのために、どのような選択をするのか。〔…〕私たちに今、そのはっきりとした答えはありません。

 

 けれども、そうしたなかで、世界では〈コモン〉の領域を広げていこうとする動きが市民を中心として広がり、国際的な連帯を生み出しています。そうした事例に学びながら、それぞれの知を持ち寄って、偏見なしにあらゆる可能性を考え、行動する時です。〔…〕

 

 資本主義は格差や分断を生み、弱き者たちからさらに奪ってきました。そして、市場は貨幣なき者を排除します。だから、商品化の力を弱めて、人々が参加できる民主主義の領域を経済の領域にも広げようとマルクスは言います。それこそが、あらゆるものの「商品化(commodification)」から、あらゆるものの「コモン化(commonification)」への大転換に向けたコミュニズムの闘いなのです。〔…〕

 

 マルクスが〔…〕唯一の絶対的答えを持っているというわけではありません。けれども、少なくとも彼は、資本主義的な経済成長で問題解決を図るやり方とは違う道を、最も体系的に追求した思想家の一人です。

 

 今のような危機の時代にこそ、『資本論』を読んで、資本主義社会の「常識」を越えて、今とは違う豊かな社会を思い描く想像力を取り戻し、行動を起こすためのきっかけにして欲しいと、心から願っています。〔…〕

 

 新自由主義の時代は終わりました。パンデミック、戦争、気候危機などの慢性的緊急事態の時代には、強い国家が要請されるからです。この慢性的緊急事態を放置すれば、ますます国家の力が強まって、ファシズムや全体主義となっていくでしょう。〔…〕

 

 そうした「野蛮状態」を避けるためには、格差や搾取、戦争や暴力、植民地支配や奴隷制などの問題に向き合い、国家の暴走に抗いながら自由や平等の可能性を必死に考えようとした思想家たちの、知恵と想像力から学ぶことが求められます。

 

 これこそ、私たちが今『資本論』を再び読まなければならない理由なのです

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.226-229.  

 

 

 

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 以上で、『ゼロからの「資本論」』のレヴューを終ります。

 

 今後のレヴューの予定ですが、↑この本の中で触れられていたエンゲルス著『ドイツ農民戦争』の・黙示録的な平等主義思想に関心を持ちました。そのユートピア的性格のためか、「マルクス・エンゲルス」の古典のなかでは最も読まれることのない・不遇な著作でして、現在では翻訳本の入手も困難です。けれど、それだけに、読みこんで紹介したい意欲に駆られるのです。

 

 

 

 

 

 

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