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 「山ってほどの山じゃないよ」――最初に訪ねた「金井沢碑」で、解説員のおじさんに、そう言われてしまった。

 

 「上州三碑」(上野三碑 こうづけ・さんひ)は、2017年に「ユネスコ・世界の記憶」に登録された、高崎市にある石碑だ。飛鳥~奈良時代に刻まれた。まだカナができる前だから、漢文で書かれている。

 

 なんでこんなものが世界遺産に?――と思うような・ただの石だが、かんたんに言うと、古代エジプト(⇒パレルモ石 前2300年頃)に発したユーラシアの石刻文字文明が、3千年かけて到達した東の端、ということらしい。

 

 「三碑」のうち2碑のあいだは、「高崎自然歩道」なる山路を整備してつないでいる。暑さが和らいだ日をねらって、3つのモニュメントをめぐってみた。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 

 

 「金井沢の碑入口」というバス停で下車。ここから下りて、谷川を渡った向こうらしい↓。


 

 


 電信柱にも広告を付けている。さすがはグンマ~というか。。。

 

 

 


 およ。休憩所まで建てている。なかなかの力の入れよう…。京都や奈良とちがって、ユネスコなんて関東にはめったにないからねえ。

 

 

 


 見えてきた。あの建物の中に碑を保存している。ユネスコ様ご指定ともなると、格がちがうな。

 

 

 



 

金井沢碑


 碑文の詳しい内容は、【聖武と行基集団】のほうで扱う予定。いまはとりあえず、石を見ていただこう。

 

 ここも、「自然歩道」の向う端にある「山上碑」も、解説員が覆屋のそばにいて、待ち構えている。他県のそういうボランティアと違って、解説の押し売りをしないところがいい。ところが、質問してみてビックリ。じつによく研究しているのだ。しかも、情報をたくさん知っているだけではない。自分でよく考えて、独自の考察を加えているように思われた。一家言あり、といったところか。それがすばらしい。

 

 「金井沢碑」は、要するに、古代「毛の国」の豪族が「智識」を結成した碑だ。

 

 「智識」とは、古代の仏教信仰集団。こちらは辞書に書いてある意味として、そう記憶しているだけだ。が、解説員氏が披露した説明は、すばらしかった。「当時は、知識とは、仏教のことだったんですよ」――帽子をかぶっていたら脱帽しただろう。つづいて、上野國への仏教伝来についても教えてもらった。藤岡市には、最澄鑑真の弟子を連れてきて開いた寺があるという。

 

 解説員の見識の高さは、ほかの史跡にはない上州三碑」の特色だと思う。古代史に関心のある方は、ぜひ行ってみられるようお勧めする。

 

 ただ、この炎天下で、解説員が休む屋根もないのは気の毒だと思った。行政当局は、もうちょっと配慮してよいのではないだろうか。

 

 さて、道路に戻って、↓ここから「高崎自然歩道」に入る。歩いている人は他に居ない。しかし、よく整備されていて、まったく苦労がない。

 

 


 

 

 

 渓川を渡る↓。たしかに、山というほどの起伏はない。家も畑もないというだけだ。しかし、木も草も、好きなだけ目いっぱい繁っている。グンマーのやえむぐら。

 

 

 

 

 

 クリ、シデ、コナラ、イヌザクラ、ウリカエデ、シラカシ。標高のわりには、落葉帯の樹相。東北に近いのだろう。

 

 

 

 

 一登りしただけで、もう尾根に出る。ほんとに低山だ。木の間から谷地形も見える。2時間で東京に行ける場所で、いくらでも宅地開発できそうな土地が、自然のままでいるのは不思議だ。いや、‥奇跡だ!

 

 

 

 

 

 「石碑 いしぶみ の路」という名前がついている↓。路ばたに最近創作の万葉歌碑を立てて洒落ている。万葉歌碑が多すぎて、くどいくらいだ。造ってるほうは一所懸命だが、あまり受けそうにない。そういうところがグンマーらしい。わかってると、思わずニンマリしてしまう。わからない他県人は、首をかしげるだけだろう。

 

 

 

 

 


 ↑つる草ががんじがらめに生い茂るような、抜いても切っても引きずってゆく恋。このへんの自然植生にふさわしい歌だな。「カホヨが沼」って、どこにあったんだろう。(詠み人知らず。人名は歌碑を揮毫した人)

 

 ↓分岐点。「山上碑」への縦走路は右だが、直進して「根小屋城址」を見て来よう。

 

 

 

 

 ↓根小屋城・搦手址。搦手 からめて は搦馬手とも書く。城の裏門のこと。

 

 

 

 

 追手(大手)址↓。つまり、こっちが表門。

 

 

 

 

 本丸址↓。

 

 

 

 

 

 

 本丸址の一角にある↑これは何だろう。発掘された建物柱穴の表示か?


 根小屋城は、甲州の武田信玄が、越後の上杉との戦い(川中島合戦 1553-64年)のために、上州を占領して設けた砦の一つだそうだ。上州の諸将が上杉方に附くのを防ぐために、ここに烽火台を設けて統制したのだという。当時から、江戸時代を通じて、上州は数々の諸侯(小名、旗本)の領地や天領に分かれて統一がなかった。そういう歴史が群馬県人の気質を作り上げたとも云われている。

 

 根小屋城には、信玄の「埋蔵金」伝説もある。武田方が軍資金を埋めたというのだ。地元の人が関心をもつ歴史は、万葉でもユネスコでもなく、もっぱらそっちのほうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20230804 [無印は気圧高度]
 「金井沢の碑入口」バス停[100mMAP]944 - 950金井沢碑休憩所[97m]1022  - 1025「石碑の路」入口[100m]1030 - 1117根小屋城址分岐※[190m]1120 - 1130「根小屋城」休憩ベンチ[181m] 1201 - 1207分岐※1209 - (2)につづく。